第24話 内情




顔を洗っていたレクセンは、額の傷に水がしみ、すこし眉をしかめた。

水気をふき取って、絆創膏を貼り直し、くすんだ鏡に映った自分をみつめる。寝不足気味だったが、まだ肌が荒れるには至っていない。

問題はそこではなかった。

あれから日が明けた翌日の夕刻。

寄宿舎に移ったものの、ぐっすり眠れるはずもなく、レクセンはずっと考えていた。


(やっぱり戻るべき、だよね)


また危険なことが起こる前に、エブラーグ本部に戻るのが最善だと思う。

ふと、となりをみると、ケイがケロッとした顔で自分を見ていた。この顔を見ると、本当に危険だったのかどうかあやしくなるから困りものだ。


ケイは昨夜、酔っていたらしい。

お酒をかけられたときに、意識的ではないが口にしてしまったようだ。おかげで自制が効かずに暴れまわった。

しかもそのことをほとんど覚えておらず、腕や脚に記憶にないアザを数か所つくっていたが、いつものこと、とまったく気にしていない。

ただ、約束したことはしっかり覚えているようで、レクセンとしては、責任の重さを一層感じ、また、額の小さいすり傷で痛がる自分が馬鹿らしかった。



レクセンは、頼もしいやら不安やら、悩ましい気分でため息をついた。

もう一度鏡を見て、戻る決意を固めたレクセンは、洗面室を出た。

ウォルフを見つけると、ショーンもそばにいた。

いつもの黒い背広のショーンが普段の印象とは違って見えた。明朗な笑みが少し怖く感じてしまう。

咄嗟に距離をとるレクセンに、ウォルフは一緒に来てくれ、と合図した。


「俺を信用したのか?」

「この町はテーベン人の町だ。離れるよりはともにいた方がいい」

「ま、そりゃそうかもな」


ウォルフにはもう一つ理由があった。たとえ敵であっても、ショーンはレクセンとケイをひどく扱うことはないという確信だ。

ショーンは下段区に降り、店が並ぶ大通りを抜けて、ある場所で曲がった。

両肩が壁にこすれるほど狭く、瓶の割れた破片やゴミが散っている、店と店の隙間を通っていく。


路地裏に出ると、木の柵の一部を開けて階段をのぼり、中段区にあがった。

そこから少し先にいくと、屈まなければ入れない小さな扉があった。

扉をぐぐると、そこは屋内ではなく、高い建物に囲まれた町の死角だった。

日陰で、水はけもよくないのか、地面が濡れたままだ。壁の基礎には細かい亀裂が入っていて、黒ずんだカビがこびりついていた。


袋小路までいき、いくつかある扉のうちの一つに、ショーンは迷いなく入った。

ショーンに続いて入ると、妙に甘い芳香が鼻をつく。

目の前に、大きな両開きの扉があり、門番が座っていた。ショーンが、軽く挨拶を交わしつつ、門番に金を渡した。

扉を抜けると、うす暗い廊下に出る。

鼻の奥をしびれさせる甘ったるい芳香が、むせてくらむほど充満していた。ケイも顔をしかめ、帽子を鼻に当てて匂いを拒むほどだった。


「匂いは我慢してくれ」


ショーンもウォルフもそこまできつそうには見えない。

しかし、ケイとレクセンには強烈すぎて、匂いに酔いそうだった。

さすがのレクセンも娼館だと気づく。それにしても、こんな複雑な順路でたどり着くような娼館は、かなりいわくつきなのだろう。

ショーンについていったのは軽率だったのでは、とウォルフの背を見るが、あの夜ほどの殺気も警戒心も無いように感じられた。


突き当りの部屋に入ると、匂いはかなり薄れた。

ケイは息を止めていたらしく、帽子を取って、せわしく呼吸していた。

赤みを帯びた暗めの照明の部屋で、大きく豪奢な円形の寝台が置かれている。そのそばに丸机があり、一対の足の低い肘かけ椅子の奥側に男が座っていた。

ホッジスだ。恐縮そうに背を丸めている。


もう一人、ホッジスの後ろに隠れるように床にすわっている男がいた。

テーベン人なのはわかったが、顔に巻かれた包帯で、人相まではわからなかった。

レクセンらを見ると、彼の瞳におびえた光が浮かんだ。


「まずはこいつの話を聞いてくれ。なんなら縛り上げてからでもいい」


座らずに警戒する三人に、ショーンが柔らかい寝台に腰かけながら言った。


「わかった」


ウォルフが答えて、扉の近くの壁にもたれた。

レクセンは戸惑いつつも、ホッジスの向かいの椅子に座った。ケイはレクセンの椅子のひじかけに腰かける。

話を聞く体勢ができたとみるや、ホッジスが深々と頭を下げた。


「すまん! まさかこんなことになるなんて思わなかったんだ。許してくれ」

「いきなり謝ってもなんもわからんだろ、一から話さんかい」


ショーンがホッジスのひざを一蹴りしてうながすと、ホッジスは面を上げて説明しはじめた。


「今回、あんたらが発掘した遺跡はな、テーベンも関わりがある建造物らしいんだ。詳しくはわからん。だがな、ルテラは関与しないことにした。あんたらエブラーグの人間なら、首長の決定も知ってるだろ」


レクセンもそれは知っていた。


「けどよ、今の首長はイフリウスに従ってばかりの男でな。イフリウスやエブラーグに尻尾振ってる、なんて今回の決定にも不服に思ってる身内が多いんだ。そいつらは縄張り意識が強くてよ、まあ、いろいろ問題もあるわけだ」

「どこにでもいるよなぁ。自分らが起こした問題のせいで首長が従わざるを得ないのに、それを臆病だ弱腰だとしか見れないアホどもが」


部屋の温度は特に熱くも寒くもなかったが、ホッジスの額に汗が浮かんでいた。


「俺は、今の生活に、酒造りに結構満足してるんだ。だから、あまり遺跡とか縄張りがどうとか興味はなかったんだが、こいつがな・・・」


と、ホッジスは背後にいた怪我をしたテーベン人に顔を向けた。全員の視線が集まって、彼は痛々しい顔をうつむけた。


「こいつ、俺の弟なんだ。首長を不満に思ってる、ちぃと乱暴な連中とよく付き合っていてな。覚えてるか、あのキンキン鳴ってたやつ」


ホッジスは両手で円をつくって、大きさを表した。レクセンとケイは同時に首を縦に振った。


「弟が連中から受け取ったものを、俺に渡してきて、音が出て知らせてくれって。別に気に留めてなかったんだが、あの時急に鳴ったもんで、まあ、おれもびっくりしてよ。ついつい弟に知らせたんだ。そうしたら、あんなことが起こったんだ」


ホッジスは、額の汗をぬぐった。


「あれは何だったんですか?」

「さあな。音が鳴ったことが重要だった以外は、よくわからん」

「よくわかんねえもんを持って、よくわかんねえまま知らせるとはね」


友人だからこそ、ショーンの手厳しい言葉に、ホッジスは自分の無知さ加減に、頭をさげることしかできなかった。


「ああ、俺も弟のことを責められない。責任は俺にもある。すまない」

「それより、肝心のブツは?」

「いや、そのことなんだが、・・・なかったんだ」


ショーンが跳ねるように立ち上がり、強く言い放った。


「こんの、くそ野郎っ!それだけは絶対取り返すって言っただろ。お前が奪えなかったら俺が奪ってやるから、どこにあるかだけでも調べて来いって」

「待て、ショーン、違うんだ」

「違うも何もあるか! そこの弟を問い詰めりゃアジトぐらい分かるはずだ。なのに――」

「聞け、そういうんじゃない、誤解だ、ショーン!」


いまにも弟につめ寄って脅しそうなショーンを、ホッジスは椅子から腰を浮かし、両手をかざして阻んだ。

その言い争いを止めたのは、ウォルフだった。


「遺物はこっちが持ってる。そっちでいくら探しても、見つからん」


言ってる意味がしばらく理解できず、ショーンは指をさした姿勢のまま固まった。

ウォルフへ顔を向けると、二度は言わないという表情だった。レクセンへ向くと、ウォルフの言ったことを肯定するようにうなずいた。

ショーンはがくりとうなだれ、脱臼するくらい両肩を下げた。


「お、俺の苦労はいったい何だったんだ」

「苦労? その男を責めていただけじゃないか」

「そうだ、お前は俺に指示しただけで何もしてないだろうが。俺はお前らと話してるだけで、けっこう危ない橋渡ってんだぞ」


ウォルフの鋭い一言に、ホッジスが同意し、ここぞとばかりに言い返す。

ケイがショーンの丸くなった背中をさすった。

ショーンはひざをつき、芝居がかった涙声で、ケイの腰にがばっと両腕を回して抱きついた。


「君だけが俺の味方だ、ぐわっ」


次の瞬間、ウォルフの投げた花瓶が側頭部に、ホッジスが投げた火のない燭台が後頭部に直撃し、ショーンは倒れた。レクセンがケイの手を取って、ショーンから引き離した。

じつに息の合った連携だ。


「いつつ、容赦ねぇな。だが、そんなことはいい、いやよくないか。まあいい。いつ、どうやったんだ?」


ショーンは痛みに混乱する頭をおさえて、昨日のことを思い返した。

昨日、自分はほとんどあの家に居た。逆に、レクセンは買い出しに出て、夜まで家にいなかった。

その夜も、あんな出来事があって、遺物のことをどうにかしようという余裕はなかったはずだ。


「ご想像にお任せします」


レクセンは想定通りに答えた。

ウォルフとヒューデイツの策だった。

レクセンが遺物を所持し、何かありそうな時は、最初に入れていた小物入れに、あらかじめ入れ換える、単純だが効果のある策だ。

そして、入れ換えるときの合図の言葉は、”母”だった。


あからさまに渋ったレクセンに、ヒューデイツは言う。

『そうやって、母親という言葉に、過剰に反応しても、言い訳、できるからね』

そして、建前の後に本音をつけくわえた。

『その言葉を、レクスが言うにしても、レクスに言うにしても、役得だ、ウォル』

ウォルフも、楽しみだな、と皮肉を言って笑った。


今回、調査に向かうことができたのは二人の協力があったからだ。

レクセンは文句も異論も言えようはずがなかった。ふたりは、それを逆手にとった。

策が通った後は会心の笑みを見せなきゃ、とヒューデイツの茶目っ気のある案だけは却下した。

余計な経緯はあったが、おかげで遺物が盗まれずに済んだ。


突然、ショーンは、あっ、と声を上げてウォルフを睨んだ。


「おまえ、もともと俺をあまり疑ってなかったんじゃないのか?」


ウォルフは目を閉じてかすかに首をひねるだけで、答えなかった。

こういう仕草は、肯定と否定は半々くらいで、どちらとも言えないときだ。

だが、遺物を持っていることをすんなりばらしたのは、やはりショーンの言う通りなのかもしれない。

これはレクセンもおどろいた。あの殺気立ったウォルフは、半分は演技だったということだ。とてもそうは見えなかった。


「くっそー、おまえなんかに試されていたと思うと、気分わりいぜ」


ショーンは、勢いよく背中から寝台に倒れこんだ。身体がはずみ、きしんだ音が鳴った。


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