第18話 理由

 鹿島にとってはその時は苦痛な時間だったかもしれない、と後になって仁は思った

 自分が営業の仕事をやっていても思う、顧客になにか納得できないとさんざん質問された挙句に、罵倒されたり苦情になったりもした。客に悪気はないのだろうが、この商品はどうしてこうなのだ、もっとこうすればいいのに。こんな値段をつけるなんておかしい。友人から他社ではもっと熱心に相談に乗ってくれると聞いたとか、挙げればキリがない

 大事なお客様なのでぞんざいに扱うわけにもいかないが、流石にうんざりしてくる時もある。長々と説明し仕事時間を取られた上に、特に成果も無い。沢入課長等はこれも顧客満足度のためだと割り切り仕事に戻るが一番、もっと勉強すればそういう事もなくなるよと教えてくれた。それでも一週間に一度くらいはそんな客がいていい加減にしてくれと思うときもあった。鹿島もそんな気持ちだったのかも、素人が根掘り葉掘り何を聞いているんだと…


 仁は鹿島に詳しい現場の状況や、その後の調査で分かった内容、捜査をしなくなった経緯を聞いた

 都度鹿島は丁寧に、こちらの感情を損なわないように優しく話をしてくれた。だが、捜査は事件性が無いと判断された事案であり、追加調査等は行われず、警察としては突然死と言う内容以上を言う事は出来ないとはっきりとしたものであった。

 そんなやりとりをして二人が応接室に入ってから三十分ほどが過ぎた。話が一区切りし鹿島が、提案をする

「小久保さん、我々としてもこれ以上お話しできるものは無いですよ、まだなにかありますか?」

「そうですね、気になる事と言うか…」

「でしたらちょっと何か飲まれますか?少し休憩しましょうか」

「あ、いえお構いなく…」

「いや、すみません私の方がちょっと喉が渇いたもんでしてね、随分長いこと喋ってたもんでしたから」

「そうでしたか…お時間取らせてすみません」

「あーいえいえ、そうじゃないんですよね。年のせいかずっと色々喋ってると自分でちゃんと内容を整理して喋れなくなってくるんですよね。ちょっと休憩に付き合っちゃくれませんか?」

 あ…と仁は恐縮してしまった。ついぞ喋り続けた仁への配慮もあったであろうが、それを感じさせない物の言い方である

「コーヒーで良いですかね?」

「あ、なんでも良いですよ」

 仁が応えると、ではちょっと待っててくださいねと鹿島はそそくさと部屋を出て行ってしまった。年長者にお茶くみをさせるのは流石に悪いと思い、仁は鹿島の後を追う

 二人で来ることもないでしょうにと鹿島は笑ったが、ただ部屋で待っているのもバツが悪い

 紙コップ式の自動販売機から出てくるカップの一つを仁に渡し、一つを自分の手に持ち、また応接間へと二人で戻った

「あの自動販売機なんで出来たんでしょうね?」

 急に鹿島が尋ねる

「え?なんでですかね?やっぱり署員さんが仕事をする時にあると便利だからとかじゃないでしょうか?」

「そうなんでしょうかねぇ?なんだか、知らないうちに業者が来て運び込まれていつの間にか設置されててね。まぁある分には困らないし、今みたいに便利なんですけどね、あれだって維持したり、メーカーに支払ったりするのにだってカネがかかるでしょう?」

「確かに、そうではありますけど。どこの建物に行っても自動販売機の一つや二つくらいあるんじゃないでしょうか?」

「ありますね、だけどうちの署にわざわざ置かなくてもねぇ。ただでさえ警察は無駄に金を使ってるなんて言われてるんですから」

 どこの会社でもそんなものだろう、一々理由を考えたりなどしない

 ははっと鹿島は笑い、砂糖もミルクも入っていないコーヒーを一口飲む

「さて、お話を続けましょうか」


 わずかな休憩時間をおいて、仁は再び鹿島に質問を投げかける

「お聞きしたいことと言うのは、同じような質問になるのですが遺体についてなんです、鹿島さんが実際に見たときの印象と言うか、どんな感じだったか」

 ピクッと鹿島の眉が上がる

「遺体…ですか?私の印象」

「先ほど発見された時は、外傷も無く、なにか病気などの症状もなかったと、おっしゃられましたね。本当に何もなかったんですか?」

「はい、その通りですね。なーんにも」

「何も…無い、と言うのは」

「言葉の通りですね、外傷も無く衣服の乱れも無く、目を瞑って座っていた。本当にそういった状況だったようです、私も長年警察で人死にを見て来ましたけどね、その中でも一二を争う位の綺麗な状態でした」

「と言うと、非常に珍しいケースであったんでしょうか?」

「珍しいとの言い方が、正しいかはわかりませんが、確かに中々無いような状態でしたね。普通仏さんは亡くなるまでには何らかのリアクションがあります、胸を掻きむしったとか、苦しんだ表情をしたり、倒れた拍子に体の一部を地面に叩きつけた痕や、どこかに擦りつけた痕なんかが残るもんです」

「本当に、ただただ座ってそのまま心臓が停止していたと…?」

 うーむ、と鹿島は少し首を捻る、就職面接でどう答えれば良いかと考えている就活生ような表情だ

「正確な表現化は分かりませんが、発見者のご婦人の証言や救急隊員考えるに、自分で木を背もたれにゆっくりと座り、本を読もうとでもした瞬間に亡くなったと言っても過言ではないかもしれませんね。おっしゃる通りです。死後硬直もその格好のまま始まっていたようです」


「どう…いう事でしょう、理由が分からない、なんの手がかりも無いんですか?」

「大変申し上げにくいですが、正直その通りです。」

 深々と頭を鹿島は下げる

 そんなことってあるか、今は医学が進歩している時代だ、何らかしらの理由が分かってもいいはずだ。警察も病院も決して手抜きをした訳ではないだろうし、ベテラン刑事の鹿島自身も見た上でこう言っている、素人の自分には雲をつかむような話である

「そうですか…警察の方でもわからないのではしょうがないですね…」

「恐縮です、ご自身に関わりのある事ですからご心配でしょう」

 確かに、クローンである自分の元になった人間の事だ。それも生死にかかわることだ、気にならない方がどうにかしている

 そう言えばと、仁は思い出したように喋る

「死んだ小久保仁の遺体は今どこにあるのでしょう…?」

「遺体の場所ですか…それは警察の遺体安置所に有りますね。小久保さんが今おっしゃられたように中々無いケースですから、原因究明を…と言うのもありますが、クローン生成された人間のご遺体をご家族に返すと言うのも慣例的に中々されないものでして、もちろんご家族が望まれればご返却するんですけどね」

 仁の心臓がドクンと音を立てる、父の言葉を思い出す。死んだ小久保仁は家族の元にも帰っていない。自分が存在すれば、環境はそれに馴染み死んだ遺体を必要とはしない。むしろ遺体の存在はその人間の終焉を示し、馴染まなければいけない環境と相反する。

 クローン化された人間の葬式や墓標が立てられないのもその為でもある。クローン化した人間への、周りからの心配りなのか、それともクローン生成の自然摂理反する疑念への一つの命題なのかもしれない


「遺体を見たりすることは…」

「今のところは、出来ないですね…ご遺体を返却するのも今は難しいかもしれません。なんせ場合が場合なもんでして」

 と、鹿島は口をへの字に結び、書類に目をやる

 そこでこれ以上何かを聞くのは無理なのかもしれないし、鹿島にも悪い気がした

「なるほど、色々お時間取らせて申し訳ありませんでした。書類に書くこと以上の事を長々と聞いてしまいすみませんでした」

 と、困ったような顔の鹿島に言った

「いえいえ、こちらも仕事ですから。ご納得がいかれない部分もあるかもしれませんが、また何かこちらで出来ることがありましたらお声を掛けてください」

「ありがとうございます、じゃあ今日はこれで」そう言って仁は席を立つ

 テーブルにバラバラと並べた書類をまとめながら、結局手がかりは無しかと仁は肩を落としふぅと一息つく

 それに気づいた鹿島は、同じく書類をまとめながら仁に言った

「こんな事を言っちゃあいけないんですけどね、私自身も納得できてない事件なんですよ。さっきも言いましたが、なにがなんだかわからないだからそれで通しちまおうってのは、あまり性分ではないんですよ」

「そりゃあ、そうでしょうね」

「自動販売機の件もそうですよね、何で出来たかわからない。ただそこに有るから便利なんだからそれでいいだろう、で終わらせて納得しなきゃいけない。そうするとモヤモヤしたもんがここにね」と、胸のあたりを人差し指でぐるぐると回す

「ただ事件性のないって結論付けた以上は、それ以上の捜査は中々難しい。死因の特定なんかは後は大学病院の管轄になりますんでね、私も知りたいがそれを知るべき方法が無い。モヤモヤするもんですよ」

 彼は彼の葛藤があるのだろう、何かが分からないそれを放置したまま次に進むことはできない、まさに今仁がぶつかっている問題だ。そうしてから最後の質問を鹿島にした

「鹿島さんは、本当になんにもないものだとおもってらっしゃるんですか?」 

 かなり踏み込んだ質問だな、疑わしい部分はなかった事件性はなかったと結論付けた事件だ、それを蒸し返すような真似をする

「ははっ、どうでしょうね…なんとも言えない事件なのは確かなんですけど、これでも公僕でして、あんまり不用意な発言すると上に怒られちまうんですよ」

 うーん、と背中をポリポリと鹿島は背中を掻いていた。何か悩んだ時の癖みたいなものか、さきほど「モヤモヤする」と言った時こんな仕草をするのだろう

「大変だ」笑いながら、荷物をカバンにまとめ仁は最後の挨拶を鹿島にする

「それじゃあ、どうもありがとうございました。」

 一礼して、鹿島を後にする

「お気をつけてお帰りください。携帯電話何かわかりましたら、ご連絡いたしますね。また何かありましたらお気軽にご連絡ください」

 と、付け加えてくれ、その上で

「老婆心ですがね、あまり事件に関してあれこれ悩まれない方が良いですよ。不安な気持ちはお察ししますが、その事ばかりに気を取られるのも良くない」


 署内はまだ人が多く、なにかの用事で来ている人々の間を潜り抜ける。自分以上の悩みを抱えてる人もいるだろうが、大勢はそうではないだろう

 警察署を出ると、空にはうっすらと雲がかかっていた。一雨きそうだ

 そうして、車へと向かった

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