第36話 導き
「リィック、わかったよ! リック?」
真下からケイのやけに弾んだ声が聞こえてきた。
ここよ、と手すりから顔を出して、レクセンは急いで階段を下りた。
ケイは、螺旋階段を降りてくるレクセンを見つめ、彼女が中央の間にくると、即座に駆け寄って手を強く握り、やったやったと跳びはねて喜んだ。
腕を激しく上下に揺さぶられるレクセンは、ケイを落ち着かせようとするが、声まで揺れていた。
「ケイっ、ちょっとっと、お、おち、つい、て」
ケイの興奮は冷めやらず、今度は肩が抜けそうなくらい思い切り引っ張られた。
引っ張られた先には、イシュトスが集めた本とは全く別の巻物のようなものを広げていた。
「これを見てくれ、すごいもんだぞ」
こちらもつばをとばすくらい昂っていて、立場が逆転したレクセンは面食らった。
紙は古く、描いた線や点も薄れていて、本とは違って時代を感じる。
縦横の細い線が格子状に走っているが、曲線のため、四角ひとつひとつが歪んでいて、大きさも違う。
それに、わざと汚したのかというくらい点が飛び散っていて、とにかく見難かった。絵も様々な方向から描かれていて、統一性のない子どもの落書きに思えた。
これがなんなの、とレクセンはすぐに答えを聞かなかった。二人がここまで興奮している理由を自分なりに探ってみた。
レクセンが答えを得る時間すらもどかしく感じ、イシュトスはある絵を指した。
翼を広げた鳥だ。頭の形から猛禽類に見える。
それから、イシュトスは一冊の本を置いた。
『鷲の生態』だ。
次の絵を指す。
四足のずんぐりした動物で、尾が狸のように太く長い。
イシュトスが置いた本は、『少年とこぐまの森あそび』だった。
二人は書物の共通点を見つけたのだ。
彼らの興奮がレクセンにも一気に伝染し、全身の肌が粟立った。
「これはな、星を描いた星図だ。モヤがない時代は、こんなにも無数の光が夜空にあったんだ」
レクセンは、モヤに関しする本を色々読み漁っていたが、モヤがない空の話となると、一般的に知られているような知識しかなかった。
「モヤの代わりに、この点々や線が空に浮かんでいたってこと?」
レクセンが見たことある夜空といえば、黒塗りに白い点が飛沫のように散りばめられた写真の模写くらいだった。それとて色褪せてくすんだものだったので、記憶もおぼつかない。
レクセンは、ふわふわと滞空する光る雪のような情景を思い浮かべると、イシュトスがその乏しい想像を払うように大きく手を振った。
「いやいや、モヤよりもっともっと高い、人間が永遠に届かないところにあるのが星だ。そして、その配置を動物や物に連想したのが星座というもので、この本の共通点なのだよ」
レクセンは、呆然としたような、感心したような顔で聞き返した。
「すごい。・・・よく気づきましたね」
「ああ、ケイ嬢ちゃんが気づいたんだよ」
「えっ、ケイが?」
パッと隣を見ると、上向きの鼻が一層上に伸びたようなケイの顔が飛び込んできた。自慢げに胸を張っているが、どこか照れくさそうにも見えた。
レクセンがかける言葉に詰まっていると、ケイの態度はすぐに崩れた。
「なんか言ってや」
「あ、ごめんごめん。あまりに感動しちゃって、何も言えなくて。でもすごいよ、わたしじゃ絶対見つけられなかった。本当にすごい」
『すごい』しか連呼できなかった。想像だけでなく、語彙も乏しくなっていた。
「あてづっぽが当とうただけ。子どもんころ、物知りばあちゃんの昔話に星の話があってな、これ見て思い出してん」
ケイが鼻の頭をかきながら言うと、イシュトスがケイを持ち上げた。
「謙遜しなくていい。そうした些細なつながりに意識が行くのは、素晴らしいことだ。頭の固くなったわしとはえらい違いだ」
「ああ、よくやった」
普段あまり褒めることのないウォルフも続いた。
ケイは、まぶしそうなぎこちない笑顔で、むずむずと身をねじった。称賛されることに慣れていないらしい。
「ふう、年甲斐もなく興奮してしまったな。こんなこと、生まれて初めてだぞ」
イシュトスは額からあごを片手でなでおろし、気持ちも息を整えた。
しっかり落ち着かせてから、どの本がどの星座に対応するか、一冊一冊確かめ始めた。
レクセンたちは黙って見ているしかなかった。
動物は比較的分かり易そう、と考えたものの、すぐに間違いだと気づかされた。
「え、これがくじら?」
『島くじらの伝説』が置かれた星座の絵は、トカゲと魚が合わさったような頭に、大きな前足が二本ある上半身と、人魚のような尾びれの下半身の、海獣だった。
「想像上の獣だろうが、昔は似たような生物がいたかもしれんなぁ」
青だけでなく、方位も失った現在、海は最も危険な領域で、海上に出るだけで命知らずだと言われる時代である。
誰も目撃していないだけで、実は棲息しているかもしれないと思うと、興味と恐怖が同時に膨らんだ。
やがてイシュトスの手が止まった。まだ合わせていない本が数冊手元に残っている。
「題名だけではわからん本もあるな」
「関係ない本もある、という可能性もあるんじゃないですか?」
「どうかな。ここまで合致するとなると、その可能性は低いだろう。あとは星座の謂われに関するやもしれん」
うんうん唸るにはまだ早い。
「なら、分かっているところから、本を棚に当てはめてみませんか?」
「うむ、よし。天守堂の外廊には壁画があっただろう。四か所、東西南北にある。それぞれ絵や記号には意味があってな。例えば東には、渦巻きの記号と翼人が描かれていて、これはな、風を象徴するもので――」
イシュトスは唐突に言葉を切った。
導師の性分で、いつのまにか教導しかけている自分に気づいた。
長くなりそうな年寄りの話でも嫌がらずに耳を傾けてくれる彼女たちを前に、説明を省くのはもったいない気もする。
が、のんびりしていられないのも確かなので、咳払いとともに長話を掃った。
「――とにかく。それぞれの壁画に、風、土、火、水という四大要素の象徴があるんだが、これは季節に置き換えることもできるんだ」
「じゃあ、春夏秋冬の星座に当たる本を一冊ずつ選べばいいんですね」
「いや、季節を統一するのではないかな。全部で十六冊というのはそれぞれ四冊ずつあるからだと、わしは思う」
イシュトスの意見の方が的を得ている、とレクセンも判断した。すると、二つ疑問が浮かび上がる。ケイがそのうちのひとつを口にした。
「どの季節を選べばいいん?」
「おそらく、今、初夏にさしかかった現在の季節だと予想しておるんだが」
「それは星座を季節ごとに分けてから、試していけばいいってことですね」
その通り、とイシュトスがうなずいた。
もうひとつの疑問は問わずともわかりきっていた。
どの星座がどの季節なのか、だ。
星座にかかわる文献や事典を探すために、再び天守堂内を奔走することになった。
持ってきた台では狭いので、床に広げた布の上で運んできた資料を置いて、地べたに座って読むことになった。
といっても、資料には古い文字や文語も混じるため、主軸はイシュトスで、多少知識のあるレクセンが補佐する形になった。
ケイは資料を運ぶ手伝いなどで動いていたが、ウォルフは相変わらず場の確保に務めた。
本とにらめっこしているレクセンたちから一歩引いて見ていたウォルフは、何気なくレクセンの手帳に目がいった。
開いていた頁は、さきほど階段を上って描いたものだ。
盗み見る気はなかったが、こうも上手く描いてあると、他も見てみたくなった。
次の頁をめくってみると、天守堂の大窓が並べて描写されていた。
その端には、『四枚。色彩模様の違いあり』と一言添えられている。
ウォルフは大窓を見上げた。回廊と手すりが遮って半分も見えないが、東西南北にあることだけは確認できた。
(さっきの話だと、あれも四大なんたらを表しているのか)
もう一度レクセンの手帳に目を落としたとき、大窓の模様と隣にある星図が、同時に目に入った。
ウォルフの中で何かが閃いた。自分でも見逃しそうなくらいかすかな光明だった。
ウォルフは基本的に己の本分から外れる真似はせず、余計な口出しなどしない。しかし、このことで忘れられない出来事があった。
調査隊内で意見を出し合っていた時、何ひとつ口を出さなかった。後々になってその時考えていたことを、何気ない会話の中で漏らしたことがあった。
相手はロクシア。
自分の所見が正解だったわけではない。それでもロクシアの憤激ぶりは、ボーデンも目を反らし、オダンすら閉口させるほどだった。
その後も、ロクシアは何かにつけてこの事を掘り返しては、愚痴をぶつけてくる。同じ過ちをくり返して、二度と彼女の逆鱗に触れまい、と固く誓う出来事だった。
「イシュトス、星図を借りても?」
「乱暴に扱わんでくれよ」
「レクス、手帳を」
「ん」
二人は本から目を離さずに了承した。
集中しているレクセンの返事はあいまいだったが、良しとする。
ウォルフはケイを呼び、いくつか指示した。
護衛としての役目を差し置いてまで行動することはしたくなかったので、ケイに託した。
ケイも護衛ではあるが、レクセンの相棒というほうがぴったりだと感じていた。先日のボーデンの話があったからかもしれない。
ケイが手帳と星図を慎重に抱えて、螺旋階段を軽快に上がっていく。
彼女が結果を伝えてくるまでの間、ウォルフは妙に待ち遠しい気分で大窓を見上げていた。
そして、しばらくして、ケイが手すりから身体を乗り出して腕で丸をつくったとき、ウォルフはぐっと拳に力を込めた。
そんな自分に気づいて、小さく苦笑いしてしまった。
自分の導き出した答えが、かっちりと当てはまった時の快感は何事にも代えがたい、というロクシアの言葉も思い出した。
(なるほど、たしかに心地よい)
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