第11話 真実の一端

 小村翔太の『依代』を破壊し、近藤綺堂を殺したその晩、原田たちは予定通り剣持の家に集合した。

 原田の両親は、釜坂の家で遊んでいるといえば大抵納得するので、彼はあらかじめ言付けておいた。そういったことに抜かりはないし、本題である依代の回収も遂行した。門題があるとすれば、今回彼女がそうせざるを得ない状況とはいえ、自らの手で犠牲者を出してしまったことだろう。

 迎えの車中では完全に沈黙していた剣持も、自宅に到着し、その血を流し着替えた頃には、少し気分が良くなったようだった。

「これ以上の被害の拡大は防ぎたい。そう思っていました。ありがとう、あなた達のおかげで助かった」

 着席して数回言葉を交わした後、彼女は端座し、原田と釜坂に礼を言った。

「僕は当然のことをしただけです。忍さん、あなたが止めたのです。それに悠介が、尽力してくれました」

「原田君の事前調査と作戦、それを実行に移せる恵一君の力。あなた方二人、どちらが欠けていても危うかったでしょう、本当に助かりました」

 あのような無双の力を持ちながらも、剣持に驕りというものは見受けられなかった。

「それにしても、どうやってあそこまで詳しい予定を調べたんですか、原田君」

 確かに暴走の開始時間や、その逃走ルートまで知っている人間など、当人たちを除けば、警察官や、悩まされている近隣住民くらいしかいないだろう。

「交友関係の広い昔の知り合いに尋ねてみたら、すぐ関係者が見つかりまして、協力してもらったんですよ」

「それは――」

「今日の事件、かなり抑えられましたね。事故死で片付きました」

 雪実が襖を調度良く開けてくれたので、原田が望まずに出来てしまった関係を明かさずに済んだ。今回利用した繋がりは原田にとって恥だった。剣持とは普通に生きている限り関わることのない人種との、脅迫と暴力を使った交渉など、彼女に言うべきではない。 

原田自身の潔癖症も、この事実の隠匿を選択させた理由の一つであったが、それ以上に、彼をこの選択に誘わせた要素がある。彼女の強い責任感は、おそらく他人の罪すら背負うことを厭わない種のものであると、原田は察していたのだ。

これ以上彼女の世界に、心労の種を持ち込むべきではない。

「ありがとうございます、先生」

 発言と、釜坂の態度からも、雪実が『依代』の回収に何らかの形で協力しているのは明白だった。当然、原田が掠りもしなかった適性検査で反応があったから雪実も『依代』を扱えるのだろう。しかし、それならば戦闘を剣持一人で行っているのは不自然ではある。原田は当然疑問を持った。だが、剣持の叔父を疑う気にはならなかった、何か事情があるのだろうと原田は結論した。

「本当に今日は助かりました、ありがとうございます、恵一さん、悠介さん」

 雪実にまで感謝され、原田は何か逆に申し訳なく思い始めた。今回はたまたま役に立てたが、今後それは罷り通らないだろう、『依代』を配布した先の息子がたまたま他人に迷惑をかける組織に入っていた、そんな偶然二度とあるとは思えない。

原田が我が身の運用法に思い悩んでいるうちに、この席での必要最低限の話は終わってしまった。夜も遅いので、今回の依代回収の細かな問題と、これからの予定は、また後日ということになり、原田と釜坂は帰宅することになった。

 少しだけ気だるさが残っていたが、原田は回収の翌日も予定を崩すことはなかった。

「大丈夫かな、剣持さん」

 学校のシステム上、あまりない土曜日の休日を釜坂の家で我が家のように過ごしていた原田は、その筆と掴んでいたビショップの駒を一度置いて、募る思いを口にした。

「表情に出してくれるような人ではないから、なんとも言えないけど……」

 とある歴史学者の追悼論文集を読みながら釜坂は応えた。

「できることがなくて辛いだろう、悠介」

 彼の端正な顔に、薄く張り付いていた表情が諦めのそれだったと、原田はこの時になってやっと知った。釜坂は原田とは違い、彼だけが可能とする重要な役割を果たしているのに、自身が前線に立てないことを恥じていた。

「そうだな」

 驚きよりも納得が勝った。また、あの時から巧妙に隠されていた、釜坂の負の感情を垣間見たことにより、釜坂の言う『釜坂の身内』と依代の関係というのも、原田の中で見当がつきはじめていた。

「……いやでも、本当に情けないよ。なにしろ、多少は自信のある素手の格闘だって、忍さんには敵わないんだもの」

 気まずい沈黙を打ち破るように釜坂は多少ふざけた調子で言った。

「そりゃ、すごいな……」

 原田も望んで身につけたわけではないが、腕にはかなりの自信がある。それでも釜坂に敵うほどではない。これではいよいよ役に立つことができるのかどうか、雲行きが怪しくなってきた。

 釜坂が午後から親戚との資産問題の話し合いで忙しくなるというので、原田は一人で県立美術館に向かうことにした。一週間前に行ったばかりで、企画展の入れ替えなどはないが、県内の四つの県立美術館で使える共通年間パスポートも持っており、金銭の問題がないため、足繁く通っていた。

「巻き込んで本当に悪かったね」

 玄関で靴を履いているとき、釜坂が呟くように言った。

「元はと言えば俺が首を突っ込んだせいだ」

 原田は苦笑しながら返した。

「確かにそこは悩みの種だよ。人の善さは身を滅ぼすって、ずっと言っているんだけどそれだけは聞いてくれないよね」

「お互いにな、恵一。この方が、知らないより関わらないより全然良かった、お前も一緒の考えだろう。俺には彼女の代わりどころか、依代も使えないけど、少しでも力になれるなら、そうしたい」

 普段と変わらず互いに本心だった。しかし、二人の仲でありながら、原田が抑えた部分というのもあるにはあった。釜坂に剣持秀長のことを聞きたかったが、その話を切り出す前の様子から、どうやら秀長のことをちゃんとした形で話せるのは弟の雪実だけと判断し、控えた。友を信じなかったというよりは、原田が自身の邪推や偏見によって真実から遠ざかるのを恐れての自制だった。

 釜坂の家を出て、目的地に向かう途中、町並みの美しさに惹かれて、原田はふと、細い路地に入った。今まで知らなかったのが不思議に思えるほど、情緒あふれる景色が広がっていた。

 周囲の建物に見惚れながらも、しばらく進むと、途中黒山のような人だかりがあった。抹香の匂いが鼻をつく。よく見なくとも、溢れている人々が喪服を着ていることは分かった。原田は、迂回しようかと思った。陽気な人間が乱すべき所ではないと思ったからだ。

「こんにちは、原田さん」

 まごついている間に、原田は呼び止められた。

 弔問客の中に、剣持雪実がいた。明治時代以降日本を席巻した喪服、見慣れたはずの黒い洋装は、普段和服姿の彼が身につけていると、いささか奇妙に感じられた。

だが実際、そのように思った時間は数秒にも満たなかった。原田には頭を下げる必要――原田はこの家の門に付けられた「近藤」の表札を見てしまった――があったからだ。ここは、地元の名士でもある県議会議員、近藤哲夫の邸宅。つまり、今行われているのは、剣持忍が殺さざるを得なかった、近藤綺堂の葬儀だった。

「もし、よろしければ、お時間をいただけませんか?」

 聞きたいことは多かった。この瞬間にもさらに増えた。原田は二つ返事で了解し、弔問を終えたらしい雪実の車に乗ってそこから数分の喫茶店に向った。促されるままに降りると、雪実は少しだけドアを開け、喫茶店の中に声をかけた、すると、店員が出てきて、彼に向けて塩をまいた。何だか追い出されているみたいだと原田は馬鹿げた感想を抱いた。

「一応お願いします」

 私服姿の原田には清めが必要かどうか、その店員は判断しかねたようだが、自身から申し出た。協力者・傍観者としてではあるが、最近清めるのも別に悪いとは思えないほどには、原田は様々な経験をしていたと思っていた。

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