ブルーバック

@prisoner

ブルーバック

<登場人物>


霜村あやか アイドルグループの一員

吉田忠司 新進監督 


アイドルグループ

撮影現場のスタッフ



劇場の中。

薄暗い舞台のバックには一面に青色のシートが吊るされている。

中ほどに同じく青く塗られた一脚の椅子。

あやか、登場。

あやか「あ、え、い、お、う」

基本的な発声練習を始める。

それから柔軟やストレッチなども。

吉田がいつのまにか現れてその様子を見ている。

あやか「(それに気づいて)あ、監督」

吉田「続けて」

あやか「でも」

吉田「一番乗りだと思ったかい」

あやか「はい」

吉田「熱心だね」

あやか「はい」

吉田「いいことだ」

あやか「はい」

吉田「お芝居は初めてだったね」

あやか「はい。そうですけど、あの、小学校三年の時に学芸会でライオンの役を」

吉田「ライオン?」

あやか「大きな声が出るからって」

吉田「へえ。出してみて」

あやか「そんな」

吉田「いいから」

あやか「(吠える)うおーっ」

吉田「おお、怖い。だけど、今度の君の役は自分が怖がる役だからね」

あやか「はい、でも」

吉田「何だい」

あやか「台本をまだいただいてないのですが」

吉田「台本ね。台本、台本と。台本はねえー」

あやか「はい」

吉田「ない」

あやか「ない?」

吉田「ない」

あやか「でもいったん台本頂いて、それで決めたのですが」

吉田「あれはなしになったとも伝えたはずだろう」

あやか「え、いえ、聞いていませんけれど」

吉田「困るなあ、ちゃんと連絡してもらわないと」

あやか「すみません」

吉田「君の責任じゃあない。ともかく、台本を渡されたんだけれどね、どうにも気に入らなくて。没にしてもらった」

あやか「気に入らないって、監督がですか」

吉田「そう」

あやか「では、新しい台本ができたのですか」

吉田「いや、まだ」

あやか「どなたが書かれるのですか」

吉田「ぼくが書くつもりだったのだけども、時間がないのでねえ間に合わなくてって」

あやか「じゃあ、ないんですか」

吉田「大丈夫。口立てって知ってる?」

あやか「クチダテ、ですか」

吉田「この(と、あやかの口をさして)口を、立てると書く。立つ座るの立つね」

あやか「はあ」

吉田「歌舞伎なんかでやるのだけれどね。台本を作らないか、あっても使わないで、その場その場で演出家がセリフを考えて口伝えで役者に伝えるの」

あやか「ここで歌舞伎をやるのですか」

吉田「違う違う。歌舞伎というのはもののたとえで、勝新太郎とかチャップリンとかマキノ雅弘といった役者で演出家といった人たちもよくやったんだよ。もともと歌舞伎は演出家といったものはいなくて、座長にあたる主演の役者が他の役者に芝居をつけるのがしきたりだったからそうなることが多かっただけで」

あやか「ふーん? カントクが主役もやるんですか」

吉田「違うって。とにかく、ここでぼくが場面を考えてセリフも決めるから、それを覚えてもらいたい。わかった」

あやか「わかりました」

吉田「なんでこういう青い幕を一面に張っていると思う?」

あやか「合成に使うんでしょ」

吉田「そう。どんな場面を設定しても、あとで合成できるというわけ。アルプスの山並だろうが、宇宙空間だろうが、海の底だろうが、どこにでも行ける。それから何かこの世にいない怪物に出会うとして、幽霊だろうが妖怪だろうがドラゴンだろうが何とでも共演できる。わかるね」

あやか「はい」

吉田「なんで青だと思う」

あやか「さあ」

吉田「人の肌の色は青くないからだよ。後で青い部分をカットすれば人の姿だけ切り出されるわけ。緑にすることもあるな。これまた人の肌は緑じゃないから」

あやか「なんで青にしたんですか。緑の方が目に優しいと思いますが」

吉田「金がないのでね。工事現場で使うブルーシートを借りてきたんだ」

あやか「なるほど。勉強してるんですねー」

吉田「ありがと」

あやか「すごい。尊敬します」

吉田「どうも」

あやか「あたし、頑張りますっ」

吉田「頑張ってね」

あやか「おはようございますっ」

吉田の傍らにいるけれども、姿の見えないスタッフに挨拶する。

吉田「(同じ相手に)おはよう」

以後、他の登場人物は姿を見せず、もっぱら二人にセリフを投げかけられることによって表現される。

吉田「(全部調子を変えて)おはよう、おはよう、おはよう、おはよう」

あやか「(全部同じ調子で)おはようございますっ、おはようございますっ、おはようございますっ、おはようございますっ」

ライトがつけられ、明るくなる。

このあたりで、舞台の枠はなくなってスタジオの限定された空間ではあっても、映像的な立体的な空間を持つようになる。

吉田「座って」

言われるまま、椅子につく

二人、動かなくなる。

スタッフが作業している小さなやりとりや物がぶつかる音だけがしばらく続く。

あやか「待ってる時間って好き」

吉田「ぼくは嫌いだ」

音がやむ。

吉田「(スタッフに告げられた体で)あ、準備できた? じゃあいこうか」

あやか「あの」

吉田「準備はいいかい」

あやか「あたしは何をすればいいんでしょう」

吉田「何をすればって台本に書いてあるだろう」

あやか「はあ?」

吉田「あ、そうか。台本はなかったか。そうか。なかったか。そうだな。ここはどういう場面かというとだ、うーん」

あやか「どこでしょう。アルプスか、宇宙か、海の底か」

吉田「それはもののたとえでね。今から作るのはホラーだから」

あやか「はい」

吉田「君は何が怖い?」

あやか「あたしの、ですか?」

吉田「そう。参考のために」

あやか「そうですねえ。あたし割と霊感あるんです」

吉田「ほお。どんなことを感じたりするの」

あやか「夜、ひとりで控室でメイクしていると、後ろに気配を感じるんですね」

吉田「うん」

あやか「誰かがじーっと動かないであたしを見ていて」

吉田「うん」

あやか「鏡の中をのぞきこんでも、あたしの他には誰も映っていない」

吉田「うん」

あやか「振り返ってもやっぱり誰もいない」

吉田「うん」

あやか「また前を向いてメイクしていると」

吉田「うん」

あやか「あたしの顔が何か違う」

吉田「違う?」

あやか「見覚えのあるあたしの顔なのに」

吉田「うん」

あやか「何だかおかしい」

吉田「うん」

あやか「じいっと見ていたら」

吉田「うん」

あやか「にたあっと笑うの」

吉田「鏡の中の君がか」

あやか「当たり」

吉田「で、実は本当に笑っていたっていうオチがつく」

あやか「あら、なんで知ってるの」

吉田「似たような話を他で聞いたよ」

あやか「誰から」

吉田「誰だったかな。やはりアイドルの子からだ。君みたいな」

あやか「誰。レナ?」

吉田「レナって名前のアイドルはいっぱいいるからな」

あやか「だからどのレナ?」

吉田「わからないよ」

あやか「明石レナじゃないですか」

吉田「知らない」

あやか「きっとそうです」

吉田「なんでそう思う」

あやか「夜、あたしがひとりで控室でメイクしていると」

吉田「何、また別の夜の話かい」

あやか「背後で人の気配がしました」

吉田「おいおい」

あやか「誰かがじーっと動かないであたしを見ていて」

吉田「で」

あやか「振り返ってもやっぱり誰もいない」

吉田「で」

あやか「また前を向いて鏡を見たら、背後の陰に人影がぼうっーっと見えるんです」

吉田「ふーん?」

あやか「よく見たら、レナでした。暗がりに沈んでいたレナがじいっと後ろから見ているんです」

吉田「君をかい?」

あやか「はい」

吉田「そのレナって子、同じグループなの?」

あやか「いいえ」

吉田「ではライバルのグループなの?」

あやか「いいえ」

吉田「仲悪いわけ?」

あやか「いいえ、会ったこともありません」

吉田「え、どういうこと」

あやか「何がですか」

吉田「会ったこともないんだろう」

あやか「はい」

吉田「それでじいっと背後の暗がりから君を見ている」

あやか「はい」

吉田「怖いな」

あやか「そうですか」

吉田「身に覚えもないのにほとんど知らない相手に見られている。これいけるかもしれない」

あやか、答えない。

吉田「いけるかも」

あやか、突然硬直したようになって動きも答えもしない。

吉田「おい、君」

あやか、答えない。

吉田「君」

あやか「(突然何事もなかったように元に戻り)いけるって何がですか」

吉田「何がって、君が今聞かせてくれたこわいものだよ」

あやか「いけますか」

吉田「じゃあ詳しく聞かせてくれるかな、そのレナって子のこと」

あやか「誰ですか」

吉田「誰って、そのレナって子だよ」

あやか「レナって誰ですか」

吉田「誰って、よしてくれよ。たった今君が話していたじゃないか」

あやか「私が、ですか」

吉田「君がだよ」

あやか「何をですか」

吉田「何をって、そのレナって子だよ」

あやか「レナ」

吉田「そう、レナ」

あやか「レナ。ああ、とても可愛がっていました」

吉田「可愛がっていた? 誰が」

あやか「私がですよ、もちろん」

吉田「レナをか」

あやか「はい」

吉田「レナって」

あやか「私が小さいときに持っていたお人形です。目がぱっちりして、巻き髪で、赤い服も青い服も似合って。とても可愛かった」

吉田「人形?」

あやか「人形です」

吉田「どれくらいの大きさだった」

あやか「子供でしたから、大きく感じましたね。私と同じくらいでした」

吉田「大きすぎないか。いくら子供と比べても」

あやか「いや、それくらいありました」

吉田「大きすぎて気味悪くはなかったかな」

あやか「気味悪かった」

吉田「可愛いけど、気味悪かったと」

あやか「気味悪かった」

吉田「大きすぎて」

あやか「大きくなんかなかった。普通だった」

吉田「で、気味悪かった」

あやか「気味悪かった。控室の後ろの暗がりでじいっと見ているみたいで」

吉田「控室? また?」

あやか「暗がりの中に姿を持たない何かがいて、目もないのにじいっと後ろからあたしを見ている」

吉田「姿を持たない? 人形なんだろ。その暗がりにいるというのは」

あやか「わからない。目もないのに見ている。体もないのに暗がりに隠れているのがわかる」

吉田「体がない?」

あやか「身長は1メートル80センチ、体重は120キロ。大きい、大きい。すごい力が強そう。胸板が厚くて筋骨隆々。何かかぶっていて、顔が見えない。手に何か持っている。バット?それとも包丁?それとも」

吉田「何だそれは。さっきから話がころころ変わってばかりいる。大人をバカにしているのか」

あやか「だって怖い話をしろって言ったでしょう」

吉田「参考にならない。もういい」

あやか「背後から見張っているようなライバル、生きているみたいな人形、姿も形もなく闇の中に潜むもの、巨体で怪力ですごい暴力をふるう男、それからそれから」

吉田「やめろと言ってるんだ」

あやか「それから甘いことを言いながら近づいてくる男たち。君、可愛いね、とか、芸能界でやっていく気ない、とか言いながら寄ってくる。それから仕事していてもただ可愛い恰好してにっこり笑っていればいいという扱いをして平気な男たち。それから女たち。中には自分の仕事しないで全部どんなシーンにすればいいか丸投げする作者もいたりする。どうせこんな若い女には頭なんかないと思っているくせにちゃっかりネタだけは拾おうとする」

吉田「誰のことだ、何の話だ」

あやか「(あっけらかんと)先生、どうしたの?」

吉田「どうしたって。(他のスタッフに)おい、誰だ、この子を選んだのは」

あやか「いやだ、先生じゃないですか」

吉田「何?」

あやか「オーディションでいろいろ質問したでしょう」

吉田「オーディション? いつそんなのやった」

あやか「一週間前。こういう具合に」

とテーブル席に選考委員が並んでいる真似をしてみせ、

あやか「(委員の口真似で)君はずっと歌でやっていきたいのかね。それとも芝居がいいかな」

吉田「そんなこと言ったか」

あやか、吉田をひっぱってきて架空の選考委員席につかせる。

あやか「"目標にする芸能人は誰ですか" そう聞きました」

吉田「そんなこと言ったかな」

あやか「言いました。さ、言ってみて」

吉田「言ってみる、ってね」

あやか「"目標にする芸能人は誰ですか" 」

吉田「目標にする芸能人は誰ですか」

あやか「私です」

吉田「大きく出たね」

あやか「だって、誰を目標にするにしたってその人にかなうわけないじゃありませんか」

吉田「それはそうだが」

あやか「それからこう聞きました。"グループで活動することに抵抗ない?”」

吉田「"グループで活動することに抵抗ない?”」

あやか「ありません。人と仲良くするのは得意です」

吉田「学校ではクラブ活動しているかな」

あやか「はい。バトミントン部に入っています」

吉田「部活は楽しい?」

あやか「はい」

吉田「意地の悪い先輩とかいない?」

あやか「いません」

吉田「本当に」

あやか「はい、みんないい人ばかりで」

吉田「本当にみんないい人?」

あやか「そんなわけないでしょう」

吉田「え」

あやか「みんないい人なんてことあるわけない。学校でも、芸能界でも」

吉田「大丈夫か、そんなこと言って」

あやか「大丈夫ですよ。監督さんもみんな親切だし」

吉田「きつい監督というのもいるんじゃないかな」

あやか「もちろん中にはいます。こっちはほとんど経験ないのに全部任せきりにされても困るし」

吉田「任されるのイヤかい」

あやか「いいえ、むしろ任せて欲しいです」

吉田「そう、では、と。ひとつやってもらおうかな」

あやか「はい」

吉田、ビデオカメラを出してきて、あやかに向けて据える。

吉田「これから記録させてもらうけれど、いいかな」

あやか「はい」

吉田「はい、ではやってみて」

あやか「何をでしょう」

吉田「さっき怖いと思った役をだよ」

あやか「あたしがですか。あたしは怖がる方で怖がらせる方じゃないと思うのですが」

吉田「いいや、怖がらせる方もいけると思うよ。いやそっちの方が向いているんじゃないかな」

あやか「そうですか」

吉田、カメラを覗きながら、

吉田「座って」

あやか、言われた通りに椅子に座る。

あやか「どんな話でしょう」

吉田「そうだな。うーん」

あやか「人形やってみましょうか」

吉田「人形?」

あやか「とりあえず」

吉田「どんな風に」

あやか「こんな風に」

と、言ったかと思うと突然棒を吞んだように硬直し、くたくたっと崩れる。

吉田「霜村くん」

あやか、動かない。

手をつまんで上げてみても、ぱたっと落ちてしまう。

吉田「わかった。人形、終わり」

あやか、すっと人間に戻る。

吉田「パントマイムか何か習ったの?」

あやか「ええ」

吉田「よく勉強してるね」

あやか「いまどき、それくらいできないと生き残れませんから。で、どうでしょう」

吉田「どうって何が」

あやか「どんな状況であたしが人形になるのか」

吉田「うーん」

あやか「ストーリーとか設定とかがないと、どう演じていいのかわかりません」

吉田「そうだな、では悲鳴をあげてもらおうか」

あやか「は?」

吉田「悲鳴。何か怪物に会って悲鳴をあげるところをやってみて」

あやか、悲鳴をあげる。

吉田「うーん、もっと怖そうに」

あやか、トーンを上げて悲鳴をあげる。

吉田「あっちを見て」

と、高いところを指さす。

吉田「そこに怪物がいる」

あやか「ゴジラですか」

吉田「ゴジラは怪獣だよ。怪物じゃない」

あやか「怪獣と怪物、どこが違うんですか」

吉田「いいから」

あやか「身長はどれくらいですか」

吉田「五十メートル」

あやか「それだと、三百メートルくらい離れてますか」

吉田「なんで」

あやか「さっき指示された角度から計算するとそれくらいになります」

吉田「計算ってね。いいから、悲鳴あげて」

あやか、悲鳴あげる。

吉田「なんだか気がいかないなあ」

あやか「だって、どんな怪獣なんだか全然わからないんですから」

吉田「怪物だって、いやどちらでもいい、とにかく怖い怪物を想像してみて」

あやか「虫はどうでしょう」

吉田「何?」

あやか「あたし、虫が嫌いなんです。特に大きな虫が」

吉田「虫って、蜘蛛とか」

あやか「うわあっ」

吉田「ゲジゲジとか」

あやか「きゃあっ」

吉田「芋虫とか」

あやか「(反応鈍い)うーん」

吉田「ナメクジとか」

あやか「あんまり怖くないです」

吉田「なるほど。ぬめぬめしたのは割と平気で、毛とか生えているのがダメなんだ」

あやか「そうですね」

吉田「ゴキブリっ」

あやか「きゃあっ」

吉田「いいよ、その調子。だったらね、設定を変えよう。体長五メートルの巨大なゴキブリがそこに立っている」

あやか「ゴキブリよりゲジゲジの方が嫌いなのですが。足がやたらたくさんあるところとか」

吉田「よし、ゲシゲシがそこに立っている」

あやか「ゲジゲシって立ちあがるものですか」

吉田「いいから。立つの。五メートルのゲシゲシがそこに立っている」

あやか「ちょっと大きすぎませんか」

吉田「いいから。これはフィクションなんだから」

あやか「はい」

吉田「さあ、そこに体長五メートルの巨大なゲシゲジがそこに立っている。体中、油を塗ったみたいにてらてら光、ぶっとい触覚が揺れている。脚は固い毛が生えて、頑丈な顎を持った口を開けたり閉めたりしている。君を食べようとしているんだ。君をつかんで口までもっていき、頭からぱくっとくわえこんでカリカリと齧っていく。ちょっとづつちょっとづつ。君は意識ははっきりしているが、どうすることもできない」

あやか「あたしをつかんで持ち上げるんですか」

吉田「そう」

あやか「高さ五メートルですね」

吉田「そう、さあ巨大なゲジゲジが君を食べようとしているぞっ」

あやか、身悶えしながら悲鳴をあげる。

吉田「いいよ、その調子。ゲジゲジが無数にあるある手で君をつかまえている」

あやか「足じゃないんですか」

吉田「いいからっ」

あやか、さらに悲鳴をあげる。

吉田「もっと、もっと。さあゲジゲジが君を持ち上げていく」

と、あやかの身体が本当に空中に浮きあがっていく。

吉田、唖然呆然の体。

あやか、空中で暴れながら悲鳴をあげ続ける。

吉田「もういい、ストップ」

あやかの悲鳴の演技が止まると共に、すうっと地面に降りる。

吉田「今どうやったんだ」

あやか「え、何がですか」

吉田「今、空中に浮かんでいただろう」

あやか「え?」

吉田「そうだ、ビデオをまわしていた」

と、ビデオカメラを取って再生する。

それに合わせて悲鳴を上げ続けるさっきのあやかの姿が、ビデオ画面ではなく現実の舞台の上にあやか自身によって再生されるが、当然空中に浮かんだりなどしていない。

あやか「どうでしょう」

吉田「どうでしょうって」

あやか「監督」

吉田「なんだよ」

あやか「それとも先生と呼んだ方がいいでしょうか」

吉田「監督でいい」

あやか「監督、あたし、何をどうやっていいのかわかりません」

吉田「わからないって、何がわからないの」

あやか「何がわからないのかもわかりません」

吉田「だから?」

あやか「教えてくださいっ」

吉田「教えろって」

あやか「まず、どんな話なのでしょう。巨大なゲジゲジが出てくるって、やはり放射能で大きくなったのでしょうか」

吉田「放射能って、どこからそんな話持ってきたの」

あやか「昔の映画にはいっぱいそういう話あります。放射能でいろんな生き物が巨大化して怪物になるっていう」

吉田「まあ、そうね」

あやか「あたしを襲う怪物もそういうのでいいでしょうか」

吉田「まあ、待った。そうあせらなくていい。後で合成するといっても、あまりややこしいクリーチャーのCGなんて作ってる予算ないから」

あやか「クリーチャー?」

吉田「怪物だよ」

あやか「怪獣とは別ですか」

吉田「ああもう、話をややこしくしないでくれ」

あやか「で、放射能で巨大化したゲジゲジが出てくるとした」

吉田「待った。放射能で巨大化したなんて設定にしたら、いまどきクレームがくる。不謹慎だって」

あやか「なんで不謹慎なんですか」

吉田「放射能なんて深刻な問題を娯楽にするのはけしからんってことだろ」

あやか「娯楽がいけないのですか」

吉田「そうじゃないけど、とにかくうるさいことになりそうだから放射能による怪物はやめ、怪獣もやめ、クリーチャーもやめだ」

あやか「では殺人鬼にしますか」

吉田「殺人鬼といっても人間だからな。突飛な姿にするにも限度がある。人の皮のマスクをかぶっても 、ホッケーマスクをかぶっても、顔中やけどだらけでも、基本的な形には限度がある」

あやか「では、身長五メートルの殺人鬼というのはどうでしょう」

吉田「ちょっとね。あまりに荒唐無稽だ。」

あやか「でも出てきたら怖いと思いますけど」

吉田「怖がられるより先に笑わられるよ」

あやか「ではサイコパスというのはどうでしょう」

吉田「サイコ。サイコパスねえ。いいかもしれない。一見普通の人間で、実際は人間的な感情がまったくない。これだったら特に作りこまなくてもできる」

あやか「ブルーバックだったら、アルプスの山並だろうが、宇宙空間だろうが、海の底だろうが、どこにでも行けて、幽霊だろうが妖怪だろうがドラゴンだろうが何とでも共演できるんじゃありませんでしたっけ」

吉田「いいんだよ、余計なこと言わないで。黙って言うこと聞いていればいいんだ」

あやか「言うこと聞いていると思いますが」

吉田「それが余計だというんだよっ」

あやか「さっき言っていた口立てってやらないんですか」

吉田「何?」

あやか「口立てです。実際にやってみせるからあたしがそれを真似するという」

吉田「ああ、口立てね。そうだ口立て。なんで忘れてたんだろう。そうだそうだ。では、と。君は何者かに追われている」

あやか「何にですか」

吉田「サイコだよ。サイコでいいよ。サイコパスねっ」

あやか「男ですか、女ですか」

吉田「え、男だろう。男に決まってる」

あやか「そうですか?」

吉田「なんでそんなこと聞く」

あやか「いえ、あたしは追う側をやるのか追われる側をやるのかと思って」

吉田「それは追われる側だろう。可愛い女の子は被害者側になるものに決まっている」

あやか「あたし、可愛いですか」

吉田「なんだ、可愛いとわざわざ言わせたいのか」

あやか「いえ、追う側をやってみてもいいかって」

吉田「きみ、サイコ役をやろうっていうのか」

あやか「さっきおっしゃった通りあたしは普通だからいいのではないかと」

吉田「普通? 普通かな」

あやか「平凡というか」

吉田「アイドルが自分で自分を平凡というかね」

あやか「どこにでもいるようだからアイドルではないかと」

吉田「自分のことをアイドルだと思うかい」

あやか「なりたいです。なれますか」

吉田「わからない」

あやか「監督にもわかりませんか」

吉田「誰にもわからないよ」

あやか「聞いていいですか」

吉田「なんだい」

あやか「なんであたしを選んだんですか」

吉田「何度も聞くな。俺だけで選んだわけじゃない」

あやか「でも絶対ダメとは言わなかったんでしょう」

吉田「言えばよかったかな」

あやか「ホントにそう思います?」

吉田「余計なことを言うな。何も考えるな。何も感じるな。言われた通りにすればいい」

あやか「はい」

吉田「座って」

あやか「はい」

言われたとおりに座る。

吉田「動かないで。口もきくな」

あやか、ぴたっと動かなくなり、口も閉ざす。

吉田「目を閉じて集中して」

あやか、言われた通りにする。

吉田「君は僕の言葉だけ聞いている」

あやか「監督の言葉だけ聞いています」

吉田「他には何も耳に入らない」

あやか「他には何も耳に入りません」

吉田「君は今人形になっている」

あやか、黙ったまま。

吉田「いいぞ。人形だから今から言うことは聞いていない」

あやか、黙っている。

吉田「本当のことを言おう。君を選んだのは、人形にできると思ったからだ」

あやか「…」

吉田「アイドルというのは、元の意味は"偶像"だ。生身の人間である必要はない。というより、むしろ生身であってはいけない。だから恋愛も禁じられている。少なくとも表向きはね」

あやか「…」

吉田「正直なところ誰でもよかった。アイドルで可愛くてそこそこ人気があるのなら誰でもね。それで人形としてああだこうだと指示して動かせばいいと思っていた。というか、そうするしかないと思っていた。ところが、いざ動かそうとなると、どう動かしていいのかわからなくなった」

次第に照明が落ちて、ブルーバックが暗闇になる。

その闇の中に、ぽかっと人形が浮かび上がる。

あやか、その人形の後ろにまわり、腹話術の人形のように動かし、喋らせる。

声色はあやかとはまったく別のものだ。

(あやかが吹き替える人形のセリフ)「どう動かしていいかわからない以前に、どんな話にすればいいかもわかっていないじゃないか」

吉田「誰だ、おまえは」

あやかが操る人形「台本を書いて没にされた人間よ。名前も覚えてないか」

吉田「何を言い出す」

あやかが操る人形=ライター「台本にケチをつけたのはいいけれど、どういう風に変えればいいのかあんたは結局全然わからなかった」

吉田「何を言う」

人形=ライター「なんで台本にケチをつけたのかというと、台本が読めなかったからだ。人物がどういう性格なのかも、それがどう関わりあってストーリーが動いていくかも読み取れなかった」

吉田「読み取れるように書いていなかったんだ」

人形=ライター「ほら、そうやってみんな人のせいにする」

吉田「じゃあ、どんな話だったんだ」

人形=ライター「呪いの人形。幽霊の祟り。ライバルの嫉妬」

吉田「どれもさんざん手垢のついた話じゃないか。今更やれるか」

あやか、いきなり人形を吉田に投げつける。

突然ぐぐっと迫ってくる人形の顔。

思わず腰を抜かして床に転倒する吉田。

投げつけられた人形はすうっと闇の中に消える。

床に落ちた音も何もしない。

突然、派手な音楽の前奏がかかる。

強い照明がつく。

と、あやかと、ほとんど同じような年恰好のアイドルたちがずらっと並んで同じ振りで踊りだす。

劇場とかミニライブでやるのと同じような要領で。

背景はつぎつぎと色が変わる照明に照らされて、もとは何色なのかわからなくなっている。

歌い踊りだすアイドルたち。

よく見ると、それはすべてあやかの顔をしている。

メイクやヘアスタイルが違っているだけで―、

いや、背格好もひとりひとり違ってはいるのだが、顔はすべてあやかのものだ。

いささか呆然として眺めている吉田。

歌と踊りが終わり、さっと引っ込むアイドルたち。

また暗がりがあたりを支配する。

あやかの声「なぜあたしを選んだの」

吉田「何か光るものがあったからだ」

あやか、姿を現す。

あやか「その光るものって何」

吉田「説明できないから何か、という言い方をしてる。何だ、君を選んじゃいけないのか」

あやか「選んでやってのだから感謝しろと? 今からでも別の子にしたっていいわけでしょう」

吉田「そうしたっていいんだぞ」

あやか、暗がりに姿を消す。

吉田「おい」

答え、なし。

吉田「おいったら」

しーん。

吉田「霜村くん?」

次第に明るくなる。

ブルーバックのスクリーンが周囲に張り巡らされているのは同じだ。

しかし、そのスクリーンがカーテンのように不安定に吊るされていて、揺らいでいる。

そのカーテンの向こう側にいる人影―

ブルーバックの後ろに隠れているようでもあり、合成用の機能を生かして何かまた別の姿が透けて見えるようでもある。

あやかの姿なのか、それともまったく似ても似つかない何者かの姿なのか。

カーテンの陰に隠れているのと、千変万化するのとが混ざって、本当の姿はよくわからない。

ときどき人形に、あるいはもっと飛躍してまったく人間離れした姿に見えたりする。

やがて照明が落ち、沈黙が支配する。

吉田「霜村くん、君なのか」

あやかの声「はい、もちろんです」

と言ったすぐ後に、

「霜村くんって、誰ですか」

ぼそっと言ったっきり後が続かない。

吉田「霜村くん…あやかくん」

暗がりで色がわからなくなったカーテンの向こうに人影が立っている。

吉田、カーテンを引く。

向こう側には鏡が置かれている。

鏡に映った自分の姿をしばらく見つめている吉田。

吉田「わかっている」

自分自身に向って独白を始める。

吉田「俺に才能などない。話も作れないし、人をまとめる能力もない。なんでこれで監督なんて呼ばれているのか不思議みたいなものだ。特にひどいのが、人を見る目がないことだ。誰がこの役に合っているのか、合わないのかわかないだけじゃない。誰を見ても似たり寄ったりに見えてしまう。アイドルグループだけの話じゃない。いや、むしろアイドルの方がいくらか熱心に見る分、違いがわかるかもしれない。なんでこうわからないのか。人間に興味がないからだ」

鏡の中の吉田の背後にあやかがすうっと姿を現す。

吉田「監督やるには致命的な欠点だよ。じゃあ、なんでやってるのかって。わからないな。威張れるわけでなし、儲かるわけでなし。肩書が欲しかったのか。そうだったのかもしれないが、今ではどうでもよくなっている。何も思い通りにはならず、責任だけは問われる。中間管理職だよ」

鏡の中の吉田の後ろにはあやかが立っているが、実物の吉田の後ろには誰もいない。

その鏡の中のあやかの姿も次第に暗くなって見えなくなる。

ぱっと明るくなる―、

大勢のスタッフと機材が揃った、具体的な撮影現場が現れた。

準備万端整って、いつでも撮れそうな構え。

だが、よく見ると、スタッフの顔が、女性を含めて、すべて吉田のものだ。

凍り付いたように動けない吉田。

ぶるぶる震えて、脂汗が流れて顎から滴る。

吉田「(辛うじて)用意」

スタッフ(?)たち、ぴくとも動かない。

吉田、近づいてさらに横に移動して見る。

それに合わせてスタッフを見る物理的な角度が変化する―

と、彼らが立体的な像ではなく、平たい書き割りのようになっているのがわかる。

吉田「なんだ、これは」

吉田、ほとんど錯乱する。

ふと鏡の中を救いを求めるように一瞥する。

鏡の中の世界―、

いつのまにか鏡が巨大化し、枠がなくなっている。

空間の一部が面で切り取られてその面を挟んで対照をなすようにさまざまな物や人が配置されている。

吉田、その鏡の面を超えて鏡の中の世界に入り込む。

大勢の書き割りの吉田たち。

その裏側にまわりこむ。

と、書き割りのスタッフたちの顔がすべて吉田のだったのが一転して、すべてあやかの顔になる。

どのスタッフもすべてあやか。

男の体格の上にあやかの小さい顔が乗っていて、アンバランス。

よろよろとカメラの前に操られるように出る吉田。

同じあやかの顔をしたスタッフたちの中から、吉田の恰好をしたあやか(つまり監督役)が一歩進み出る。

あやか「準備はいいかな」

吉田「はい」

監督と出演者の立場が逆転している。

あやか「(他のスタッフたちに声をかける)照明OK?」

あやかの顔をした照明技師「OK」

あやか「録音OK?」

あやかの顔をした録音技師「OK」

照明を当てられて汗ばんでいる吉田。

カメラのレンズが容赦なく迫ってくる。

あやか「(声は吉田)よーい、ハイッ」

<終>






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ブルーバック @prisoner

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