第20話 厄介事



靄空は夜色にゆらめき、ルテラの家々の灯りが点々と漏れはじめた。

下段区のにぎわいはこれからが本番というように、夜の店と街灯が大通りを明々と照らした。

レクセンとケイは、買い込んだ食料を背負い、水の入った容器を手にさげて、明るい大通りを歩いていた。


「はぁ、ごめんね、こんなに遅くまで付き合わせちゃって」

「ううん。でも、ないで案内の人探したん?」


ため息をつくレクセンとは逆に、ケイは疲れた様子をみせずに質問を返した。

ショーンが案内人を申し出ているのに、わざわざ別の案内人を探したのが疑問だったようだ。


「案内人を自分で選んでみたかったの」


ショーンを案内人にすれば、手間が省けるし楽ができる。しかし、それでは自分のためにならない気がした。

この旅は、前回のような派遣隊とはまるで違う。自分の行動が自分の責任になる。


”なにもしないという行動は、何もできない自分になって返ってくる”


《バード》の手記にある、レクセンが心に刻んだ言葉のひとつだ。

だからこそ、遺物や遺跡を調査の成功よりも、まず行動して、すこしでも己の経験にしたいと考えた。


「ややこしく考えすぎちゃってるよね、あいかわらず」


説明したレクセンは苦笑でしめくくった。

こういう妙に生真面目な考え方も、知り合いから趣味と同様に古くさいと言われる。


ルテラは、探検への玄関というだけあって、案内人は選り取り見取りである。

だが、レクセンのような素人に付こうとする案内人はかなり減る。加えて、女ということで、選択肢がまたぐっと減る。

自分の命まで危険が及ぶのは言うまでもないが、単に男尊女卑の案内人もいて、彼らの多くは女の調査員が地理や地形を把握できず、そのくせ自己主張が強くて感情のままに行動する厄介者だと、避けたがるのだ。

エブラーグ調査団ではない今、なんの伝手もないレクセンは、案内人紹介所で門前払いに近い扱いだった。


それでも根気よく探し続け、やっと候補が二人見つかり、レクセンは、やった、と内心で拳をふるわせた。

しかし、ひとりは待ち合わせに姿をみせず、もうひとりには会って話せたけれど、相場の三倍もの報酬をふっかけてきた。承諾できるわけがない。

慣れないことの連続で、しかしなんの成果もなかったため、疲れがたまっただけだった。ショーンはこれを見越して、案内人を申し出てきたのかもしれない。


ケイはというと、何もかもが目新しく興味深く、疲れはほとんど感じていなかった。

むしろ、レクセンが案内人を探した理由を聞いて、ただ面白かったという感想で済ませず、学んでいかなければと思った。次はレクセンひとりに任せることなく、手伝えるように。


「こっちの道でいいんだよね?」


暗くなって風景が変わったように見えて、レクセンが道順を確認した。

ケイはひとつうなずいて、脇道へつづく坂を上がっていった。


「ちょっとケイ、早いよ」


疲れもあって、レクセンは息があがり、足取りが重そうだった。

ケイが水の容器を持ってあげようとしても、「だめ」とレクセンは強情を張る。自転車のときとおなじだ。

ようやく、寄宿舎の前までやってきた。

食料と水を買った店からだと回り道なのだが、夜だということも考えて、一度通った道で帰ることにしていた。

ショーンの後をついていった道を辿り、階段をあがりかけたところで、上から複数の笑い声が聞こえてきた。

踊り場のところで酒瓶を並べてたむろする男たちの声だった。灯りも小さく、気味悪く感じて、レクセンは足早に横を通り過ぎようとした。


「おい」


無遠慮で横柄な声に、レクセンは、キュっと胃が縮んだ気がした。声をかけられた時点で、反応してもしなくても捕まったのと同じである。


「おほ、女じゃん」

「一緒に飲んでくれよ、ね、ね」

「よぉし! こりゃ取って置きを開けて歓迎しようぜ」


酔っているはずなのに、レクセンたちを囲む動きだけは素早い。


「わたしたち急いでますから」


レクセンは、一刻も早くここを立ち去りたい一心で拒否した。声はかなりふるえていて、目は伏せたままだった。


「まあまあ、一杯くらい、いいだろ」

「そうそう、こんなものは置いてさ」


囲んでいた左の男がレクセンの腕をつかむ。力加減が効いておらず、レクセンの顔が痛みでゆがんだ。

そして、正面の男が持っていた水を力ずくで奪った。が、間髪入れずケイの手が伸び、あざやかに奪い返していた。


あっという間のことで、レクセンはケイが手を出したように錯覚した。酔っ払いたちもそう感じたらしい。

男たちの酔いに険が混じり、ケイに注目する。

水を奪われた男が、ケイを値踏みするようににらみ、手を上げた。

レクセンは、殴られる、と思い、目をつむりそうになったが、男の手は、ケイの帽子のつばをはね上げただけだった。

帽子が、微動だにしなかったケイの背負った荷を転がって落ちた。

男たちはケイの容姿に赤くはれた目をぎょっとさせた。


「うお、こいつ、たしか」

「あれだ、白のなんたらとかいうやつじゃねえの?」


単語が出てこないが、《白異》のことを言っているようだった。

出てこない言葉をひねり出そうとしていると、ぽんと手を打った男がいた。


「知ってるわ、こいつのこと。エブラーグにいる知り合いから聞いたやつだ。酒場で楽しくやってたら、邪魔してきた魔女野郎だとか」

「はっ、なんだそれ。邪魔するから魔女? 今度は俺らの邪魔をしにきたとか?」


そっちから絡んできておいて、よく言えるわ、とレクセンはのどの奥でうなった。


「ちっ、俺らを切り捨てておいて、こんなのがいるとはエブラーグも堕ちたもんだぜ」

「こんなのと一緒だと、俺らのツキが落ちるんじゃねぇの?」


すると、奥にいた一番足取りのおぼつかない酔っ払いが前に出てきた。


「まあまて、おまえら。俺がちょっとした特技を、みしてやる」


とろんとした目とにやついた顔でケイの前に立つと、手にしていた酒瓶を高く持ち上げ、ケイの頭上で逆さまにした。

茶色の液体がケイの髪をみるみる染めていく。ほほを伝い、襟をじわじわと濡らしていった。


「悪魔払いってやつ?」


どっと濁った笑いがはねた。

レクセンは体当たりしそうな勢いで酔っ払いにつめ寄ろうとした。だが、身体ごと割って入ったケイに止められた。

自分を遮ったケイに怒りを覚えるくらい、一瞬で頭に血がのぼっていた。

ケイは、濡れた顔をぬぐわずに、笑う男たちを見据えている。

その立ち姿に、ケイが励ましてくれた言葉が記憶によみがえり、そこでやっと我を忘れて逆上していたことに気がついた。


もう一人、我に返った人物がいた。

いまだ腹をかかえる男たちの中で、唖然とした男だ。

あまりにも無茶で非道な行為を平然とやって笑っている仲間に、自分も酒を浴びせられたように青ざめていた。

彼は落ちた帽子を拾って、ケイに乱暴に押しつけ、そのままここを去るように強く押し続けた。


「なにやってんだ、おまえよぉ」


彼のしらける行為に、笑いの渦がすうっと消えかかるのがわかった。

レクセンはケイを引っ張って、無我夢中に疲労も忘れて階段を上った。

背後から汚い下品な言葉を投げられたが、レクセンもケイも振り向かずにひたすら走った。



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