第12話 濫觴を求め

「何からお話ししましょうか?」

 着席して間を置くこともなく、雪実は話を切り出した。

「近藤綺堂の葬儀に関わっているのは、剣持さんを守るためですか」

「その解釈で間違いはないです。恵一さんに会ったときも驚きましたが、あなたも負けず劣らず冷静で聡明だ。少し質は違うかもしれませんが」

 彼はそう言った後、好きなものを食べて欲しいと、メニューを原田に渡した。原田は過分な評価を否定しながら、その貪欲に近い知識欲(究明欲というのが正しいかもしれないが)に駆られ、質問を続けた。

「今回の近藤の件が事故で処理されたのは、たとえば恵一みたいな他人の精神に干渉する神を、貴方が『依代』に宿しているからでしょうか?」

 雪実は感心したような表情をした。

「正解と言えるかもしれません。ですが、今回は綺堂さんの遺骸を人の形に戻しただけです、二つの意味でね。今となっては推測による部分も多いのですが、綺堂さんは『依代』に宿る土蜘蛛にそそのかされ、『依代』と同化していたと考えられます、忍に破壊された後も彼が怪物の肉片であったことがその根拠です。神の力の効果を高めるために、綺堂さんは自身の体そのものを『依代』と化し、神を宿した『憑坐(よりまし)』の状態でした。解りやすく言えば、巫女やイタコ、男性ですから男巫のような状態だったということです」

 神そのものの力ではないとはいえ、忍のように神の力を完全に制御下におくことは、やはり難しいようだ。

「私の口ぶりで、もうお気付きになられているかもしれませんが、葬儀への出席は、単純に近藤哲夫氏と私に個人的な付き合いがあるからとも言えます。近藤氏の教育方針、ご子息の意思の弱さが、忍に結果的に殺人を選択させたとはいえ、彼も、ご子息も兄の犠牲者であり、喪に服すことに不服などありません。それに、私に完全な力があれば、この業を忍に背負わせることもなかった」

 原田の知りたいことを、雪実は順々に説明して言った。こうなれば、次にすべき質問は決まっている。

「雪実先生……剣持秀長は、何故『依代』を再現したんですか? 知らないことが多いので、周辺の事情などもできれば」

 剣持雪実の呼び方は釜坂に習い、剣持秀長の呼び方は、彼女を意識した。

「そうですね、そのあたりを含め、今日は詳しくお話しましょう。しかし、彼がそういった考えに至るには、少し複雑な事情があるので、まずは細かなことからで良いでしょうか」

ケーキセット二つを注文し、二人は話を再開させた。店内に額付きで飾られている『卜部信一』『卜部雪和』という有名な兄弟作家のサイン色紙が目に入った。原田も好きな作家で気にはなったが、その新しい刺激により頭の中が片付いて行き、どちらかといえば今の発見は、話を進めるきっかけに転じた。

 今までの話をまとめると、わかっていることは意外に多い。

 依代とは言わずもがな、神霊が宿る鏡などのもの。神体のことだ。本来はこれを祀ったり、祭ったりして神から御利益を得ようとする、そういった意味では、剣持秀長という男が再現した『依代』は、本来の依代と同義である。でも、それは科学絶対の考えを嘲笑う、伝説的な霊験をもたらすものであった。

「依代という言葉は、折口信夫による造語ですよね。ということは、あの『依代』は学術用語の誕生以降に作られた、もしくは秀長さんや雪実先生によって最近命名されたものという事でしょうか?」

 雪実は静かに、満足そうに頷いた。

「よく勉強をされているようですね。少しそのあたりのお話をしてみたいですが、それはまたにしておきましょう。依代については、原田さんが考えている通りです。兄は一時期折口学を好んでいました。自身の研究結果にヨリシロと名づけるほど、折口信夫の名前を自分の娘の名前の由来の一つにするほどに」

 視界に飛び込んだ紅茶とケーキの皿が、会話を一度止めた。惹かれる薫りだが、今となっては少し煩わしい。

「あの『依代』の正式名称は、『劔持式依代けんもちしきよりしろ』と言います。剣持の家が築き上げた武器、戦術の要訣を、私の兄剣持秀長が昇華し、一つの道具として完成させたものです。俄かには信じがたいでしょうが、剣持の一族は『化生の退治』を家業としてきました。私の家はその本家であり、本来、剣持秀長は一族の当主です」

「……」

 確かに度肝を抜かれた、原田の希望的観測の一つとしてあったが、本当にこんなフィクション的な話があるとは思わなかった。確かに雪実の危惧通り、俄かには信じられない。実例を見てなかったら世迷い事としか思えなかったかもしれない。

「幾つかの分家があり、私たち以外は、今でもこういった仕事をしています。最もそれを今も専門にしているのは変わり者の多い一家だけですが……」

「本家が廃業……で言葉が合っているかわかりませんが、何故止めてしまったのですか?」

口を挟む気など毛頭なかったが、奇妙に感じられたので、原田は質問をしてみた。

「ええ、その通り廃業で構いません。度重なる化生の退治や戦闘に嫌気が差してきたのでしょう。

文明開化に伴い、国策として怪異の大量排斥が行われた際に、当時の当主は奮闘し、莫大な財産と本来与えられるより高い爵位を獲得しました。修羅道から逃れるべく、それを利用して複数の事業を立ち上げたそうです。従来の資金源を必要としなくなるまで時間もかかり、一族の中には反対意見も多かったのですが、第一次世界大戦に差し掛かる頃には新しい家業も安定しました。そして、なんとか資金面での一族のバックアップ、その他依頼の仲介などの雑務の引き受けを理由に、私たちは義務を放棄しました。ですから、未だに経営や統括の面では元締めではあるのです」

彼は一息ついた。カップを持つ雪実のしぐさは、剣持を想起させる。

「研鑽を忘れ、代を重ねるごとに力は弱まり、私の父の代で、生得の特殊な力というのは完全に失われました。もちろん秀長も私も例に漏れずに……忍は例外です。先祖返りとでも申しましょうか、記録にある歴代当主をも越える力を持っているかもしれません」

 忍の背負わされたものに、歯噛みしそうになったが、原田は過去の言葉と照合し、あることに気付いたのでそのまま続けた。

「力を持たずとも、彼は『再現』した。剣持さんが『依代』に対して『復元』という言葉を使わなかったのは、かつての技術などを秀長さんが応用して、喪失した力を再現する、オリジナルと評して差し支えない『劔持式依代』を開発したからですか」

 原田の感覚は冴えていた、美術を通し培った集中と観察を活かし、真実ににじり寄っていくことができた。

「私には止められなかった」

 秀長の弟の言葉は、肯定であり、後悔の発露でもあった。

「気付けなかった、ではなく?」

 抑えられているはずの彼の表情、声色から原田は推察した、読み取ってはならなかったかもしれない可能性を思わず口に出す。

「……ばれてしまいましたか。言い訳をさせてもらうなら、私の物心ついた頃には、兄は常に何かに囚われているように見えました。そういう意味では、兄、秀長は自我の発育とともに、依代を創っていったのです。彼の人生にブレというものはなく、弟である私でもその性質を疑い『危険なもの』と断定するまではいかなかった。私が動いたのは、もはや一部の神事や儀式を除き、完全に交流の途絶えていた分家と兄が秘密裏に連絡を取っていた事実が発覚してからでした」

 彼と視線を合わせた原田は思わず身震いした、それは威圧しようと雪実が意図したからではない、彼の湛える後悔や責任感というものが、少し漏れ出しただけでそら恐ろしくなったからであった。『剣持の家』と耳にしたときの腑に落ちた感覚の正体はこれだ、と原田は感じた。剣持の家に常識人はいても、常人はいない。これは直感であるが確信してもいた。

「全力で兄を追うようになったのは、奇しくもその死後、『依代』が実験を目的に、期日指定配達によって兄の友人知人にばら撒かれてからでした。とは言っても、私の回収は酷く鈍く、それが原因となって忍をこの件に巻き込んでしまいました。兄弟そろって彼女を苦しめているのですよ。忍は私の疲弊を不審に思い、それをきっかけにして、兄の本性を暴いてしまった、神の力を暴いた兄と同じように、同じ土蔵の中で。不注意でした、見せてはいけなかったものを見せてしまった、親という役目を引き受けたなら醜態を晒してはいけないというのに、父親失格ですよ」

「それこそ、剣持さんが雪実先生を慕っている証拠では……」

 カップを持ち上げた雪実は苦笑していた。脊髄反射だったなと、直後原田は反省した。

 少し考えればわかる、慕われているからこそ雪実は後悔しているのだと。子の滅私と献身に喜ぶことのできる親などいるはずがない。

「己を殺し、大義に生き、調和の為死ぬ。兄が祖父の手記を読んで口にしたことです。まだ彼が十代の時かな。祖父に会ったことはなかったけど、余程、忍に似ているのでしょう、大叔父もそう言っていたくらいですから。僕の祖父、彼女にとっては曽祖父に当たりますが、彼は正しく「己を殺す」人だったそうです。そう考えると、彼女の代で剣持という家の本質に回帰したのかもしれません」

 原田がこれほどまでに他人の悲嘆を感じたのは、彼の人生において二度目であった。

「雪実さんも、そう見えます」

「いえ、私は臆病者です、それに彼女や、父と兄を除いた剣持の男のように、滅私することなどできません」

 雪実は自身を含め、兄秀長と、自身たちの父を利己的と考えているようだった。苦々しく言ったあたり、その三人の例外には特別な思いがあると、原田には感じられた。それが、秀長を止められなかったことに繋がるのだろうか。

 そして、剣持秀長の目的についても消去法で、少しずつ解る部分が出てきた。

 一番気になっていた秀長の正体に通じる要素、剣持の技術を再現した秀長の目的も、万人のためではないということはこの時点で明らかだった。そもそも彼女と反目している時点で、善行の類ではないのは当然だろう。事実彼女がいなければ死人が出る状況というのは、今回は勿論のこと、今までも何度もあったようだ。

また、『依代』をばら撒いた目的はわからないが、その利用者を多く確保しようとしたことは解っている。或いは混乱を望んだのかもしれないし、純粋に研究者としての欲求であるのかもしれない。

「本題の依代を再現した目的ですが、明確に一つ……というのは難しいですね」

 自分で聞いておきながら、確かにとは思った。秀長が自身の死を予知していたのなら(そもそも依代を用いて生きていたのか、それとも復活したのか良く解らないのだが)、死の運命を避ける目的で『依代』を創り出したのかもしれないが、秀長の話や電話の様子を総合すれば、今まで原田が想像したその全部が当てはまるということも有り得なくはない。

「しかし彼は、不自由というのが好きではありませんでした。自分以外のあらゆるものに対してそういう考えでした。神に対する、人の増長を嫌ったのかもしれません」

 だから『劔持式依代』には、人を『憑坐(よりまし)』にし、神意を代行させることもできるのかと原田は一瞬思ったが、それでは彼が『依代』による破壊を、被害を食い止めるために動くこちらの陣営に逐一事前に教える理由にはならない。それこそ実験のようだし、愉快犯のようでもある。

「なんだか……、よく解りません」

 齢十五の少年は、正直に意見を述べた。

「ですが、人々に対して明確に悪影響はあるでしょう。忍にとってそれは許されぬ大罪であり、命を懸けるに足るのです」

 雪実は、彼にとって最も重要なことを説明した。原田はフォークを動かしながら、この理不尽な構造とあまりに不明確な敵の情報を整理することに努めた。

「ではもう一つ、秀長さんは今どこにいるのですか?」

 生きていることは解る。死体の説明はつかないが、おそらく依代によって死を免れたことも確実だ。

「電話番号から辿ろうとはしているんですが、依然不明です。事故の際に見つかった死体の正体ですが――」

 話が佳境に差し掛かった時、唐突にその異変は起こった。雪実の言葉を遮るように、耳を劈く爆音が轟いた。

「な、何ですか」

 記憶上最大の不吉を孕んだ音と衝撃だった。カップの中身を零しながら驚き焦る原田とは違い、雪実は冷静だ。携帯電話を取り出し通話ボタンを押した。音が漏れる。即座に、通話音量を最大にしたようだ。

「まさかとは思ったが、アポなしというのは驚いたよ、兄さん」

「俺自身驚いているよ、今回は完全に兆しがなかった」

 秀長の声が聞こえるようになっている。

「『依代』の反応が、五つ? まさか、有り得ない」

 懐中時計を取り出した雪実は、それに表示されている情報を訝しがった。

「なるほど、そういうことか……、雪実、お前は家の守りにつくべきだ」

「忠告ありがとう」

 彼はそう言って通話を終了した。激情を表したわけでもないのに、兄への拒絶の意思というのは原田にも窺えた。

「すみません、原田さん。貴方はお帰りになってください。私は戻らなければいけません、危惧していた事態が起こりました」

 ここからも異変が確認できた。駅前のビルから立ち上る爆炎に唖然としていた原田だったが、呼びかけられてやっと思考を取り戻した。すでに原田を呼んだ主は店から立ち去ろうとしていた。

 雪実はお札を店員に渡し、ドアノブに手をかけていた。現場に向えないことを悔やみ、自身の娘に背負わせることを恥じている、彼の一挙一動からはそういうものが読み取れた。

 原田は、ほんの数秒だが雪実が退出するのを待った。彼も、力も持たない原田が現場に向うのは反対していたからだ。 

「ごちそうさまでした」

 と一言伝え、原田は店を出た。やることは決まっている。


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