第4話凶相の彼女と不幸な僕の狂躁曲(カプリッチォ)③

ーーーその瞬間、確かに『時間』が止まった。


否ーーそれは勿論、実際に時間が止まった訳等ではなく、ただ、思わずそう感じてしまう程、その時の僕は瞬きをすることすら忘れ、目の前に悠然と佇む彼女のーーその、即効性の猛毒の様な禍々しい言葉を放った深緋こきひの唇を・・・そして、未だ口許に薄い笑みを湛えたままの彼女の涼しげな貌かおを、呆然と見詰めていたのだった。





『貴方ーーーー近い内に死にますよ』





頭の中がまるで何処かの洞窟にでもなってしまったかの様に、たった今目の前で彼女が言い放った余りに不吉過ぎる言葉が、何度も何度も反響する。


(僕が、死ぬーーーー?)


しかも、近い内に?

そんなバカなーーーー。


有り得ない、いや、有り得る筈がない。


そもそも、何故、彼女は医療技術が進んだ現代の医師でさえ100%の予知は不可能だと言われている人間ひとの生死をーーしかもピンポイントに『僕』が近い内に死ぬなどという情報を、如何して知ることが出来たのか。


そう、人命の生殺与奪は未だ神のみの領域の筈だ。


ならば、彼女はどうやってーーー。


そこまで真剣に考えて、僕ははっとした。


もしやーーーー


「あのさ、結城。その、もしかして、怒ってる、のか・・・・?」


僕が、彼女が今まで隠し通してきたであろう大切な秘密をーー謂わば彼女の、誰の目にも触れさせたくない・踏み込まれたくないであろう聖域であろう部分を、ただ己の好奇心を満たしたいが為というとても自分勝手な理由で無断で、しかも土足で踏み込み、その最奥に在る秘密を暴きたてようとしたから・・・いや、現に、こうして暴いてしまったから、だから、彼女は怒って僕にこうして性質たちの悪い冗句を言っているのではないか。


でなければ、僕の命の期限など彼女が知りうる筈がない。


そう、きっとこの放言は、無礼をはたらいた僕への彼女なりの仕返しーー復讐リベンジなのだ。


そう考えると色々納得出来ると同時に、腹の底から沸々と怒りが沸いてきた。


確かに、僕は彼女に対して悪いことをした。


幾らアルバイト先の同僚だからといって、今まで事務的な内容以外は殆ど口をきいたことすらない少女の後をこっそり、しかも夜に尾行するなんて、頭が冷えに冷えた今になって考えれば、確かになんて愚かなことをしてしまったのだろうと思う。


こんなこと、まるでストーカーの行いだ。


最悪、通報されてもおかしくはない。


だが、それにしたって、彼女も『貴方ーーーー近い内に死にますよ』だなんて・・・。

僕達は、仮にも職場の同僚であり、尚且つ、同じアルバイトの仲間なのだ。

胸中に渦巻く怒りで冷静ではなかったとしても、もう少し言い方というものがあるのではないだろうか。


大方、突然の死の予言で僕を驚き怖がらせ、最終的には、今夜の不躾な振る舞いを謝罪させるという方向に持っていきたかったのかもしれないが、しかし、彼女のこの言い方では此方とて余りに余りな言われ様に怒りが沸いてくるというもので、そうなると、結果、彼女と僕どちらも冷静に場を収めることなど出来ず、却って逆効果になるのだ。


そんなことを考えていると



「近藤さん」



不意に、また彼女から声をかけられ、深い思考の海の中へと沈んでいた僕の意識は、一旦現実へと引き戻された。


「えっと、何?ああ、やっぱり、怒ってるの?」


すると、彼女は僕が何を言いたいのか・・・全く理解出来ないとでもいう様に白魚の様な白くてほっそりとした自分の右手の人差し指をその薄く紅潮した頬にあてると、小さく小首を傾げてみせた。

そうして暫しの間視線を落とし、その長い睫毛を伏せ、何やら思案する様子を見せていたが、やがて徐に顔を上げると、冬の宙そらに輝く星の様に澄み渡った瞳で再度僕をじっと見詰め、こう言った。



「何やら誤解をされているようですが。・・・・・残念ながら、これは、嘘や冗句ではありませんよ」





だって、貴方、視えているのでしょうーーーー?



ーーーーーーーと。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 「おいおい、まだ着かないのか・・・・・」


彼女の後を追い歩くこと先程より更に十数分ーー。


未だ、葉麗とその後を追う光流の姿は、地下鉄大手町の駅構内にまるで冠動脈の様に複雑に張り巡らされた地下通路の中に在った。


とは言え、決して迷っている訳等ではないらしく、寧ろ、歩を進める度に明るく晴れやかにーー堪えきれない程のはちきれそうな笑顔に変わっていく、通路の柱に然り気無く貼られた鏡に映った彼女のその表情に、光流はこの道の先に彼女の目的である誰か・・・或いは何かがあることを改めて確信する。


そして、それと同時に、普段徹底して能面の如き鉄壁の無表情を貫き通す彼女を、ここまで笑顔にさせるその事象、或いはまだ見ぬその誰かに対して、改めて言い知れぬ興味を覚えるのだった。


しかし


「・・・・・本当に、こっちで合ってるんだよな?」


進めば進む程道幅は狭く、通行人の姿は減っていくその道に、光流は少し不安を覚えた。


特に、先程から、二人は舗装整備工事中の道に入ったのだが、頭上から道程を照らす灯りは簡素なーーと言えば聞こえは良いが、白く光る蛍光灯が剥き出しになったものに代り、壁は工事中である為か一面真っ白な仮囲いに覆われ、挙げ句、足元はベニヤであろうか・・何やら薄い板を通路上に道なりに渡し、その上を黒いゴムで出来た分厚いマットで覆ったものに代わったのだが、歩く度に足下から伝わるゴムのぐにゃぐにゃとした感覚と、靴とゴムが擦れて出るキュッキュッという音が何とも心地悪く歩きにくいこと非常にこの上ない。


また、蛍光灯と蛍光灯の照明の間の少し照明が途切れている部分ーーそこに、恐らく繋ぎであろう裸電球が一つぶらりと無造作に吊るされているのだが、二人が歩く度、その振動が伝わるのかゆらりゆらりと揺れ、映し出される影がよくよく形を変えるのも、通行人の姿が殆ど無いことと相俟って、まるで和製ホラー映画の一場面の様に感じられ、とても不気味だ。


(何時までこんな道を歩くんだよ・・・・)


身体に蓄積された疲労感と共に、更に新しく感じることになった何とも薄気味悪い感覚に、光流がまた一つ新しい溜め息を吐き出したその時ーーー不意に、道が開けた。


工事中の道のその先、突き当たりであるそこには、恐らくオフィスビルであろう建物の、地下からのエントランスに直結した透明なガラスの扉があったのだ。

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