第16話

応接室では彰子婦人が待っていた。テーブルにはアフタヌーン・ティーセットが既に用意されている。用意されている菓子から、使われている食器から、シンプルな中に上品さがあった。ブランドを主張するでなく、ただ、使う者への心遣いと、確かな職人の手によって作られたであろうことが、簡単に見て取れる。

 彰子夫人の膝には黒猫が居た。尻尾の先が少し白い。

「お待ちしておりました。」

彰子夫人は立ち上がって丁寧に頭を下げた。黒猫は夫人の緩やかな動きに合わせるようにするりとその膝を抜け、ソファの上に座った。

 双子は恐縮して頭を下げた。

「このたびはお力になれず…」

「いえいえ、この子が帰ってきてくれただけで私は十分。本当に、ふらりと帰ってきてくれたの。」

彰子夫人は血色のよくなった顔で朗らかに笑った。そして、双子を促し、自分もソファに腰掛けた。その膝に、またもミィがするりと滑り込む。

「加奈からも聞いております。川原まで言って探して下さったとか。その時見たのはやはりこの子ですか?」

ミィは婦人の膝の上であくびをしている。

「そう、だと思います。その尻尾の先の白い毛もありましたし…」

「ミィちゃんは、その、餌やおもちゃにはつられない性格ですか?」

「そうですね。餌やおもちゃがあれば誰にでもついていく、というわけではないですわ。」

「そうであれば、可能性は更に高くなります。川原の猫も、決して私達の誘いには乗りませんでしたから。」

「なるほど。確かにこの子の性格を思えば、あなた方が梃子摺るのも無理はないことですね。」

彰子夫人は上機嫌で紅茶を飲んだ。

「ささ、このクッキーも美味しいですのよ。加奈が買ってきてくれたのですが、私もお気に入りなのです。」

そういわれてそのクッキーを口にしたヒナがぴたりと動かなくなった。

「これ…」

「どうしたの?」

ルナが覗き込む。ヒナの表情は止まっていた。強張る、凍りつく、という表現は適当ではない。そこまで切羽詰ってはいない。ただ、ヒナの記憶回路は高速で動いていた。

 どこかで食べた。しかもつい最近だ。だが、思い出せない。しかも、それが何かの鍵になるような、そんな気がしている。

「あ、ううん。美味しいなって。」

ヒナはふっと現実に戻ると笑顔でごまかした。

「でしょう?どこから買ってきたのか、聞いても教えてくれないんですよ。」

ホホホ、と軽やかに笑う。猫が帰ってきたのが本当に嬉しいらしい。

「本当に良かった。奥様がお元気になられて。本当に可愛がっていらっしゃるのですね。」

ルナがヒナの異変をフォローするように夫人の機嫌を取った。

「この子は我が子のようなものですの。」

婦人はそう言ってミィを撫でた。その眼差しはどこか聖母を思わせた。その言葉にヒナは引っかかるものを感じた。

「失礼ですが、お子さんはいらっしゃらないのですか?」

「…いな…いえ…違うわ。」

途端に彰子婦人の顔色が曇った。何かを迷うように何度も首を振る、時折、二人を見ながら、幾度か首を振った。その時の表情に、二人はまた、何か、感じるものがあった。夫人は長く俯いた後、無理に笑顔を作って二人を見た。

「ごめんなさい。少し気分が優れなくて、また来てくださる?」

「大丈夫ですか?」

「分かりました。代わりに加奈さんに少しお話を聞いても良いですか?」

「え?ええ。加奈なら多分庭におりますわ。」

「今日はありがとうございました。また来ます。」

そう言って先陣を切ったのはヒナの方だった。引きずるようにしてルナを引っ張って部屋を出る。その目は、いつになく輝いていた。

「ちょ、どうしたのよ、ヒナ。」

「クッキーよ。あのクッキー。」

「ああ。美味しかったわね。それが?」

「修道院のクッキーだわ。」

修道院で手作りされているクッキー。それを加奈は買ってきた。加奈はあの修道院に行っていたのだ。クッキーは手作りであれば、賞味期限は短い。かなり最近、少なくともミィが姿を消した後にも行ったはずだ。

 何のために?そして、何のためにそれを隠すのか。個人的なことだといわれればそれまでだが、ミィはその修道院に居た。一切接触してないという方が不自然に思った。それを何故、夫人に報告しなかったのか。

「加奈さんは…何かを隠してる。」

ルナはそう言って足元に落ちていた葉っぱを一枚、拾い上げた。

「うん、そんな気がする。」

ヒナも同意した。二人は顔を見合わせて頷くと庭に向かって駆け出した。

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