第15話 満天の星の下(1)
「かーにっかま♪ かーにっかま♪」
妙な拍子をつけて歌いながら、ミヤビはこんなこともあろうかと準備しておいた猫用のカニカマに飛びついた。本当にミヤビはカニカマ好きだ。この前に家に来たときは、ノエルの分まで横取りしようとしたほどだった。
高坂くんと別れた後。私はリビングのソファに座って、ミルクティーを飲んでいた。コンビニで売られているミルクティーは少々お高いけれどおいしい。このメーカーが一番好きだ。残念ながら近所のスーパーでは取り扱っていないため、コンビニで買うしかない。
「それで、とっておきの情報っていうのはなに?」
カニカマを食べ終え、毛づくろいをしているミヤビに問う。
「ふふん。やっぱりねぇ。くるみってさあ、律のことが好きなんでしょ? 白雪先輩のことを話題にした途端に顔が曇ったもの。恋する乙女は敏感なのよ」
猫が自分自身を恋する乙女と称するのはどうなんだろうか。いや、何も言うまい。ミヤビは猫でありながら、どういうわけか人語を理解して話し、考え方すらも人に近いのだから。
「……その通りだけど、わかってるよ。高坂くんは白雪先輩のことが好きなんだよね。ミヤビちゃんだって、彼女候補生だって言ってたものね」
思えばあのとき、私はその言葉の意味をもっと深く考えておけば良かった。ミヤビは見目美しい白雪先輩の外見だけを見て高坂くんの彼女に相応しいと思ったわけじゃない。高坂くんの気持ちが彼女に向いていることを察していたからそう言ったんだろう。
「あー、それなんだけどさ、あたしの勝手な理想だったのよね」
「へ」
一秒前の私の思考は、ミヤビ自身の言葉によってあっさり否定された。
「だって白雪先輩って美人じゃない? 物腰もおっとりしてて優しいし、あの人なら律の彼女にぴったりだと思ったのよね。何よりあたしを綺麗で可愛いと褒め称えてくれたの。見る目がある、違いのわかる人だと思ったわ」
ミヤビは天井を見上げた。つまりミヤビは、褒めちぎられたのが嬉しくて、白雪先輩こそ飼い主の彼女に相応しいと思ったらしい。なんて単純なんだろう。私は深く考えすぎたようだ。
「かなりの猫好きらしいし、律も彼女のことを意識してるらしいし、完璧だわ! 美男美女カップルの成立も秒読みだわ! と思ってたんだけど、律がそれを否定したの。白雪先輩を意識してるのは、なんのことはない、ただ元カノに似てるから苦手意識を抱いてるんだって。拍子抜けの真実よね」
「……そうなの? 苦手意識なの?」
なんてことだろう。これは予想外だ。
お茶会での彼の反応は、過去に付き合っていた彼女に似ていて、気まずかったから。
ただそれだけなの?
「白雪先輩のことが好きなわけじゃない……の?」
「ええ。あんな美人で出来た人と付き合うなんて気後れするって。まずないって」
「……そ、そうなんだ」
ほっとした。ああ良かった、これで高坂くんが無茶な肉体改造に取り組まずに済む。
「これでくるみはやきもきする必要がなくなったってわけ。どうよ。とっておきの情報だったでしょう?」
ミヤビは首を反らして、じっと私を見た。心なしか、得意そうに見える。
「でも、どうしてわざわざ教えてくれたの?」
ミヤビが私の恋を後押しする理由がわからない。いくら白雪先輩と元カノが似ているといっても、白雪先輩はとても思いやりがあって、優しい美人だ。筋肉質な男性が理想らしいといっても、そこは妥協してもらうなりなんなりすれば問題にはならない。ミヤビも白雪先輩のことが好きらしいし、仲を取り持つ相手を間違っているんじゃないだろうか。
「んー。最初はねえ、全然そんなつもりはなかったんだけどさ。そんな美少女ってわけでもないし、方向音痴だし、なんか頼りないし」
「う……」
「でも、あんたと一緒にいるときの律の表情が一番自然に見えるんだもの。それに、ノエルの話を聞いて怒ってくれたんでしょ。今日だって、来るかどうかもわからなかったあたしのためにカニカマを用意してくれてたしさ。それって、いつでも歓迎するってことでしょ?」
「うん」
「これはもう、認めるしかないじゃない。あんたはいい女よ。まあそこそこ、それなりにはね」
微妙な褒め言葉を使いながら、ミヤビは脚で耳の裏を掻いた。
「といっても、努力しないと律はそう簡単に落ちないわよ。このあたしが夕食の約束まで取り付けてやったんだから頑張りなさいよ」
私は無言でミヤビを抱き上げて、その柔らかい毛に覆われた背中に顔を埋めた。
「ありがとうミヤビちゃん」
「ふふん。次はカリカリを用意しておいてね」
「かしこまりました」
私は女王のようにふんぞり返った猫に平伏した。
二日後。
バスに乗り込んで出発したオリエンテーションの日程は滞りなく進んだ。バスの中では友達との雑談で盛り上がったし、施設の管理人や先生の話はきちんと体育座りして聞いた。勉強の後の夕食のカレーは具が大きめでおいしかった。
夜の勉強会が終わり、私は同じ部屋の女子たちとトランプに興じた後、布団を被った。
「…………」
深夜1時。
課された日程を大きく裏切り、ほんの三十分前、ガールズトークを切り上げて明かりを消した部屋の中。私以外の他の女子たちは遊び疲れてしまったらしく、眠っているようだ。隣の布団で吉乃ちゃんも目を閉じている。
「吉乃ちゃん」
小声で呼びかけても返事はなかった。
枕元に置いてある携帯で時刻を確認する。1時4分。高坂くんはもう眠っているだろうか。本来ならとうに就寝していなければいけない時刻だ。でも、高校生がこの時間に起きているのは珍しいことじゃないと私は思っている。
窓の外は暗い。桜庭荘のように、カーテンの周囲から光が入り込んでくることもない。この辺りは明りがとても少ないのだ。言い返せば、とても星が綺麗に見える。休憩時間中、散歩していた私は、そのことを良く知っていた。この施設を出て10分ほども歩けば辿り着く『希望の丘』は、特に絶景だということも。
そっと布団を抜け出して、スリッパを履き、音を立てないように扉を開ける。注意深く辺りを見回してから、先生がいないことを確認し、廊下を歩く。最大の警戒をもって進み、階段を下りる。
玄関に着いた。非常灯だけが照らしている玄関は相当に不気味だ。
自分の靴を履いて外に出る。もう一度辺りを見回して、丘に向かって小走りに駆け出す。
『希望の丘』とは、湖畔にある小さな丘陵のことだ。地図によればハイキングコースの一つにも組み込まれているらしい。
湖畔が望める最高のロケーション地に、私は立った。湖に月が映って幻想的な風景を作り出している。頭上には星が輝いていて、雰囲気も満点だった。
そこに座っている人影があった。
「あ」
「あ」
互いが互いの姿を見つけて、ほとんど同時に声が上がった。
丘陵の縁に座って、湖を見下ろしていたのは高坂くんだった。私と同じ、指定のジャージ姿だ。彼も部屋を抜け出してきたらしい。
天体観測が趣味だというなら、こんな絶好の機会は逃さないんじゃないかな。そんな私の予想は正しかった。
「なんとなくいるような気がした」
「俺も。なんとなく来そうな気がした」
暗闇の中で、彼が笑う気配がした。
「凄いね。待ち合わせも何もしてないのに出会うなんて。しかも俺が来て五分も経ってない」
「私、エスパーの才能があるのかも。隣、いい?」
「もちろん。というか、いちいち許可を取らなきゃいけない関係なんてとうに通り越したと思ってたけど、違った?」
「ううん。その通り」
私は急いで、けれど、表面上は落ち着いて返事をした。下草を踏みしめて彼の傍に行く。すると、彼は身体を倒して仰向けになった。
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