第16話 満天の星の下(2)

「寝転がってみて。そのほうが綺麗に見える」

 言われた通りに、私は隣で寝転がり、そして感嘆の声をあげた。改めて見ると本当に今日の夜空は美しい。こんなにたくさんの星が輝いていたのか。まるで星たちの社交場だ。


「綺麗でしょう?」

「うん」

 また彼が笑っているような気がする。どうしよう。星の綺麗さよりも、高坂くんがすぐ隣にいて、しかも同じように寝転がっているという現実に、私の胸がどきどきと騒いでいる。


「ノエルくんとミヤビちゃんにも見せてあげたかったねぇ」

「そうだな。でも、ミヤビは花より団子だから。星空は綺麗でも食えないって一蹴しそう」

「あはは。ありえる。きっとそこで、ノエルくんが『ミヤビさんはどうして風流を理解しないんですか』って怒るんだろうね。写真でも撮っておこうか。見せてあげよう」

 ポケットに入れていた携帯で、星空と湖畔を撮影する。星はあまり綺麗に映らなかったけれど、言葉で補足すれば二匹の猫も納得してくれるだろう。


 私が立ち上がり、湖畔の風景を映している間に、高坂くんも立ち上がっていた。星空を見ているのかと思ったら、彼の視線の先にいるのは私だった。


 撮影を終え、振り返ってそれを確認した私は、どぎまぎしてしまった。

 いやいや待て待て、自意識過剰だ。私じゃなくて私の立ち位置の延長上にある宿泊施設を見ていたんだ。抜け出したのが先生にばれてるかも、とか、寝てる友達のことを考えてたんだ、そうだ、そうに決まってる。


「ど、どうかしたの?」

「いや。別に」

 別にって、気になるんですけど!

「髪がちょっと伸びたよね」

「う、うん。そのうち切りに行くよ。伸ばすと手入れも大変だし。高坂くんが教えてくれた髪型が気に入ってるの」

 ……って、事実なんだけど、言わないほうが良かったかもしれない。変に意識されたかも。

 いや意識されたほうが良いのか、いやでもなんとも思ってない女子からそんなこと言われても困るだけかも、ああああ。


 混乱した私は、後ろ髪に手を入れて俯いた。


「俺はリボン、赤が好き。月曜日につけたやつ」

「あ、そ、そうなんだ」

 それじゃあ赤のリボンのローテーション率は高めにしよう。そうしよう。


「次のお茶会はそれにしてよ」

 高坂くんはその場に座った。片膝だけ上げて、腕をそこにかけて、私を見上げる。


「うん。あ、今度はあんなふうに着飾ったりしないから。ごく普通のワンピースで行くから。一人だけ浮いてたよね、私」

 座りながら言うと、高坂くんは首を傾げた。

「なんで。可愛かったのに。見違えた」

「……。残念だと思う?」

「うん」

 高坂くんは頷いた。まるで子どものように。


「……それじゃあ、また白雪先輩に頼んでお化粧してもらうことにしよう。前回よりもパワーアップを目指して」

 ぐっと拳を握る。


「楽しみにしてる。密かに楽しみなんだよね、俺。お茶会」

 高坂くんが笑った。

「……でも、白雪先輩のことはちょっと苦手っぽいことをミヤビちゃんから聞いたんだけど」

 探りを入れてみる。元カノと似ていて苦手意識を抱くということは、あまり良い別れ方をしていないのじゃないかと不安だったのだ。


「あいつ、また余計なことを」

「あ、ごめん。言いたくないことだったらいいの。無神経だったかな。ごめん」

 平謝りすると、「そんなんじゃないよ」と高坂くんが苦笑する気配がした。

「……白雪先輩って、付き合ってた彼女と似てるんだよね。なんというか、雰囲気が」

 すみません、知ってます。

 自分から振った話題だというのに、罪悪感で胃がぎりぎりと痛んだ。


「その子から告白されて付き合い始めたんだけど。二ヶ月も持たなかった。別れ際に、その子に言われたんだ。俺の優しさは残酷だって。好きじゃないのに、心がないのに、ただ彼女だからという理由で優しくされても、寂しくなるだけなんだって」

 高坂くんは声のトーンを落として語った。


「前に母親が美容師だって言っただろ? 渋谷駅で迷子になってたとき、弟が椅子から落ちたことがあるって話もしたよな」

「うん」

「母親も弟も、実はもういないんだ。俺が小学五年のときに交通事故で亡くなった」

「え」

 私は息を呑んだ。

 母親が美容師だという話をしたとき、彼は妙なところで言葉に詰まっていた。

 とっさに私を気を遣わせないように、過去形にしないようにしたんだ。


「それから俺は叔母さんの家に引き取られたんだ。あの家族には良くしてもらったよ。でも、どこかで遠慮してしまって、薄皮一枚隔てたような関係しか築けなかった。邪魔だと思われないようにしよう、良い子にしようって、無意識に自分を抑えちゃってさ。気づいたら俺は偽善者になってた」

 月の浮かぶ湖畔を眺めて、高坂くんは静かに語る。


「中学のときも、俺は先生や友達から『優等生』扱いされた。良い人だって皆が言った。でも、その言葉は重かった。俺は人から好かれる打算ばかり働かせてる嫌な奴なのに。全然良い奴じゃない。きっと付き合ってた子は俺のそんな浅ましさを見抜いて嫌気がさしたんだ。当たり前だよな。こんな空っぽの人間」

「…………」

 自嘲するような言葉に、何を言えば良いのかわからなかった。


 人一倍寂しい思いをしてきた、ミヤビの言った言葉の意味がいまならわかる。彼はお母さんと弟さんを亡くして、寂しかったんだ。雨の日に桜を見上げていたのは、家族と一緒に行ったお花見のときのことでも思い出していたのかな。


 胸の奥がつんと痛む。

 偽善者。良心や本心からの行いではなく、利己心から人に優しくしたり、善良な行為をする人。世間的には偽善者というと、嘘つきのように、かなり嫌われる部類に入る言葉なのだろう。


 でも。それでも、だ。

「……偽善ってそんなに悪いことかなぁ?」

 私の言葉に、黙り込んでいた高坂くんは顔を上げた。暗闇の中では彼の表情もあまりよく見えないけれど、私は彼を見つめて言った。


「本心がどうだろうと、良いことをしてることに変わりはないと思うんだけど。たとえば渋谷駅で私が迷子になったとき、声をかけてくれたのは高坂くんだけだった。それが偽善だとしたって、私は救われたよ。声をかけてくれて嬉しかった。やらない善よりやる善のほうがよっぽどいいよ」

 私は熱を込める。この言葉が彼の心に届くように、願いを込めて。

 彼の選択は一つも間違ってなかったと伝わるように。

 私の涙を止めてくれたのは彼なんだと知ってもらうために。


「下心があって何が悪いの? バレンタインデーにチョコを渡したらホワイトデーにそわそわしちゃうのは当たり前じゃないの? 誰だって聖人君子じゃないんだから、見返りを期待するななんて無理だよ。人に好かれたいと思うのは当然のことでしょう? 何が悪いの? 高坂くんのどこが間違ってるの? 私にはわからない」

 驚いている様子の高坂くんに、私はまくし立てる。


「高坂くんは空っぽなんかじゃない。優しい人だよ。だから……」

 白状すると、私は嫉妬していた。彼女という私の憧れのポジションを手に入れておきながら、結果的に高坂くんを傷つけた、顔も知らないその子に。


 私なら努力する。村人Dにしかなれなくても、王子様が私を選んでくれるなら、私はお姫様に相応しいように努力する。

 王子様に――高坂くんに、あんな哀しそうな顔なんて、絶対にさせない。


「だから、つまり。高坂くんが傷ついて、引きずる必要なんて全然ないよ!」

 私は高坂くんに幸せでいてほしい。笑っていてほしい。それだけだ。

 人語を喋る不思議な二匹の猫を愛でて、のんびりと笑っている、彼の姿を見ているのが一番幸せなのだ。


「…………」

 高坂くんは、しばらく私の言葉を吟味するように何も言わなかった。

 やがて、私を見て言った。


「日下部さんも大概、良い人だよね」

「え。いや、私もそんな良い人じゃないよ。良い人と思われたいだけだよ」

 慌てて否定すると、彼は笑ったようだった。


「そっか。じゃ、似たもの同士かな。日下部さんと付き合ったら肩の力が抜けるかも」

「ふえっ!?」

 答える声がひっくり返ったのは、仕方ないことだろう。

「冗談だよ」

 そう言って笑って、高坂くんは上体を倒した。


 ……なんだ、冗談か。

 ちょっぴり残念になりながら、私も隣に寝転んだ。

 目の前に広がる星空は、不思議とさっき見上げたときよりも綺麗に見える。少しだけ彼との距離が近づいたような気がするからかな。


「そういえば明日は――いやもう今日か。木曜日だけど、夕飯作ってくれるの?」

「うん。いいよ」

 毎週二日間は彼が私の部屋に来て夕食を食べることになっているけれど、彼は食事代を払うといって聞かなかった。一食五百円。結構なお金だと思う。私がいらないと言い張っても「労働に対する正当な報酬だ」と彼は聞かなかった。仕方ないので、彼からもらったお金は彼自身への誕生日プレゼントにでも使おうと思う。


「リクエストは何かある?」

「ハンバーグかなぁ。子どもっぽいっていわれるけど、好きなんだ。面倒くさい?」

「ううん、全然。どんとこい」

 胸を叩いてみせると、彼は笑った。


「あともう一つ我儘言っていい?」

「うん」

 高坂くんが我儘を言うなんて初めてのことだ。私は嬉しくなって頷いた。

「食後に紅茶を淹れてもらえないかな。ミヤビとノエルもお茶会に参加してみたいって言うんだ。でも、まさかあいつらを連れて行けないだろ。喋れるなんて言えないし」

「そうだね」

 白雪先輩も友永くんも、とっても良い人たちだけれど、秘密を共有するかどうかは高坂くんや、ミヤビたちが判断するべきことだ。


「俺一人だったらお茶会にはならないけど、日下部さんがいてくれたら二人だけでも形上はお茶会になると思う」

「なるほど。私は全然構わないよ。じゃあ、帰ったらスーパーに寄って色々と準備をしておこう」

 そして、白雪先輩に着飾ってもらえるかどうか、聞いてみることにしよう。急遽のお願いだけど、彼女なら喜んで引き受けてくれそうな気がする。女の子を可愛くするのは楽しいって言ってたし。そうであることを祈る。


 あ、でもそうすると料理の時間が短くなるな。お茶会なら人間用のケーキも、猫用のクッキーも用意したいし、今日は色々と大変だ。

 でも、凄くやり甲斐があるな。想像するだけでわくわくして、私は笑った。


「ミヤビちゃんたちに楽しんでもらえるように頑張るよ」

「ありがとう。ごめんな。ケーキとか猫用のクッキーとかは持っていくから」

「ううん、そういうのは任せといて。準備をするのは招待をする側の役目だもの。ミヤビちゃんって好奇心旺盛みたいだから、高坂くんが買ってきたものはチェックしてるんじゃない? 事前にお茶会で何が出るかわかったら、ミヤビちゃんたちの楽しみも半減すると思うんだよね」

「う、うーん。じゃあ、かかった費用はまた後で請求して」

「いいから。高坂くんは甘えることを覚えてほしい。私がやりたいからするんだよ。ただそれだけのことなんだよ」

「…………」

 そうだ。至ってシンプルなことだ。


「ありがとう」

「うん。お礼なんてその言葉一つでいいんだよ」

 あと、贅沢を言うなら、笑顔を見せて欲しいかな。


 内心で呟いて、私は微笑み、そのまましばらく彼と一緒に寝転んで夜空を見上げた。


 さて、私はこれからあの猫たちと、高坂くんを喜ばせるための努力をしよう。飛び切りおいしいハンバーグを作って、日曜日に控えているそれに匹敵するほど素敵なお茶会を開いてみせよう。

 白雪先輩の手を借りて、お姫様みたいに着飾って。


「綺麗だね」

 私の近くで高坂くんが言う。

 私は微笑んで彼の言葉を肯定した。


《END.》

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日曜日の紅茶と不思議な猫。 星名柚花@書籍発売中 @yuzuriha

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