第28話 予言



窓から漏れる明かりが消え、門の見張り台の常夜灯だけが灯る夜ふけ。

コン、ココンと独特な調子で扉を叩く音がした。外で見張りをしているショーンが合図を送ってきた。

レクセンはむくりと身体を起こし、眠気を追い出そうと頭を振った。

すでに対応の構えを取っていたウォルフが、しずかに外に出た。

レクセンは自分の動悸が早まっていくのを感じ、じっとしていられず、手の触れる範囲で武器になるようなものを確かめた。すると、肩にケイの手がそっと触れた。

不思議と落ち着いた。レクセンはケイに聞こえるように深呼吸して、落ち着けたことを身体で伝えた。


外から声をひそめた会話が聞こえてきたが、内容まではわからない。そのうち、扉が開き、ウォルフとショーンに続き、村の住人がひとり入ってきた。

ウォルフが炉の小さくなった熾火をかきおこし、火種と薪を足した。火が燃え移り、徐々に小屋内が明るくなっていく。

腰を下ろしたままのレクセンは、頭巾の下の白いひげがしっかり見えた。


「イシュトスさん?」


彼は昼時と変わらない笑顔だったが、たき火が照らす角度のせいか、影が濃くて深刻な表情にも見えた。


「こんな夜中に申し訳ないが、是非話したいことがあるのでな。長くなるかもしれんが、構わないだろうか?」


レクセンがうなずくと、イシュトスは炉端にあぐらをかいた。そして、イシュトスは懐から手帳を取り出し、レクセンに手渡した。


「楽しませてもらったよ、未来の《バード》さん」


イシュトスの口調は率直で、からかう感じではない。

それでも、レクセンは気恥ずかしさと狼狽の混じった顔で縮こまった。穴があったら迷わず入りたい気分だった。


「さて、話をする前にひとつ。先ほどは聞きそびれたのだが、あのときの問いの答えは出たかな?」


そう問うてレクセンを見つめるイシュトスの目に真剣な光がこもった。レクセンもおのずと真剣なまなざしで見つめ返した。


「あのときの問い? なんか思わせぶりな言い方だな」


ショーンが、うさん臭そうに眉を上下させてイシュトスを見た。

イシュトスはひとりひとり順に見回して、言った。


「みなにも、知っておいてもらった方がよいな」



イシュトスが語る物語。

一人の女神が人の世に降り立ったのが始まりだ。

世界に蔓延る災いと戦うため顕現したという。

女神は休む間もなく戦いつづけた。

長い長い戦いの果てに、災厄を消滅させることができた。

だが、女神も力尽きてしまった。

我が棺は決して開けてはならぬ、という最期の言葉を残して。

誰もがその誓いを守り、平穏の世が続いた。


しかし、ある一人の人間が、好奇心に負けて女神の棺を開けてしまった。

女神が消滅させたはずのあらゆる災いが、棺からあふれ出した。

同時に、女神の神器も砕けてしまった。

疫病や干ばつなどだけでなく、今度の災厄は人々の心にもおよんだ。

猜疑、憎悪、不和により争いが絶えなくなり、それがまた飢餓や貧困を生み、負の螺旋が巻き起こった。


破滅が近づく中、人々は女神をよみがえらせるため、互いに手を取り合い、砕けた神器の破片を集めた。

そして、艱難辛苦の道のりを越えて、災厄の元である棺にたどり着いた。

女神がよみがえることはなかったが、その過程で人は災いに耐えうる強さと信頼を身につけていた。



イシュトスがよどみなく語り終えると、ショーンがつまらなそうに感想をつぶやいた。


「それのどこに問いかけがあるんだ? 似たような話はその辺の石ころみたいにどこにでも転がっているだろ」


こうした世界の成り立ちや人知を超えた秘法の逸話や伝承は、形や色を変えて存在している。

レクセンも似たような物語をいくつも知っていた。信憑性などどこ吹く風で、噂話にも満たない下らないものも多々あったが、結構好んで読んでしまう。


イシュトスは、ショーンの言葉にも気分を損ねた様子はなく、続けた。


「これには、こういう裏物語も伝わっておる」



裏物語でも、決して開けるな、という女神の言葉に変わりはない。

だが、棺の中身が、表と全く違う。

棺にあったのは、女神の力だった。

災いが起きる時と場所がわかる予知と短時間で長距離を移動できる秘技。

災いによって崩壊した土地をよみがえらせる神具。


人々は女神の祝福だと喜び、力を行使し、生活をどんどん豊かにしていった。

彼らは気づかなかった。

女神の力で消すことができなかった、たった一つの小さな災いが棺のすみに隠れていたことに。

災いは、人々が女神の力を使えば使うほど、大きく重くなっていった。

まるで革袋に水がたまっていくように。

水は限界を超えてたまっていき、革袋は膨らみに膨らんで、そして、破裂した。


女神の力ですべてを解決してきた人々は、女神の力が通用しない大災厄にいとも簡単に圧し潰された。

もしかしたら女神は知っていたのかもしれない。

人間は自分の棺を必ず開け、さずかった幸運と祝福を我が物のようにひたすら振るうことを。

そして、破滅は必然だったことを。



「予言めいていないか? いまの世の流れを」


そうしめくくった。

優れたもの、偉大なものにばかり目を向けていると、ほんのわずかなほころびを見落としてしまう。

強い希望の光に照らされると、背後にできた己の影をついつい忘れてしまう。最も危険なのは、災いそのものではなく、この小さなほころびや影なのだ。


そしてイシュトスはレクセンに問うた。

女神の棺を前にして、それでも君は開けるか否か、と。

手帳に詳細を書かなかったのは、書き残さないでほしいという約束だったからだ。


レクセンは、肝心の答えなど出ていなかった。

イシュトスとの再会がこんなに早く来るとは思わなかったというのは言い訳に過ぎない。

おとずれた沈黙の中、レクセンの返答と促すように、パシンと薪が熱で割れて、火の粉がはねた。


「イシュトスさんの話を聞く前なら、なんの疑問もなく開けていました。今は迷っていて、答えは出ていません」


レクセンは一層力を込めて言った。


「けれど、いずれわたしたちの手じゃなくても、開かれるときがくると思うんです。そのために、より深く、より正しく知ることが今は大切で、それがきっと答えにつながっていくんだと信じてます」


問いかけの意図からずれているかもしれないが、正直に今の気持ちを言葉にした。

ロクシアとの話のときもそうだった。正解に至る手段が色々あっても、レクセンは結局、実直に向き合うことしかできなかった。

またしても沈黙がおりたが、すぐにイシュトスが肩を揺らし出した。


「ふふ、わざわざ答えさせるのはすこし意地が悪かったな」

「えっ?」

「それを読めば、お嬢さんの人となりはよぉくわかるのでね」


イシュトスは愉快そうな目線で手帳をしめした。

レクセンは手帳で赤面を隠したが、恥ずかしさの原因で覆っても、まったく隠しきれていないことに気づかなかった。


「でも、いいんですか? わたしたちなんかに話して」


レクセンは照れ隠しのつもりで、逆に問いかけた。

村長たちは何も知らないと言い張り、よそ者を拒絶していた。イシュトスが村の総意に逆らっているように思えたからだ。


「約束でもあるし、いろいろ考えた結果の判断だよ」


イシュトスは一旦間を置いて、火を見つめたまま話し出した。


「まず、わしらテーベンが自分の土地から動かない理由から話そう」


いきなり知りたかった理由から始まり、レクセンはおのずと身体が前に傾いた。


「その理由はな、この靄空のせいなのだ」


レクセンは、モヤが機械を狂わせ、人体まで影響をおよぼしたという記録を思い出した。そうした人々がこんなに近くにいる事実にびっくりしたが、可能性のひとつとして予想していたことでもあった。

自分でも予想できるということは、調査団にかかわる人間なら、もっと正確な推測を立てているだろう。だが、それを公言している人物はいない。


「ここやルテラは、モヤの影響が少ないんですか?」

「そこだ。何も説明しなければ、誰もがそう予測する。モヤというものが何なのか、いまだ誰も解明しておらんからな」


一段と低くなった声でイシュトスは言った。


「だが、実際は違う。この村には、そしてルテラには、モヤを完全に遮断する機械があるのだ」


レクセンは息をのみこんだ。さすがのウォルフも、驚きに目の色が変わる。

ショーンは目を細めて、あごをなでる。

ケイだけは、きょとんとしていた。


「き、機械を狂わせるのに、機械で? そんなのがあるなんて、そんな・・・」


そんな画期的な代物があるなら、いままで発見した古代の機械をも起動できるかもしれない。

それだけじゃない。現代の生活をまるごと覆すような発見になる。可能性が波紋のように広がっていく。

レクセンは、自分の知識の基礎をひっくり返されたようだった。


「そしてその機械を失えば、テーベンは、死ぬ」


イシュトスの瞳に映った火が冷たく揺れた。

レクセンは、興奮と混乱がからみあった己の心音が、やけに大きく感じられ、小屋内の空気が、急に重たくなった気がした。



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