第12話 お茶会(1)

「くるみちゃーん」

 名前を呼ばれて、私は反射的にしゃんと背筋を伸ばした。振り返れば、屋外階段の前に一人の少女が立っている。微笑んで手を振っているのは、白雪先輩だった。英語のロゴが入ったシャツに縞模様のズボンを穿いている。


「入学式からの帰りでしょう? お疲れ様」

「はい」

 大して疲れるようなことはしていないけれど。ここは円滑な会話のために肯定しておくに限る。


「せっかくの記念すべき初登校日なのに、雨で残念だったわね。どうだった? 友達はできそう?」

「はい。話せる子はできたので」

「そう。それは何よりだわ。楽しい高校生活が送れるといいわね」

 白雪先輩は優しく微笑んだ。人の良さが窺い知れる笑い方だった。


「ところで、改めて確認させてもらいたいんだけど。日曜日のお茶会は来れそうかしら?」

「はい」

「良かった。高坂くんも友永くんも来るって言ってくれたから、これで全員参加決定ね」

 知らない間に、二人に声をかけていたらしい。今日は水曜日だから、日曜日は四日後。


「楽しみです」

「ええ、私も。先月とはメンバーが総入れ替えで、どんなお茶会になるのか楽しみだわ。先月末に引っ越した同級生の麻紀ちゃんも、お茶会の存続を喜んでくれたし。麻紀ちゃんは自分がいなくなったらお茶会どうしよーって心配してくれてたのよ」

 彼女たちにとって、そんなにお茶会は大事なものだったのだろうか。私は曖昧に笑った。


「飲み物は何がいい?」

「そうですね、ミルクティーで」

「友永くんと同じね。それじゃあディンブラとアッサムを用意しておきましょう。そうそう、くるみちゃん。ゴシックロリータは嫌いかしら?」

「へ?」

 ゴシックロリータ。その単語はテレビの特集でやっていたから知っている。西洋風の傘を差した、妖精のような美少女がどこかの古城で笑顔を振りまいていた。


「もし良かったらコスプレしないかなーと思って。麻紀ちゃんが残していった衣装があるのよ。カラコンもウィッグもあるわ」

「……なんでそんなに本格的なんですか。お茶会ってコスプレパーティーだったんですか?」

「したい人はしてたわね。基本的になんでもありなのよ。服装も自由だし、お菓子の持ちこみももちろんOK。くるみちゃん、化粧をしたら凄く可愛くなると思うのよね。もちろんいまのままでも十分可愛いけど」

 白雪先輩は微笑んだ。お世辞にも程がある、けど、美しい顔で微笑まれたら何も言えない。


「うーん……でも、ゴスロリなんて私には似合わないと思いますが。ああいうのは、可愛い子が着るから可愛いんじゃないでしょうか」

「そんなことないわよ。どんな服も着た者勝ち、服はそのままその人の個性になるわ。可愛い衣装を着て、綺麗に着飾ったくるみちゃんを見たら、どんな男の子でも見惚れると思うのよね。友永くんも高坂くんも普段と違う姿に、めろめろになっちゃうかもよ?」

 白雪先輩は笑顔のままくるりと人差し指を回転してみせた。

 めろめろになるなんて、到底思えないけれど。そこまで私は自意識過剰じゃないけれど。


「どうせなら楽しまなきゃ損じゃない? 違う自分に興味はない?」

 違う自分というのは興味がある。何事も、やるかやらないか、最初はその二択だ。不思議の国のアリスだって、ウサギを追いかけなければ何も始まらなかった。

 せっかく私に声をかけてくれる人がいるんだから、ここで断るのはもったいない……よね? 

 シンデレラには程遠い村娘Dだって、お姫様の誘いに乗る権利くらいはあるはずだ。


「……じゃあ、お願い……して、みます」

 私は恐る恐る、頭を下げた。

「うんうん、そうこなくっちゃ! じゃあ二時に私の部屋に来てね。気合入れて楽しみましょう!」

 白雪先輩は明るく言って、私の肩を叩いた。


「雨に濡れてるのに引き止めちゃってごめんなさいね。風邪を引かないように、ちゃんと身体は拭いたほうがいいわよ。それじゃあ、また日曜日に」

 日曜日はコスプレパーティー。

 果たしてどんなことになるんだろう?



 日曜日。

「ど、どうでしょう……」

 洗面所を借りて着替え終えた私は、リビングで待っていた白雪先輩の下へと戻った。


「まあ可愛い! 凄く似合ってるわ!」

 白雪先輩は手を叩いて大喜びした。


「そ、そうですか?」

 フリルのついた白のブラウスに、胸元には大きな琥珀のブローチ。ブラウスの上に着ているのは赤茶色のジャンパースカートで、裾にはトランプの図柄が入っていた。ポニーテイルにまとめた頭にはスカートとお揃いの、赤茶色の大きなリボンをつけている。


 ちょっとしたドレスよりも華美な服だ。鏡を見た瞬間、お前はどこのお姫様だと問いかけたくなったのは初めてだ。


 確かに服は可愛い。花丸をつけたくなるくらいに可愛い。でも、肝心の服を着ている人間が冴えない私では……。


「はい、それじゃあ化粧タイムにしましょう。こっちに来て座って」

 気後れしている私とは大違いで、白雪先輩は張り切って私の腕を引っ張って床に座らせ、化粧をしてくれた。化粧をする手にも迷いがないのは、彼女がお茶会の参加メンバーの化粧係だったからだろうか。彼女が用意していてくれた化粧道具はそれくらいバリエーションが豊かだった。


 数十分後。

「はい、出来上がり。我ながら惚れ惚れしちゃう出来栄えだわ。見てみて」

 白雪先輩は鏡を取って、私に見せてくれた。

 ……え、これが私?

 あまりの変貌ぶりに、ちょっと驚いてしまった。『化粧をした女は化け物だ』と、父が大変失礼なことを言っていたけれど、いまなら納得してしまうかも。


 白い肌、綺麗に整えられた眉。つけまつげでボリュームアップした目は、丁寧に引かれたアイライナーで自然と大きく見えた。チークを入れた頬は健康的に色づき、リップグロスを塗った唇は艶やかで清潔感がある。


「びっくりしたでしょう? お化粧一つで女の子は劇的に変わるのよ。洋服もとっても似合ってるし、いまのくるみちゃんはお姫様みたいね」

「褒められても何も出ませんから」

 私は焦って両手を振った後、頭を下げた。


「それより、ありがとうございます。こんなに良くしてくださって」

「いえいえ、こちらこそ姫が可愛くなるお手伝いをさせて頂いて光栄ですわ」

 おどけたように白雪先輩も返礼してきた。


「あの、白雪先輩は着替えないんですか?」

「ええ。今日の主役は新入生さんたちだもの。私は盛り上げ役に徹するわ。友永くんとくるみちゃんは同じクラスなんでしょう? お茶会を通して仲良くなれたらいいわね。もちろん、高坂くんとも。二人ともかなりのイケメンだって、三年生の女子の間でも噂よ。あんな素敵な男子たちと同学年だなんて、羨ましいって友達も言ってたわ」

 白雪先輩は化粧道具をポーチに片付けながら言った。


「あはは……」

 どう答えたら良いのかわからず、曖昧に笑う。

「さて。くるみちゃんのリクエストはミルクティーでいいのよね? もしミルクティーの気分じゃないなら変えることもできるけれど」

「いえ、ミルクティーで大丈夫です」

「アッサム? それともディンブラ?」

「ディンブラって、飲んだことないです」

「あら、それじゃあ試しに飲んでみたらいいわ。スリランカのお茶なのよ。ストレートでもミルクティーでもおいしいの。それじゃ、最終確認してくるから座って待ってて」

 白雪先輩は立ち上がった。長い髪がふわりと揺れる。


「え、準備でしたら手伝いますよ」

「いいのいいの。言ったでしょう、今日の主役はあなたたちなんだから、お客様待遇よ。次回からは手伝ってもらうから」

 白雪先輩は私を見下ろして、ぱちんとウィンクした。美人のウィンクはとても魅力的だ。


「くつろいでおいて。テレビもつけて構わないから」

 はい、とリモコンを渡して、白雪先輩は立ち上がった。彼女が着ているチュニックの裾がふんわりと揺れて、黒のスパッツを穿いた細長い足がキッチンへと向かっていく。


 一人残された私は、手持ち無沙汰になった。

 白雪先輩の部屋は、私の部屋と間取りは一緒なのに、家具が違うと世界が一変して見える。カーテンは花柄で、家具はどこかメルヘンチックだ。女の子らしい、可愛い小物が多い。テレビの横にはリボンをつけたテディベアのぬいぐるみが置いてあった。


 ……ん?

 棚に並ぶ本の背表紙に、フィットネス関係のものがあった。ダイエットでもしているのだろうか。あの抜群のプロポーションは日々の鍛錬の賜物なのかもしれない。


 人の家の物を断りもなしに観察するのも悪いので、私は棚から目を逸らした。テレビでもつけようかというところで、インターホンが鳴った。


「はーい」

 白雪先輩はモニタを確認した後で、玄関へと向かった。人数が増えたことで、部屋の中が騒がしくなる。二人で待ち合わせして来たのか、それとも偶然に出会ったのか、高坂くんと友永くんの声が聞こえる。どうやら高坂くんは手土産にお菓子でも買ってきたらしく、白雪先輩がお礼を言う声が聞こえた。


 玄関先で白雪先輩が「くるみちゃん」という単語を出した。先輩は声を潜めているのに、私の耳は敏感にその単語を聞き取ってしまった。着飾っているから褒めてあげてとでも言っているのだろうか。だとしたら、先輩、その気遣いは嬉しいけれど複雑です。


 ああ、どんな顔をして会えばいいんだろう。何一人で気合入れてんの、馬鹿なのって嘲笑されたらどうしよう。二人はそんな意地悪な人じゃないとわかっていても、急に気恥ずかしくなってきた。


 やっぱり止めておけば良かった、普通の格好をしとけば良かった!

 ぐるぐると私の頭の中で後悔が渦巻いているとも知らず、三人は廊下を歩いてくる。


 私はすうっと息を吸い込んで、立ち上がった。

 リビングに入ってきた二人が私を見て瞠目した。友永くんなんて、口を半開きにして固まっている。


「こ、こんにちは……」

 私は朱に染まった頬を隠すように会釈した。

 こうなればやけだ。哀れまれても嘲笑されてもめげない負けない、気にしない!

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