第三話 行政担当官は、職場環境の維持向上に努力する。
王立高等学院の武術教官は片目が潰れた軍人上がりの獣族で、口癖のようにこんな話をしていた。
「いいか、よく聞け。ここにいる殆どの奴には武術の才能なんてものはない。そして、才能のない普通の奴は努力の量や質の違いで、自然に道が分かれてゆくもんだ」
ここで教官は手に持った木刀を一振りする。その際の風切音が半端ではなかった。どびゅん。
「ところが、ごくたまに天賦の才を持っている奴がいる。たいした努力をしなくても簡単に出来てしまう奴だな。羨ましい話だが、こればかりは如何ともしがたい。当たったらラッキー、みたいなもんだ」
更にもう一度振る。どびゅん。
「その一方で、何故だか分からないんだが、どうしても言われた通りにできない奴がいる。本人が悪いわけじゃないんだが、真面目にやっても、どうしても脇道に逸れてしまうんだな」
どびゅん。
「それで、大抵の場合は才能がないと片付けられて終わりになってしまうんだが、それが実は一番もったいない。確かに無能な場合も多いが、こく稀に、他に特殊な能力があるために通常の能力を発揮することが出来ない奴がいる」
ここで教官は一度話を区切ると、最後にこう締めくくった。
「そして、今までにない何か新しいものを生み出すことが出来るのは、そういう奴なんだよ」
*
総務省の新任配属式は、なんだか微妙な空気に包まれていた。
そして、その理由が自分にあることをロランドは充分に感じていた。
総務局配属者は総勢十五名で、各々の課の列に三名ずつ座っている。人事局配属者は総勢十六名で、第一課から第五課まで三名ずつ座っている。そして、第六課だけが一名だった。
偶然そうなったものなのか、それとも例年そうなのかは分からない。ただ、ロランドは整然とした規則の中に変数として紛れ込んだ感じが、どうしても拭い去れなかった。
総務省のお偉いさんが前で何か訓辞をしている。王国の行政担当者たるもの、上司の訓示の内容を蔑ろにしてはならないのだが、ロランドはどうしても集中できない。
特に、先程のベルファの悔しそうな顔がちらついて仕方がなかった。あの顔は「自分がこの席に座りたかった」という思いを如実に表現したもので、そのことが余計にロランドの気持ちを波立たせる。
なんだか自分が間違った場所にいるような気がしてならなかった。無論、この配属は官僚機構が決めたことだから、それなりの理由はあるはずである。
しかし、どんな役目であれ、ロランドは自分がベルファ以上に適任とは思えなかったし、むしろ彼としてはもっと地味な部署の一員として埋没したかった。
それなのにこの有様である。
周囲に居並ぶ各課の役職者が自分のほうを見ているような気がするのは、決して気のせいではあるまい。ロランドは殊更に背筋を伸ばし、変な汗を背中に感じながら耐えに耐えた。
しばらくして訓辞が全て終了し、儀式から開放されて各課へ向かう時間となる。
ロランドの前には、真っ直ぐな黒髪に黒い瞳、鋭角耳という妖精族の基本属性が三拍子揃った女性が仁王立ちしていた。
「人事第六課長を拝命している、ヴィルヌイ・イアハートだ。宜しく頼む」
何を宜しく頼まれているのか全く分からないものの、ロランドは礼儀作法通りに頭を下げながら言った。
「ロランド・キーヴァードです。今後とも宜しく――」
そこでロランドは、再び会場内の空気が変わったことを感じる。
恐る恐る頭を上げてみると、案の定、周囲の人々の視線が自分に集中していた。
なによりもベルファが驚いた表情の後、眉間に皺を寄せて顔を背けたのをロランドは見逃さなかった。
――不味い、これは絶対に不味い。
ロランドは脂汗が頬を伝うのを感じる。これでは同期の横の連携が期待できなくなりそうだ。
そんな彼の思いは全く斟酌することなく、ヴィルヌイ課長は思い切りロランドの背中を叩くと、
「堅苦しい挨拶は抜きだ。早速、課の仲間達を紹介しようじゃないか。ついて来なさい」
と言いながら、速やかに歩き出した。
「あ、はい」
慌ててその後を追うロランドを、ベルファは横目で恨めしそうに眺める。
そのベルファに、人事第一課長のチェレンボーンが近づいてきた。
「ベルファ・ギンズブルック君だね。ようこそ第一課へ」
ベルファは即座に表情を変えて、背筋を伸ばして頭を下げる。
「はい、ベルファ・ギンズブルックです。以後、宜しくお願いします」
そのベルファの姿を頼もしそうに眺めながら、チェレンボーンは言った。
「まあ、本年度の成績最優秀者である君にとっては、好きなところに行くことが出来るはずだったわけだが――想定外かね」
ベルファはチェレンボーンを真っ直ぐに見つめると、僅かに間をおいて断言する。
「はい。今年は人事第六課への配属はないと聞いておりましたので」
それに対して、チェレンボーンは目を細めながら答えた。
「今年も何も、第六課に新人を直接配属した例は、これまで一例しかないよ」
そして、チェレンボーンは声を潜める。
「君は実は知っていたのではないのかね」
同じくベルファも声を潜める。
「はい。実は叔父を経由して人事第六課への配属が水面下で進行していることを聞いておりました。ただ、誰がそうなのかは分かりませんでした」
「ふむ、人事第一課ですら今朝まで察知できないほどに事実を秘匿し、それでもその事実を把握するとは恐れ入る。さすがはイアハート家とギンズブルック家だな」
「恐れ入ります」
「で、君はどう見る」
「正直、分かりかねます。彼がそれほど卓越した人材には見えません」
「そうだろうな。実際、彼は実技試験において合格点まで届かなかった」
チェレンボーンの言葉に、ベルファは顔を顰めた。
「では、キーヴァードの名前で実力もなしに――」
「いや、そうでもない。王国行政担当官の採用選考は、先入観を持たないように番号で管理される。合格者の氏素性は関係がない。君だって実力で選ばれている」
「では、どうして実技試験不合格の者が……まさか」
「君が今想像した通りのことだよ。学科試験において彼は全対象者中、最優秀得点を叩き出した。人事第五課も、それを無視することが出来なかったらしい」
「……」
「どうした。何か言いたいことがあるように見えるが」
「……正直、学力で自分に勝る相手とも思っていませんでした。そして、それだけのことで第六課配属になる点も解せません」
「そうだろうな――」
チェレンボーンの瞳が光る。
「――採用選考結果の段階で彼の名前はなかった。あったら間違いなく話題になっていただろう。それが今日まで秘匿され、全省庁合同の任命式でも最後に予備と思われていた席に彼が座るという、念の入れようだ。この意味が分かるかね」
ベルファは息を呑んだ。
「全て仕組まれていたと?」
「その通りだよ」
チェレンボーンはそこで背筋を伸ばすと、さらにこう付け加えた。
「君の最初の任務は理解できたかね」
ベルファも背筋を伸ばすと、こう言い切る。
「無論です。承知しました」
*
「いやあ助かったよ。君が物事に動じない性格で――」
総務省の廊下を歩きながら、ヴィルヌイが言う。
「――任命式の時に大騒ぎされないかが、最後の懸案事項だったからね。あの場で君の名前が知れたら大変な騒ぎになっていただろうが、配属式さえすましてしまえば誰も文句は言えまい」
ロランドは頭を捻りながら訊ねる。
「あの、それはいったいどういう意味でしょうか」
それに対して、ヴィルヌイはにやりと笑って答える。
「今年の任命者にキーヴァードがいたなんてばれたら、地方軍が黙っちゃいないよ。本人の希望を聞く前に、両親通じて圧力をかけるに決まっている。なにしろ地方軍における君の両親の名前は、伝説どころか想像上の生物並みだからな」
「はあ」
確かにそうかもしれない――そう、ロランドは考えるとともに、おかしなことに気がついた。
「あの、それですと私の採用は事前に公表されていないことになりませんか?」
「そうだけど、何か?」
「何か、と言われると――」
少なくとも地方軍配属を避けたかったロランドとしては、文句の言いようがない。
「――何もありません」
「そうだろう、そうだろう」
上機嫌にそう言うヴィルヌイに、若干の割り切れなさを感じながら、ロランドは大人しく後をついてゆく。
そして、総務省の建物の端まで結構な距離を進んだところで、ヴィルヌイは扉の前で立ち止まった。この先はないほどの末端である。
「ここが人事第六課の執務室だよ」
そう言ってヴィルヌイが扉を開ける。
ロランドはその後ろから室内に入り、即座にこう考えた。
――狭い!
普通の事務机を四つ入れたらぎりぎりという、ある意味無駄のない室内に、ヴィルヌイ以外に二人の人物がいた。
一人は獣族猫系統の、しかもギズムンドよりも殺伐とした風貌の男だった。右目を塞いだ傷が生々しい。
しかも、ロランドに比べると三倍近い重量がありそうな、筋肉質の巨体である。まるで狭い室内の半分を占めているかのような存在感だった。
彼は、その外見に似合わないほどの落ち着いた声で言った。
「ようこそ第六課へ。俺はゴルディウス・ガンズ、見ての通りの獣族だ。元王国近衛軍所属で、お前さんの親父とは命を賭けてやりあったこともある仲だ。息子と一緒に働けるとは思ってもいなかったよ」
「……宜しくお願いします」
父親の前歴からすれば、官僚組織の中でこのような事態に遭遇することはロランドの想定内だったが、いきなり職場の先輩がそうだとは思わなかった。
まあ、根に持ってはいないようだったので、ロランドは安堵する。すると、ゴルディウスはにやりと笑って言った。
「ちなみに、この右目は父親がつけたものだからな。その分はフォロー宜しく」
駄目だ、全然根にもたれている。
「ゴルディウス、それはお前の未熟さゆえのことだろう? 息子は関係ないよ」
「はいはい、その通りですよ」
ヴィルヌイとゴルディウスの会話には、上司と部下というより戦友に近い気安い響きがある。
ロランドの神経に注意信号が点った。これは、普通の事務方とは程遠い雰囲気だ。
そんなロランドの思いとは関係なく、ヴィルヌイはもう一人を紹介し始める。
「こっちはアリエッタ・ノートンだ。人事各課の文書管理を担当している」
「あ、はい。ロランド・キーヴァードです」
ロランドは頭を下げる。その姿をアリエッタは大きな水色の瞳で眺めていた。
ロランドは頭を上げると、アリエッタに話しかける。
「いろいろと分からないことばかりでご迷惑をおかけするかもしれませんが、宜しくお願いします」
思わずアリエッタの唇が、僅かに動いた。
「……」
「はい。そのキーヴァード魔法道具店は私の実家です」
アリエッタの瞼が下から上に動く。
そこでゴルディウスが口を挟んだ。
「ロランド、お前、アリエッタの声が聞こえるのか?」
「はい。あ、そうでしたね。普通の人には聞こえないんでしたっけ」
「ああ、聞こえない。それに、その、こう言っちゃあアリエッタに申し訳ないんだが――」
ゴルディウスはアリエッタのほうを見る。アリエッタの首筋にある鰓が、僅かに動いていることを確認したゴルディウスは、ロランドに向かって言った。
「――アリエッタの顔を見て何事もなく話しかけた奴は、俺が知る限り初めてだよ」
ロランドは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやあ、私はお店の子ですから」
「そういってもよ、お前。流石に蜥蜴系統は初めてじゃないのか」
「はあ、それはそうなんですが――」
そんなロランドとゴルディウスのやりとりを聞きながら、アリエッタの心は珍しく弾んでいた。
彼女は獣族の中でも個体数の少ない、蜥蜴系統である。全身が薄緑色の硬い鱗で覆われており、頭髪の変わりに鰭が生えている。
顔に表情筋がないので感情表現が出来ないことに加えて、瞬きの少ない白目のない大きな水色の瞳が相手の顔を写すものだから、初対面の際、まず間違いなく誰もが生理的嫌悪感を浮かべた。
それで普段、外を歩くときは頭から布を被っている。体温調節の難しい身体であることもそれを必要としている理由だったが、周囲を驚かせない配慮でもある。
職場でもすぐに被れるように、身体に布を巻きつけているのだが、今日はヴィルヌイから、
「最初にちゃんと顔ぐらいは見せておきなさい。職場の同僚なのだから」
と言われていた。
アリエッタは、初対面の相手の反応にすっかり慣れていたので、むしろロランドの何気ない反応のほうが驚きである。
それで、思わず鰓を動かしてしまった。蜥蜴系統の数少ない感情表現の一つだが、少々はしたなかったかもしれない。
アリエッタは恥ずかしくなって少し下を向いた。
「あ、すみませんでした。ちょっと無神経すぎましたか?」
そう声をかけられてアリエッタは驚く。目の前でロランドが申し訳なさそうな顔をしていた。
ここまで丁寧に気持ちを読み取ってもらうのは、同族の蜥蜴系統以外には初めてのことである。
*以下、このままでは分かりにくいので、通常の可聴域を超えるアリエッタの声も文字化します。
(そんなことはありません、いつものことなので)
そう言いながら、アリエッタは慌てて手を振った。
「はあ、でも、なんかすみませんでした。以後、気をつけます」
(あの、そうですか。有り難うございます。宜しくお願いします)
「こちらこそ、宜しくお願いします」
そう言って笑うロランドに、アリエッタの胸は高鳴ったが、表情は全く変わらなかった。
ただ、彼女は全く気がついていないうちに、鰓が激しく動いている。
その様子を目を細めて眺めていたヴィルヌイは、ここで手を叩きながらこう切り出した。
「さて、それでは第六課の諸君。今日の仕事を始めようではないかね」
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