第41話 女神の棺



次の扉を開けた瞬間、白い光が差し込んだ。

ウォルフが連弩を構えながら侵入して、死角を素早く確認していく。彼の死角はケイが補う。

二人が構えを解いたのが隙間から見えたので、レクセンはゆっくりと扉を押した。


「わっ、すご」


照明はこびりついた汚れでくすんでいたが、今まで暗い場所にいたというのを差し引いても地下とは思えない明るさだった。しかもジメジメしていた湿気もほとんど感じなくなった。

気になったのは、嗅いだことのない臭いが充満していたことだ。カビやほこりでもなく、少々強い臭いだが、不快ではない。

毒性の可能性もあるが、誰かが撒いたならいざ知らず、地下施設の仕掛けでそれはないだろうとレクセンは踏んだ。

単に甘い考えと知識不足による判断だが、いずれにせよ吸い込んでしまった以上、毒だなんだと言うのはもう手遅れだ。なるようにしかならない。


構造はというと、広い通路が左右に弧を描いて延びていた。穴のような凸凹のない平滑な内壁で、半円状の枠が一定間隔に設置されている。

レクセンは天守堂に入ったときを思い出し、似たような設計だと期待したが、外側に分岐する通路が遠くに見え、やはりそう簡単にはいかなかった。


「どうする?」

「え、ウォルフについて行くわ」

「リック、班長やえ」

「うえぇっ」


小声の相談だったのに、ケイの指摘でレクセンは変な声を上げてしまった。一息飲みこんで、不安顔で尋ねた。


「た、たしかにそうだけど、それはこの際――」

「右か左か、だ。そんなに違いはあるまい」


いとも簡単に言う。ウォルフは自分の運の悪さを知らないのだ。

ハズレばかり引く自分にとって、二択ほど究極なものはない。何故なら選ばなかった方が当たりだからだ。無論、当たりを選べた試しはまるでない。

それを踏まえて、左と感じたら右に行くべきだ。いや、やっぱり左、と思わせておいて右かもしれない。

額に苦渋の汗を浮かべるレクセンに、尋ねたウォルフの方が深く眉根を寄せる。


「そ、そんなに悩むことなのか」


堂々巡りしていたずらに時間を浪費するのが一番良くないと分かっていたので、レクセンは最初の直感とは逆の右を選択した。

右は分岐が見えた方だったので当然確かめてみるが、物置かなにかで出口ではなかった。

やっぱりね、と確信のこもった呟きを口にするレクセン。


代わりと言っては何だが、このような施設は壁や柱に案内図がある場合が多いと発掘部で教わっていたことを活かし、なるべく壁や柱に注目して歩いた。

すると、柱の上部にうっすらと残った文字を見つけた。”南西”を示す文字に見える。


「昇降機はほぼ東に向いていたわけか」

「じゃあ、あの森の遺跡の真下ってこと?」

「そこまで長い穴じゃなかった。せいぜい中間だろう」


森の獣道と地下の穴では、進行速度に差がありすぎてウォルフもあまり自信はなかった。だが、言った通りの位置ならば、同じ造りというレクセンの推測が正しいことになる。森の遺跡から西に向かう昇降機が存在するわけだ。


《ジェニ》と鉢合わせする可能性はかなり高い。もしかしたらやつらが遺跡の門を起動させたことで、キーダイの地下の機械も連動したのかもしれない。

脱出の方法は見当がついた。あまりうろうろすべきではない。三人をどこかで待たせて、自分一人で出口への道を探した方が、見つかる危険性は低くなる。低くなるが、そこが出口かどうか、はたまた作動するかどうかまでの見極めができない。あの昇降機がいい例だ。


「イシュトスさん?」


ふと、レクセンがイシュトスの具合を伺った。そこで、ウォルフもやっと彼の様子のおかしいことに気づいた。

イシュトスは唇まで白くなるほど蒼白になっていた。レクセンの気遣いに笑みを浮かべようとするが、ぎこちなく顔を歪ませただけだった。

壁に手をつこうとするが、触れるのもためらうように手を宙でさまよわせる。すぐにケイが手を握って支えた。そういえば、ケイは何かとイシュトスを支えることが多い。


(そうか。師と重ねているんだな)


ウォルフは壮健であったときの師しか知らなかったが、病を得てからは同じようなこともあったんだろうと想像できる。

イシュトスはケイに手を重ねて感謝の意を返しはしたが、まだ平静にはほど遠かった。


「もしかして異常を感じたんですか? モヤの中にいるみたいな」

「ああ、いや、そうじゃないんだ。そうじゃなくて・・・恐ろしいんだ、とにかく。ここは正に・・・想像とはまるで違っていたが、棺そのものだ」


レクセンには、理知的に整然と話す今までの彼とは全く別人に映った。

無理はない。キーダイの人間にとって絶対不可侵の領域に、偶然とはいえ踏み込んでしまったのだ。テーベンの未来を拓こうとして、破滅へ導いていることに戦慄していた。


「何故、ワシらはこれほどとてつもない何かを知らずにおれたんだ? 何故、先人たちはもっと正しく伝えてこなかったんだ? 何故、何故・・・」


レクセンは、混乱するイシュトスの空いた手を、ケイと同様両手で包んだ。


「イシュトスさんの問い、忘れていないですよ。いまはまだ何も分かりません。ここが本当に棺かどうかも分かってません」


緊張で、イシュトスの震えか自分の震えか分からなくなっていたが、声を振り絞った。


「より正しい知識を得るためには、待ってるだけじゃダメで、あえて踏み込まなきゃいけないこともあると思うんです。答えは必ず見つけてみせますから、それまでしっかり見守ってもらわないと、困ります」

「・・・・・・そうだったな、そうだった」


さまよっていたイシュトスの目が、レクセンと合ってピタリと止まり、意思の光が戻ってきた。

それから、彼は額と鼻頭に浮かんでいた冷や汗を肩口でぬぐいながら深呼吸をくり返すと、視線を少し落とした。


「もうちょっと、このままにさせてもらってもいいかね?」


レクセンは、いつの間にかイシュトスの手を胸に抱き寄せていたことに、彼の視線で気づき、紅潮してパッと手を放した。

イシュトスが、ははっ、と口の端をあげたのはほんの一瞬で、すぐにまじめな顔つきになる。


「随分恥ずかしいところを見せてしもうた。昇降機乗ったとき、足もとが歪んで傾いたように錯覚してな。そのうえ、こんな別世界に放り込まれて、自分を見失ってしまったらしい。申し訳ない」


素直に頭を下げると、己の失態をいつまでも引っ張るのは好ましくないようで、冗談で切り返した。


「にしても、君らは胆が据わっておる。天守堂のときもいまもほとんど慌てておらん。その心力を、このひ弱い老人に分けてほしいわい」

「全然、全くそんなことないですって」


レクセンは交差した両手を振って否定して、わたしもケイやウォルフから分けて欲しいわ、と内心付け足した。



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