第13話

 ◇

 Y・Aの五人—―トウヤ、コウ、トシ、紫苑、孝志らの片づけは早かった。


「みんなの楽器とマイクはトウヤさんの大きな機材を通してて、ライブハウスみたいなの。セッティングもプロレベルだけど、それより――」と、歩は感極まった様子で言葉を選んだ。アキは少し戸惑っていた。


「すごい……すごいよ、アキ、Y・Aのメンバーがそろってる。それにさっきの曲も……」

「アユ、この人たち、一体?」とアキが問うとすぐ歩は言った。

「Y・Aを知らないの? 世界中にファンがいるんだよ!」

「世界中って。そりゃ凄いけど……アニメとかの主題歌がネットで流行ることもあるだろ?」

 歩は首を横に振って、人差し指と中指を立てる。

「知らない会社からのCDとライブだけだよ……発売したCDはふたつだけ……なのに、どっちも全英チャート二週間トップ10内だったの」

「……ってことは、つまり……隠れた偉人?」


 ◇

 歩は語った――全員がソロで活動している詳細やトウヤの機材がイベントホールの音響に繋がっていることなど、せつせつと。


 各々は楽器のケーブルを外し専用のケースに収めていく。アキと歩はその様子を羨望の目でとらえ、語り合っていたが、メンバーの表情が少しずつ硬くなっていく。

 

 遠くで雷が鳴りはじめ、ゴロゴロとした空の音がイベントホール内に少し聞こえはじめた。


「あの女の子の言ってることはほぼウソ」


 突然、空気が重くなって、歩は唾をごくりと飲み込んだ。黙ってアキの手を強く握ると、アキもぎゅっと握り返した。


 歩は見る――コウがドラムセットから離れていた。彼は頭を掻きむしりつつ「デマが出回っても嬉しくないから」と歩の言葉を否定していた。

 そして記者の質問に応じ、写真を撮られていた。


「あの女の子の感覚とか情報は間違い。孝志が正解……このままだとダメ。再始動どころじゃ無い」と言って彼は大きくため息をつき、眼差しを強くしていた。


 記者はメモを取らず、ペンの尻で頭を掻きながら「良いじゃないですか」と笑うが、すぐに真顔になって尋ねる。「確かに当時の売り上げは誇張されてます。ロックの上位でも、ポップス、HIPHOPには惨敗……でも、それは売り上げのみであって評価基準の一つだけです。個人的には長く取材したい気持ちになる……で、紫苑さんの話だと『今日は村の子供たちの前で音楽業界の話をして、軽くアコースティックの演奏』、そう聞いて野次馬根性で来ましたから、途中で孝志さんまで来るなんて。そんな最高のメンバーなのに、設備も整えられない場所で最低限の楽器だ。どんなバンドも学生レベルの音しか出せません……なのにいきなり、三つも違う曲をやれるなんて流石としか……個人的には一曲目がポップ、二曲目がヘヴィ。そして三曲目……この三曲目は、エモさの一歩手前で止めるが強い。いきなりやってあれなら、本気で収録してまとめたなら、とんでもない傑作になると期待感でいっぱいですよ。復活作がシングルカットでもアルバムでも、以前と全く別のY・Aになりそうですね。これからどういうコンセプトで進めます?」


 するとコウは前髪を、くしゃっと握って早口で言った。

「何よりもまず……機材とか環境に頼りきって、俺は下手になってる。昔なら数分もあればトウヤの世界観を理解して、トシと意思疎通できて、紫苑の意図や呼吸を操り、孝志の声、歌詞、本音を引き出せたのに。イマジネーションを掴めていたら、メンバーのスキルやアイデアを湧かせられた……これができないなんて‶でんでん太鼓〟と同じ。ただただリズムを刻んでるだけ。天使から『新譜』っていう宝物を頂いたのに、地獄の最下層にいる気分」

 

 そう告げてから彼は「紫苑ん家に泊る。孝志、トシ、トウヤ、叱りに来てくれ」とメンバーたちに声を掛け、歩とアキに向かっていく。


 歩はぽかんと口を開けたまま、ゆっくり道を開ける。コウは静かにドアを開けて廊下に出た。ドアをは閉められ、すぐ、壁を強く叩く音が鳴った。


 歩が背筋を伸ばし、驚く。

 アキは小声で言った。

「自分にキレてる……あの、ハイレベルの演奏が練習ってことでさえ俺には驚きなのに、何かのミスをした自分自身に心底ムカついてるのか……」


 そこで歩は思った。


――お仕事でいそがしいときの、お父さんみたい。へたに意見しちゃいけない。しちゃだめだ。


 ◇

「ここはもう、コウ専用ドラムなんて入らない。そのせいでもあるけれど――」そう言ったのはベースを担いだトシだった。

 トシは声こそ明るいものの、表情は硬く、記者に言った。

「音が出せないからかな、曲の途中に妙なタムが入ってた。しかも力の無い、ボンって感じで、曲のあちこちで使いまわしてやがった。もしレコーディングならすぐにNGを出してたけど、今日は打ち合わせだから良いかなって。まだ曲も未完成だから……でもきっとあいつ、終わってから気づいたんだろう、『ストレッチしなかった』って」


「ストレッチ? そんなもん、しなくても良いじゃん」と声を挙げたのはアキだったが、大人たちは失笑で返すのみだった。


 歩がアキに囁く――演奏は運動なんだよ、と。


 アキは怪訝な面持ちで「でも、楽器だろ」と言うが歩は首を横に振って答える。

「アキ、リズムたいは腕も足も、お腹も骨も頭も、ぜんぶ使うの。私も準備運動した場合と、しない場合とはぜんぜんちがう感覚になっちゃう。音がずれたり、おぼえたはずの曲を忘れたり、息が合わない、感覚がおかしくなる……外国のあるミュージシャンはね、‶クライマックスで急にメンバーが手を抜いた。すると宇宙人に見えて、嫌になって投げ出して帰った〟って。Y・Aのみんな、きっとそれくらいの感覚、それくらい本気だったんだよ」


「キミ、さっきから言い過ぎだ。俺たちのCDなんて遙か昔。もう廃盤してるんだから」とトシが歩に向かって、声を掛けた。彼は早足で二人の傍に向かって来て言った。

「ただ俺はキミの感想の全部が間違いとは思わないな。今の全力を出したからこそ、ミスが見えた……今、俺にはキミがスポーツバックじゃなく、ヴァイオリンを構えてるほうがしっくりくる。クラシックでは御法度のポーズだけど」


 歩がきょとんとしていると、トシは目を合わせずに言った――「お父さんに嫌われたくないなら、リュックサックで両肩に均等に負荷を掛けること、練習と勉強すること。頭、体、感覚を鍛えてからポーズを崩すんだ」


 どうしてわかったのか歩が尋ねる間も無く、トシは「紫苑ん家で麻雀でもやろうぜ」ドアは再び閉められた。



 ◇

 強い雨が降り始め、じょじょに音の波が外からイベントホール内まで響き始めた。 


 マイクスタンドを仕舞った孝志と、ギターケースを担いだ紫苑は立ち話をしていた。


「やっぱり嘘は悪ね」と紫苑。「おそらく言ってもきかないだろうから無理やり再会させたの……トシの第六感的な判断力のおかげであっさりと仲直りしたけれど、アスリートじみたコウのストイック性にまで火が入るなんて。完成させなきゃ、コウは潰れるわ」


「嘘もお前の作曲性だ」と孝志。「俺も譜面からの発見、練習から現実が見えた。浦島太郎のままではいけない、そんな気になった。他にも進行中のプロジェクトがあるんだ。そっちのレコーディングを終えてから万全でY・Aに戻りたい……ちょっと意見してくれるか」


 すると孝志はハミングした。紫苑もそれに合わせ、口ずさむ――このひとにとって、歌うことと呼吸はおなじもの――歩にはそう思えた。

「『I'm o doun, doun, doun I'm a doun for lack o'Johnnie』」と孝志の高く、速い歌声。


 だが紫苑は語るように歌う、ゆっくり、静かに「『Gine Johnnie kent……I was ne weel……I'm sure he would come to me……But o gin he's……forsaken me……』」それは歩にとってカタコトの、一生懸命に本を音読するような歌声だった。


 二人のハミングは重なり、孝志の声が前に出て、紫苑の声が後ろに下がる。

「『……Och……hone……what will come o' me……』」


「文法を崩し、声を重ね、こぶし、ブレスを日本人好みにする。スコティッシュ・ファンタジーではなくなるほど」と紫苑が真顔で、厳しく言い放った。「十年前、あなたの声はギザギザの針金みたいだった。ずいぶん透明度が上がって発音も向上したけれど、これ以上繊細にすると高音域が耳鳴りに思えるわ。他所のバンドについて言えるのはこれぐらい……私は、あなたが私の曲をやると決めたなら、とことんやりたいだけなの。活動再開、楽曲の発表も視野に入れて……でも勘違いしないで。私たちには子供がいる。もう自分で自分を傷つけるほど思い詰めるなら、やらない」

 

 歩、アキ、そして記者が声を漏らしてしまいそうだった。歩は冷や汗を拭う事をせず、孝志の顔を見る。まるで海賊のような黒い眼帯だった。


――そんな、ウソだ。自分でその目を傷つけるなんて。そんなの、おかしいよ。お父さんでもやらない、ただただ苦しいだけだよ。


 紫苑が言う。「親戚としての疑問だけれど、ジェシーちゃんは昔の私や恵ちゃんと同じじゃないの? 人間不信や恐怖で声が出せない……原因はホワイトタトゥーの柄や文字……母親?」


 しばらく二人は見つめ合った。彼女の足にひっつくように双子が立っていたが、欠伸をかいたり早く帰ろうと紫苑のシャツを引っ張る。

 孝志は息をつき、右手で眼帯を触って呟く。

「『If I fall back down, you’re gonna help me back up again』」

 歩はすっと血の気が引くような感覚におそわれ、身震いした。孝志の右手の甲が赤く熱を帯びていて、次第に白い華のような文様が浮かび上がるのが、超能力や妖怪のように思え、また、孝志の言葉も理解にくるしむ。


「懐かしいフレーズ。グレッチを買った日を思い出すわ。でもあなたの心配はしてない、心配なのはジェシーちゃんよ……美月さんから『Young Al Capone』を借りてるの。これからジェシーちゃんを送迎するから……シズ、キョウ、このおじさんとお祭りに行きたい?」と紫苑は、双子に意見をうながした。


 双子は孝志に向かって「金魚すくいできる?」「タバコのにおいと、手の落書きをけしてくれたら遊んであげる」と言う。


 孝志は軽く笑って答えた。

「ありがとな。ただ俺は、タバコを吸ってからじゃないと金魚をすくえない。臭いを消して落書きも消すから、あとで遊んでくれ」


 双子は、わかった、と手を振り紫苑と共にイベントホールから出て行った。


 記者が問う――さっき紫苑の言った『Young Al Capone』が何かと。孝志はすぐさま「俺の姉貴の家にある、ボロいスタジオ」と答えた。


 記者は「紫苑を追うぞ!」「Y・A名物の徹夜作業! 会社から兵隊と物資を!」と慌てて出て行った。


 イベントホールは孝志とトウヤ、歩とアキが残った。


 トウヤが機材のチェックしつつ、孝志に向かって言った。

「まだまだ本レコの前々段階、打ち合わせなのに……紫苑のやつ新譜を三つも作り、他人の私有地内の私設スタジオを独占して、村のイベントに組み込み、マスコミと俺らを集めて、復活アピールまで狙ったのかよ……諸葛亮孔明の生まれ変わりか? そもそも俺らが始めたきっきけすら紫苑や巴たちだったよな」


「ああ。尻に敷かれてる」と孝志は笑う。「今日は俺自身の意思で帰郷したんだけど、まさか集まってるなんて……不気味を通り越してノッてしまった。トウヤ、夏フェスを控えて忙しいだろうけど、手をかしてくれるか?」

「いいよ。近頃『頼まれるとNOと言えない病』が再発してる。完成が先か『NO』と言うか、わからないけど……で、孝志おじさんはタトゥーを消すわけ? 子供や金魚のために、アイデンティティの一つを? こんなど田舎でどうやって?」

 トウヤの問いに、孝志は煙草を取り出し、一本を咥える。火を着けないまましばらくして「そればかりはできない」と言った。

「デザイン的にはダサいし、トウヤに言えることでもないが……娘は夜になると薬を飲むか、この右手にキスして握らないと眠れない病気なんだ。日中はこの上から色を塗らないと、口を聞いてくれない……紫苑の子供たちには悪いけど、どうらんで隠すしかないな」


「他人の事情は複雑にみえるし、いつだって子供は複雑。そしてシングルファーザーは大変だってのもわかる。でも、けっこうシンプルだったりするかもよ。俺にできることは?」このトウヤの問いに孝志は返事をしなかった。


 孝志は煙草に火をつけ、ゆっくりと吸う。

 トウヤはキャップを取り、背伸びして言った。

「アコ・音源、練習音のオリジナル、サンプリング中の音源は外部メモリに移したよ。でも閉館時間をオーバー、堂々と喫煙……片付けは後日だ。俺は巴と四音さんをかわしつつスタジオに先乗りして音作りの用意するよ」と言ってトウヤは機材から離れた。

 彼はキャップを団扇のように降りながらドアに向かいつつ、歩とアキの背中を押して、出るように促した。


 歩もアキも声が出せないまま、トウヤに押され開けられたドアを通り、イベントホールから出た。

 廊下の奥――一階へと続く螺旋階段の方向に巴が仁王立ちしていた。


 廊下からトウヤは孝志に声を掛ける。その声は少し震えていた。


「孝志、頭の悪い俺にレクチャーしてくれ――十年ぶりの再会の日、俺たちのせいで十年ぶりに巴が恥をかき、四音さんに説教を受けたと仮定する。凌ぐために、これまた十年ぶりのテキトーな愛の告白で誤魔化そうとした場合、成功すると思うか?」


「あきらめよう」と孝志は言った。「トシとの三角関係に持ち込める可能性はあるが、それは学生時代から延々と繰り返して、巴はトシとぎくしゃくしてる……人間は過ちを認めなきゃな」



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トリビュート・ストーリーズ 秋澤景(RE/AK) @marukesu

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