第12話
◇
歩は廊下から久世村図書館の入り口までもどり、螺旋階段を上った。緩やかで段も無い階段の途中から声が聞こえた――歩は、トモちゃんさんだ、と思って駆け足で向かった。
◇
図書館の二階は広く開放的だった。二階廊下は左右に別れ、まず右を見る。右の突き当りに非常階段があった。
続左の廊下を見るとそちらは途中で直角に曲がっていて、先に何があるのかわからない。歩はきょろきょろと見渡し、笑い声と楽器の音が聞こえたので、歩は、左かな、と左の廊下を歩く。
道なりに進んだ先にトイレがあった。その扉の前には二人の人――爾村巴。彼女は男性用トイレの扉の前に立って腕組みしていた。
そしてもう一人は壁に寄り掛かった男の子。
歩は声を上げる。
「アキ!」
その声で巴とアキは歩を見た。
歩はアキに駆け寄り、どうしたの、大丈夫と言ったがアキは「うん、大丈夫」と返事してため息をつく。
「俺さ」とアキ。「やっぱりおかしいのかな……よく覚えてないんだ。マサの家から記憶が抜けて、気づいたらトモちゃんの車に乗ってて。ここに連れてこられた。その後は兄貴に説教されてさ……そこまではよくあることだけど……さっきので、叩きのめされちまった」
歩は巴を見上げる。彼女は笑って言った。
「歩ちゃんたちが店でお勉強してるとき、店から車でここに来たんだ。その途中、いきなりアキが飛びだしてきてね。恵に連絡したんだけど……あいつは怒りっぽいからね」
歩は、んーと言って考えた。
――私が店からここに来るまで一時間ぐらいかかった。お店を出たのが三時を過ぎてて、その間に店は恵ちゃんさんがいて、あっ。
そこで歩は手を挙げた。
巴が無言で指さすと、歩は言った。
「恵ちゃんさんはキレるのを我慢してた。だからアキのことを黙っていたんだと思います。でも、みんな意地悪です」
巴は頷き、かもしれないね、と言ったあと付け加える。
「歩ちゃん。私たちがここにいる理由、わかる?」
歩は巴の後ろ、男性用トイレを見て首を傾げる。
巴は息をつき、言った。
「ヒント。歩ちゃんはさっきの放送を聞いた?」
「はい。とても良かったです。洗練された音だっておもいました」
巴は、それを踏まえて、と言う。
「アキはね、とある人のある姿を見てカルチャーショックを受けてるんだ。私にはどうってことない、よくある光景。歩ちゃんも経験したかもね。そして今、そいつはトイレにいる」
歩は腕を組んで考える。
――男の子のトイレ。トモちゃんさんは平気で、アキにとってショックな出来事。今日出会ったばかりだけど、私が知ってて、トモちゃんさんも知ってて、アキが知らないこと。
歩は、んー、んー、と唸りつづけた。
しばらくして巴は言った。
「四音さんは、わかりますよね」
歩は振り返る。
後ろに立っていた四音は、あれは辛いな、と返事してゆっくりと言った。
「程度は違うがワシもよくなった……なぞなぞにするには、ちょいと不親切だろう。この子は純粋にアイツらのファンらしい。ワシも怒らせた」
巴とアキが笑う。小さく短く。
三人を見て歩は両手を挙げ、言った。
「降参です! もう、ちんぷんかんぷん!」
はいはい、と巴がその手を掴み。降ろさせる。
「ごめんね……恵が黙ってたのは、紫苑が内緒にメンバーを集めてた。会いたいけれどさっきの放送のことを知ってた。邪魔しちゃいけない、知らない方が良かったって恵もわかってるから……いろんな感情を整理できず口にしたくなかった。アキは興味本位で見てここで休憩中。これが正解なんだよ」
「よくわかりません。アキはさっきのY・Aの生演奏にびっくりしたの?」
歩がアキにそう尋ねても返事が無かった。アキは黙ったまま、げっそりとしているだけ。
「ちがうの?」
巴に尋ねても、彼女は返事をしなかった。かわりにトイレの扉をそっと開けた。
なるべく音をたてないよう、隙間を開ける巴。歩が注意しようとしたとき、
「孝志、トシ、やれそう? ファンも増えた」と巴がその隙間から声を掛ける。
トイレから水の流れる音がして、返事が帰ってくる。
「やる。閉館まであと――」
声のあと、聞こえた音に歩は両手で耳を塞いだ。心の中で何度も言い聞かせた。
――これはよくあること! 経験したこと! 聴いちゃいけない! つられてアキみたいにつかれちゃう!
巴が扉を閉め再び歩に向かって、言った。
「歩ちゃん、授業参観とかで気持ち悪くなったこと、ある?」
耳から手を離して歩は頷き、小さく返事する。
「お父さんの前で作文を読むとき、すごく緊張しました。体がかちこちになって、声が大きくなって……でも、もっと緊張するのが発表会……私の番が近づくと、足がかってにぶるぶるして、何度もトイレに……お腹が、ひっくり返るみたいになって……」
「そっか」と巴は言った。「孝志もそんな感じだ。世界的大舞台でもこんなところで一曲歌うのも同じだってね……二人ともイベントホールに行ってごらん。Y・Aが久しぶりに勢ぞろい、記者もいるんだ。そっちの方が楽しいはずだから、ね」
歩は頷いて、それでも動かなかった。
アキがその手を握って、引っ張る。
「行こう。すごいから、な?」
その声に対しても、歩は返事をできず、うつむいたまま廊下を見て歩いた。
◇
歩は来た道を戻って、部屋に入った――笑い声とフラッシュの瞬く音、そして軽いメロディ。顔を上げた。
そして歩の目に映ったのはまず――
ブラインドの落ちた部屋の窓を背に、長い髪の女の人が立ち、ギターも持って弾いている。その足元には双子がひっつくように立っていて笑っていた。
――紫苑さん?
歩は疑った。その女性の持つ黒いギター、繋がった先のアンプから不協和音が聞こえている。
「こんなのはどう?」紫苑が言うと、双子は大きな声で、踏切りみたいだ、とはしゃいで笑った。
歩は目をこすった。何度も瞬きして、頬を抓って――現実だ。ほんとに、本物だと見渡した。
入り口の横、壁に沿うように二人の男の人がいた。
一人はカメラでシャッターをきり、もう一人はハンディカメラで撮影していた。
――プロカメラマンだ。でも少ないよ、もったいないよ。
部屋の奥には、パソコンのようなモニターと機械類に埋もれるように、一人の男の人が忙しく操作していた。
「おっしゃ、いただき」と彼は言って歩たちの方を見た。
目は合わなかった。キャップの鍔を掴んで被り直したとき、トウヤさんだ、と歩にはわかった。
歩は挨拶しようとして頭を下げたが、声を出せなかった。
――サインほしいな。トウヤさんの作業が終わってからおねがいしよう。
歩は頭を上げて、トウヤのすぐ右隣を見る。ドラムセットがあった。そちらの男の人はカチカチとステッキを鳴らし、口笛を吹いた。歩がコウさんかなと思って見ていると――スパン! と一発だけ音が鳴った。歩は、やっぱりコウさんだと思って手を握った。
イベントホールの中央にはマイクスタンドが三つ。紫苑の前に一つ置かれ、背を向けたベースの前に一つ。
もう一つは歩たちの前方に、譜面立てとともに置かれてあった。
「アユ、あの人、何してると思う?」とアキが指さす。
その先はトウヤだった。それを確かめてから歩は言った。
「録音?」
アキは頷く。
「さっきの演奏、凄かったろ……あれをもうコンピューターに録音して、作り直してるんだって」
「えっ」
「下級生が見学に来てたんだ。そいつらから言葉をもらって、歌詞にしたって。それを前もって用意した曲に合わせて演奏したんだよ。でも閉館までに、作り直すって……なあ、あの人たち凄すぎないか?」
歩とアキは見合った。
歩は、鳥肌と汗を感じて言った――奇跡、と。
◇
歩の背中から声が聞こえた。
「ラスト十五分。ちょっとダッシュでやろう」
歩たちは振り返り、そして離れる。
背の高い二人の男の人だった。
一人は髪の毛を伸ばし、カチューシャで止めていた。その人はベースを持って言った。
「あのさ、思いついたんだけど。孝志のシャウトはいらないんじゃないかって……なんかこう、奥から出てなかったから。意味不明ならいらないんじゃないか?」
するともう一人の男の人、右目に眼帯をした短髪の人が返事した。とてもハスキーで、少し歩にとって怖く思えた。
「トシが言うほど悪くはなかっただろ? 誰か案とか意見あるか?」
すると、トウヤが「改案ならあるよ」と言って機械を操作し、スピーカーから音が流れた。
弦楽器の奏でる短調なものだった。同じフレーズを繰り返すだけ、ゆったりしたものに、やがてキインキンと、音が鳴る。
――紫苑さんの不協和音を、ウインドチャイムみたいにしてる。お父さんが言ってた『アイドルのサポートはいそがしい、はやくやらないと』って。トウヤさんも同じだ。
トウヤは言った。両手を使いジェスチャーを加えて「このうえから紫苑のギターを入れるわけ。まず何回か『ジャジャー、ジャジャー』って繰り返して、コウのドラムでバシッて開ける。最後はスパッと終わらせる。どう?」
全員がどっと笑う。意味がわからないと。
言ったトウヤも「言葉にしにくい。昔みたいに自由にやって」と笑った。
紫苑がギターを鳴らす――Y・Aの五人は「なるほどね」と口々にマイクに向かって言った。
そこで歩は両手を力いっぱい、握った。
「うん。止めてくれ」と眼帯をした人――孝志は言った。
音が止まり、孝志は左手でペンを持ち筆を走らせる。
「言いたいことがわかった。まずトウヤの作ったあまい音を三十秒ぐらい流す。そのあまーい世界を壊さないよう、紫苑が切れ目を入れていく感じ……トシとコウがその切れ目から入る。すごくゆったりするから、コウが綺麗に歯切れよく叩いて、そろえて終わる。俺とトウヤは途中で抜ける」
孝志はハミングした。
「wou……Call Name Yeea……」
そこで歩は声を挙げそうになった。叫びそうになるのを抑え込み、ぐっと歯を食いしばる。
――声が変わった。孝志さん、別人みたい。CDより綺麗な声。
「〝覚えているか、あのときのこと〟」
「えっ!」
歩の驚きの声。
誰も反応しなかった。
歩はほぼ真横から孝志の口を見上げるようにして、その口が日本語の動きではないことがわかった。でも――
「〝坂の上、あいつの店だよ。いつも行っただろ?〟」
――日本語に聞こえる。私、リスニングできないのに。
孝志はそこでペンを止めた。変わりに手を叩いてしばらくリズムを取り、マイクをトントンと叩いた。
「……って感じで、俺もゆっくり入る。だったらトシが言ったようにシャウトを無くして、歌詞を作り直すだけでまとまると思う。じゃあ……ちょっと音だけで、やってみてください。各々の判断で」
歩はトウヤを見た。彼はカウントして機械のスイッチを押す。
音が流れる。
やがて紫苑のギターが入る。歩はその目と耳で感じ――
ドラムとベースが入る。しかしすぐ音が止まった。シンバルが三回鳴ったときだった。
「あっ」と孝志が指さして笑う「コウがミスった。すっげぇ、十年ぶり」
コウは「うるさいな」と言った。「なんか、たるい。これ、紫苑のギターから入ってからトウヤの音を流す。その後で孝志の声、からの俺とトシが良いかも。で、一旦タメてからみんなでドン……てのは?」
すると紫苑がギターだけ弾き始める。その後に孝志のハミング、コウとトシの音が入り――
「それだ!」と孝志がマイクから離れて、イベントホールをぐるっと見渡す。
再びマイクに向かって孝志は言う。
「今、紫苑のバックからバアーンて草原が広がって見えた。今日の配置はぐちゃぐちゃだけど、ステージなら左から広がって、センターからピットにドン。この展開は良いね……ただあと十二分ぐらいしかない、みんな高速で修正して。曲はペースを下げ、リラックス、リラックス。でもコウは、もっとスパパンって感じで」
五人は笑った。片目だろ、さっきまで吐いていたくせに、擬音を使い過ぎだと。
「とりあえずやってみましょうか」と言って孝志は左手にペンを持ち、ささっと走らせて止めた。「ちなみにみんなプロらしく。DVDに残るかもだし、記事に何を書かれるかわかんねぇ。なるべくくさい言葉を使いましょう。まずAメロだけ。トウヤ、カウントと録音を」
トウヤがカウントをして紫苑がギターを弾き、音が流れる。
しばらくして、孝志が歌った。
「〝この町に帰ってきたら、まっさきに〟」
歩はまた日本語に聞こえて――
「〝坂の上の、あの店に〟」
ドラムが鳴る。ドドンパン、ドドンパン。
孝志の声もそれに呼応するように少しずつ大きくなって――
「〝売り切れてないかな〟3.2,1」
刹那的な空白、次から歩は音の波に包まれた――
「〝あの頃の俺たちは、馬鹿な子供だった。
あまりに無邪気で、時間なんてものを考えず、
おまえを失うなんて……でもきっと考えていたはず。
だからこそおまえがいなくなって寂しいよ。何故かって?
おまえは俺たちにとって大きな存在だった。俺たちに、生き方を教えてくれた。
それは単純なこと。でも単純な生き方ほど、辛いよ、なあ先生〟」
音が止まり、みんなが息をつく。
「要検討。最優先で」孝志はペンを持ち、また書き始める。「俺らにとって復活、新境地って感じだけど、確かに中だるみしそう。どうにかもらったフレーズ、うまく繋がらねぇかな……まあ、これは明日以降ってことで、スパッと終わり。何か意見があれば」
誰も何も言わない。
フラッシュが瞬き、歩の耳は、カメラマンの感想を拾った。
「もったいない。ここがスタジオなら徹夜で、良い楽曲ができるのに」
歩は、さっきの四音の言葉を思い出して唾を飲み込んだ。
――ほんとうに作りながら、練習して、録音してるんだ。
そして歩は、アキの手を握りしめた。
「どうした? 気持ち悪いのか?」とアキが囁く。
歩は首を横に振ったそして、
「その逆なの。私、いま、とんでもなく幸せ……」
孝志が言う。
「トウヤ、〝
紫苑はマイクスタンドを移動させ、孝志の真正面に。孝志は譜面立てを紫苑の方に向けた。
歩は唖然とした。
声も何も無く、ただただ驚く。
隣の記者が「おいおい、マジですか!」と漏らす。「こんなとこで新曲? まいった、吐きそうです!」
みんな笑った。しかし、すぐに収まる。
紫苑は双子を部屋の隅に行くように促した。
トウヤは機械を操作して、リズムとりながら言った。
「紫苑の譜面、そのまま打ち込んだだけのモノでよければ。ただみなさん、あの曲、難しいけど、ぶっつけで弾けるわけ? 紫苑から送られて一週間なのに?」
トウヤを除く全員が頷く。トウヤは中指を立てて「奴隷に恵みを」と言った。
「プレイヤー兼エンジニアの中指、いただき。これも十年ぶりだ。普段は使えないから」と孝志は笑って言った。「じゃあ、トウヤ、続けて流して……トシは適度に11のサイドボーカル、12は紫苑がこの線を引いた部分に声を当てる。もちろんギターも」
「ほんとうに私で良いの?」と紫苑がマイクで言う。「夏風邪だからあまり声が出ない。孝志が抑えてくれないと」
孝志は頷き、右足の靴を脱ぐ。
「本番は俺がやる。時間無いから昔みたいに俺が足を踏んだとき、バチっと」と言って孝志は紫苑の左足を踏んだ。「じゃあ、俺がカウントでよろしいでしょうか。十年ぶりのセッション、締めくくりですが、みんな、バシっと決める自信は?」
五人は、みんな少し前のめりになった。孝志はマイクをスタンドから取り、右手に持つ。
「それじゃ、いきましょうか……1・2・3」
孝志のカウントに合わせ、歩もアキの手を強く握った。優しい歌を期待して――
「
しかし孝志の声、Y・Aの奏でる音は、とてつもなく激しかった。
叫び声が長く、ギター、ベース、ドラム、すべての音がうねり、混ざり、押し寄せてくる。歩は身をのけぞらせた。
――音が重い! まとわりつくみたい! こんなサウンド、CDでも聴いたことない! 進化してるっ!!
「〝待ってくれ、俺がいる!
置いていかないでくれ! 誤解だ!
俺は悪くない! おかしくない!
そっちが違ってる!
弁解させてくれ、せめて時間をくれ!〟」
――息つぎしてない! みんなすごく怒ってる!
「〝悪! 怒り! すべてのマイナス!
こいつらと上手く向き合うお前がおかしい!
正直に! 正直なれ! 誤魔化すのがおかしい!
俺の心は、それまで抑えるから、言い訳しろよ! すべて壊す前に!〟」
――孝志さん怖いよ! そんな声出すとたおれちゃうよ!
そこで演奏は少し、ほんの少し弱まる。孝志の声はシャウトからハイトーンに変わった。
「〝口をつぐむなら、お前たちを見限る。
誰も考えを口にしないなら、それまで。
おまえももう覚悟が出来てるんだろ?
それじゃ――もう、出て行け!〟」
ここで被せるよう、トシが歌う。
「〝俺たちは遠くまで来たよ〟
〝俺はまだ歩き続けてるが?〟」
――アドリブ! トシさんに歌詞がないのに! 孝志さんとトシさん、交互にやるなんてむちゃくちゃになる!
「〝おかしなものを見た、ゾンビの行進〟
〝それは俺たちが苦しむ姿。鏡の虚像〟
〝このワイン、受け取って祝杯にできないか〟
〝もうそんなもので救われない、腐った血〟」
――リズムがくるってない! これがプロの生の演奏! オーケストラと違う! 凄すぎてわけわかんない! 私、気持ちだけで聴かされてる!
「〝しらふで夢の中に生きている。まだわからないか?〟
〝自分が何者か、見つけるために何をした?〟
〝何を?〟
〝何の為に?〟
〝終わらないよ、そんなんじゃ〟」
演奏が一気に静かになる。
やがてピアノのような音がポロン、ポロンと響くのみ。
――誰もいなくなった。怒りが、収まったみたい。
「〝昔と同じ。こんなとこ、どれだけ見ても、
わかるのは、俺は一人ぼっちだってこと。
それは違うって思いたいから、
名前ぐらい呼んでくれないか……〟」
そこで歩は叫んだ。アキも、記者もみんなが一斉に「〝
「〝俺の名前は?〟」
「Y・A!〝
「〝俺の名前? 誰が……〟」
「GO!」
「〝うるせえ!〟」
ドラムが激しくなる。
再びギターがうねり、ベースが蘇り、声が再び――
「〝ああ目が覚めた! ここは?
おかしなステージ! 苦しいとか、
もう……どうでもいい。
きっとお前たちは嘘をついている!
お前たちのコール、
変われ!
そう信じないと、俺が変われるはずもない!
なあそうだろ!
誰も変われるはずがない、そうだろ……〟」
◇
音が止まった。
咳払いすらない静寂が訪れた。
だが突然、その静寂をドラムが打ち破った。
歩は、孝志と紫苑を見た。
――連作? ちがう、べつの世界観。これは二人っきり、恋人みたい。
「〝遠くまで着いて来て、なのに、とつぜんいなくなった。
ほんとうに今でも、その理由と君の気持は分からないよ〟」
――さっきとぜんぜんちがう。ロックテイストだけど、孝志さん、泣きそうに語りかける。陶酔じゃない、まるで、紫苑さんにお別れしてる。
「〝しっかり言うべきだった、俺は大丈夫じゃない、
もう以前とは変わった。
強くはない、だから今、俺は独りに耐えられない〟」
「〝むしろ、弱くなった〟」
――紫苑さんの声が最後だけ重なった! デュエット? ちがう、言葉を強くさせてる。
「〝あの時、何故俺を置いて行った?
何故、俺を傷付けた?
俺は、君にとって何だったんだ?
立ち尽くして分かった事は少しだけ、
もうこんなものいらないよ〟」
孝志は両手でマイクを握った。
紫苑が一人で「〝そう〟」と言う。
「〝こいつが荷物だとして手放したなら、俺は何とか立ち直る。
たとえやり遂げても全部捨て去っても、君には追い付けない〟」
――ちがう、支えてるよ。孝志さん、一人ぼっちじゃないよ。紫苑さんが目の前にいて、支えてくれてるよ。
「〝下を向くな、前へ、前へ。夢なら覚めるはずだ、
そう思って、そうしたら振り出し。
知らなくてもいい、そのままでいい、
疑問に答えがたくさんありすぎる。
いいや……まとめないと。俺は独りだから〟」
――孝志さん、紫苑さんが目の前にいるよ。見えてないの?
「〝ここから出たい。ここの空は低くすぎる。
何度も間違い、多くを知った今でも、
この小さくて静かな世界で、俺は音を拾って行く。
ノックしても返事が無い。投げ出したくなるけど、
次こそ、明日こそ、そう思って、
もう誰もいないって、気づいた〟」
音が静かになり、歩は演奏がストップする、と思った。
それほど孝志の声が小さく、頼りなく――
「〝だって今、俺の名前を、誰か呼んでくれたか?
こう言う事だ、夢から覚めるってのは。
俺は立ち止まったまま、時間を忘れていただけ〟」
ベースとギターの音が刻むように細かく、だんだん大きくなっていく――
「〝立ち上がっても進めない、
そんな感覚、知ったことはあるか?
気付いてるか? それも君のやったこと〟」
ドラムがダダダと鳴り響く。
――みんなで、孝志さんをふるいたたせて!
「〝あの時、何故俺を置いて行った?
何故あんなに俺を傷付けた?
そう、俺は君にとって何だった?
悩んで立ち尽くす日々。
こんなものいらない、こいつが荷物なら手放しても、
俺は何とかなる……いいや、ちがう!〟」
孝志はそこで、振り払うように首を振る。
紫苑はギターを弾きながら、歌詞を見ながら、頷く。
その光景が歩に突き刺さる。
「〝あの時、何故君が俺を置いて行ったのか、
何故あんなに俺を傷付けたのか、
俺を苦しませ、立ち止まらせたけれど、
俺は何があっても、こいつを手放せなかった。
やり遂げろ……きっとそう言いたかったんだろう。
勝手だけど、そう思えるよ、今なら〟」
――歌いながら答えを探してたんだ。紫苑さんに言ってもしかたがない答え。だけど紫苑さんはそれをすくいあげている。みんなも、私も。
演奏は終わった。
孝志は最後に、紫苑から足を離して、絞り出すように――
「〝でもこいつの身にもなってやれ〟」
◇
――四音さんが言ってたこと、わかった。
歩は多くの感想を乗せて、叫んだ。
「Y・A!
みんな、ポカンとした様子で歩を見た。
それでも歩は叫んだ、精いっぱいの歓声を。
――これから魂を削るような日々が始まる。だっていま生まれた音を、変えないとだめだから。それはすごくつらいこと。お父さんとちがう作り方だけど、同じ苦しみ。きっとそれは、産まれたばかりの赤ちゃんを傷つけるぐらい、苦しいこと。すごいよ。がんばって、CDを作ってほしい。
そんな想いも乗せた、歩の歓声。
孝志は歩を指さして、言った。
「えっと……あの女の子のみ喜んでくれてますが、俺ならブーイングする……もし誰かあの子と同じ感想なら、あとで意見をください。じゃ、今日はここまで」
Y・Aの五人は、笑いながら片づけをはじめた。
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