第9話 暗夜を行く
「亡くなったって、先ほど」
原田の聞き間違いではないはずだ。
「あなた方が生まれた年に、マキア号という船が沈没したのは知っていますか?」
苦々しげに父親の名を発した剣持に代わり、雪実が話し始めた。
「少しくらいは。この前テレビで特集も組まれていましたよね」
邦人十三名が亡くなった、大規模な海難事故。その特殊性から国際問題にも発展した有名な出来事だ。ベルリンの壁開放も、ソ連崩壊も生まれる前に起こった原田たちの世代にとっては、生後に起こった過去を代表する衝撃的な事件だった。
「あの時の映像が使われるのは、少し恥ずかしいものがあります。死んでなかった人間の為に泣いているのも、事故から十年の特集番組で発言が改竄されて使われ続けるのもね」
「では、行方不明者の一人が、剣持秀長……さんが生きていたということですか?」
思い当たることを、一応は聞いた。秀長はあの事件で亡くなってなかったと言うのだろうか。
「いえ、兄の死体は見つかりました、頭部だけの状態で。腐敗し始めていたとはいえ、歯型もその治療痕も同一、別の死体だったわけではない。末端の肉片が揚がったのならいざ知らず、人間の本体とも言うべきそれが、単独で見つかったのです。生存しているわけがない。そう考えねば、むしろ死を受け入れられない錯乱した人間と判断されるでしょう」
まともな方法で生き残ったのではない、彼の創り出したものを知る者なら、こう考えるのが自然だろう。
「それも『依代』によるのですか」
「おそらくそうでしょう。詳しくは長くなりますので、また次の機会でもよろしいでしょうか。それに、そろそろ先ほどの計測結果が出た頃ですから」
雪実は、話をそこで止めた。確かに秀長の話を長らく聞くと混乱しそうだったので、原田にとっても、別けてもらえば助かりはした。だが、次の話題に移すその前に片付けなければならない重要な問題がある。
「一つだけお尋ねしたいのですが、先ほど剣持秀長さんが言っていたこと、あれは、予言のようなものでしょうか?」
「彼の電話によるあの予告のようなもの、あれが外れたことは今まで一度もありません」
この事実に隠された秘密は、まだ原田には判断がつかなかった。
「それも、後でお話ししましょう」
「はい」
原田は、一度引き下がった。いつか解答を得られる予感はあったし、今は何より『計測結果』とやらが気になった。
「さっきの、盟神探湯の際に装着していた腕輪がありますよね。あれは単純な『依代』としての効果とともに、内部に入れてある切紙の変化によって『依代』の簡易的な適性検査を行うことができるものです」
原田は『依代』を恐れると同時に、溢れ出る好奇心を抑えられなくなっていた。そういう話に彼は、伝承やファンタジー文学に留まらず、昨今のサブカルチャーに至るまで興味があった。神秘の力を剣持や釜坂のように扱える、危険性などは承知だが、彼にとって抗い難い魅力があった。
「あれ」
腕輪の内部から紙を取り出すと同時に、雪実がらしくない間の抜けた声を上げた、不吉な響きだ。雪実の手中にある、その紙は、リトマス試験紙のような形と大きさで白い色をしていた。どう観ても普通の和紙にしか見えない。
「もう一度握ってくれませんか、詳細な計測にはなりませんが、これでも意味はあります」
原田は差し出された紙を握り締めた、何の変化もない。
「おかしいな、間違ったかな」
雪実は白い手袋をはずすと、自ら紙をつまんだ、みるみる青く変色して行く。
「問題ないはずですが」
剣持と釜坂が原田に歩み寄る。
「まさか、夜刀神の力が渦巻いている中に突入して、自力で記憶を取り戻したほどなのに」
釜坂にいたってはもはや計測の誤りを願っていた。
これ以降数回の再検査が行われた。しかし結果が変わることはなかった。原田には、全くと言って良いほど、『依代』の適性が無かったのだ。
「無様とか、そういうレベルじゃないなこれ」
原田は、帰路で釜坂に呟き、翌朝も、黒色が多くを占めるキャンバスに向って呟いた。
結局悲しみやその他もろもろの感情で寝付けなかった原田は、キャンバスにその全てをぶつけていた。協力したいと宣言しようが、そもそも協力しようがなかったのだ。自身の無責任さに腹が立つ、本心から助力を願ったとはいえ、これではあまりに滑稽で意味のない決心である。
原田は、ほとんど寝てないまま学校に向った。通学路で再会した釜坂の調子は以前と変わらない。
「俺に依代の適性ないところから夢だよね」
「そこも現実」
開口一番の意見が否定された。流石にこの親友は現実的だ、ばっさりと原田の気の迷いを昨日の剣持のように両断する。
「いやさ、普通こういう話では、秘密を共有すると同時にその証拠をも共有するよね」
「まあ、そうだね」
「それが何、この結果。おじいちゃん長生きしてねって絵をメッセージ付きで送った数日後に、急性心不全で他界されたかのような。そんな無力を感じたよ」
「まあ、伝わるものはあるけど。……いや、でも昨日は僕も驚いたよ」
昨夜から繰り返されたやり取りを二人はまた反芻する。
「悠介ほど信仰心というか尊重の考えがあり、力に抵抗力を発揮した人に反応なしとは。文盲の無神論者だって淡く色付くぐらいはするだろうに」
「おい、やめろ、そろそろ死にそうだ」
恵一なんて
「恵一君、原田君、おはよう」
「おはようございます、すみません、今からちょっと委員会の仕事があるんで先に行きますね」
「委員会は、今日のホームルームで決めるのではないでしょうか?」
「正直合わせる顔がないんで逃げます」
「当人を前にして言うことじゃないぞ、悠介」
学校に向かって逃げた原田を、釜坂と剣持が見送る形となった。結局クラスで会うことになるから先延ばししたに過ぎないのだが。
「何か役にたてないものかな」
ホームルームの開始まで校内をぶらつきながら、原田はぼやいていた。なかなか惨めな行動だが、校内の構造を把握してなかったし調度良かったと思うことにした。
「やっぱり悠介君か」
教室棟と食堂をつなぐ渡り廊下に差し掛かった頃、原田はまた呼び止められた。
「おお、怜治くんか、えらい久しぶりだね」
振り向いた先に居たのは小学校の時見学した空手大会で知り合った、影山怜治だった。
「昨日のうちに気付いていたんだけど、中々切り出せなくてね。勉強も頑張ったから、なんとか同じクラスに入れたよ」
この学校にはスポーツや芸術面の活躍を考慮する試験方法はあるが、それでも一芸だけでは通過できない。同時に高い水準の学力も要求される。
「あれ以来になるから、三年以上経つのか。噂は聞いていたよ、空手凄いらしいね」
「君の絵も一度遠征先で見たことがあるよ。それこそ凄かった。いやでも、会えて良かった。もうあのときみたいな不良連中は大丈夫なの?」
今となっては問題ないと答えようとした瞬間、原田は、自分にもまだ剣持の役に立つ方法があることに気が付いた。
影山と近況報告を互いにしながら教室に帰った。実行は放課後、一度覚悟を決めると原田の気は幾分か楽になった。女生徒に囲まれている剣持が席を立つのを見計らって、今朝の非礼を謝ることもできたので思わず自害しない程度には自分のことも許せた。なかなか上々だと、原田は明るく考える。
「じゃあ、恵一。俺、画材屋行ってくるから」
「気をつけろよ、危険だと思ったらすぐ逃げるんだぞ」
帰路の途中、色々と工夫したが、やはり釜坂には気付かれていた。まあいつもの言い訳とさして方向性が変わらないから仕方あるまい。だが今は形振り構っていられない。
剣持たちが信頼して、打ち明けてくれたからこそ、原田はどうしても彼女たちの役に立ちたかった。
目的地に到着したのが午後四時、目的そのものは意外と早く果たせ、九時半には帰宅できた。
「恵一、なんとか部活の勧誘から逃げられるか」
「悠介こそ、美術部に行かなくちゃまずいだろ。芸術科目の選択のとき、ありえないアプローチされていたじゃないか」
授業開始日、予告された近藤綺堂たちの暴走まであと二日と迫っていた。
「人命には代えられないだろ、剣持さんに至っては俺達より更に勧誘が多いが、なんとか集合したい。今度、近藤綺堂と小村翔太が暴れる場所は、突き止められる自信がある」
言い切った。依代を扱えない彼ではあるが、勝算があった。
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