第42話 隔壁
道なりに進んでいくと、半周もしないうちに両開きの扉に突き当たった。
ここまでの分岐点は二つ。内側と外側にひとつずつあったが、どちらも下への階段で、出口を探しているのに降りても意味がないと無視した。
扉は片方はずれかかって傾いていた。隙間は暗く、中の様子は分からない。
先ほどと同様、ウォルフとケイが確認した後に、レクセンとイシュトスが入った。
そこは講義堂のようだった。
天井が高く、扇状の段に座席が並んでいる。エブラーグ本部の会議室の倍近い大きさだ。照明はほぼ死んでいたが、真っ暗ではなかった。
壇上側の壁一面がガラス張りで、向こうから光が差し込んでいた。
ガラスがくすんでいて一切何も見通せなかったが、光っているのは下方の中心部と思しき場所だ。
レクセンはガラスをこすってみたが、汚れは根を張ったカビのようにしつこく、袖と手首が真っ黒になっただけだった。
意地になってゴシゴシこすり、かすかに輪郭が見え始めた時、入ってきた扉と反対側の扉から急に光が差した。
「ふせろ!」
ウォルフの警告。
レクセンは、ケイに思い切り真後ろに引っ張られて、背中から倒れた。同時に銃声がして、こすった位置に小さなヒビができる。
遮蔽物はほとんどなかったが、光が当たっていたレクセンへの最初の射撃以外は狙いは粗く、何にもないようなところに火花が散る。
引き倒されて目が回ったレクセンをケイが片手で引き起こし、身をかがめながら扉めがけて体当たりした。扉の片側がはずれて、くるくる回転しながら倒れる。
ウォルフが連弩を撃って応戦している間に、内側の壁に身を寄せる。
相手は、数と武器の優位を確信しているのか、距離をつめながら撃ってくる。
そのうちの一発が壁の小さい出っ張りに着弾して、火花がレクセンとケイに降り注いだ。反射的自分をかばった二人に距離が空く。
ゴォォン、と重たい音がその間に埋まり、急に銃声が遠くなった。
振り返ると、後ろにいたはずのケイとウォルフの姿が消えていた。目の前にあるのは金属の隔壁のみ。
「ケイっ! ウォルフっ!」
レクセンは壁にはりついて、悲痛な声で叫んだ。
隔壁を渾身の力で叩いたが、骨の芯まで衝撃が跳ね返ってくるくらいビクともしなかった。
耳をつけて向こうの声を拾おうにも、かすかな銃撃しか伝わってこなかった。
どうしよう、すぐに助けにいかないと。でもどうすればいいの。
撃たれていたらどうしよう。もしかしたら、もしかしたら二人とも―――
イシュトスは、ひざをついて隔壁に額づくレクセンの肩を叩き、厳しい声で諭した。
「落ち着くんだ。ここにいるのは危ない。離れねばならん」
「でも、でも、ケイたちが・・・」
「あの二人は強いんだろう? きっと大丈夫だ。まずは隠れる場所を探そう。わしらは戦えない。けれど、足まで引っ張るわけにはいくまい」
そうだ。ケイに助けられたあの時に誓ったはずだ。
レクセンは隔壁の溝に爪をひっかけて、腑抜けた身体に無理矢理力を込めて、自力で立ち上がった。
息が激しく乱れて、立ちくらみがする。限界を超えて全力疾走したような感覚だったが、甘ったれた事など言っていられない。
レクセンは昇降機まで戻ることにした。中から閉じてしまえば、早々見つからない。
だが、戻る方向から複数の足音が聞こえてきた。
自分たちに味方はいない。対面するまで突っ立っているなんて愚の骨頂だ。少し戻って、内側にあった階段を駆け下りた。
円周通路とはうってかわって、直進と直角の通路だった。明るさも急に薄れ、足もとがおぼつかなくなる。
たまにある扉は取っ手が見当たらず、開閉できない。身を隠せる空間を探して進むしかなかった。
一旦足を止めて振り返ったとき、銃声がこだました。上階のようだが、距離がつかめなかった。
それに、もしすぐ近くに降りてこれるような階段や通路があるかもしれない、と思うと、立ち止まっていられず、二人は進み続けた。
すると、六角形の広間に出た。
暗くて正確には測れないが、あの講義堂よりは広くなさそうだ。
レクセンがいる場所は上段の通路で、身をかがめて手すりに寄ると、欄干の隙間から広間のくすんだ床面と中心の置物か像が見えた。
銃声は聞こえなくなり、重く低い耳鳴りのような機械の駆動音も遠くなり、自分とイシュトスの息づかいと足音がやけに大きくなる。
ひとつ隣の通路は、左右に一つずつ取っ手のない扉と、奥に両開きの扉があるだけだ。叩いても蹴っても開きそうにない。
奥まで行ったイシュトスが、「電源はきているはずだ」と呟き、手探りで扉の周りを捜索し始めた。
レクセンは一旦背後を振り返った。
袋小路にいるのは少し不安だが、ここまで静かなら足音は聞き逃すこともない。
まずは落ち着くことが最も大切だ。
深呼吸をして向き直ると、イシュトスが先ほどの自分と同じような姿勢で、扉に向かって跪いていた。
「イシュトスさん?」
背中に手を当てると、汗で湿っていることより、呼吸がかなり荒い事に気づいた。レクセンも混乱と不安と焦燥で普段通りには程遠いけれど、ここまで乱れていない。
もう一度呼びかけて、イシュトスの表情を覗き込もうとしたとき、腰あたりの黒くぬめった何かを手で押さえているのが目に入った。
その途端、一気に知覚した。
逃げている時の彼の顔色や動きの悪さ、血の臭いが記憶の中から迫ってきた。
ほんの一瞬の内にケイたちと離れ離れになって、破裂した思考が他の情報を勝手に遮断していた。
整いかけた呼吸が大きく乱れた。
とりあえず血を止める。
それだけは脳裏に深く刻まれていたので、持っていた布をあてがった。
この暗さでは傷の深さは見えないし、血の量でも判断できない。
(なんてこと・・・っ)
あっち側にいたとしても、あの二人の足手まといになるだけだし、こっち側でもイシュトスの傷ひとつ気づけないし、治療もできない。
あまりの役に立たなさに、自分を見失いかけるが、同時にそこに至るにはまだ早いと自然に思えた。
ケイもヒューデイツもロクシアもウォルフも、もう手がないと思った自分に、手段を示してきたではないか。
(次こそ私の番だ!)
イシュトスの肩を担いで立ち上がったとき、かすかな足音が聞こえた。
レクセンは息を飲みこんだ。
青の意思 白 仁十 @hakujinto
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