第14話 くるくる回る恋心

 高坂律紀、所属クラスは一年五組。趣味は天体観測と昼寝、1月8日生まれ、山羊座。好きな季節は春で、現在は彼女なし。二匹の猫を飼っている――それが喋る、特殊な猫だということは、私だけが知っている。


 でも、知っているからといって、何になるっていうんだろう。


 彼女がいないということもそうだ。彼ほどもてる人ならば、女の子なんて選び放題、その気になればいつだって――ううん、最有力の彼女候補生さんはすぐ上の階に住んでいて――。


「……はあ」

 コンビニからの帰り道。星が瞬く空を見上げて、ため息をつく。夜も九時を回っているというのに、通りには数人の姿がある。


 私は引っ越してきた初日のように、細道へと入った。色々と一人で考えたかったからだ。 


 お茶会から一ヶ月近くが過ぎようとしているというのに、私の頭の中ではあの日の出来事がくるくると回っている。


 白雪先輩から気まずそうに顔を逸らした高坂くんの仕草や、照れたようにはにかんだ笑顔。友永くんと喋っているときの、ごく自然な姿。あれから高坂くんと友永くんはとても仲良くしているらしく、おとついは高坂くんが友永くんに辞書を借りに来ていた。当たり前のように、クラスの女子は廊下にいる高坂くんに浮き足立っていた。


 隣の部屋で暮らしているから、彼と接する機会は、他の女子と比べて多い。ゴミ出しのときに出会ったり、学校の行き帰りで合流したときもあった。


 彼と肩を並べて話しながら歩くのは、嬉しいけれど、複雑だ。

 彼の想い人は白雪先輩であって、私じゃない。

 お姫様になれるのは、私じゃない。


「あれー、そこの天パ、くるみじゃないの?」

 後ろから声が聞こえた。ミヤビの声だ。ということは。

 案の定、振り返れば、ミヤビを抱いて歩いてる高坂くんがいた。今日は足元にノエルもいる。


「こ、こんばんは」

 ノエルは相変わらずの対応だった。まだ私への――人間の警戒が解けていない。ただ一人、傍に付き従う飼い主を除いては。


「こんばんは、ノエルくん、ミヤビちゃん。高坂くん。夜の散歩は、もしかして日課なの?」

 務めて平静を装って、笑顔を作る。大丈夫。私はちゃんと笑うことができる。


「日課っていうわけじゃないけど。ミヤビが行きたいって言ったときには出歩いてるよ。この前はノエルもついてきたよな。今日も頑張ってついてきてる」

「律さんがいるなら、大丈夫です。何があっても守ってくれるって、約束したから」

 ノエルは高坂くんを見上げて言った。高坂くんが笑う。


「普通の人間は猫に危害を加えたりしないよ。猫に敵意を抱くのは一部の人間だけだ。この前だって今日だって、何もなかっただろ? 可愛い、撫でさせてほしいって寄ってきた人はいたけど」

「そうですけど……でもやっぱり、まだちょっと怖いです」

 ノエルは小さな声で言った。


「無理しなくても、少しずつでいいよ。大丈夫。気楽にいこう」

「はい」

 ノエルの同意を得てから、高坂くんは改めて私を見た。


「日下部さんはコンビニの帰り?」

「うん。ミルクティーを買ってきたの。あのお茶会から、ミルクティーにはまっちゃって。元から好きだったんだけどね。もうお散歩は終わり?」

「うん。帰るところだった」

 自然と、一緒に帰る流れになった。彼と帰り道を歩くのはこれで四回目だ。出会って、一ヶ月で四回。一週間に一度は彼と歩いていることになる。幸せで、嬉しいことのはずなのに、私は寂しさを覚えている。すぐそこにある終わりを知っているが故の寂しさ。


「明後日はオリエンテーションだね。ちょっと緊張するなぁ。でも、仲の良い友達と班になれたから楽しみ」

 桜庭高校1年全体オリエンテーション合宿は明後日から一泊二日の日程で行われる。集団行動の大切さを学ぶだとか、学習習慣をつけるとか、そんな名目なんてそっちのけで、生徒たちは大きなイベントに浮かれていた。郊外の湖の傍にある宿泊施設は星が綺麗に見えるところらしい。どうにか夜に抜け出して見に行ってみたいと思っていた。


「ああ、旭から聞いた。一緒の班なんだってね」

「うん。友永くんって格好良いから、他の友達に羨ましがられた」

 友永くんは高坂くんに匹敵するほど格好良い人なんだけど、傍にいてもそれほど緊張しないのは、異性として全く意識していないからだろう。同じ天パ仲間として、彼となら軽口を叩いてふざけ合うことだってできてしまう。高坂くんが相手ならああはいかない。


 いまだって、私はオリエンテーションの班決めのときに起きたちょっとした騒動を話しながら、変なことを喋っていないだろうか、うまく笑えているだろうかと、心配してばかりいる。


「旭といえばさ、白雪先輩に告白して見事にふられたらしいよ」

「えっ」

「ここだけの話な。ばらしたなんてばれたら怒られる」

 高坂くんは人差し指を口元に持っていった。ただそれだけの仕草まで絵になる人だ。

「白雪先輩の趣味ってかなり特殊らしい。体脂肪率が10%を切るか、腹筋が割れたら来てね、だって」

「あー……」

 お茶会でお邪魔したとき、白雪先輩の部屋の棚に並んでいた雑誌を思い出す。そうか、白雪先輩って、肉体美を愛する人だったのか。


「それは大変だね」

「ああ。彼女の目に映るには、まずは体脂肪率を10%未満に落とさなきゃいけないらしい」

 それは、友永くんのことを思っての言葉なのかな。高坂くんも、密かに頑張るつもりだったりするんだろうか。かなり大変なことだと思うけれど、好きな人のためなら肉体改造も苦じゃないとか……?


 メリーゴーランドみたいにくるくると無数の言葉が胸の中で渦を巻く。くるくる。くるくる、止まらない。


「くるみは夜何食べた?」

 適当な話題を考えているのか、黙っている主に代わってミヤビが尋ねてきた。

「今日は手抜きだよ。きつねうどん」

「律と似たり寄ったりね。カップ麺?」

「ううん、一応自分で茹でた」

「じゃあ律の負けだわ。律ったら、二日連続でカップ麺だもの」

「二日連続って、昨日はパスタだったし。パスタとラーメンは違うだろ」

「……どちらもインスタントという点においては同じだと思うけど」

 私の苦言に、高坂くんは渋い顔をした。さすがにまずいかなという自覚はあるらしい。


「ねえ律、そろそろ本当に料理しなさいよ。成長期の男子がカップ麺やらコンビニ弁当やらって、栄養が足りなくなるわよ? なんならくるみに作ってもらえば?」

「えっ!?」

 思わぬ発言に、私はつい大声をあげてしまった。


「だって、前に一回カレー作ってもらってたじゃない。おいしかったって言ってたでしょ? ただ飯が嫌ならちゃんとお金を払えばいいんじゃないかしら」

「お前な、無茶言うなよ。お隣さんにそんな迷惑かけられるかって」

 高坂くんはミヤビの頭をぽんと叩いて、苦笑した。


「ごめん、気にしないで」

 ミヤビの発言は驚いた。驚いたけど、迷惑かといえば、別にそんなことはない。私の決して特別に上手とはいえない、人並みな手料理を、あれだけおいしいとありがたがって食べてくれる人に作るのは、全く迷惑じゃない。むしろ作り甲斐があるし楽しい。


 高坂くん、いっつも顔色があんまり良くないんだよね。

 白雪先輩のために努力するのは本人の勝手だとは思うけれど、現状でトレーニングや肉体改造なんかしたら駄目だ。まず先にちゃんと食べて栄養をつけないと、悲惨な結果にしかならない。

 私が彼の力になれるのなら。

 お姫様の役は別の人に譲っても、料理人としてでも役に立てるなら!


「……わ、私は構わないけど。も」

 精いっぱいの勇気を振り絞ったせいで、台詞に力がこもってしまい、言葉が不自然に途切れた。


「…………」

 高坂くんが目をぱちくりしている。

 ああ、恥ずかしい。私の顔は真っ赤だろう。いまが夜で良かった。


「いや、いいよ。そこまでしてもらわなくても」

「してもらいなさいよ! あんたマジで栄養失調で死ぬわよ!? 朝はパンと珈琲一杯、昼も購買か学食、夜はカップ麺って! どういう食生活なのよ完全に破綻してるじゃないの!」

 ミヤビはばしばしと激しい猫パンチを繰り出した。


「お前は俺の母親か!?」

「恋猫兼母親代わりよ文句ある!?」

「文句というか突っ込みどころしかない! 恋猫ってなんだ!?」

「恋人ならぬ恋猫よ!」

「いつ誰がお前に恋を――」

「まあまあ、二人とも、落ち着いて。ノエルくんがおろおろしてるから。泣きそうだから」

 足元でおろおろしている子猫の代わりに仲裁する。ノエルは人の大声が苦手らしいということを学んだ。すっかり怯えてしまっている。


「ああ、ごめんノエル。お前がいるのに大声出して。しかもこんな夜に騒ぐなんて近所迷惑だよな」

 高坂くんはミヤビを下ろして、ノエルを抱き上げた。震えている子猫を優しく撫でながら、私のほうを向く。


「さっきの話だけど、本当に気にしなくていいから。そこまで世話になるのも申し訳ないし、今度からはちゃんと作るよ。そうしないとミヤビがうるさい」

「うん、そっか、わかった。ちゃんと食べたほうがいいよ」

 真面目な高坂くんのことだから、そう簡単に人の家――しかも異性の家――でご飯をご馳走になるなんて頷きはしないだろうとは思っていた。思っていた、けれど。


 ちょっと残念なような。これで良かったような。乙女心は複雑だ。


「……じゃあさー、月曜日と木曜日はお邪魔するなんてどう?」

 ミヤビは食い下がった。


「まだ言うか」

 高坂くんは呆れたような顔をした。

「燃えるごみの日だよね、それって」

「覚えやすくない? 律がやるって言っても前科が多すぎて、いまいち信用ならないもの。せめて週に二回くらいはまともなご飯を作ってもらいなさいよ。白雪先輩と違ってくるみならそれほど緊張しなくて済むだろうし」

 白雪先輩と違って。ミヤビの言葉は私の胸に突き刺さった。

 顔を曇らせた私を、ミヤビが不思議そうに見ている。


「お前、何言ってんの」

「だってそうじゃない。くるみの家ならあたしたちも気軽に行けるし、喋れるしさ。くるみ、駄目? もし引き受けてくれるならお礼に律に関するとっておきの情報を教えてあげるけど」

「高坂くんの情報?」

「興味を持たないでくれ。他人に余計なことを吹き込もうとする猫は捨てるぞ」

「やあね、ガールズトークをするだけよう。律の不利になるようなことは絶対に言わないから、この後ちょっとお邪魔してもいいかしら」

「何を言うつもりだよ」

「聞いといて損はないと思うけどな?」

 ミヤビは思わせぶりなことを言って、私を見上げた。


 ……なんだろう。この目は。

 高坂くんに関する情報なら、何でも知りたいという欲求が膨れ上がる。だって好きなんだもの。たとえ高坂くんの目に私は映ってないとしても、好きなんだもの。それに、ミヤビに触りたい。久しぶりに、猫を思う存分に愛でたい。


「じゃあ、これからは月曜と木曜は皆さん私の家に集合ということで」

「えっ? 本気で?」

 高坂くんは困惑顔をした。

「高坂くんが嫌ならもちろん、なしで。どうしましょう? 食べたいものをリクエストしてくれるなら、そんなに難しいものでない限り、お応えしたい所存です」

 私は真面目くさった表情で言った。高坂くんの困惑がますます酷くなる。


「可愛い猫二匹と、こんなイケメンと食卓を囲めるなら、身に余る光栄ですが?」

「……さっきからなんなの、その丁寧語」

 高坂くんは笑った。


「わかった。じゃあ、お願いします」

「いえいえこちらこそ。汚い家でよろしければ歓迎します」

 私は王子に仕える家臣のように、一礼した。

「それでは交渉成立ということで、ちょっとばかりミヤビちゃんをお借りしてもよろしいでしょうか?」

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