第22話 嵐闘



その夜、ケイは寝つけずにいた。自分の脈動が耳朶を打って、うるさかった。

頭痛はないが、頭がぼうっとしている。

額に手の甲を当てると、熱があり、風邪を引きかける兆候のようだった。

ケイは焦った。

体調を崩せば、レクセンの旅を足止めしてしまう。一日、あるいは二日はここに留まることになるだろう。

ついさっき、みんなを煩わせてしまったというのに、これ以上足を引っ張りたくなかった。


となりの寝台で寝ているレクセンを起こさないように、ケイはそっと立ち上がり、自分のかばんに手を入れて、感触を頼りに引っ張り出したのは、小さい楕円の浅い容器だった。


(右はおなか壊しんとき、熱出しんときが左)


容器から角砂糖のような粒をひとつつまんだ。

出発前にヒューデイツからもらった薬だった。水と一緒に口に含むと、すぐにくずれるから飲み込めばいい、とヒューデイツから説明も受けていた。

ケイは、足音を立てずにそろそろと部屋を出た。

一階は夜の明かりがかすかに入り込んでいて、寝室よりは物がみやすかった。

階段を降りると、階段の真下にあたる物置で、人らしき影がうごめいた。


「誰? ・・・・お?」


何気なく声をかけると、ぱっとはじかれたように影の頭があがり、階段の隙間を通して目が合った。

お互いかたまった。

声をかけた相手は顔を布で覆っていた。ウォルフやショーンではない。


不意に、何かがケイの右後方からせまった。

ケイは階段にうつぶせに倒れるようにして、後ろへ足を伸ばした。

ドス、と足応え。

蹴りの勢いはほとんどなかったが、何者かは自ら迫った勢いで胸を打って、後ろによろめいた。やはり顔を隠している。


すかさず別の人影が動き、今度はケイに掴みかかろうとする。

ケイは壁にかかっていたショーンの上着をかぶせた隙に、するっと手すりの間に身体を滑りこませて、離れた。


「盗っ人かや」


誰も答えない。沈黙は肯定とかわらない。

最初に目が合った泥棒がケイに接近して、手にした得物を振りかぶった。

ケイは炊事場の方へ後ずさってかわし、偶然手にした平鍋で、次の一撃を受け止めた。

グヮン、と音が鳴り、刃物ではなく鈍器だとわかる。

泥棒がしぶとく追いかけて鈍器を振り回してきたが、暗闇の中で距離感も正確さもない攻撃で、避けるのはたやすい。

ケイは相手の突進を妨げるように、手あたり次第に戸棚を開き、引き出しを引いた。

泥棒は身体のあちこちをぶつけながらも攻撃しようと、むやみな蹴りを出した。

引き出しから食器がはねる。すねを強打し、脚をかかえて屈みこんだ。


ケイは引き出しの食器を別の泥棒に投げつけて牽制し、回りこんで近づこうとするもうひとりには、丸椅子を蹴りつけて阻んだ。

泥棒は寸でのところで椅子をかわしたが、次に飛んできた瓶をかわしそこねて、顔をおさえた。

ケイは調理台を滑り込むように越えた体勢のまま蹴り飛ばした。

泥棒がひっくり返り、同時に台にあった器具や食材が床にばらけ、派手な音が家全体にひびいた。


ケイは動きを止めない。投げ返される皿を身を低くしてかわし、食事机を飛び越え居間へ移った。

とんでもない乱闘に発展しても泥棒は逃げようとせず、執拗に攻撃をしかけてきた。

ケイの方も普段と違い、全く歯止めを効かせていなかった。

残った泥棒が、左右からケイを挟みこみ、片方が傍にあった暖炉の灰かき棒を手にして、振り回してくる。ケイは壁にかかっていた角飾りで応戦した。

もう片方は、足を引きずっていて、素早いケイに寄るに寄れない。


膠着状態になりかかったとき、寝室の扉が勢いよく開いた。

新たな泥棒がレクセンを引きずって出てきた。ケイの目には、レクセンがさらわれるように見えた。すぐさまレクセンのもとへ駆けつけようとするケイを、泥棒たちが遮る形になる。


レクセンは攫われそうになっていたのではなく、座り込むような体勢で、自分から泥棒の腕に辛うじて掴んでいた。

泥棒が力任せに腕を振って、乱暴にひきはがした。レクセンが床に叩きつけられる。


「取ったぞ! いけっ、いけっ!」


レクセンともみ合いになっていた泥棒が腕を回しながら叫び、二階の窓へ向かって走った。同時に、ケイと向かい合っていた泥棒たちも、あっさりと身をひるがえした。


あまりに唐突な逃げっぷりに、ケイは角飾りと平鍋を手にしたまま、呆然とした顔で見送った。

レクセンが誘拐されたわけではないと分かり、緊張と集中が解けていくと、壁がゆがみ、地面がかたむき、わーんと耳鳴りがきこえてきた。

そして、ケイはその場に倒れた。


レクセンは、額の痛みをこらえながら身体を起こし、声を出した。


「ケイ、ウォルフ、ショーン、どこ? 返事して!」


はっきりとした返事はなかったが、うめき声が聞こえた。

レクセンは這って寝室へ戻り、ランタンとほうきを手に、恐る恐る階段をおりた。

一階だけ、暴風が吹き荒れたような有様で、快適に感じた空間は見る影もなかった。

せわしくランタンを動かし、泥棒が身を潜めてないか何度も確かめた。いないと確信できなかったが、出てくる気配はなさそうだった。

レクセンは、足の踏み場に気をつけながら歩き、柱の高い位置に設置された照明を灯して、もう一度ぐるりと室内を見回すと、居間に突っ伏して倒れていたケイを発見した。


「ケイ!?」


ほうきを放り捨て、ランタンを置き、ケイの身体を持ち上げる。


「あ、リックぅ・・・がんもぉなー・・・」

「がん? わ、わかんないよ、ケイ」


レクセンはケイをゆすったが、うっすら開いたケイの目が閉じかかった。


「ケイ駄目! 目を開けてケイ!」


レクセンは、不安に歪んだ顔で周囲を見回した。ウォルフもショーンも誰も見当たらない。

どうしていいかわからず、ケイの頭を抱き寄せた。聞こえてくるのは、ケイの規則正しい寝息だけ。


寝息。


「えっ?」


腕の中で、ケイは口を開けて眠っていた。レクセンの不安顔がうろん顔になり、涙がひっこむ。

レクセンはケイの身体をまさぐったが、深刻な外傷は見当たらなかった。

ランタンの灯りだとわかりにくいが、ケイの白いほほがほんのり赤くなっている気がする。

レクセンはケイの柔らかいほほをつねったり、口に寄せたりする。唇と鼻を同時につまむと、ぷひゅ、と口の端から息が漏れる。

それでも目を覚ます様子はなかった。

レクセンは気が抜けて、ケイを膝枕したまま、しばらく嵐が去った室内をながめやった。



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