第7話:会社にて
昼休みの時間、仁は職場の株式会社山海保険のビルに着いた
入館証を持ち合わせてはいなかったので、受付の女性に取次ぎをしてもらう、直ぐに同僚の山井という男が、出迎えてくれた。
山井は同期入社だが、仁は大学受験の際浪人をしていたため一歳年下である。大柄なで、髪を短く切りそろえ、グレーのスーツに身を包んでいた。中学校から大学まで野球部に所属してたるスポーツマンだ。仁は懐かしいとは思わなかったが、山井にとってはそうではなかったようで少し驚いた表情で話しかけてきた
「お久しぶりですね、お元気ですか?」
仁にとっては久しぶりではなかったが、そんな表情は出さない、
「久しぶり、という感じでもないんだけどね…沢入さんは居るかな?」
誰と話をしていいのかはわからなかったが、直属の上司に話はしたかった
「居ますよ、一回部署に顔出しますか?」
「そうさせて貰えるかな、みんなにも挨拶をしたいし」
山井は誰にでも敬語でしゃべる男だ、同期入社の仁に対してもそれは変わらない
山海保険は自社ビルで5階建て、それぞれの階に別々の部署があり、仁が働いている営業課はビルの1回のロビーを抜けたところにある。何時も通っているはずこのビルが、別世界のようにも感じたが、すんなりと対応をしてくれホッとする。
みんなは元気か?と山井に話しながら部署へと向かう
沢入は43歳営業部の課長で、仁とは入社3年目からの付き合いだ。仁を見ると席を立って迎えてくれる。周りにいた職場の仲間たちも、一様に声を掛けてくる。
「おかえりなさい、といえば良いのかな?元気そうだね、どうだい?色々大変だろう?」
一通りのあいさつを済ませると沢入は、一度人事部へ行ってもらいたいと話をした。そこで今後の処遇やどうしたいのかを聞くという。
わかりましたと答え、営業部を後にする。
人事部は4階にあり、エレベーターの上のボタンを押す。10秒もするとチンとエレベーターがついた音が鳴る。エレベーターに乗る人は他にはおらず仁は一人で乗り込み4階へのボタンを押す
(やはり、いままでの様にはならないか)
退職した男が戻ってきた、と言うわけではない。
以前の仁を知っており、2ケ月というブランクが有るだけではない。
異物を見るような眼、自分たちとは違う存在であるクローンが来た。そう言った物の怪の類を見るような判然としない思いが仲間のあるであろうと感じ、仁は胸を押さえた。
エレベーターが上昇を止め、チンと今度は4階に着いた音を鳴らす。
人事部に着くと営業部長と人事部長が話をするという事で会議室へ通される。
20人は入れるであろう、会議室に3人だけが入り。並べられた多くの椅子と机のある広い会議室は落ち着かない様子になった。
人事部部長時任と、営業部部長間が仁の前に立ち3人は向かい合うように並ぶ、
まぁ、座ってください、と時任が席を勧める
仁にとっては入社以来数度顔を見た程度で、ろくに喋ったこともない男である
もう一人営業部長は仁の直属の上司であり、仁とは入社以来の付き合いがある。仁が入社した当時はまだ、課長であったが2年前に昇進しそれ以来部長職を務めている。名は間と言う。
二人とも60手前の年でビジネスマンとしての風格があり、この二人を前にすると何がなくとも、背筋が伸びる思いになる。
緊張の面持ちで席に着くと、えーまずは…と時任が話し始める
「今日はわざわざ、会社に来てくれてありがとうございます。本来ならこっちから小久保さん宅へ向かうところなんですけどね」
と、立ったまま頭を下げる
「いえ、とんでもないです。私も急に連絡を入れたのにわざわざ時間を作ってくれてありがとうございます」
時任より深く、仁は頭を下げる。胃がキュッと引き締まった
「まぁ、間さんそう言ってても仕方ないですわ、小久保君も色々心配なんでしょうから話をしていきましょう。小久保君今日は来てくれてありがとな」
間はそう言うと席に着くと、そのまま説明を始める
「小久保君のクローン自体は話は聞いていたけど、会社としても色々聞きたいこともあるし、処遇をどうするべきかも考えなくちゃいけないことが多くてな。すぐに連絡して、明日から働いてくれと言う訳にも行かなかったんだよね。」
そう言うと、今度は席に着いた時任が口を開く
「えー単刀直入に言うと、会社に復帰してもらっても構いません。間部長からも聞きましたが、小久保さんの仕事は非常に真面目でしっかりとやってくれている。とのことでしたし。復帰してくれるならありがたいと、沢入課長からも今日話を頂きました。小久保さんが望むならば当社としては、貴方を受け入れます。」
なんだ…とジェットコースターに乗る前の気持ちが、すでに乗り終わったような気の抜けたような思いになった
ただ、と時任が続ける
「小久保さんが遺伝子登録を受けたのは8月12日と聞いていますが、間違いないですか?」
「はい、そうですね、最後に出社したのはお盆休みの前でしたから8月10日だったと思います」
「なるほど、という事は今日が…10月19日ですから、約2ケ月と少しのブランクが有ると考えてよろしいでしょうかね?」
「はい、そうなりますね。ただその分を取り戻すだけの働きはするつもりです」
新しい仕事が入っていれば、客の事も覚えなければいけないし、暫くは他の仲間の仕事のサポートをしてもいい。
すると、ふむ…と間が口を挟む
「いや…ね、君は知らないと思うが、小久保君には新しい仕事を覚えてもらっていたんだよ。お盆明けだったかな?だから、君がちょうど登録を受けた後の事だ。新しい課に君は転属になっているんだ」
寝耳に水の話だ
「とすると、今の私の知識では新しい課の仕事が出来ないという話ですか?」
「そういう訳でもない、君が希望するなら8月に所属していた営業2課に配属しても良い。ただ会社としては3週間前に所属していた営業5課に配属して貰っても良いと思ってる」
「営業5課?」
その名前を聞いて背筋がゾクッとし、目を見開いた
「知ってるだろ、佐藤課長がやってる課だ、沢入課長の下の方がやりやすいな?」
仁が驚いた表情をしたのを気遣い、間は問いかける。
が、そうではない、上司の話ではないのだ、営業5課が担当している主な販売保険の事を思い出したのだ。
「何の仕事をしていたんですか?新しい仕事って」
何か得体のしれないものに、身をつままれたような気分で仁は問いかける。この数日間聞き続けていた言葉をここでも聞くことになるとは思っていなかった。
―クローン保険の営業をやってもらっていたよ、8月の終わり位からね
そう間部長は仁に告げた。
偶然の符号であろうか?前の自分がこの二ケ月で何をやっていたのか、知らない事ばかりが増えていく。
「どうしましょうか?選択肢はいくつか有ります。それによってこちらも対応をしていきますよ、小久保さんがこのまま山海保険で働きたいと考えるなら、営業2課でも5課でも良いですし、場合によってはまた別の部に転属というのも考えられます。無論それが、希望通りになるかは別の話ですが…クローン保険というのもまた知識が必要な保険ですからね、小久保さんにとってもデリケートな話でしょう?」
手を鳩尾のあたりで組み時任部長が質問をする
「少し…考えさせてもらってもよろしいでしょうか?」
すぐに答えられずに視線がそれる
「それは、構いませんよ。どうしたいかは、まず小久保さんが決めてください。それから、会社側として対応をしていきます。」
「そうすると良い、君はまだ若いんだから幾らでもやれることがあるよ。じっくり考えてから決断しなさい。」
はい、と二人の部長からの言葉を受け仁は返した
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