第21話夢見る生贄(ひつじ)の視る現実(ゆめ)は④
「悪い、ザト!今行くわ!」
光流は廊下の奥にあるキッチンにも聞こえる様、同じ位大きな声で返すと、未だ悪口雑言を言い足りない様子の楓を無理矢理部屋の外へと押し出し手早く身仕度を整え始める。
「ちょっとお兄ちゃん聞いてよ!光流くんったらおかしいんだよ!」
無理矢理押し出されたことが不満だったのか、先程の光流の声にも負けず劣らずの大きな声で文句を言いながら去る楓の足音が少しずつ部屋から遠ざかっていく。
光流の部屋に訪れる沈黙。
すると、光流は大きく、一つ溜め息をついた。
「良かった・・・夢で・・・・・」
光流は心の底からそう呟くと、トレーナーをもう一度腹の辺りまで捲り上げた。
そうして、そのまま鏡の前に立ってみる。
腹に傷は、ない。
念の為、何度か手で腹の真ん中を撫でてもみる。
やはり、しっかりとくっついている。
瞬間、まるで、春の柔らかな陽射しが真冬の氷を溶かしていく様に、心の奥底から湧き出てきた大きく暖かな安心感が光流の心を満たしていく。
(ほんと良かったわ、夢で。けど、やけにリアルな夢だったよなぁ。僕、何であんな夢見たんだろう)
そんな事をぼんやりと考えながら、光流は部屋の外にある共同の洗面所で顔を洗い、歯磨きを済ませる。
そして、寝巻きと部屋着兼用のトレーナーとスウェットパンツを脱ぎ捨て、着なれた明るめの紺色の生地のズボンに足を通し、次に白いシャツに袖を通していく光流。
楓か、或いは彼女の兄が洗濯をしておいてくれたのであろうそれらは、ぴしっと糊が利いており、非常に着心地がよく、しっかりとシャツの襟元の第一ボタンまで留めると気持ちまでぴりっと引き締まる思いがした。
普段は本来の管理人である兄妹の両親が掃除や洗濯、果ては食事まで、田舎から身一つで出てきた哀れな高校生の世話を焼いてくれているのだが、生憎、二人は現在仕事の関係でロンドンに出張中だ。
その為、今は居ない二人の代わりに、楓達兄妹がこうして光流の世話を焼いてくれている訳である。
光流は心で兄妹に感謝を捧げながら、その襟元に、光沢のある生地で出来た無地の明るい水色のネクタイを締めていく。
ズボンと同じく明るい紺色のブレザーはーー出掛ける直前に羽織れば良いだろう。
そう思い其処まで身仕度を整えると、光流はベッドの真横にある勉強机の上に置きっぱなしになっていた教科書を机上に立て掛けてある時間割を確認しながらやや乱暴に詰め込み、同じく机の上でてんでばらばらに散らばっていた筆記用具を手早く濃い臙脂色のスクールバッグに詰め込むと、ブレザーとバッグを肩にかけ、部屋を後にした。
カチャリと部屋のドアの鍵が閉まる音がした、その直後ーーー
まるで、これから彼の身に降りかかる大きな災厄を暗示するかの様に
ぴしり、と。
誰も触れていないというのに、光流が愛用しているマグカップに縦に大きく皹が入り、
がしゃん。
夢の中の光流の様に二つに分かれ、音もなく、誰もいない部屋のローテーブルに倒れ、転がった。
中に入っていた楓手作りの苺ジュースを、まるで鮮血の様にテーブルの端から滴らせながら。
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