第15話 動静

粕谷の話の後、もう一人の女性が壇上に上がり話を終えると、会合は終わり解散が告げられる

バラバラと席から人が立ち各々会場を後にする

だが、仁は座っていた。組んだ両手をそのままに、なかなか動けずにいた

そうしていると、席を立った努が会場の後ろの方へと歩いてくる

あ…と思っていると

努と視線が合った

眼が合ってしまった…

仁は目線を逸らしたが、努は会場の出口とは逆側の仁の座っている席へとゆっくり歩を進めてきた

10メートル近くあった2人の距離が、9メートル、8メートルと徐々に近づいてくる

その距離が1メートルになり、座っている仁の眼前に来た努が口を開いた

「久しぶりだな、どうしたんだ?母さんにでも聞いたのか?」

「母さん?いや、何も聞いてないけど?偶然だよ…」

約半月ぶりに父と子のなされた最初の会話であった、

前に施設で会った時は会話とも言えなかったが、

今は父は平静に、仁は少し怯えたように答える

「そうか…」

「うん…」

それっきり会話が続かなくなり、殆どの人が会場から出職員が会場の片づけ始める。時間にすれば1分程度であろうが、仁には永遠とも思える沈黙の時間が流れた

「コーヒーでも飲むか?公民館の前に喫茶店があっただろ」

と努から意外な言葉が出る

「ああ、うん、良いよ行こうか」

逡巡の後仁は戸惑いながら、そう答えた


2人は、横には並ばず努が前に一歩下がった位置で仁が後を追うようにして会場を出た

まだ幼いころ、旅行や買い物で家族で出かけるといつも父が前を歩き、その後ろを母が仁の手を繋ぎながら歩いていた。聡が歩けるようになると、母と手を繋ぐポジションは弟になり、仁は翔とその後ろから歩くようになった。聡が手を繋がなくても歩けるようになると、母が父の横を歩くようになり、幼い弟たちの面倒を翔が見るようになった。

そうなってから、10年以上が経ち今再び仁は父の後ろ姿を見ながら、ゆっくりと歩いている

公民館を後にすると、道路を挟んだところに大手チェーンの喫茶店がある。横断歩道はちょうど青になり二人は、そのまま横断歩道を渡り喫茶店へと入った

時刻はそろそろ5時になろうかという時間で、それほど混んではいなく2人は店の奥の4人掛けのソファのテーブルへと案内された。2人が対面して座る

「ホットコーヒーを一つ、お前は?」

父はメニューも開かず、水を運んできた店員にそう告げる

「あ、僕もそれで。ホットコーヒーでお願いします」

急かされたように、仁もすぐに答える

かしこまりました少々お待ちくださいませ、と店員は一礼してから席を後にする


手持無沙汰そうに、お互いが水を一口すするように飲む

そのコップを2人が机に置いた時、努がこう言った

「どうだ?調子は?」

「どうって言うと?」

「身体の事だ、ほら会合の途中で具合が良くない人がいただろ。あんな風に悪いところは無いのか?」

「今のところは…そうだね、うん問題はなさそう」

「そうか…最近はどうしているんだ?智恵子さんは元気にしているのか?正は?」

「まぁ、会社に顔を出したり、役所の手続きをしたりしてるよ。2人とも元気にしてるよ、今日は智恵子と昼めし食いに行ったりした」

態度の軟化している父に安堵を覚える、

「会社には戻れそうなのか?何かと色々と問題が有りそうだが」

「戻っても良いって会社には言われたけど、どうしようかは考えてるよ。まだ、やらなきゃいけない事が出てきてるから」

「やらなきゃいけない事?」

「前の俺が、どうして死んだのか?を調べようかと思ってるんだ、どうにもわからない点が多くてね、それがわからないとどうにもすっきりとしないから」

なにか得体のしれないものに掴まれているような感覚を覚えている今の現状を打破したい、そういう気持ちだ

「前のお前ねぇ、なるほど」

そう言って努は、顔を曇らせた


そうしていると、店員がコーヒーを2つもって席へとやってくる。2つのカップが机に並べられ、一礼して店員は去っていく

「前のお前と言ったが、今のお前とどう違う?」

努はコーヒーに手を付けずそう問いかけた

「どうって…?」

父の問いかけに、含みを感じた哲学的な問答の様で返答に窮する

「外見は確かにそっくりだ、頭の中も記憶も一緒の物なんだろう?」

「ああ、そうだよ。前の俺と違うと言えば、クローン登録を受けてからの期間の記憶がないってこと位だ。それ以外は前の俺と何ら変わらない」

「そうだな、確かにそうだ。だがやはりお前はあいつとは違うと、そう思う」

「違うって?何が、親父は何か知ってるのか?」

意味深な言葉に戸惑う

「俺とお前が違う人間であるようなものさ、お前と死んじまったあいつは別の人間だ。そうは思わないか?」

言葉がキュッと心臓をつかむようであった、仁のアイデンティティは死んでしまった前の自分によって成り立っている。そうであると思っていた。別の人間であると考えること自体がなかった

「確かにね、そういう考えも正しいと思うよ、だけど今小久保仁として居るのは俺だよ。今現在生きているのは俺だ。前の俺は居なくなったんだ。それの代わりになるのは俺だろ」

何かを振り切るように仁は言葉を紡ぐ

「…昨日は何の日だったか知ってるか?」

急に努は話を変える

「何の日って?なんかの記念日だっけ?」

ふぅと努は息を吐き、仁の目を見て話す

「あいつの月命日だ」

そう言ってから、湯気の立っているコーヒーを一口飲む

「母さんも、智恵子さんも忘れてるのかもしれない。いや、知ってても口に出してないだけかもしれない。だけどな、俺は忘れてない…それでもあいつの墓も仏壇もないんだ、あいつに手を合わせてやる場所もない。あんまりにも不憫な話じゃねぇか」

まっすぐ仁を見る父の目からは、もの悲しさが伝わってくる。クローン生成されたものの葬式があげられることも、墓所が作られることも少ない

かける言葉が見つからないと、父が話を続ける

「お前はさっき、あいつの代わりになると言ったな。そうだな代わりになるさ、お前は俺と母さんの息子だし、智恵子さんの夫で、正の親父で、翔と聡の兄弟さ。だけどみんなそれに慣れちまったら、あいつの事を思い出してもやれないんだ。だから、誰か一人くらいあいつのことを覚えてやっていてもいいだろ。あいつは死んじまったんだ。それを忘れられちまったら、あいつは浮かばれないだろ。」


店内には聞き覚えのないジャズが流れている、1曲が終わり今度は激しめのサウンドの曲が流れる。入り口のドアが開き3人の男女が店内に入る。木目調の床には、チェーン店のロゴの入ったマットがありその上を歩いていく。何を話しているのか、仁の座っている席の遠くから大きな笑い声が聞こえる。

少し冷めたコーヒーからは、湯気は立たなくなっていた

「でも、俺は俺だ」

仁はそう呟いた

「そうだな」

努は頷いた

「今日は…料理をするんだ」

突然の言葉に努は首をかしげる

「智恵子と約束したんだ、今日の夕飯は俺が作るって。何を作ろうかなんて考えていたんだ」

「…何を作るかは決まったのか?」

「まだ、決まってないよ。何にしても買い物に行かないとな、遅めの夕飯になるかもしれないけど、作るって言ったからな…いや言ってないか?」

「じゃあ、行くか」

そう言って、努は伝票を取る


ふと、粕谷の言葉が頭に思い浮かんだ、人生をどう生きるかは人の想い一つだと

まずは、今日の夕飯の献立を考えよう。小難しいことはそれからでも良い

仁と努は店を出て、そこで別れた

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