第1話:顔が見えない

クローンを生成するにあたっては、大きく三つの段階を踏む必要がある。

一つ目は本人の意思確認。本当に本人がクローン生成をする意思があるのか。クローンの登録は本人の自由意志であり、明確な意思表示がない限り、これを行うことはできない。機関への登録、意思の確認書の手続きを踏む必要がある。

二つ目は本人の遺伝子情報の登録。これはクローン施設によって巨大なMRIの様な機械によって人の遺伝子情報がデータバンクに貯蔵される。貯蔵されたデータは、クローン機関によって保管され管理・利用される事となる。データの刷新は本人の意思によって再登録が可能だが、貯蔵されたデータは一年の期間を経た場合、または新しいデータが登録された際の従前のデータが破棄される。これはもし死亡した場合は、その登録情報からクローンを生成するために、登録時と実際の時間との大きな齟齬が生まれてしまうのを防ぐからとされている。

三つ目は本人が死亡した際の状況確認と、本人または代理人の意思表明である。クローンの生成自体には制限があり、特定の状況下での死亡には認められないケースがある。具体的には病死、老衰死といった自然死、刑罰での死亡、明確なクローン技術の適用を拒否する旨の遺書があった場合などがあげられる。反対に言えば、これらに当て嵌まらないもの、事故死、殺害、災害死、自殺を含め状況が制限に掛からなければ生成は可能である。また、死亡した本人にはクローン製造を求める意思の確認は不可能なので生前に意志を表明したカードを所持しておく、もしくは代理人に依頼をしておく必要がある。これらがない場合は肉親、もしくは近親者が表見代理として申請をすることも可能であるが、利害を有するものの存在や犯罪性はないか等が詳しく調べられることとなる。

これらいくつかの要件を満たしたうえで初めて、クローンは生成されるのだ。


小久保仁はこのプロセスを経て、この時代では何一つ問題なくクローンとしてその生を再び受けた、そんな彼の人生は、大きく歯車の狂うことのない順調な物であった。

生活にも特に不自由することなく、小学校、中学校、高校、一年の浪人をして希望の大学へ進学することもできた。大学を卒業してからは、大手の保険会社に勤務し五年が経つ、三年前には職場の同僚と結婚をし子供もできた。性格は真面目で人の意見に流されやすいが、必要ならば自分の意見は述べれる。悪く言えば優柔不断よく言えば臨機応変、交友関係も幅広く人を見下すことはせず誰にでも分け隔てなく接する善人といえる男だ。

三人兄弟の次男に生まれ、父と母の下で愛情を受けて育った、父も母も平凡で特別な才能や輝かしい軌跡を残してくれた訳ではないが、仁にとっては自らを一生懸命に育て、愛してくれた立派な父と母である。仁に子供ができ両親にとっては三人目の孫が出来たときは大いに喜んでくれたし、それが仁にとっても嬉しかった。

兄弟と時に仲たがいもしたが、本心から嫌ったことはなかった。大学を卒業して仕事を始めてからは音信不通になりがちではあるが、正月や盆には顔を合わせお互いの近況や家族の話をする。そんな仲の兄弟ではあるが、何かあった時には頼れる頼もしい兄であり弟だ。

どこにでもいる、という表現が適当であろう彼の人生である。


そんな人生を送ってきた彼は、今クローン製造機関の建物の一室のベッドで横になっていた。これから行われる施設での、五感や思考力、判断力、体調などの検査が行われるのを待っている。時計の針は十三時を指すころだ。

彼がいる一室に一人の施設員が入ってくる、一見医者のような外見で白衣に身を包まれているが、施設の職員という事らしい。検査前の問診表を手渡し仁に話しかけきた

「ご気分はいかがですか?」

「あまり、優れないというか…色々不安で…」

「体調面はあまり問題ないと思いますよ。それもこれから検査で分かりますが」

「あの、妻には…家族には会えるんでしょうか?」

「はい、本当は直ぐにでもお会いして頂いてもよろしいんですけど、一応規定でこちらの検査が終わり、特に支障がないと判断されてからと、決められているんですよね。ご心配ですか?後、半日もすればお会いできますよ、先ほど奥様からもご連絡ありましてお迎えに来てくれるとのことでしたよ」

にこやかに淡々と説明される

「そうですか、良かった…でも…」

「なんでしょう?」

「私がクローン情報の登録を受けたのが二ケ月前なんですよね、つまり私の知ってる妻は二ケ月先の人間で、少し違ってしまっているというか、何というか…」

「お会いになるのが不安だと。まぁ、皆さんそれは言われますが、大丈夫ですよ、人生においての二ケ月なんてあっという間の出来事です、奥様もそれほどお変わりないでしょうし、奥様にとっても小久保さんはお変わりないですよ。」

「そんなものですかね…実際会ってみないとわからないですよね」

「しばらくの間、カウンセラーも付くことになります、ご希望でしたら心療内科での診察も行えます。ご心配な点はどんどん申し出ていただいて改善していけば、すぐに生活になれますよ」

はい、と力なく小久保は返事をする

職員の言ってることは最もであるし、妻の智恵子もきっと私の愛した妻であるはずだ。人生初の経験をしたので少し混乱をしているだけだと、自分に言い聞かせる。年間クローンの生成は三、四千とも聞いたことがある、決して特殊なことでもない、これから少しずついろいろ考えていけば良いと、

問診票の記入も終わると、検査の時間がやってきた

なにが行われるかと不安もあったが、十五分ほどの問診、自分の生い立ちや趣味嗜好など簡単なペーパーでの質問のほかは、身体検査で行われるような、視覚聴覚のテストと血液検査が行われた程度である。仁も拍子抜けをした程簡単に、検査は終わった。

後日詳しい検査結果を聞かされる事になったが、特に問題はないと判断され、あっさりと彼の身柄は解放され、今日のうちに家へ帰ってよいと職員には申し渡された。同時にこれから行わなければならない役所への申請や、体調面・精神面でのケア、社会復帰へのサポートなどの内容が書かれてるB5の分厚い案内冊子を手渡された。その後は負担費用や、冊子に書かれている内容の重要事項を職員から説明され、あっという間に時間が過ぎた


そうこうしている内に夕方なり、ロビーに迎えに来ているという妻と家族に会いに向かった。荷物はなく手ぶらなのは変な気分ではあり、職員に渡された服がいかにも没個性なものであり不満でもあった。だが、面倒な検査が終わりようやく解放されたと言う気分と、妻に会えるという嬉しさが彼の心を占めていた。

ロビーには妻の智恵子が一歳になる子供を抱え、両親も居た。待合室のソファに座っていたが仁の顔を見るなり妻は驚いたような表情をして仁のほうへ向かってきた。目には涙を受けべていた

「おう、迎えありがとう」

仁は三人に何と言っていいかわからなかったが、片手をあげてなるべく平静に挨拶をした

「仁さんなの?」

智恵子は仁の二歩ほど手前で止まり、涙声でそう呟くように言った

「ああ、仁だよ。おまえの旦那だよ」

泣いている妻を落ち着かせようとなるべく優しく声をかける

「信じられない、またあえるなんて…」

その時仁は気づいた、そう彼女にとって彼は死んでいる身であり、決して会えぬ存在であったはずなのだ、だが、仁にとっては昨日会ったはずの妻がいる、いつもと変わらぬ愛しい妻がいる、それだけであるはずなのに、そんな彼女との意志の違いに。

「そうだよな、お前にとっては信じられないことかもしれないよなぁ…俺もまだいろいろ混乱してるよ」

「そうだよね、色々わからない事ばっかりだよね」

「そうだな、俺にとってはまだ半日前の出来事だからな、俺も色々聞きたいこともあるし、またゆっくり話していこうよ」

「うん…そうだね、でもよかった、本当に良かった嬉しい」

妻は泣きながらも、仁がいることに感動し手を握っていた。そんな横から、母の紗枝がそっとやってきて顔を見ながら言った

「本当に仁なのかい?なんか少しやせちゃってないかい?」

「うん俺だよお袋、少し時間のずれがあるからって言うのがあるから。そう見えるんじゃないかな?大丈夫だよ」

「そうかい、どこか具合悪いところとかないのかい?」

「今のところはないよ、検査結果もまた出るみたいだし、心配ないよ」

母は仁の体の具合が気になるようで、頻りに顔や手の様子を見てきた、そして父に声を掛けた

「ほら、お父さん仁よ、どうしたの?せっかく迎えに来たのにボーっと突っ立って。そうだ智恵子さん、これからどっかお食事行きましょうよ。退院祝いで美味しいもの食べに行きましょう、あれ?退院とは言わないのかしら…?」

母は明るく言いそういえば腹が減ったなと思っていると、声を掛けられた父の努の顔は明らかに怪訝なものを見るような眼であることに気付く

その眼は険しくいかにも醜悪なものを見るような目付きで己が子を見る目ではなかった。少なくとも仁にとっては初めて見る父親の顔であった。その顔に仁が戸惑った表情を見せると、父が口を開いた

「お前は?仁なのか?」

努がくぐもった声で吐くように問う

「…ああ、そうだよさっきからそう言ってるじゃないか、俺は小久保仁だよ」

その態度に困惑して仁は返す、なるべく父にこれ以上その目で見られたくないと恐れ宥めるように

「…あいつは、死んだ」

努はきっぱりとそう言った、

「そうだ、死んだんだ」

努はもう一度そういった、よりはっきりとした声で

「親父…」

あいつと父は言った、目の前にいるはずの人間にではなくあいつと言った

言葉が出なく返答に窮してる仁に努は

「死んだ人間は生き返らねぇ」

仁の目を見ながら独白するように言い放つ

昔から放任主義の父で、怒られた記憶も多くはない、その父が明らかに怒りを覚えているようだった。静かで声こそ荒げないが、酷く恐ろしく生まれて初めて見る父の姿だった

「何言ってるのお父さん、どうしたのよ?」

母はそんな夫に向かって諭すように言った、

「今は、技術が進歩してるのよそういう時代なの、せっかく仁が帰ってきてくれたんじゃない」

「…時代は関係ない、人の命はいつだって一つだ。俺の息子は死んだはずだ」

父はそう言って、踵を返し振り返ることなく入口へ向かっていった。その顔を見ることはかなわなかったが、あの眼で見られないことに仁は安堵を覚える

「ごめんね、仁。お父さん古い人だから、後で言っておくわ」

「いや…いいんだ」

母の言葉に仁はどう答えていいかわからなかった.

そして、気付くと妻が先ほどより強い力で手を握っていた

「大丈夫、あなたは小久保仁だよ」

肩を震わせて、涙声の智恵子が誰かに祈るように言っていた

うつむいた妻の表情をも見ることは出来なかった。

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