疲れたしんどい

2017 0121 13:58


 疲れたしんどいこれからもまたバーにいくか家でニコ生をやるか所詮刺激なんてたかが知れている一人部屋の中でパソコンを叩く俺は何をしているのかやらされているのか不安だからストレスと報酬というより応酬で人間たちは苦労しているのかもしらん。見た感じ彼女はへらっていたけれど,え!?哲学ってこんなに威力があるのって知ってしまう。


 とりあえず俺はずいぶんと変わったように思える.心の中にあるものがいろいろと緩和している。つまり俺は割と皮肉屋になった?純粋さが真実をぶち込むことならまぁ悪くないだろう。不安と心配。俺は昔人類の父親だと宣言したが、いつになったら地面に降りてくるのだろうか。そして僕は仲間たちと釣りに行ったり農作業をしたり料理屋をやったりするのだろうか。俺のプライバシーの根底には不安がある。あこうやって書くと陶酔するのかな.そうだった俺がやっているのは君たちの真似というか反照。


 疲れた僕は今日も2万数千円でどこにいこうか悩む.昔から大人っぽい自分が嫌だが、哲学の論理なんて別にそれが常識となれば人間は適応する。現に俺はより本質へ向かって仕事をしているつもりだ。まさかこれが全てあらかじめ予測されていたとしてもまぁ俺は最終的にいいと思うのだろう。おおよそ人間に対する不信感もなくなり、TV。やたらこれが気になるのはなぜだろう。映画、音楽、小説を作り、哲学を本にして世にばらまき賞をとってテレビにゲストとして呼ばれ、好き放題にあばれて、すべてをくだらないものにしてしまえば楽しい。


 詩なんて小説なんて形作られた痕跡。嗚呼闇とは君らのコンプレックスだな。本音をぶちまける。まぁ人間たちが作った痕跡は僕には音楽として模倣として、連合学習についてすべてが示される。全ては経験の中に、単純なLOGICを当てはめるだけだ。視覚がビデオカメラと同じようならば記憶も容易いだろう。法則を探るには、一見無関係なものを当てはめるだけ。単純な論理、そして超常的な力。


 俺が形式にこだわるのは常識が変わらないからで、人間への愛だとかそういうものが今まで虐げられてきた攻撃だとか性欲だとか食欲だとか順位付けだとかに置き換わってもまぁそれは言葉の持つ印象でしかなく、そうそう虚無的な世界観はうんこだとかまんこだとかちんこだとかあらゆるコンプレックスが生み出すのもまた階層なのかもしれない。言葉の威力はすさまじい。芸術が反映するのが心の声だとするならば、俺の心の声も妄想も芸術的だろう。うんこが光る。時代が来る。悪い奴がいい奴だった。なんていう論理だとするならば。憎しみも光へと変わるのかもしれない。


 印象は感情は欲望は夢は希望は幸せはセックスは初潮は肉体は魂は


 な


 階層づけられたものだが、夢、希望、幸せ、魂なんてすべては呪わしく、呪いより下劣なものかもしれない。


 そして俺は下劣な存在ともなるのだろうか。汚いものが光へと変わるのかもしれない。すべてが相対的ならば、いったい何が誘因つまり価値あるものだろう。


 真実をきわめて僕は愛する。好奇心が欲望と攻撃と憎しみだったとしても。


 じゃあ嘘とは? 下劣なものだろうか。という疑問も生じる。コンプレックスの裏側に好きがあるなら。好きの裏側に憎しみがあるのなら。愛憎。イメージや連想は忘れよう。いつの間にか僕は誰かのために書いている。かっこつけている。優れたものを書こうとしている。


2017 0121 14:23

 

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