第32話 ジェニ



どのくらい経ったか。

一切の音が消えたように、しんとしていた。

ケイは目を開けて、長椅子の隙間からしずかに身を起こした。

初めて見る不思議な色の濃霧は、ただの白煙に変わっていた。

椅子の木の感触をたしかめ、自分の手を見る。見慣れた白い手だ。かすかにふるえていた。幾度かまばたきして見直しても、手の形に変化はなく、頭がくらくらする感覚もすでにない。


あれはいったいなんだったのか。

白煙は発煙筒の煙に似た臭いがするが、ボーデンから教わった種類で、あんな効果がある煙なんて聞いたことがなかった。

まずはレクセンの無事を確かめたかったが、むやみに動けない。

じっとしているうちに白煙はしだいに薄れていった。銃を向けていた者たちは見当たらず、クラクスの姿もなかった。


視界が明けてくると、像の台座のわきに倒れているイシュトスとレクセンの足を発見した。

駆けつけたい衝動をぎりぎり抑えこんで、ウォルフに指示を仰いだ。

女神像のそばまで進むウォルフの背後を警戒する。連弩を拾って構え、女神像へ回りこむようにじりじりと近づいた。

像の間近まで来ると、ウォルフがケイの肩をトン、と叩いた。


ケイはすぐさまレクセンのそばに屈み、様子を確かめた。

レクセンとイシュトスの肩をゆすると、レクセンだけが驚いたように目を開けた。

ケイは、咄嗟にすぼめたくちびるに指を立てた。

そして、半分覆いかぶさっているイシュトスの下からレクセンを引っ張り出し、柱にもたれさせた。

倒れこんだときに肩やひじを打ちつけ、くちびるを切ったようだったが、心配していたような怪我はなく、意識もはっきりしていた。ひとまずは安心だ。


一方、イシュトスはまったく動かない。

イシュトスだけではない。近くにいた若者も他のテーベン人も倒れていて、ピクリともしない。

ケイはイシュトスの口もとに指先を近づけた。かすかに息がかかる。ウォルフを見上げてうなずいた。

うなずき返そうとしたウォルフが、はじかれたように足音に連弩をむけた。テーベン人がひとり、ゆったりとした動作で螺旋階段を下りていた。


「とまれ」


ウォルフの警告に、テーベン人は階段を下り切ったところで足を止め、両手をゆっくりあげて、長衣の頭巾をめくった。

その下には、見たことのある不敵そうな笑みがあった。ウォルフは顔をしかめつつも、照準をはずす。

ショーンは、やれやれと腰に手をあてて、サッと周りを確認した。

そして、近くに倒れていたテーベン人の腰ひもをほどき、後ろ手に縛りあげた。


「こいつら、気を失ってるだけだ。全員ふん縛ってしまえ。話はそれからだ」


ショーンとウォルフが次々に拘束していった。

最後に、万が一もある、とショーンがイシュトスを縛った。



イシュトスが目覚めたのはそれから間もなくのことだった。

目まいや頭痛がひどく、痛みにゆがんだしわをつくった。頭を押さえたくても、両手の自由が利かず、身体をよじらせた。


「い、いったい何が・・・?」


レクセンと同じように柱にもたれ、うなだれたまま小さくつぶやいた。

ショーンが全員への説明をかねて答えた。


「秘密兵器さ。モヤを込めた発煙筒ってとこだな。効果は見ての通り視界を乱す程度だが、ほんの短時間でね。煙が広がるための時間稼ぎでしかない」


軽い口調のショーンに、ケイは非難の目を向けた。

短時間ではあるが、体験した身からすれば、景色が砕け散って、自分まで歪んだような感覚だった。

ひとときも立っていられなくなり、胃が裏返るような気持ち悪さが襲ってきた。視覚だけの影響だというショーンの説明を、とても信じられなかった。


実際にそれだけで済まなかったのがテーベン人だった。

いまだにイシュトスは呼吸が荒く、額に脂汗をにじませている。

縛り上げた彼らからもうめき声が漏れ始めていたが、起き上がる気力はまるでなさそうだ。


「一網打尽だと思ったんだが・・・やはり、そう上手くはいかんな」


テーベン人に効果絶大だったというのに、クラクスらは気絶することもなく去っていた。あの視野混濁と煙幕がある中での素早い撤退。遺物も持ち去っている。

この鮮やかさは、見事という他ない。

ショーンは、イシュトスの正面で片ひざをついて、彼の顔を覗き込むように首を傾けた。


「さて、あまりのんびりしていられない。あの光が何で、奴らが何をしようとしているかわかるか?」

「どういうことだ? クラクスはいないのか」

「いない。一体何が起きたかもわからないのか?」

「《目》にあんな機能があることなんて知らなかった。なにもかも、わしが聞きたいくらいだ」


イシュトスは苦しそうにしていたが、受け答えはしっかりしていた。

ショーンが、パシン、と拳を手のひらにうちつけた。


「他に隠していることなり、騙していたことなり、いまここで洗いざらい話してくれると、ありがたいんだが」

「だますつもりは、いや、クラクスを止めれなかった以上、同罪か。すまなかった」


ショーンは、謝罪に対して冷淡な態度だった。


「そんなもの、あとでいくらでも聞いてやる。質問には正確に答えてほしいもんだ」

「あ、ああ。しかし、《目》より重要なことなどない。本当だ」


イシュトスは痛む頭を無理にふった。嘘を言ってる様子はない。

イシュトスは、レクセンたちを巻き込んだ罪悪感がある。なおかつ、まだ混乱から立ち直れていないから、隠し事もすんなり吐いてくる、とショーンは踏んでいた。

だが期待していた答えは得られなかった。

ショーンは憮然と立ち上がり、ウォルフを見た。いままで見せたことないような深刻な目つきだった。

普段なら、俺のおかげで窮地を脱することができたんだぞ、と恩の一つでも着せようとするのに、そんな様子は微塵もない。


「これからお前らがどうするかは知らんが、ここからは本当に別行動だ」

「どうするつもりだ」

「あいつらを追う。何をする気か確かめる必要がある」


あの遺跡襲撃から始まった一連の出来事。間違いなくやつらの仕業だ。

中途半端な手際の悪さと、徹底した隠伏ぶりが混在するという共通点がある。その後者が姿を現したのだ。

この好機にただ傍観しているわけにはいかない。


ショーンの見解に、ウォルフも同意できた。

テーベン人が関わっていることは予想できたが、それがルテラ以外のテーベン人とはまったく考えがおよばなかった。

やつらはルテラのテーベン人として暗躍していた。多少足がつこうとも、疑いはルテラに向くだけだ。

あの情報屋も知らなかったか、利用されていたのだろう。


「何者だ?」

「さあな。だが、聞いたことあるだろ。《ジェニ》って名を」

「《ジェニ》」


ウォルフは胡散臭い目をショーンに向ける。

《ジェニ》は、《ガブリン》や《グル》という蔑称でも、《ピスキー》のような別名でもない。

あらゆる遺跡に現れ、宝物をかすめ取り、時には調査団員ごとさらっていく存在。けれど、誰も姿を見たことも、声をきいたこともないという。

まるで信憑性のない話なのに、都合のいい敵役や競争相手にされる。すでに無くなっていた宝を、《ジェニ》どもがかっさらったんだ、などと言って。

一部、陰謀説を唱える者が、秘密結社や、古代遺跡の守護者、あるいは世界の調律者などと妄想を膨らませていた。


「ありえるだろ」

「それは・・・」

「俺もな、今まで遊んでいたわけじゃない。奴らの足取りをずっと調べてきたんだ。あの銃を見てなんとも思わなかったか?」


その言葉に、ウォルフは彼らの銃をなるべく細部まで思い返した。

銃身の長さは猟銃に近かったが、それとはものがまるで違う。

何度か目にしたことがあるが、あれは自動小銃と呼ばれるもので、手にしている連弩とは、威力も精度も桁違い、いや別次元だ。

単なる粗悪な模造品とも思えなかった。


「とにかく、俺は行くぜ」

「待てっ、すこし、いいか」


ショーンを止めたのはイシュトスだった。


「何が起こるか、わしとて想像もつかない。・・・そして、クラクスは、テーベンには女神の棺を守る使命がある、という言い伝えを信じておる。気をつけなされ」


言葉をしぼりだしたイシュトスに、ショーンはあまり反応をしめさなかった。ただの忠告に用はない。

続けてウォルフもショーンを止めた。


「俺からも、ひとついいか?」

「手短にな」

「やつらを追うのは、ロクシアのためか?」

「だとしたら、俺ほどの男前は他にいないだろ」


ショーンは冗談っぽく言って、フッと笑った。


「こっちはひとりの方が動きやすい。お前は二人についていてやれ。ああ、馬は借りていくぜ。他にも武器をひそませてるんでね」


ショーンに心中を読まれて、ウォルフはぐっと眉根を険しくよせた。

遺物がなくなった以上、もうレクセンが襲われることもない。レクセンをケイに任せて、ショーンに手を貸そうと考えていた。

《ジェニ》の底知れぬ危険さは、あの短い時間でも、十分肌で感じた。


「そうだな。なんなら、ロクシアに俺の雄姿をしっかり伝えといてくれ」

「やっておこう」

「はっ、言葉足らずのお前にできるかねぇ」


ショーンはまた笑って、ロクシアの私室を出るときと同じような軽快な調子と足取りで去っていった。



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