第29話霧中の少年(ひつじ)は狭間を駆ける

「誰だーーーっ?!」


突如聞こえてきた自分達以外の聞き慣れない声に、弾かれた様に声がしてきた方向を振り返る三人。


其処には


「おいおい、誰だ?なんて、ちょっと失礼じゃない?命の恩人に対してさぁ」


ともすれば空間全体が薄紫のペンキで塗りたくられているのではないかとすら思わず錯覚してしまいそうな程見事に薄紫色に染まった空間の、その中空。


一体如何やって其処まで辿り着いたのか。


自力では到底登りきることは不可能であろうと思われるーー高さにして12、3メートルはあろうかというその場所に、彼はいた。


隣に建つ、見目鮮やかな色調のタイルが整然と外壁に張り巡らされた小洒落た建物のその4階、其処とほぼ同じ高さにある電柱の天辺に優雅に腰を掛けているその男性は。


下からなので余りよくは見えないが、恐らく、年の頃は二十代前半位だろうか。


青年と言っても充分差し支えない年齢に見えるその男性は、遠目からでも分かる程かなり整った容姿をしていた。


艶のある、その瞳と同じ烏羽色の髪は肩ほどまであるが、その長さはかなりバラバラで全く切り揃えられている様子はない。


また、服装を意図的に漆黒で統一でもしているのか、その身に纏う、レザーで出来ているであろう光沢のあるロングコートも、長いレザーのパンツも、その裾に隠れて見えにくくはなっているが皮の靴も、彼が身に付けている物は胸元や手元で揺れるかなりゴツいシルバーのアクセサリー以外、全てが黒一色だった。


しかし、それが不似合いであったり重苦しく見えない程不思議と彼が着ていると、それらは何処かスタイリッシュに見えてくる。


それ位、その男性は見目がよく、しかし何処か不可思議且つ圧倒的な存在感を放っていた。


すると、男性は風雅な仕種でゆっくりと長い脚を組み替え、光流達に向け、にっこりと、その綺麗に整った細面の顔に何処か胡散臭さすら感じる程の満面の笑みを浮かべ、柔らかな、けれど大人の男性を思わせる深く落ち着いた声音で


「初めまして。やぁ、憐れな子羊諸君。『セイギノミカタ』が助けに来たよ」


そう、言い放った。


「正義の、味方・・・?」


楓がスクールバッグに着けてあるキーホルダータイプの防犯ブザーを押そうとするのを必死に止めながら、光流は男性との会話を試みる。


「何で止めるの?!だって、あいつきっと新手の変態だよ!自分のこと正義の味方とか言ってるし!超怪しいじゃん!」


「まぁ待てって。楓?お前、さっき、あいつが言ってたこと、覚えてるか?」


「え?あいつが言ってたこと??ん~、何だっけ。よく聞いて無かったからなぁ」


第一、あの時私まだ「もう死んじゃう~!」って思ってて他人ひとの声なんて聞く余裕無かったし。


そう言うと、楓はこんな状況にも関わらずぺろっと舌を出し、片目を瞑っておどけて見せた。


楓お得意の誤魔化しのテクニックだ。


勿論、それに非常に慣れている光流はすっかり流されるなんてことは一切無い訳だが。


しかし、先刻の様な泣き顔を見せられるよりはずっと良い。


あの時は光流も、普段は気丈な楓の滅多に見せない本気の泣き顔に心臓を捕まれたかの様な何とも言えない苦しさと置いて逝くかもしれないことに対する深い罪悪感に胸が潰れそうになったものだ。


だからこそ。


どんな理由や超常現象であれ、互いが、三人が、生きていられるならばそれで良い。


今の光流は、心からそう思うのだ。


とは言え、このまま時間が止まっていては光流達も本当の意味で生きているとは言い難いし、何よりライフライン的な面で様々な困難が生じてしまう。


そう。


この空間では水の様な液体ですら刻を止め、本来の役割である流れることや潤すことを放棄してしまっているのだ。


人間は水が無ければ生きていくことは出来ない。


つまり、このまま世界が静止したままでは何れ、遅かれ早かれ光流達は水がないことによる餓死を遂げてしまう訳で。


しかし、今目の前にいる男性は『俺が助けてあげた』と言ったのだ。


つまり、


「良いか?楓。あいつは『今にも死にそうなとっても可哀想な君達を俺が助けてあげた』って言ってたんだ」


「うん?そうなの?でも、それが如何かしたの?」


「お前ほんっと馬鹿だなぁ。『助けてあげた』、ってことは・・・相当非現実的な話だけど、これをやったのが、あいつか、あいつの知り合いかもしれないってことだろ?」


そう。


もっと言うならば、この事態をーー時間を止めた、或いは止めた人物を知っているならば、即ち、逆に静止の解除をすることも可能であるかもしれないのだ。


バッドエンド直行地獄へ三名様ご案内ルートから逃れられるかもしれない。


そんな僅かな、しかし強い期待を込めて、光流は未だ電柱の天辺に腰掛けたままの男性を見上げる。


すると、男性もまた光流の視線に込められた意図が分かったのか、先程とはまた別の種類の、何やら含みのある笑みをその口の端に浮かべると、なんと


「あぁっ?!」


「嘘っ?!」


「きゃぁっ?!」


三人が見ている目の前で、ひらりと電柱から飛び降りたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る