第28話夢見る生贄(ひつじ)の視る現実(ゆめ)は⑪

最期の瞬間に備え、どんな痛みが襲い掛かろうと決して二人を離しはしないと誓い、強く目を閉じると、二人を包み込む腕に力を込める光流。


しかし


(・・・・・・?)


その身を襲うであろう衝撃が何時まで経ってもやって来る気配がない。


それ所か、異変に気付き耳を澄ませてみると


(何だ・・・・・?)


先程まで、まるで荒れ狂う嵐の様に入り雑じっていた通行人達の悲鳴や怒号が一切聞こえて来ないのだ。


いや、悲鳴や怒号ばかりではない。


ほんの僅かな、些細な人々の声や、先程まで空気中を漂い光流達の食欲中枢を嫌と言う程刺激していたあのカフェから香るトーストの良い匂いも、歩道を散歩中にじゃれあっていた犬達のきゃんきゃんという甲高い鳴き声もーーー全ての音や匂いが無くなっているのだ。


まるで、光流だけが音や匂いのない世界に閉じ込められたかの様に。 


この異常とも言える事態に光流は閉ざしていた瞳をゆっくりと開き、辺りを見回す。


すると


「なんだよ、これ・・・・・?」


瞳に映るその光景に光流は愕然とした。


其処には、まるで光流達を覆うかの様に、三人を中心に辺り数メートル程の範囲までが薄い紫色で半透明の壁の様なものに囲まれていたのだ。


「え・・・何?如何なってるの・・?」


周りの異常に気付いたのであろう、楓も目を開けると困惑と恐怖に揺れる瞳で辺りをぐるりと見回す。


「光流くん!楓ちゃん!あれ、見てください!」


楓同様、周囲の異常に気付き目を開いた華恵が何かを指差す。


(何だ?)


光流と楓がその指先を視線で辿ってみると、其処には、今目の前で起きている惨劇にまさに吠え立てようと前足に力を入れ、上半身を低くし、下半身を持ち上げ、牙を剥いた口を大きく開いたまま固まっている犬の姿があった。


その犬はまさしく先程見た散歩中の犬に間違いはなく。


しかも、


「嘘だろ・・・・・」


その犬の飼い主までもが、落下してくる木材に悲鳴をあげた瞬間の、瞳を見開き口を大きくあけたままの表情で、やはり、手に持っていたペットボトルに入ったドリンクを思わず取り落とした姿のまま固まっているのだ。


加えて、ご丁寧にドリンクまで、まるで冬の凍り付いた滝の如く流れ出した途中のままで固まっているではないか。


「え?何?何これ?!一体如何なっちゃってるの?!」


光流達三人を残し、まるで全ての刻が止まっているかの様な状況に早くもパニックを起こした楓が光流の襟首を掴むとぶんぶんと前後に激しく揺さぶる。


「ぅぶっ!い、いや、ちょ、待て!待てって!」


(く、首が、首が取れる・・・・)


まるで強風に煽られ続ける案山子の様にぐらんぐらんと強烈な力で揺らされる光流の首は今にもぽきっといってしまいそうだ。


それに何より、こんなに滅多矢鱈に揺さぶられていては考えることだってまともに出来やしない。


光流は何とか首を絞めんばかりの勢いで掴んでいた楓の手を掴み、離させると、もう一度辺りを見回す。


しかし、変わらない。


やはり、今、この空間で自由に動いているのは光流達三人だけで、後は人間だろうが動物だろうが、或いは水の様な無機物だろうが、全て等しく動きを止めているらしい。


本来であれば風に靡いているであろうジョギング中の女性の長い黒髪ですら今は微動だにしていない。


しかも、周囲の風景自体が、恐らくこの刻を止めている元凶であろうあの薄紫色の壁の影響を受けているのか、壁と同じ色に染まり、かなり不気味だ。


光流は周りを見回しながら、小さく呟く。


「一体如何なってるんだ・・・・・?」


と、その時


「そりゃぁ、今にも死にそうなとっても可哀想な君達を俺が助けてあげたからに決まってるでしょ?」


今まで一度も聞いた覚えのない男性の声が辺りに響き渡った。

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