第4話 都会の猫は喋るもの?

 高層ビルばかりが並ぶ大都会から、電車で三十分ほど揺られた後に降り立つ。最寄り駅から歩いて十五分、そこが私が今日から暮らすアパートだった。

 桜庭荘。偶然にも高校名と同じ名前なので、とても覚えやすい。


 1Kの鉄筋コンクリート造。近くにはコンビニもスーパーもある。徒歩圏内にコンビニがあるなんて、なんて便利なんだろう!

 周りの風景も、そんなに都会っていう感じじゃないし。ほどよく都会、ほどよく田舎っていう感じで良いではないですか。うん。


「ふえー、つかれたぁ……」

 荷物の搬入を終え、半分のダンボールの解体を終えたところで、私はフローリングの床に寝そべった。まず最初に必要となるであろう水周りから整えてきたけど、二時間も作業をしていると集中も途切れる。


 時刻は夕方七時を回っていた。

 さすがに今日は夕飯を作る気力がないので、近所のコンビニへと向かう。


 コンビニのお弁当は密かに楽しみにしていたのだ。CMでは最近、どのコンビニ会社もお弁当やお菓子類に力を入れてるみたいで、おいしそうなものばかりが映っていた。


 陽が落ちても煌々と電灯が光るコンビニに一歩入った途端、明るい音楽が流れて、私は身を竦めた。このコンビニはこんな音楽が流れるのか……!


 妙なところに感心しながら、私は十分かけてお弁当と惣菜、パンなどを両手に持ち、会計を済ませた。


「ありがとうございましたー」

 いいえ、どういたしましてー。

 愛想の良い店員さんに、つい反射的にそう応えてしまいそうになるのを堪える。

 店員さんにお礼を言われてもスルーするのが都会式らしいというのは、他の人の対応で学んでいた。ここは私も都会人らしくスルーしよう。


 コンビニを出る。至るところに外灯が設置されているため、都会は夜でも明るい。夜の七時を回っているのに、大通りは人が多かった。


 なんとなく、私は道を一本外れた細道へと入った。

 ここはアパートの目と鼻の先、住宅街の一角。左右に電灯が並ぶ、二十メートルほどの狭い細道。いくら方向音痴でも、大通りとほぼ平行して走る道に入ったくらいでは迷わない……と思いたい。


 迷ったら携帯の地図アプリの出番だ。大丈夫、アパートの住所は登録している。ここは向かうべき方向に『前後左右』はあっても渋谷駅のような『上下』の概念はないから、指示通りに歩けば着くさ!


 周囲から人気がなくなったことで、ようやく息がつけた。

 首を傾けて空を見上げる。

 真っ暗な田舎の空に比べると、見える星が少ないな。


 でも、月が綺麗。お盆みたいな満月――ううん、少しだけ欠けて見えるから、満月は明日か、明後日くらいかな。

 夜空から視線を落とし、前を向いて歩いていると、前方から声が聞こえた。


「自分で歩いたらいいのに。これじゃ散歩の意味がないじゃんか。外を散歩したいって言い出したのはお前だろ」

 交差する横道から誰かが合流してきたらしい。大通りではなくこんな狭い細道を選ぶとは、この人もなかなかの変わり者だ。


「いいじゃないの。好きな人に抱かれて月夜の散歩なんてロマンチックだわ」

「猫が何言ってるんだか」

「またまたー、あたしに好かれて嬉しいくせにー。ひねくれたこと言ってるともう肉球触らせてやらないわよ」

「うっ……わ、わかったよ、嬉しいです」

「ほほほほほ。素直でよろしい」

 一体これはどういう会話なんだろう。猫と人間が話してる……わけがないから、猫になりきった彼女と、彼氏が話してるのかな? ちょっと理解しがたいけど、そういう遊び?


 興味を覚えて、私は歩くペースをあげた。ほどなく人影の詳細が見えてくる。

 猫を抱いて歩いている少年がいた。彼以外は誰もいない。


 ……ってことは、この人、誰かと電話でもしてたの?

 いや、電話じゃあんなに明瞭に声が聞こえるわけないよね。


 じゃあ、自分ひとりで声色まで変えて、あたかも会話してるように……って、変だよね!? だいぶ変な人だよね!?


 近づかないほうがいいかもしれない。

 下手したら『見ーたーなー』って襲い掛かってくるかも!?


 想像して、私は顔面蒼白になった。

 そうだ、ここは何も見なかったふりをして、追い抜いてしまおう!

 私はさきほどよりも早足で歩き出した。彼の後ろ姿が大きくなるにつれて、既視感を覚える。

 この服装、背格好には見覚えが……


「あっ!?」

 彼の横顔が目に入った瞬間、私は大声をあげていた。

 驚いたように彼がこちらを向く。

 軽く見開かれた、鳶色の瞳。その涼しげで端整な顔立ちは、間違えようもない。

 渋谷駅で私をハチ公の元まで連れて行ってくれた人だ!


「『渋谷駅の君』!!」

 私は人を指差してはならないということも忘れて、つい人差し指を向けてしまった。


「なにそれ?」

 どうやら人差し指で差されたことよりも、私が勝手につけたあだ名のほうが彼の気に召さなかったらしい。

 彼はなんともいえない微妙な顔をした。苦い薬でも飲まされたような顔。


 彼の腕の中には、毛並みが美しい真っ白な猫がいた。飼い主と一緒で細く、凛とした顔立ちの猫。

 左右で目の色が違う。左は金、右は水色。首輪はつけていなかった。

 彼はこの猫が喋っていると仮定して、一人遊びを成立させてたのかな?

 それにしては、台詞が痛い。少し――いや――だいぶ痛いよね?


『好きな人に抱かれて月夜の散歩なんてロマンチックだわ』とか、彼が一人で言ってたの!? 猫が自分に惚れてる設定!?


 ぞおっと全身に鳥肌が立った。

 しかもあのときの声色は完璧に少女そのものだったよ!? どれだけ練習したの!?

 い、いや、待て、落ち着け私。

 別にそんな趣味があったっていいじゃない!

 かなり衝撃だけど、人様の趣味に口を挟むのは野暮というもの!


「ええと、こんばんは。お昼ぶりですね。実はさっき、あなたが一人で会話してるのを聞いてしまったんですけど」

「えっ! 聞いてたの!?」

 彼は慌てた。やはりそんな趣味があったらしい。


「はい。猫が喋ったと仮定して、裏声? で一人会話を楽しんでたんですよね。趣味は人それぞれですし、良いと思いますよ」

「と言いつつ、なんでいま一歩下がった?」

「いえ別になんとなく」

 私は片手を振った。

 彼は苦虫を噛み潰したような顔をして押し黙った。何か深く悩んでいるらしい。


「いいじゃないの、言っちゃいなさいよ」

 と、白猫が口を利いた。

「…………?」

 私は目を剥いて固まった。

 白猫は驚愕に凍りついている私を真正面から見つめて、言葉を続けた。


りつが夜な夜な猫を抱いて歩きながら一人会話プレイを楽しむ変態の烙印を押されるくらいなら、秘密がばれたほうがいいわ。初めまして、霊長目真猿亜目狭鼻猿下目ヒト上科ヒト科ヒト下科ヒト」

「なにその呪文っ!?」

 私は相手が猫だということも忘れて突っ込んだ。


「動物学上の人間の分類よ。正しく挨拶してやったのに、文句でもあるの?」

 どうやらこの猫はかなり高飛車な性格をしているらしく、ふんと鼻を鳴らした。

「私の名前は日下部くるみだよ。くるみって呼んで」

「じゃあくるみ。早速記憶を消したいと思うんだけど、物理と催眠暗示と劇薬どれがいい?」

「どれも怖いんだけど!?」

 やる気満々らしく、はーっと前脚に息を吹きかける白猫。

 私は身の危険を察知し、三歩ほど退いた。


「こらミヤビ、早まるな。記憶を消す劇薬なんて俺は知らないぞ。そもそもこんな往来で堂々と喋ってたお前が悪いんだよ。喋るのは部屋の中でだけ、その約束を破ったのはお前だ」

「むー……だって、最近は誰にも見られなかったから……」

「秘密は油断したときにばれるものなんだよ」

 白猫――ミヤビ?――は、ぽんと頭を叩かれて前脚を下ろした。

 ミヤビを宥めて、少年は私を見た。


「猫を飼ってるって言っただろ。それがこいつ、ミヤビっていうんだ。この通り喋るけど、気にする?」

「……ううん」

 私はかぶりを振った。

 少年とミヤビの視線が、私に集まる。

 信用が置ける人物かどうか、私はいま、試されている。恐らくこの返答で、再び繋がった少年との縁が決定的に切れるかどうか、決まる。


 見透かすような少年の視線の前では、無理に取り繕ったって絶対にばれてしまう。


 ならばまっすぐに、正直に――飾らない本心を伝えよう。


「驚いたけど、気にはしません。東京は色んな人が集まる場所ですから。動物だって色んな種類の子が集まるんでしょう。一匹くらい喋る猫がいたって何もおかしくはないです」

 そして、笑う。


「ミヤビちゃんはこんなに可愛い猫なんだから、喋る技能くらい持ってたって、むしろ納得ですよ。私は絶対に誰にも言いません。約束します」

「…………」

 ミヤビと少年はしばらく黙っていた。

 私はその間、じっと少年を見つめた。嘘じゃないっていう意思を込めて。

 すると、少年はようやく安心したように笑った。


「ありがとう」

「ふん。あたしは感謝なんかしないわよ。あんたが好き勝手言いふらしたって、他人の前では完璧にただの猫を演じてやるもの。あんたが頭おかしいって認識されるだけよ。ま、可愛いって言葉だけは受け取ってやらないでもないけど?」

 ミヤビはそっぽ向いた。


「だからって勘違いしないでよね、あたしが可愛いのは当然のことなんだから。絶対不変の事実を言われたって嬉しくもなんともないんだから」

「尻尾尻尾」

 少年の指摘通り、そっぽ向いたミヤビの尻尾は、喜びを隠しきれないようにぶんぶんと左右にふれていた。


 ああ、この猫、素直じゃないタイプの猫だ。

 私は憎まれ口を叩く本体と尻尾との態度のギャップがおかしくて笑った。


「ところで」

 私は前置きで彼の注意を引いてから、背後で手を組んだ。ビニール袋を持っていたため、実際には手を重ねたような格好だったけど。


「今度こそお名前を聞いても良いですか? どうやらあなたとの縁はこれからも続くようなので」

 出会った初日で再会して、彼の飼い猫の秘密まで知った。

 これはもう、運命的でしょう?


「ああ、そうだな」

 気に入ったように笑って、彼は「高坂律紀こうさかりつき」と名乗った。

 高坂律紀。私はその名前をしっかりと胸に刻んだ。猫は愛称で彼を『律』と呼んでいるのか。


「日下部さんって、この辺りに住んでるの?」

「桜庭荘っていう……あ、あの建物です」

 角を曲がって、見えた建物を指差すと、何故か高坂くんもミヤビも驚いた顔をしていた。ミヤビの目が丸くなっている。


「どうかしたんですか?」

「いや……本当にこんな凄い偶然があるものなんだなって感心した。引越先って、104号室か202号室?」

「104号室ですけど……え? なんで知ってるんですか?」

 特定ができるということは、もしかして。

 頭の中が高速回転を始める。

 桜庭荘がペット可だったことを、いまさらながらに思い出した。不動産屋に学生向けのアパートとして紹介されたことも。


 桜庭荘から桜庭高校までは、歩いて十分の距離。ここに暮らすということは高坂くんも桜庭高校に通う生徒である可能性が高い。


「俺も桜庭荘の住民だから。お隣の103号室。つい二日前からだけど」

「…………。もしかしてあなたも桜庭高校生?」

「実際に通うことになるのはもう少し先だけどね」


 ってことは、同じ学年なのか!!


 凄い。今日偶然出会った人が、同じ学校に通う生徒で、しかも隣の部屋の住民。

 こんな奇跡があるだろうか、いやあるはずがない。


 どうやら彼との縁は注連縄くらいの太さで結ばれていたようだ。


「凄い顔してるよ?」

「……ええ、自分でもそう思います」

 おかしそうに笑われて、私はこめかみを揉んだ。

 偶然の連続で頭がくらくらする。


「そうそう、先に言っておくけど、俺の飼い猫が迷惑をかけたらごめんね。ミヤビはもちろん、ノエルも怪しいから。悪い奴じゃないんだけど」

「ノエル?」

「もう一匹の飼い猫。ちなみにこいつも喋ります」

 高坂くんは平然と言った。


「…………」

 確かに彼は、喋る猫が一匹だけだとは言ってない。言ってない、けど。

 でもまさか、もう一匹いるなんて……えっ、意外と喋る猫って多いの? 私が知らないだけ? 都会の猫は喋るものなの??


「あ、本当にミヤビと違ってノエルはいい奴だから。まだ子猫だし。素直だし」

「ちょっと、あたしと違ってってどういう意味よ!? あたしだって十分良い猫じゃない! こ~んな愛らしくて美しくて可憐で思いやりがあって優しくて健気で繊細で儚い美猫を捕まえてなんの不満があるっていうのよ!?」

「思いやりがあって優しい猫がそんな激しい猫パンチをするか!?」

 べしべしと連続猫パンチを繰り出すミヤビに、高坂くんは抗議した。

 東京って本当に色んな人や動物がいるんだなぁ。


「……世の中は未知で溢れている……」

「だから面白いんだよ」

 私の呟きに、すかさずのタイミングで高坂くんが言って、笑った。

 ええ、全くその通りです。

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