第21話 約束



家の前までくると、やっと帰ってこれたという安堵と疲労が押し寄せてきた。

レクセンは上がった息を整えながら、ショーンとウォルフがいないことを願った。こんな姿のケイを、二人に見せたくなかった。

扉をひらくと、レクセンの願いはむなしく、二人ともいた。彼らはケイを見て表情が一変した。


「どうしたんだ、それは!」


居間でテーベ酒を味わっていたショーンが、背もたれをまたいでかけよってきた。

反対にウォルフは奥の裏口から出ていった。


「すこし、たちの悪い酔っ払いに・・・からまれちゃって」


レクセンは泣きそうになるのをこらえて、短い説明しかできなかった。

ショーンはすぐに察し、怒りのこもった声で答えた。


「まさか、あの階段で飲んでたあいつらか。くそ、あのアホども、ただうるさいだけじゃなく、俺の酒を不味くしやがって、ただじゃ・・・いや、今はケイをなんとかしないとな」

「お風呂なんてないし、どうすれば?」


よほど高級な家屋でないと、家風呂は設けられていない。

真水を浴びれるほど、暑い季節でもない。

とりあえず上着を脱がせて身体を拭こう、とショーンが提案しつつ二人から荷物を手早くあずかっていると、裏口からウォルフが戻ってきた。


水を張った大きなたらいを台に置き、炊事場に残っていた湯を足した。

それを見たケイは、すぐに上着を脱いで下着姿でたらいの前に立って、子どもが親に髪を洗ってもらうように頭をかたむけた。

ウォルフはケイの髪に染みた酒を洗い落とし始めた。


「レクス、ケイの身体を」


たらいにかけてあった綿布をあごで指した。

ウォルフとケイのよどみない対処に呆気に取られていたレクセンは、あわてて綿布をしぼって、ごしごしこすらないように白い肩や背中を拭いていった。


「なんなんだ?」


ショーンも取り残されていて、いろいろ理解できずにいると、ウォルフが手を止めずに、唐突に昔話を切り出した。


「昔、泥玉を投げられるいたずらをされる子どもがいた。泥まみれになる度に、その子の師匠が泥を洗い落としていた」


その子どもというのは、きっとケイだ。

今も昔も、場所が変わっても、暴言やそれを上回る行為を浴びせられた過去を垣間見たレクセンは、喉がぎゅうっと締め付けられ、胸が張り裂けそうになる。ほとんど泣く一歩手前だった。

だが、自分が泣くことをきっとケイは望まない。付き合いは短いが、それくらいは分かる。不憫な気持ち紛らわせるようにウォルフに別のことを尋ねた。

熱い塊がのどにひっかかって、声をかなり詰まらせた。


「ウォルフは、そのお師匠さん、って知っているの?」


ウォルフがケイの師匠を知っているのは予想がつくが、意外な答えが返ってきた。


「ああ。一時的だが、俺も師事していた」

「い、いつくらいのこと?」

「もう、六年くらい前だ。その縁があって、ケイを俺にあずけたんだ」

「ええっ、そうだったんだ」


そこまで親しいとは思わなかった。つまり、ウォルフとケイは兄妹弟子ということだ。

ああ、だから似ているんだ、とレクセンは妙に納得した。


「はっ、お前をケイの後見人しようなんて、よっぽど選択肢がなかったか、切羽詰まってたんだろうぜ」

「たしかにな」


めずらしく、ウォルフはショーンの皮肉に笑った。

ショーンは肩をすくめ、それ以上は何も言わず室内から出ていった。皮肉がウォルフに効いて、すこし気分が良さそうな背中に見えた。


「あとはたのむ。これ以上は、な」


一通り洗い終えたウォルフも、汚れたケイの上着を腕にかけて、レクセンに任せて外へ向かい、


「ぐわっ。くっ、どうしても気になることがあるんだ、わかってくれ!」


出ていったと見せかけて、隙間からのぞこうとしていたショーンをひきずっていった。

遠ざかっていくショーンの言い訳に、レクセンは困った顔をした。


「案内をお願いするの、考え直した方がいいかしら」


ケイに笑みが漏れたが、すぐにしぼんだ。

それからお互い無言のままだった。

ケイを椅子に座らせ、後ろから髪の水気を丁寧にふき取っていく。


「大丈夫?」


不意にそう聞いてしまった。

大丈夫なわけがない。そんなこと当たり前なのに、こういう聞き方だけはしないつもりだったのに、つい沈黙に耐えかねて、口に出てしまった。

そしてケイならば、だいじょぶ!とはっきり返答してくれることを期待していた。いや、そうしてほしいという願望だった。

願い通りにはならず、ケイは静かに口を開いた。


「師匠は、爺さまは、育て親なん。いじめのこと知れば、誰が相手でも向ってく人で。やから、あたしがもとで・・・そのごたくさで爺さまがそばにおれんくなるのが怖ぁて、泥んことは自分で洗うてた。でも子どもやったし、隠せるわけなぁて、すぐばれて」


レクセンは小さく相づちを打ちながら聞いた。


「怒られる思て全部話したら、爺さまは言うたの」


『約束じゃ。おめが原因でもめ事は起こさん。そん代え、おめはいじめんことを隠さんごと。あと、泥はワシが落とす。そがいせんや、ワシの怒りが溜もんばかりじゃ』


以来、師匠は泥といっしょに己の憤りを洗い落とした。


「そっか。前に言った通り、厳しいけど優しいんだね」


ケイへの師匠の温かさが伝わってきた。

そして、すぐに師匠の代わりをつとめたウォルフが、いかにケイのことを考えているかがわかった。


「うん、心配させてごめん。あたしは平気」


ケイが振り返ってレクセンを見上げた。

目元が濡れているのは、湯のせいなのか涙のせいなのかわからなかった。

だが、弱々しそうな表情に思えたレクセンは、逆に力のこもった強い表情をつくった。


「じゃあ、わたしも約束!」

「え?」

「ケイのことをむやみに心配して泣かないようにする。で、わたしもケイを見習ってくだらない嫌味なんてはね返すわ。その代わり、ケイはわたしに迷惑をかけたとかで謝らないで」


握りこぶしをケイの前にかかげて、大きく宣言した。


「んー、リックも謝るの、あかんよ?」

「もちろん。対等よ、わたしたち」


こぶしをコツンとぶつけ合って約束を誓った。

レクセンは、しばらく自分のこぶしを見つめていたが、決意の顔を早々にふにゃっとゆるめた。


「約束しておいてなんだけど、自信・・・・、あんまり、ないのよね」


勢いよく宣言しておいて、いきなり弱気なため息をつく。自分に自信が持てないことに自信があるレクセンだった。


「爺さまもな、約束守れんかったんよ。しかん二回」


ケイは左ひじの古傷をさすりながら、困ったような笑ったような顔をする。


「ほんと? じゃあ一回までなら、師匠さんよりは上ってことね」

「破るんは決まっと?」

「ま、まあ、万が一だって。ほら、早く服着ないとショーン戻ってきちゃうよ」


レクセンは肌着を手に取って、ごまかすようにケイにかぶせた。



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