第7話 赤ん坊、大量虐殺

西暦2031年 5月。

インド東部、xx州の貧しい農村。


一人の母親が、赤ん坊を抱きかかえ、天を見上げながら途方に暮れる。

彼女の夫が声をかける。

「おい、そんな顔をして、どうしちまったんだ? えっ、まさか、うちの子にも?」

彼女が泣きながら答える。

「昨日の夜から、全く鳴き声を上げないのよ。お乳を飲まそうとしても、全然、飲んでくれない。きっと、あの病気よ。あの病気が、うちの子にも移ったのよ――――」

彼女は、赤ん坊を抱きかかえたまま、泣き崩れた。

夫が声をかける。

「あの、医者なら、無料で診療してくれるって、噂だ。うちの様に貧しい者達にも、分け隔て無く薬もくれる。直ぐに、この子を連れて行くんだ」

「連れて行ったって、無駄なだけさ。この眠り病にかかったら、絶対に助かりは、しないんだ。だって、隣の子だって、助からなかったじゃ無いかい」

「俺は、隣の村で、助かった子供がいるって話しを聞いた。諦めるんじゃ無い。さあ、早く病院へ」

この頃、インド全土で、謎の風土病が、猛威を振るっていた。

通称「眠り病」

この病気は、何故か赤ん坊にだけ発症した。この病気にかかると、眠ったままとなり、お乳も飲まなくなり、衰弱死を待つしか無いのだ。原因は、はっきりとはしていないが、徐々に感染者が拡大していることから、ウィルスによる伝染病と伝えられていた。

世界健康保健機構、WHOは、世界的な感染拡大を防ぐため、乳幼児のインド国内外への移動禁止、感染地域での徹底的な消毒活動などに尽力していた。

また、この頃より、インド各地に、謎の医師団が現れ、貧しい者達を無料で診察してくれることが話題となっていた。

謎の医師団は、ウィルス感染により、脳の睡眠、覚醒を司る部位が損傷を受けるとして、脳外科手術による救命を実施していた。しかし、手術を受けた場合でも、致死率は、90%を超え、多くの幼い命が失われていった。頭に、深い、手術の跡を残したまま。


コスモス社のファイブ内において、この病気に対する処置が議論されていた。

エレナが、厳しい口調で、激しく非難する。

「博士、これは、明らかにやり過ぎです。ウィルスの感染拡大をこれ以上、放置する訳には、いきません」

サカマキも、及び腰ながら非難する。

「私も賛成できません。直ぐに、ウィルス散布を止めるべきです」

しかし、博士は、相手にしない。

「君達、これは、ファイブ内での多数決で決まったことなのだ。止めたいのであれば、再度、裁決を取るまでだが、時間の無駄であろう」

アナは、博士の忠実なる下部、賛同者だ。

「インドには、貧しい子供達が大勢いるのよ。その子達を救ってあげているの。何故、それを止めなければいけないのか、私は理解に苦しむわ」

博士がガイアに声をかける。

「ガイア、後は、君の決断次第だ。ウィルスの拡散に賛成か、反対か決めるが良い」

ガイアは無表情に答える。

「私の中における、ウィルスの拡散を止めるべきとの意見は、43%です。従って、止める必要はありません」

アナが微笑む。

「ガイア、あなた、だいぶん利口になったわね。そうよ、止めるべきでは無い。3対2で決まりね」

博士も、ご満悦だ。

「エレナ、人脳の受け入れ体勢は、万全なのであろうな? 一人たりとも死なせるでは無いぞ。大切な命なのだから」

エレナは、非常に不機嫌な態度で答える。

「赤ちゃんの数が、想定よりも多すぎて、受け入れ体勢が、追いつかない恐れが出てきています。感染のペースをスローダウンしなければ、なりません」

「そうか、感染のペースを少し調整するか。ガイア、現在の感染予測に基づき、ウィルス散布チームに指示を出してくれ」

ガイアは、感染者数のシミュレーションに基づき、ウィルス散布の正確な指示を送る。

博士は、サカマキにも指示を出す。

「サカマキ、受け入れ体勢の拡充を急げ。インドでの人脳工場建設、拡張のペースをもっと上げよ。最近、君のスコアが、更に低下しているのが気になる。巻き返しのためにも、もっとペースを上げ、人脳社会の発展に貢献することだ」

サカマキは、焦った。ファイブの中で、一番、低いスコアに、常々、危機感を抱いていた。スコア次第では、上位のカーストの者との入れ替えもあり得る。そうなると、ファイブ内での特権を失うことになる。ファイブから転落すれば、後は、もう、落ちるところまで、落ちてゆくだけであろう。彼には、後が無かった。

「分かりました。至急、インド国内の資源を、人脳工場の方へ、集中投下させます。インドでは、経済発展よりも、人脳生産を優先させるべきと常々考えておりました」

アナが注文を付ける。

「インドは、人口の伸び率が大きい、優良国家よ。国家運営とのバランスも重視して、資源配分を考えなさい。若者への資源削減は、だめよ。高齢者の資源から捻出しなさい」

サカマキは、ただ従うだけだった。

博士が、ガイアに確認する。

「インドでの赤ん坊の脳は、目標の10万体を達成できそうか?」

「後3ヶ月もあれば、余裕で達成可能です」

博士がエレナに声を掛ける。

「お前は、頭の中で、これを大量虐殺と呼んでいるらしいが、大いなる勘違いだ。私は、人を生かしているのだ。何も恥じることは無い。これは慈善事業なのだ」

エレナの言語野が、博士にモニターされた瞬間だ。彼女は、未だ、博士に様に、言語野を全くモニターされずに思考する域には達していなかった。これはエレナにとって、非常に不利な状況であった。博士より上の存在になるには、博士に思考を読まれているようでは駄目だ。

ファイブのメンバーであっても、言語野はモニターされている。監視しているのは、他のファイブのメンバーなので、互いの頭の中を覗き見しながら、コミュニケーションを取り合っているのだ。当初は、この様な状況下では、まともなコミュニケーションなど取れないと、否定的な意見も有った。だが、実際に慣れてしまえば、案外平気なもので、互いに、本音をぶつけ合うことで、逆に、絆は、強まったのかも知れない。

しかし、このコミュニケーションは、博士にとって、圧倒的に優位なものであった。何故なら、自分の思考をモニターに表示させない術を身につけているからである。議論の場において、自分の手の内を見られないこと程、有利なことは無い。ファイブ内における博士の優位性は、まさに、この点にあった。

エレナも博士同様、思考をモニターに表示させない術を、ある程度身につけてはいる。しかし、未熟なため、博士に時々、覗き見される立場にある。その点において、エレナは、博士には勝てないのであった。

しかし、エレナの野心は、衰える事は無かった。『博士を超える』これは、心に深く刻んだ言葉である。そして、彼女の言語野には、この言葉が、写し出される事は、無かった。何故なら、彼女は、自らの脳をも騙すという、女優としての高等テクニックを兼ね備えていたのだ。敵を騙すには、先ず味方から、己自身から騙すのだ。彼女は、人脳社会を生き抜く狡猾さを磨き上げてきたのだ。恐るべき女である。

エレナが、博士に反論する。

「人脳の人口比が、赤ん坊に偏り過ぎです。これで、健全な人脳社会を構築して行くことが、出来るのでしょうか? 赤ん坊には、未だ、自我が有りません。社会の構成員として、加わることが出来ません」

しかし、博士には、その様なことは、どうでも良かった。

「エレナ、お前は何かと私のやることに文句を付ける。実に不愉快だ。確かに赤ん坊に自我は無いが、逆に自我が無い、無垢な人脳であればこそ、特別な利用価値があるというものだ。それに、赤ん坊など、その気になれば、いくらでも作ることが出来るではないか。人脳として、一番枯渇の心配が少ないのだ。積極的に、収容して何が悪い」

アナが、同調する。

「成人の人脳を製造する場合、神経系の適合に時間がかかり、効率が悪いわ。それに比べると、赤ん坊の人脳は、機能の分化が進んでいない分、適合するのが容易。大量採取に向いているの。赤ん坊の人脳に数を頼るのが嫌なら、成人の人脳を効率よく採取する方法を磨きなさい。それが、あなたの役割でしょ? 自分の役割も碌にこなせないで、文句ばかり言うのは、止めてもらえる?」

エレナがアナに敵意をむき出しにする。

「それじゃあ、あなたは、自分の役割をこなせているの? あなた、人脳のスカウトが仕事でしょう? あなたが、スカウトしてきた成人人脳は、未だ8万体でしょ。赤ん坊なんて楽な仕事ばかり選んでいないで、大量の成人を連れてきなさいよ。私がいくらでも、人脳に、捌いてあげるわ」

アナが睨み返す。

「大きなお世話よ。今に捌ききれないほど大量の、成人の人脳を送り込むから、黙って見ていなさい」

博士が、仲裁に入る。

「二人とも止めないか。今は、今年の目標、100万体に向けて、互いに協力し合うことだ」

この頃の、ファイブでの役割分担は、以下の如くだ。アナが、人脳となる人を集める役割。エレナが人脳の生産効率を上げる役割。サカマキが、その生産技術を生かして、人脳工場を建設する役割。ガイアが、それら全般をサポートする役割。そして、博士は、集めた人脳を教育し、人脳社会を発展させて行く役割だ。

博士は特に、赤ん坊の人脳に執着が強く、今回のインドでの大量確保の作戦を立案し、指揮しているのは、他ならぬ博士なのだ。博士は、赤ん坊を眠り病に感染させるウィルス、ベイビー・キラーの作成を、バイオ技術のエキスパート人脳に作らせ、それをインドで雇った者達に命令し散布。それと同時に、大量に雇った、医師と称する者達に、赤ん坊を病院に見立てた人脳工場へと運ばせ、人脳を採取しているのだ。

このウィルスのワクチンは、当分の間は、完成しないであろう。それまで、赤ん坊の脳は、取り放題なのである。

人脳の採取には、本人の同意、または、保護者の同意が必要なのが原則だが、ここに至り、それは、ほぼ、有名無実化していた。どの様な手段を用いても良い。集める人脳数の目標達成が必達なのだ。本当に酷い話しではあるが、ファイブの人権意識は、堕ちる所まで堕ちていた。


アナンドは、生まれ故郷のインドへ向かっていた。アナンドは、嘆く。故郷で、大量の赤ん坊が亡くなっている事に。その中には、アナンドの親族も含まれていた。今回の旅は、妹のカマラの男の子マハヴィルの葬儀に出席するためだ。

アナンドは、インドの貧しい農村の出身だ。一番近い空港からでも、バスで4時間は、かかる。バスの窓から辺りに広がる懐かしい光景がアナンドの瞳に飛び込んできた。生まれ育った、田舎道の光景だ。「帰ってきたね」、アナンドは実感した。「インドを離れてから、どれくらいになるだろうね?」、そんな思いを抱きながら、バスに揺られ故郷へと向かっていた。

見慣れた景色に混ざり、所々で葬儀が営まれている様子が、いやが応でも目に入ってきた。「こんなに沢山の、葬儀が?」、アナンドは、隣の席の男に訳を聞いた。

男は答える。

「あんた、インドは、久しぶりかい? こんな景色、俺たちは、もう見慣れちまっているよ。毎日がこうだ。嫌になるぜ」

アナンドは、唖然とした。こんなに多くの葬儀が、毎日、営まれているなんて。

「皆、赤ん坊さ。かわいそうなもんだ。未だ、生まれてきたばかりなのに。家族も、さぞ、辛いだろう」

男の声が、涙に詰まった。

アナンドは、そんな景色を、ボーッと眺めながら、故郷の村へ、向かった。

実家に着いたが、誰もいなかった。アナンドの実家は、村でも裕福な方だ。この家も、アナンドの仕送りで建てたという。

「お帰り、アナンド。家族は、今、火葬場にいるよ」

近所のおばさんから、そう教えられて、彼もそこへ向かう。

川縁にある火葬場では、火葬された跡があった。両親や兄弟、姉妹、親戚、村人達が集まっていた。母親が、アナンドを見つけ、駆け寄る。

「ああ、私の息子アナンド。聞いてくれ、悪い知らせを。妹のカマラが赤ん坊を亡くしたんだ。三日前のことさ」

母親は、両手で顔を覆いながら、泣き始める。他の家族も、皆、悲しそうな顔をしている。何と言うことだ。何故、こんな悲しい目に。

傍らには、力なくうずくまる、妹のカマラの姿が。

「カマラ」

「兄さん」

アナンドは、カマラを抱き寄せ、慰めの言葉を掛ける。

「辛いね。辛いね、カマラ。こんな形で再会なんて、本当に辛いね」

「夫は、また赤ん坊を作れば良いと、言ってくれるけれど、その子がマハヴィルの生まれ変わりとは、限らない。あの子は、何になってしまうのだろうね」

ヒンドゥー教では、死者は、輪廻転生するとの教えがある。しかし、親より先に死んだ子供は、来世では、報われないという。この子には、どの様な来世が、待っているのであろうか。


葬儀の夜、子を亡くした義弟のダヤラムは、アナンドの兄、マヘシュを連れて、アナンドの元へ行った。

「アナンド義兄さん、賢いあなたのことだ。あなたの意見を聞きかせてください」

「急に改まって、何だね、ダヤラム」

義弟は、赤ん坊の大量死に関して、気になることが有ると言う。この病気が流行りだした直後に、謎の医師団が、インド各地に現れたことだ。まるでボランティアの様に、ただ同然で、赤ん坊の治療に当たってくれた。しかし、直すには外科手術しか無いと、赤ん坊を、手術設備の整った病院と称される建物に連れて行く。そして、頭に外科手術の痕跡を残し、助からなかったと、亡骸を返すとのことだった。

アナンドは不思議がった。

「外科手術? 何で、伝染病なのに、脳の手術をするのね?」

「そこなんだ、怪しいところは」

何でも、その病院と言われる建物は、最近建てられたばかりのもので、家族の面会も許されず、24時間体制で、厳重な警備体制を敷いているらしい。希に助かる子がいるため、最後の望みを託し、子供を預けるのだが、皆、決まって、脳外科手術をされるのだ。

「俺は、何故そこまで、厳重な警備体制を敷かなければいけないのか、疑問なんだ。中で何が行われているかは、まるで、知るよしが無いんだ。何か変だろ?」

確かに、病院にしては、奇妙だ。何故、監視する必要があるのか?

「そこで、今夜、俺と兄貴とで、その病院に潜入してみようと話していたんだ。アナンド義兄さん、協力してくれないか?」

「えっ、今夜ね?」

「ああ、夜間の方が、警備も手薄らしいんだ。ここから、バイクで2時間ほどだ。中で何をやっているか、暴き出してやる」

3人は、暗闇に紛れて、その怪しい病院へと向かった。建物の周りを、巡回の警備員が回っている。

「なっ、警備員は、二人一組で、巡回している。お前は、この棒を使え。3人で背後に回って、襲うんだ。手加減は無用だ。動かなくなるまで、攻撃の手を休めるな」

アナンドは、喧嘩には、自信が無い。だが、ここまで来たら、やるしか無かった。整備員の背後から、後頭部を狙って、棒で滅多打ちにする。抵抗はされたが、大した武器を携帯していなかった。どうやら、プロの警備員では無かったようだ。両手両足を、ロープで縛り上げ、猿ぐつわをかます。

「よし、他の警備員に気づかれるまでの、時間との勝負だ。建物の中に潜入するぞ」

3人は、外の扉より、建物の中に入る。中にも警備員がいるようだ。

「構うことは無い、こいつらも、黙らせろ」

アナンドの兄達は、農場で鍛えた自慢の体で、力でねじ伏せる。

「アナンド、先に行け。後から俺達も合流する」

アナンドは、後を二人に任せ、病院の手術室と思われる所に辿り着いた。しかし、そこの窓から見たものは、驚愕の光景だった。

そこは、手術室と言うよりは、工場に近い設備が並んでいた。赤ん坊が、ベビー・ケースのまま搬送されて、機械にセッティングされる。頭部は、機械に固定され、回転式のメスで、頭の周囲の頭蓋骨を削り、缶詰を開くかのように頭頂部を切り離す。そして、脳をむき出しにしたまま、次の工程へと運ばれてゆく。次の工程では、手術ロボットが待ち受けていて、丁寧に、脳の取り出し作業を行う。

アナンドは、愕然としながら、脳の取り出し工程をただ見ていた。まるで悪夢でも見ているかのように。

「この事実を皆に公表しなければ」。スマートフォンを取り出し、動画撮影を試みる。

「おい、貴様、そこで何している」

アナンドの後ろから、警備員の声が響く。今度の警備員は、自動小銃を持ち構えていた。アナンドは、見てはいけないものを見てしまったのだ。絶対に口封じのため、消されると半ば覚悟した。反対側の通路からも、自動小銃を持った警備員達がやって来る。万事休すか。

しかし、振り返ると、警備員の背後に、兄達が、混紡を振り上げ立っていた。力任せに混紡を振り下ろし、警備員の頭に一撃を喰らわせる。

「アナンド、こっちだ。早く逃げるんだ」

けたたましいサイレンが鳴り、辺りが、赤いパトランプで照らされる。

「不味い、すぐに脱出だ。逃走経路は、ダヤラムが押さえてある、そこを通って逃げ出すんだ」

アナンド達が走る。背後から、自動小銃を持った、警備員が、多数押し寄せて来た。

「振り返るな、あそこから、飛び降りるんだ」

背後より、銃が乱射される。

「飛べーっ!」

間一髪、三人は、建物から脱出し、地面を転がり回る。そして、森の中をくぐって、隠してあったバイクへと向かう。背後から、絶え間なく銃声が響く。アナンドは生きた心地がしなかった。とにかく、生きて帰るんだ。銃弾が飛び交う中を、全力疾走する。

彼等は、やっとの思いでバイクにまたがると、一目散に村へと向かう。諦めたのか、もう銃声は聞こえなくなっていた。

「アナンド、何か分かったか?」

「こ、ここ、工場ね。赤ん坊の頭から、脳を取り出すための工場ね」

「何だって! 早く、皆に知らせなければ」

すると、背後から、猛スピードで、武装した男達が、でこぼこ道を車に乗って迫ってくる。こちらに向けて発砲を始める。

「くそう、4輪駆動車か。このままだと追いつかれる。バイクを捨てて、崖伝いに降りるぞ。この辺の、地理には詳しいんだ。何とか逃げてみせる」

アナンド達は、崖伝いに、森の中へと向かう。追跡者達が、崖の上から発砲してくる。

「振り返るな! 奴らには暗くて、良く見えないはずだ。急げ、急いで森に逃げ込むんだ。そうすれば、奴らを振り切れる」

この辺りの森の中には、どう猛な虎が潜んでいるという噂も聞く。森の中を逃げ惑うアナンド達は、生きた心地がしなかった。谷底の水辺を伝い、下流へと向かう。

「もうすぐ、隣村に着く。そこで少し、休息を取ろう。あと少しだ。頑張れ」

夜は既に、明けかけていた。


アナンド達は、やっとの思いで、隣村へと辿り着いた。しかし、村には、警察の車が止まっていた。

「ちょっと待て。暫く隠れていた方が良い。奴ら、警察を使って、俺たちを探しているのかも知れない」

アナンドは、信じられない様子だ。

「警察を? 警察は奴らの味方かね?」

「そうさ、警察だけではない。役人達も、あの病院の味方だ。奴らは、病院を建てる見返りに、しこたま金を受け取っているとの、もっぱらの噂だ。だから、俺たちは、奴らが何か悪いことをしているのではないかと、疑っていたんだ」

アナンド達は、警察の目を避けながら、自分達の村へと向かった。

アナンドの兄が、話しかける。

「おまえ、赤ん坊の脳を取り出していると言ったな。脳を取り出して、一体、どうするつもりなんだ?」

アナンドが、自分の会社の秘密を話す。自分の会社は、人脳を使った、超知性、コスモスを作っている。コスモスの性能をアップさせるためには、より多くの人脳が必要になる。その為、世界中から脳をかき集めている。

アナンドの義弟が、怒りを露わにする。

「脳を使った人工知能の話しは、俺たちも知っている。ネットで散々騒がれたからな。そいつらが、インドまで来て、俺達の赤ん坊の脳を奪ったのだとしたら、とても許すことなど出来ない。証拠は、残してないか」

アナンドは、録画した動画を再生するが、残念ながら、震えた動画しか残っていない。証拠らしいものは写っていなかった。あの切迫した状況では、そこまでの余裕がなかったのだ。

アナンドが言う。

「病院から、帰ってきた、赤ん坊の亡骸の頭の中を調べてみるね。頭の中が、空っぽになっているはずね」

しかし、義弟は、無理だと言う。

「死者の頭を切り裂くなど、誰も許してはくれない。うちの子も、帰ってきたとき、頭に傷があったが、軽くなっているようには、感じなかった。空っぽかどうか分からない」

兄は言う。

「俺の推測だが、恐らく、動物の脳に詰め替えて、送り返してくるかも知れない。奴らは、相当用心深そうだ。しっぽを掴むのは、難しい」

今回の、病院潜入で、病院側の警備体制も、より厳重になるであろう。そうなると、証拠を掴むことは、ますます困難になるであろう。警察も、奴らの側だ。何を言っても、信じてもらえまい。逆に、進入犯として、逮捕される危険性もある。

アナンド達は、悩んだ。どうやったら、この惨たらしい、犯罪を防ぐことが出来るのか。インドの赤ん坊達の命を守ることが出来るのか。


ティムに、インドのアナンドから知らせが入る。

「インドで大勢の赤ん坊が亡くなっている。これ、皆、コスモスの仕業ね。私、見たね。インドに人脳製造工場があるのを。そこに、沢山の赤ちゃんが、運び込まれているね。生きて帰れる者は、先ず、居ないね」

ティムは、生々しい事実を告げられると、怒りで体が震えだしていた。薄々、勘付いてはいたが、実際の現場の状況を知らされると、とてつもなく大きなショックだった。

ティムは、この残虐な、犯罪を食い止めるべく、ハオラン、ナカムラと相談する。

ハオランが、難しい顔をする。

「コスモスと話をしても、全く、相手にしてくれないよ。無視し続けるだけよ」

ナカムラが、提案する。

「ダメ元で、FBIにでも相談してみたらどうだろか? 状況証拠だけだが、もしかしたら、動いてくれるかも知れない。国際的な犯罪だ。合衆国の威信にかけて、捜査してくれるかも知れない」

ハオランが、無駄だという。

「コスモスは、合衆国丸ごと買収できる資金力を持っているよ。金の力で押さえ込まれるのが、落ちよ」

しかし、ティムは、決断する。

「これは、立派な犯罪行為だ。もはや、我々の手に負える問題ではない。合衆国を信じてみよう」

ティムは、地元のFBIへと向かった。


サン・フランシスコ、FBI捜査本部。


ティムは、内部告発者として、コスモス社の犯罪を暴露する。しかし、彼には、確固たる証拠がない。FBIも、対応に苦慮する。

対応してくれた、捜査官は、ティムに同情する。

「犯罪者は、超知性、コスモスだ。君の言う通り、何の証拠も残さない可能性が高い。これでは、我々も、捜査のしようがない」

ティムは、怒りを込める。

「現実に、インドでは、何万人という、赤ん坊が虐殺されている。合衆国の、企業の手で。これを見逃すことは、合衆国にとって、最大の屈辱だ。超知性の前では、我々は、無力であることを、認めるようなものだ。これでは、完全な負け犬ではないですか!」

捜査官も、負けを認めるつもりではない。

「これは、重大な国際問題だ。場合によっては、ホワイトハウスにも、動いてもらわなければならない。しかし、強制捜査の結果、『何も見つかりませんでした』では、国家の威信に関わってくる。確かな証拠、確かな手掛かりが必要なんだ」

ティムが迫る。

「もっと上へ、この問題を挙げてもらう訳にはいきませんか? これは、コスモスによる、人類に対する挑戦なのです。ホワイトハウスの耳に入れておかなければ、ならない規模の問題です。合衆国の総力を挙げて、立ち向かうべく問題なのです。ここで、見過ごすと、人類にとって、将来に大きな禍根を残すことでしょう。コスモスは、世界人口の半数から、脳を抜き取ることも企んでいるのです。このままだと、あなたの脳も、抜き取られるかも知れないのですよ」

捜査官は、まさかの表情で、対応する。

「世界人口の半数の脳を抜き出すって? まるで、SFの世界ですな。ターミネーターの様な、暗黒の未来が待っていると言いたいのですか? 一体、我々に、何をさせようというのですか? 超知性コスモスが危険人物だから、電源コードでも抜けと言うことですか? そもそも、コスモス自体に、人権が存在するかすら分からない。裁判に引っ張り出すことすら、可能かどうかも分からない」

ティムは、食い下がる。

「コスモスは、生きた人間の脳を持っている。それも、何万人分もの生きた脳を。現行の法律では、脳だけの者を、犯罪者として逮捕できないということであれば、法律を変えるしかないでしょう。しかし、それを待っていては、遅いのです。更に大規模の世界的な虐殺を引き起こす危険性を持っているのです。それを、指をくわえて待っていろと、――――」

「ああ、分かった、分かった。確かに、今、インドで起きている惨劇を、指をくわえて見過ごすつもりはない。しかし、将来起きるかどうかも分からない犯罪まで、相手にするほど、我々も暇ではないんだ。インドの件は、上へ挙げることを約束する。だから、今日は、この辺で、お引き取り願いたい」

ティムは、体よく、追い払われてしまった。今の法律では、コスモスを犯罪者として逮捕することは、困難かも知れない。逮捕した所で、放り込む留置所は、存在しない。一体どうすれば良いのか? 無力感が、ティムに覆い被さっていた。


それから数日後、アナンドは、コスモス社に戻ってきた。

彼は、アメリカを離れる前とは、別人の表情をしている。ティムは、その表情に対し、身に覚えがあった。モリーを失ったときの、自分の顔だと。

ティムが、アナンドを諭すように声をかける。

「アナンド、今は、耐えるんだ。軽はずみな行動は控えろ」

アナンドは、思っていたよりも冷静だ。

「分かっているね。軽はずみな行動をした所で、何も変わらないね。決定的な、何かを変えないことには、この状況を打開することは、無理ね」

ハオランも心配している。

「今は、チャンスを待つしかないよ。コスモスにも、必ず、隙が生まれるはずよ。何故なら、彼等は、人脳よ。神のような完璧な存在では、無いよ」

しかし、アナンドは、ハオランを否定する。

「待っているだけでは、チャンスは生まれないね。これは戦いね。こちらから仕掛けて行かないと、永遠にチャンスは、回ってこないね。こちらから仕掛ける。これしか無いね」

アナンドの覚悟は、相当なものだ。自分の命と引き替えにでも、現状を打破するつもりの様だ。

ティムには、アナンドの気持ちが痛いほど分かった。しかし、どうやって、コスモスと立ち向かう? どうやって、こちらから仕掛ける?

ナカムラに、何か考えがあるようだ。

「今、コスモス内部に、アクセスを試みようと考えているんだ。どうやら、ハオランの言う通り、コスモスも完璧では無いようだ。今、世界中に人脳工場を建設しているだろ。そこに脆弱性がありそうだ。彼等は、多少無理をして、規模の拡大を急いでいる。その無理を突くんだ。僕は、工場内に、こちらの接続ポイントを設けようと考えているんだ」

ティムが、強い興味を示す。

「人脳工場内に? どうやって?」

「日本のチームが入手した情報だと、工場のセキュリティーは、万全とは言いがたいようだ。現に、アナンドが、インドの工場に潜入できただろ。彼等も、世界各地に急拡大している工場を、くまなく見張ることは、物理的に無理があるらしい。しかし、人脳工場が本格的に稼働を始めると、完成した人脳を使ってセキュリティーを強化してくることが予想される。今は、丁度、その、端境期に当たる。チャンスは、今なんだ」

アナンドが、同意する。

「確かに、今、武装した人間に頼ったセキュリティーね。これが、人脳によるセキュリティーになると、隙が生まれにくくなるね。やるなら今ね。ナカムラ、何か良いアイデア持っているかね?」

ナカムラが策を披露する。

「人脳工場で製造された人脳は、最終的には、人工海馬を通して、人脳ネットワークに接続される。そこをジャックするんだ。偽の人脳を作製し、そこに紛れ込ませる。かなり、高度なハッキング・テクニックを要するけれど、君達ならできるはずだ」

ハオランが、目を輝かせる。

「偽の人脳なら、作れる自信有るよ。散々、人工海馬の研究をしてきたから、人脳の疑似モデルなら、再現可能よ。ナカムラの3Dニューロ・チップの技術もあるし、かなり完成度の高い物が作れるよ」

アナンドが思案する。

「問題は、それをどうやって、人脳工場に潜り込ませるかね。相手に気付かれずに、どうやって、本当の人脳の中に紛れ込ませるかね」

その時、アナンドが閃く。

「そうだ、今の技術レベルだと、人脳の製造に失敗する可能性があるね。確率は、1%未満だけれど、それでも数万体の人脳があれば、数百体は出る計算ね。失敗した人脳は、廃棄処分されるね。そこのセキュリティーは、きっと手薄ね」

ティムが、アナンドに尋ねる。

「一体、どうやるんだ、アナンド。もっと、詳しく教えてくれ」

アナンドの説明によると、以下の手順だ。

製造に失敗した人脳は、廃棄処分場に向け、一旦、製造ラインから、外される。しかし、外れた人脳は、そのまま、処分場へと一直線に向かう訳では無い。念のため、再検査され、使えるようであれば、再びラインに戻される。そこに、偽の人脳を紛れ込ませ、ラインに戻させるという作戦だ。現在のシリコンバレー本社工場では、再検査は、マリアとダニーがやっている。しかし、一日に一体、出るか出ないかの数なので、そこは、未だ、自動化されていない。彼等が人手で行っているとのことだ。

ティムが感心する。

「良く気が付いたな、アナンド」

「わたし、ダニーとは、割と仲が良いね。ランチの時に、時々情報交換しているから、知っているね。マリアとダニーは、そんなに賢くないから、簡単に騙せると思うね」

ハオランが、気に掛ける。

「偽の人脳を作る時の、人工海馬だけど、私達、第3世代HG3を入手する手段が無いよ。どうするよ」

ティムが、アナンドに相談する。

「ダニーを通して、入手できないかな? 我々が、開発している人工海馬の参考にしたいと、話を持ちかけて、実物を入手出来ないかな?」

アナンドが、了解する。

「それは可能だと思うね。ただし、それをするには、私達が、本当に新しい人工海馬を作成している証拠の提示が条件ね。ある程度、我々の技術をオープンにする必要あるね。それでも良いかね?」

確かに、その通りだろう。

「分かった。我々が本気で、次世代人工海馬を設計している証拠を示そう。今まで、のらりくらりと、情報開示してきたが、そろそろ本気で開発を続けている証拠を、出さなければと思っていたところだ。ちょうど良い機会だ。今後の我々の研究継続をコスモスに認めさせるためにも、情報開示をしよう」

ハオランが、不安に思う。

「それ、注意必要よ。人工海馬に良心を宿すことや、最新の3Dニューロ・チップを使っていることが分かると、コスモスは、我々を危険な存在と判断するかもよ。下手すると、我々の計画を潰しに来るかもよ」

その通りかも知れない。特に、新しい3Dニューロ・チップは、最重要機密だ。今、ナカムラとのつながりが知られるのは、非常に都合が悪いからだ。

ティムが、決断する。

「3Dニューロ・チップを使う前のバージョンで公開しよう。良心機能やプライバシー保護機能をオープンにしても、コスモスは、我々を危険視しないと思う。むしろ、良心機能を、彼等の都合の良い思想に書き換えられる様に見せかければ、洗脳に使えると飛びつくだろう」

ティムは、コスモスへの、情報開示を指示した。コスモスが、これに関心を示してくれれば、しめたものだ。ティムは、朗報を待つこととした。


数日後、ティム達3人は、久々に、ファイブとの面会を持つことになった。

最後にファイブのサカマキと対面したのは、1年近くも前となる。彼等は、ファイブの居る研究室へと足を踏み入れる。何とも言えない重圧感が伝わってくる。ファイブの人脳の上に設置された、モニターが、更に巨大化したのが、彼等に威圧感を与える。巨大な顔が、3人を上から見下ろす。

博士が、ティムとの再会を喜ぶ。

「ティム、元気にしていたかね? しかし、君達の研究の進捗は、亀の歩みだな。サカマキは、半年もしない間に、第3世代人工海馬HG3を完成させた。それに比べて、君達の遅さは、話にならない。素直に人脳になっておけば、サカマキより早く完成させられただろうに」

未だに、しつこく人脳になることを勧めてくることに、ティムは、辟易した。

「博士、私は、人間の体で、十分に満足です。今回の人工海馬のアイデアも、人脳になっていたら、思いつかなかったことでしょう。人間として、人脳を客観的に見られることに拠る成果だと思います」

博士は、ハオラン達にも声を掛ける。

「ハオラン、アナンド、君達にも人脳となる機会を与えよう。もう、ティムの元で十分に学んだことだろう。君達が、次世代の人工海馬開発のリーダーとなっても良いのだぞ。分からず屋の上司に、何時までも付き合う必要など無い。私は、君達を歓迎するよ。高いカーストを与える事を約束しよう」

しかし、二人とも、その気は無い。

「私も、ティムと同じ考えよ。人間のままが良いよ」

「私も、人間のままで良いね。今の自分に満足しているね」

その様子を、サカマキは、嫉妬深い目で見ていた。

博士が、そんなサカマキの思考を読み取り、彼に声をかける。

「サカマキ、誰も、お前が作った人工海馬が、彼等のより劣るとは言っていない。しかし、人工海馬に関しては、彼等の方が専門家なのだ。餅は餅屋だ。その方が、開発の効率が良い。そうすれば、君だって、自分の仕事に専念し易い環境となる。変な嫉妬は、止めるのだ」

サカマキは、渋々、承諾した。

しかし、博士は、残念そうだ。

「分かったよ。君達には、今後とも、客観的な視点で人工海馬の研究に専念してもらおう。確かに、人脳の立場であれば、人工海馬に洗脳機能を埋め込むことなど、思いつかないだろう。誰も、自分が洗脳されたいなどと、思わないからな」

ティム達は、「その機能は、良心を埋め込むためだ」と言いたかった。「お前の腐った性根を叩き直すための機能だ」と。これは、あくまでも、博士達、支配する側から見て、都合の良い機能であるが、博士達自身が装着するとなると、都合の悪い機能なのだ。

博士は、話し続ける。

「私は、今回の、君達のアイデアを、高く評価している。より良い人脳社会の秩序構築のため、有効に使わせてもらいたい。しかし、プライバシー保護機能は、余り評価できないな。これでは、人脳の思考の一部をブラック・ボックス化させることになる。何故、この様な物が必要なのか理解に苦しむ」

ティムが答える。

「博士自身が、自分の思考の一部をブラック・ボックス化しているでは無いですか。その理由は、プライバシー保護が必要だと考えているからでは?」

博士は、返答に困った。ティムの指摘通り、博士の新しい言語野は、未だにモニター出来ないままにしている。指摘通り、プライバシーを保護しているのだ。これは、ファイブにおける博士の立場を、有利にするのに必要なのだ。相手の頭の中は、丸見えだが、こちらは、隠すことが出来る。議論をする際、こんなに有利な条件は無いのだから。

ティムが、畳みかける。

「博士は、邪悪な存在に成る事を防ぐために、全ての思考を可視化できるよう、提案下さいました。しかし、私は、人脳の内部は、ブラック・ボックスでも構わないと思っています。人脳間のコミュニケーションさえ可視化できれば、コスモスは、邪悪な存在とならないよう監視できるからです。もはや、コスモスにおいては、一人の人脳だけでは、邪悪な存在にはなり得ません。複数の人脳が邪悪な考えを共有しなければ、コスモスの仕組み上、邪悪には成りませんから」

これは、強烈な皮肉だった。コスモスは、既に、邪悪な存在となっている。ティムが指摘した通り、ファイブの人脳達が邪悪な考えを共有しているのだ。博士が提案した、ファイブの多数決機能が、邪悪な存在の阻止に、役に立っていない事を、痛烈に皮肉ったのだ。

それも、これも、博士のみがプライバシー保護機能を有し、ファイブを牛耳っているからに他ならない。他のメンバーが、博士同様に、プライバシー保護機能を持つと、博士にとって、誠に都合の悪い事になるのだ。

博士は、それを認めたくなかったが、否定する理由を思いつかなかった。

「良かろう。君の言う通り、一定のプライバシーは、保護されるべきだ。既に、コスモスにおいては、人脳間のコミュニケーションは、可視化されている。その為、プライバシー保護があっても、邪悪な存在になる事は、あるまい」

博士は、自分達コスモスは、邪悪な存在にはならないと、白々しくアピールする。

しかし、アナンドは、それに耐えきれなくなり、遂に口に出す。

「インドで起きている事は、何ね? 邪悪な存在そのものじゃ無いかね!」

博士が、怪訝そうな顔で、アナンドを見下ろす。

「インドで起きている事? 一体、何のことだ?」

「白を切っても無駄ね。今、話題になっている、赤ん坊のウィルス感染による、大量死の事ね。コスモスが絡んでいる事ぐらい、お見通しね!」

博士は、白を切り続ける。

「ああ、ベイビー・キラーの事か。何か、コスモスが絡んでいる証拠が、あるのか? 変な憶測だけでものを言ってもらっては困る」

ベイビー・キラーだって? 彼等には、耳慣れない言葉だった。マスコミでも、この様な名称は、使っていない。これは、コスモスによって付けられた、このウィルスの名前なのだろうか? 彼等の疑念は益々深まった。

アナンドが、怒鳴り声を上げる。

「ベイビー・キラーって、何ね? それ、あなた達が付けた名前と違うかね?」

博士は、要らぬ言葉を使ってしまったなと多少、後悔したが、あくまで白を切り通す。

「医療業界で使われている名称だよ。ただ、君達に馴染みが無いだけだ」

「嘘つきね。そんな言葉、知らないね」

ティムが止めに入る。

「よせ、アナンド。今は、何を言っても無駄だ」

博士がティムに質問する。

「この件で、FBIに内部告発した者がいるらしいが、それは、君達ではないのか? こちらは、痛くもない腹を探られて、大変迷惑をしている。今後、こう言った事は、慎むようにしろ。さもなくば、――――」

ティムが睨み返す。

「さもなくば、何なのです?」

「もう良い。君達は下がりたまえ」

3人は、諦めて、ファイブの居る研究室を後にした。

「一応、FBIは、動いてくれているようよ。これは、コスモスに対して、良い牽制になりそうよ」

ハオランが淡い期待を寄せる。

一応、当局が動いてくれているようだが、博士達のやる事だ。巨額な資金量を背景に、裏から手を回し、関係者に圧力をかけてくるであろう。やはり、コスモスの暴走は、自分達で何とか止めなければならない。ティムは、改めて、そう、覚悟するのであった。


ティムは、車での帰宅途中、ずっと、考え事をしていた。どうすれば、コスモスの暴走を止められるのかと。

FBIが動いてくれた事には、驚きと、感謝の気持ちがあった。あの捜査官に、自分の気持ちが確かに届いていたのだと。

しかし、FBIなどの外部機関の協力を得ても、コスモスを止めることは、不可能かも知れない。例え、捜査令状を持って、コスモス社に立ち入ったとしても、どうやって取り調べれば良いのか? 誰を留置所に放り込めば良いのか? 相手は、人脳の集合体だ。これまで、彼等が相手にしたことの無かった、未知なる存在だ。捜査官が言っていた様に、コンセントを抜けば、止まる相手ではないのだ。

しかも、相手は、超知性だ。例え逮捕できたにせよ、彼等は、法律のエキスパートも抱えているに違いない。彼等と同等以上の知性を持たなければ、裁判で捌くことも難しいであろう。

もしかしたら、コスモスは、政界にも絶大なる影響力を及ぼしているのかも知れない。巨額のマネーにものを言わせ、政治家達を操ることも可能だろう。当然の如く、政治のエキスパートも既に人脳化しているであろう。

コスモスが、合衆国存亡の危機を招けば、特別措置で、軍事力による破壊が可能かもしれない。しかし、コスモスは、その様な状況になることを、巧みに避けるであろう。当然、コスモスも、軍事部門のエキスパートを揃えており、彼等を巧みに利用するであろう。

また、合衆国の外で、不法に人脳をかき集めたとしても、軍が出動することは先ずあるまい。それは、当事国の問題であり、当事国で解決するしか無い事であろう。仮に当事国から、コスモスの破壊要請が出たとしても、軍がおいそれと、一民間企業を破壊するとは思えない。国連決議が出たとしても、同様だろう。軍事力によるコスモスの破壊に期待するのは、難しそうだ。

そうなると、やはり、今やっているように、コスモス内部に偽人脳を進入させるなどして、内部から破壊するより他は、無さそうだ。さて、どうやって、内部崩壊を試みれば良いのやら。

車が、郊外のハイウェイに入る。家までは、あと少しだ。ティムは、深く考え込んでいた。その為、車の速度が、いつもより超過している事に気付かなかった。崖沿いのカーブに差し掛かる。普段なら、ここで減速するはずだが、逆に急加速を始める。

ようやく、ティムが、車の異常に気付く。

「自動運転が、おかしい。危険だ。早く手動モードに切り替えなければ。このままだと、ガードレールに激突する」

ティムは、慌てて自動運転の停止を指示し、急ブレーキを踏む。しかし、何の反応も無い。慌てたティムは、それを、何度も繰り返す。

「どうなっているんだ? 何故、手動に切り替わらない? 危ない、ぶつかる!」

車のディスプレイに次の様な表示が現れ、聞き覚えのある声で音声が流れる。

「さようなら、ティム」

ティムの車は、猛スピードのまま、ガードレールを突き破り、崖の下へと転落していった。車は、激しく、岩場に激突を繰り返しながら、無残な姿へと変形してゆく。ティムは、そのまま、意識を失った。


「ティム、気が付いたのか? 良かったよ」

ハオランが、涙を流しながら、喜ぶ。隣には、アナンドやナカムラも居る。

ティムは、瞬時には状況が掴めなかった。ただ、自分が横たわっていたのは、分かった。動けない体で、目だけで見回すと、自分の体中に、沢山の管が繋がった状態だった。人工呼吸器が口を塞いでいるため、上手く言葉を交わすことが出来ない。

ティムは、幸運だった。大怪我による出血多量で、危機的状況にあったが、何とか乗り越えることが出来たのだ。大きな外傷を負ったが、骨や内臓は、無事だった。意識も朦朧ながら、戻った。脳にも異常は無いようだ。

ティムが幸運だったのは、車に旧式の安全装備が残っていた点が大きかった。エアバッグが、衝撃を和らげ、シートベルトを締める習慣が、車外への転出を防いだのだ。それは、ティムが、普段から、自動運転車を過信しなかったからでもある。自動車の自動運転技術の普及により、大きな事故は、急速に無くなった。それに従い、ドライバーの危険に対する意識も、疎かになったが、ティムは違った。ティムは、恋人モリーの交通事故により、車の危険性を再認識していたのだ。

しかし、ティムの幸運は、それに留まらない。事故の情報をいち早くキャッチした、ハオランが、病院へ急行し、救命活動を付きっきりで見守ってくれたからである。もし、彼の存在が無かったら、今頃、コスモス社の病院へ転送されて、人脳手術を受けていたかも知れないのだ。

ティムは、車で崖から転落する大事故に遭ったことまでは、憶えている。だが、事故直前の車の異常挙動は、何だったんだろうか? ガードレールへ向かっての急加速、自動運転モードの解除不能。まるで、車が何らか意思を持った者に、乗っ取られたかの様な、異常な挙動。そして、最後のメッセージ。

まさか、自分を消そうとして、車がハッキングされた? これまで、人脳になった者の中に、自動車事故に巻き込まれた者が、多数いたことを思い出す。嵌められたのだ。これが、奴らの手口だ。コスモスの仕業に間違い有るまい。

ティムは、最後に博士の言い残した言葉、「さもなくば」を思い出していた。


幸い、ティムの怪我は、思いの早く回復した。大量出血の原因となった深手の傷は、未だうずくが、リハビリを要するほどのダメージには、成らなかった。

入院中、ティムは、ハオランやアナンドの事が心配だった。コスモスは、明らかに自分を狙って事故を起こした。彼等にも、同様な、不幸が降りかからないとは限らない。

しかし、ティムの事故を教訓に、彼等は、彼等なりの安全策を講じていたようだ。

アナンドが、復帰したティムに報告する。

「偽人脳の2体目を、上手いこと、コスモスに侵入させる事に成功したね。やはり、今がチャンスね。この調子で、どんどん送り込めば、こちらのチャンスが拡大するね」

ティムが不在の間に、偽人脳を、コスモスに潜入させる作戦は、順調に進んでいた様だ。今回送った、2体目は、ティム達が新たに作製した、人工海馬を装着したものだ。最新型の3Dニューロ・チップが搭載されている優れものだ。外側からは、HG3と判別が着かない様に偽装を施している。

ハオランが、警告する。

「アナンド、何事も、ほどほどが大事よ。あまりやり過ぎて、バレてしまったら、元も子もないよ。深追いは禁物よ」

ナカムラが、提案する。

「一応、この機会に、日本にある人脳工場にも、最新型を送り込んでおきたい。何かあったときのための、バックアップだ。コスモス社は、本社以外にも、人脳を設置するの拠点を築き始めたんだ。コスモス・ジャパンの内部にも、仕掛けておきたい」

ティムが、判断する。

「最新型を、後、数体送り込めば、十分だろう。ハオランが言う通り、深追いは禁物だ。それより、送り込んだ、偽人脳を通して、何か分かった事はあるか?」

アナンドが、残念そうに言う。

「1体目のカーストは、最下層のシュードラね。上位のカーストへのアクセスは、厳しく制限されているね。だけど、2体目は、最新の人工海馬ね。良いスコアが期待できるから、上位のカーストに食い込めるチャンスは、十分にあるね」

ナカムラも、自信を持った態度だ。

「いや、シュードラでも、十分だ。コスモス内のセキュリティーは、思っていたほど、堅牢じゃ無い。きっと、自分達が内部からのサイバー攻撃を受ける事に対し、あまり神経質になっていないのだろう。超知性だと自惚れていると、案外、隙が出来るものさ。これを、利用しない手は無い。コスモス内部に、隠しチャンネルをセットし、情報を奪うんだ」

だが、ハオランは、困惑している。

「だけど、コスモス内を流れるデータ量が、半端ないよ。玉石混淆で、カオス状態よ。これは、解析するのに、手間が掛かりそうよ」

まさに、その通りであった。この頃には、既に20万体近い人脳がコスモス内に居り、第3世代人工海馬HG3を使った、大容量通信でコミュニケーションが取られていた。この情報の海の中で、正確な航路を見つける事は、極めて困難であった。

しかし、ファイブからの指令の傍受に成功すれば、決定的証拠を掴めるかも知れない。そして、それを手掛かりに、彼等の陰謀を潰す事も可能となるかも知れない。彼等の奮闘は、未来に待っている勝利へと向かって、続くのであった。


『ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガッ』激しい銃の連射音が響く。

ここは、工事現場の、ビルの地下。『ガン、ゴン』と、激しく響く、工事の土音に、銃声を隠しながら、訓練を続ける男が居た。

「厚さ2インチの強化アクリルでも、一点集中攻撃をすれば、十分に貫通可能ね」

そう言うと、男は、再び、アクリル板に向け、銃を連射する。

「見ているが良いね。きっと、復讐を遂げてみせるね。カマラ、お前の息子の命を、いや、インドの赤ん坊達の命を奪った事に対する、代償をニューマンの砕け散った脳で払ってもらうね」

彼は、ひたすら、銃の連射訓練に励むのであった。万全を期すのだ。チャンスは、1回しか有るまい。決して失敗は許されないのだ。

「もはや、悠長に、チャンスを待つ事など出来ないね。待っていたら、ティムみたいに消されかねないね」

彼は、強烈な危機意識を持って、直ぐにでも挑むつもりだった。

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