第9話 特別な時間

「なにこれ。超うまいんだけど」

 それが高坂くんがカレーを一口食べ終えた後の感想だった。


「信じられん。ただのカレーなのに」

 衝撃を受けたように、高坂くんはまじまじとカレーを見つめた。


「そんな大げさな」

 賞賛されるほど素晴らしいカレーを作ったつもりはなかった。市販の三種類のカレールーをブレンドし、トマトとはちみつ、隠し味にヨーグルトを入れただけ。

 そして上には私と同じカツが乗っている。このカツはスーパーの惣菜コーナーで買ったもので、私が揚げたわけじゃない。ちなみに、男の子なので私よりはよく食べるだろうと、2/3は彼に進呈した。


 サラダにはトマトの他に、当初乗せる予定はなかったゆで卵とハムを乗せてみた。ドレッシングは市販のものなので、これも褒められるほどのものじゃない……んだけど。


「カレーは中辛で良かった?」

「うん。ちょうどいい。これって、なんのルー? 食べたことない味だけど」

「三種類をブレンドしてるんだよ」

「ああ、なるほど。ブレンドか。斬新だ。その発想はなかった」

 斬新かなぁ?

 大げさな物言いに、苦笑する。

 高坂くんがサラダもカレーも、それはそれはおいしそうに食べてくれるから、私も嬉しくなってしまう。彼の足元では二匹の猫が猫用のカニかまを頬張っているし。ノエルもカニかまは好きらしい。


 同じ年頃の男の子を部屋に招くというのは、本音を言うと緊張で心臓が口から飛び出してしまいそうだったけれど、彼のこんな顔を見られたんだから、思い切って誘って良かった。私は何も間違ってなかった。


「そういえばね」

 しばらくお互い無言で箸を進めた後、私は口を開いた。


「今朝、203号室の有栖川先輩に会って挨拶したよ。ミヤビちゃんが知ってるってことは、高坂くんも会ったことがあるんだよね?」

「……ああ、うん」

 何故か高坂くんの相槌には微妙な間があった。思い出すのに時間がかかったのか、それとも別の理由があるのか。彼の表情からはよくわからなかった。


「白雪先輩とは引っ越し初日に会ったよ。美人だよな、あの人。物腰も柔らかくて、優しそう」

 高坂くんは小さな笑みを覗かせた。


「そうだね。本当に綺麗な人だよね」

 何故だろう。お姫様のように美しい白雪先輩のことを思って彼が笑ったのだと思うと、胸がちくんと痛んだような、そんな気がした。

 その痛みをごまかすように、笑みを返す。


「お茶会のことは聞いた?」

「お茶会?」

 高坂くんは怪訝そうな顔をした。まだ聞いてはいなかったらしい。

 そうだ、私が来る前はお茶会を存続するかどうか迷っていたんだから、高坂くんを誘うわけがない。白雪先輩の話を振ったのは私なのに、高坂くんのごく当たり前の感想に妙に動揺してしまって、聞いているわけがないことを言ってしまった。


「ああ、えっとね、そのうち白雪先輩からお誘いがあると思うから。詳しくは先輩から聞いて」

「? そう」

 不思議そうだったけど、高坂くんはそれ以上何も言わず、サラダを口に運んだ。

 食後になり、私は高坂くんに食後の珈琲を振舞った。いつも父親は夕食後に珈琲を飲むので、私もついでにカフェオレを作る。高坂くんはミルクと砂糖をたっぷり入れる私とは違い、ブラックのまま飲んでいる。同い年のはずなのに、大人だ。


 ミヤビとノエルの救援があっても、そろそろ間が持たなくなったので、私はテレビをつけることにした。ちょうど天気予報が流れていた。残念なことに予報は朝と変わらなかった。


「入学式の日って雨みたいだね。やだなぁ。雨だと髪が爆発するんだよね」

 心の底から憂鬱になり、渋面になる。

「高坂くんの髪はさらさらで、羨ましいな」

「そう?」

「うん。天然パーマだと何かと不便だよ。特に女の子はサラツヤロングが正義っていう風潮があるじゃない。天然パーマの女の子が主人公っていう物語も世の中にはあるのかもしれないけど、私は知らない。あったとしても、少数派だろうな。美容院に言ったら必ずといっていいほど縮毛矯正を勧められるし。私はそもそも矯正っていう言葉が好きじゃない。間違ってるのを正すっていう感じで。私の髪は生まれつき間違ってるのかって思ってしまう」

「…………」

「あ、ごめん。つい」

 長台詞を謝罪する。高坂くんに愚痴をぶちまけたところでどうにもならないというのに、ついつい暴走してしまった。愚痴というのは話す側はストレス解消になるものだけれど、聞くほうはそれなりにエネルギーが必要になる。私は出会って数日しか経っていない相手に何を言っているのだろう。


 高坂くんはじっと私を見つめた。

 気恥ずかしくなって俯いていると、高坂くんが立ち上がった。緊張感もなく距離を詰め、隣に座り、手を伸ばして私の髪に触れる。


 え、え?

 まるで猫にするように、彼は私の頭を撫でてきた。

 私よりも大きな、男性特有の骨ばった手が、私の髪に絡まり、触れる。


「…………」

 思わぬ不意打ちに、私はかきんと氷みたいに固まることしかできない。顔の温度は急上昇し、思考すらもままならなかった。


「固いと思ったらそうでもないんだ。意外と柔かいね」

「ああ、うん、はい」

 ようやく撫でる手が離れ、私はしどろもどろに頷いた。


「そうだなー、ヘアアイロンで頑張って前髪だけ伸ばして、ポニーテールとかどう? リボンとかつけたら可愛いんじゃない? 長さ的にも合いそう」

「は、はい、そうですね、やってみます」

 私は首を縦に二度振った。


「なんで敬語なの。同い年なんだからいらないって言ったじゃん」

 高坂くんはおかしそうに笑って、珈琲が入ったコップを手元に引き寄せた。席に戻るんじゃなくて引き寄せちゃうんですか、そうですか。私の隣に居座るつもりなんですね。思わぬ美形との急接近に、私の心臓が悲鳴をあげてるんですけどもどうしましょう。

 確かに昨日、そう言われてはいるけれど。あなたが不意打ちなんてするからですよ! もしかして私も猫なの? 猫扱いなの!? 天然の女殺しですか!?


「ず、随分と詳しいですね」

 女の子の髪形についてアドバイスできる男子は、そうそういないんじゃないのかな。それとも私が無知なだけ? ええ、彼氏いない暦=年齢ですけども。


「俺の母親、美容師だっ、からな」

 台詞の途中で、彼は微妙に詰まった。それをごまかすように咳払いして、

「俺は日下部さんの髪、いいと思うけど。個性的で」

 たとえそれが、天然パーマの苦労を知らず、生まれつき綺麗な髪を持った者の能天気さから生まれた言葉であっても。


 何の気負いもなく放たれた率直な彼の言葉は、私の憂鬱を昇華してくれた。


「遠目からでも見つけやすくて便利じゃない?」

「あー……」

 確かに一理ある。とても個性的なお母さんの髪は、見間違えようがなかった。

「ありがとう」

 好きだとかそこまで積極的なことを言われたわけではないけれど、励ましてくれたのは嬉しい。世の中には天パというそれだけで馬鹿にしてくる人もいるのだから。

 今朝夢に出てきた人と、高坂くんは、当たり前だけど全然違う。


「もしクラスが一緒だったら凄いよね」

「え?」

 唐突に切り替わった話題に、私は顔をあげた。


「渋谷駅で偶然会って、偶然アパートが一緒でしかも隣の部屋って、これだけでもう奇跡的なのに、さらにクラスが一緒だったら……なんだろう。奇跡を通り越して運命? 前世か何かの呪いかと疑いたくなる」

「呪いって、そんな不吉な」

 せめて神様の悪戯とか、そういう表現をしてほしい。呪いだなんて禍々しい。ひょっとして高坂くんは私との付き合いが嫌なのだろうかと不安になってしまう。

 不満を込めた私の視線に笑って、高坂くんは水を一口飲んだ。


「同じクラスだったら、名字も『く』さかべと『こ』うさか、だから、席が近いどころか隣なんてこともありえるんじゃない?」

「……どうかなぁ」

 もしもそうだったら、私は一体どんな顔をすれば良いのかわからない。凄い偶然だねって笑えばいいのか、困ればいいのか。


 それとも。

 高坂くんは、ミヤビに話しかけられて横を向いた。抱っこをリクエストしたミヤビに、綺麗な顔を綻ばせて抱き上げる彼を見つめながら思う。

 素直に喜ぶのは……駄目なのかな?

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