第8話現実(リアル)を侵食する虚構(フィグメント)

ーーーーほォらね・・・だから、聞かない方が良いと言ったでしょう・・・・・?



一段と強く吹き荒れる、肌を刺す様に冷たい風に乗って、彼女のそんな声が聞こえた気がした。


だが、今の僕には御丁寧に彼女に応えてやる余裕等無い。


ーーーーー息が、出来ない。


苦しい。


首筋に絡み付く、氷の様に冷たい何かを引き剥がそうと必死に掴むとーーーそれは、今僕の首を締め付ける万力の様な力とは到底見合わない程とても細く、小さな、『人の手』であると気付く。


「ーーーーっ?!」


一体、誰がーーーー?

何故、僕の命を・・・・・?


何より、先程まで、確かにこの場には僕と彼女の二人しか居なかったのに・・・・・?


それとも、やはりーーー彼女が先刻言った様に、霊が僕を殺そうとしているのか?


そこまで考えて、僕は一旦思考を止める。


そう、理由や正体を考えるのは後だ。

先ずは、この窮地から如何にか抜け出さなくては。

僕には、まだまだやりたいことも、やり残したことも、沢山あるのだ。

こんな所で、こんな得体の知れない何かになんてむざむざと殺されて堪るものか。

そう思考を切り換えると、僕は首をへし折らんばかりの剛力で締め上げるその誰のとも知れない手を振りほどこうと必死に暴れた。

蛇の如く絡み付く腕に爪を立て引っ掻いたり、わざと指を一本だけ掴んで反対に反らしたり。

ありとあらゆる手段を使って生存の為の防衛を試みる。


しかしーーー僕の首に巻き付く手の力は弱まるどころか強くなる一宝で・・・僕の必死の抵抗にも、まるでダメージを受けた様子を見せない。


(くっそ・・・・・!)


せめて片方の手だけでも外せないものかーーーそうすれば状況はかなり変わる筈だ。


僕はそう考えて、両手を同時に外すことを諦め、片手ー右手を外すことに集中することにした。


右手を掴み、学校の体育の授業で習った背負い投げの要領で投げ飛ばせはしないかと必死に体を捩ってみる。


するとーーー大暴れに暴れる僕の視界の端に、鏡の様に磨かれた、この墓地の由縁が書かれたあの立て札が入り込んできた。


そこには、真冬だというのに、まるで真夏の様に顔を真っ赤にし、額からはおお汗を流して暴れる僕の姿とーーーーー僕の首に手をかけ、婀娜な笑みを浮かべている少女の姿が映っていた。


(なっ・・・・・?!)


思わず、息を呑む。


(一体、いつからいたんだ・・・・・?いや、それ以前におかしいだろ・・・・・。重みなんて、全く感じないぞ・・・?)


すると、少女は僕が立て札を通して彼女を見つめていることに気が付いたのかーーー鈍色にびいろに薄く輝く立て札に映る少女が、僕に向かい、艶然と微笑んだ。


その微笑みはーーーともすれば、まるで絵画に描かれる慈愛に満ちた女神の様に美しく、しかしそれ以上に、身の内に猛毒を秘めた妖花の如く、どこか毒々しく・・・禁断の果実の様な甘美で妖しい魅力に満ちており、その少女に殺されかけている最中だというのに、僕は、つい彼女の微笑に見入ってしまっていた。


いや、その微笑だけではない。

こんな状況で不謹慎だが、それでも、少女はその何処をとっても比類なき程に美しかった。


まるで溶かした蜂蜜をそのまま流しかの様な甘やかな輝きを放つ、足首まであるであろう長いハニーブロンドは、毛先でゆるくふわりと内側にカールしており、肌は降り始めたばかりの綿雪の様に白く、何より印象的なのはーーその、海の様に深く、しかし、世に並ぶどんな宝石よりも輝きを放っているであろう、そのコーンフラワーブルーの瞳であった。


例えばーー結城の美しさを漢字で例えるなら、『凜』。では、少女の美しさを漢字で例えたらーー『毒』。


それ位明らかに、少女は常人ではーーいや、人間では有り得ない作り物の様な美しさと、触れたら一瞬で死んでしまう致死毒の様な禍々しさを湛えて其処にいた。


少女がその身に纏う、目にも鮮やかなそのルビー色一色の豪奢なエプロンドレスも、少女の美しさに見事に調和し、彼女の抜ける様な肌の白さに花を添えている。


僕は殺されかけているのも忘れ、思わず、立て札の中の彼女に見とれてしまう。

すると、少女は、僕がろくに抵抗もしないと察したのか、僕の首を絞める手に益々力を込めてきた。

徐々に霞がかかる様に朦朧としてくる意識ーーー。

瞳に映る景色も次第に明度が下がり、少女の手を掴んだままであった腕からは力が抜け、だらりと垂れ下がってしまう。




(ああ・・・・・僕は、此処で死ぬのか・・・・・。)






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 一方、葉麗はーー先程と全く変わらず、石造りの椅子に腰掛けたまま、悠然と足など組み、目の前で繰り広げられて入る悲劇ー葉麗にとったら喜劇かもしれないがーを見つめていた。


組んだ脚の上に己が両肘をつき、両手を頬に添えながら、眼前でその命を奪われかかっている光流を見上げて口を開く。


「あーあ。だから、知らない方が良いって忠告してあげたんですよ?それにしても・・・実体化出来るなんて、この方、見た目はかなりお若いですけど、積もり積もった恨みは相当のものですよ。こんな大物に憑かれて、貴方、今まで何も感じなかったんですか?」


葉麗はそこまで言うと光流の答えを待つ様に一旦言葉を切る。

しかし、今の光流に、葉麗の言葉にいちいち答えてやる余裕等毛頭無い訳でーーーー。

それを察したのか、或いはただ待つのに飽きたのか、葉麗は自ら言葉を続ける。


「私がバイトに入った時にはもう憑いていらっしゃいましたから。少なくとも、半年は憑いていらっしゃる筈なんですけどね。本当に、体の不調とかありませんでした?」


葉麗は、またも返答を待つかの言葉を止める、が、やはり返答等ある筈もなくーーー。


やはり、葉麗は暫し待った後、また自ら話し始めた。


「今まで一切何も感じなかったとしたら、それはそれで凄いことですよ。貴方、本当におめでたい、お幸せな人なんですねぇ」


その鈍感さ、ある意味尊敬しちゃいます。


そこまで言葉を紡ぐと、葉麗は、頬に添えていた両手を不意に椅子の座面にあて、勢いよく立ち上がると、座っていた時に羽織っていたコートの後部についた砂等をパンパンと払いながら、言葉を続けた。


「とは言え、此処は大切なお父様が眠る聖なる地です」


何処の馬の骨か知れない余所者と、自分が殺されると分かっているのに美女だと分かると抵抗の一つも出来ないミジンコ以下の阿呆の血で穢されるのはーーーとっても、面白くないんですよ。


葉麗が小さくそう呟いた瞬間ーー彼女の背後に在った、深く底の知れない闇が動いた。


そう、それこそ先程から光流に見えていたもので・・・それはまるで彼女の呟きに合わせる様に揺れ、そこに浮かぶ幾つもの無数の真紅の光は同意する様に瞬いた。


光流が先刻視認した時、それらは・・・闇はまだ、中に蠢く魍魎の影が目を凝らせば朧気に見える様な、謂わば影の塊の様なものだったがーーいまやそれらは徐々に形を変え、確実に『人』とわかるまでの形になっていた。


その影より産まれた闇色の人形ひとがたは合わせて2体おりーーそれらはずず・・・と這う様に葉麗の前まで進むと、まるで跪く様に頭こうべを垂れた。


葉麗は、その人形達の頭を、まるで慈母の様な穏やかな笑みを浮かべ、友か家族にするかの様に優しく撫でる。

そして、その微笑みを一際深くすると、あくまで笑顔は崩さないままに告げた。






「蜘蛛丸、夜叉丸ーーーあの無作法な侵入者共を、二人とも、追い出して下さい」

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