第17話 再訪



玄関町ルテラの南の関門。

主にイフリウスからくる人や運搬品などを検める場所だ。

空はすでに朝焼けの光が揺らめいてるが、まだ門は閉じており、ルテラに入るために待つ人や馬車が詰まっていた。

レクセンは、その最後尾で、背負っていた大きな荷物を一旦下して、一息ついた。

出発してから到着まで二日とすこし。予定通りだ。


イフリウスからルテラの道のりは、およそ60ノウム(約110km)。

道のりの前半は、整備が進んだ林道が主で、中間地点までは馬車が出ている。

ここまでで一日。

そこから、川や岩場が横切っていて、途切れ途切れの道は歩くしか方法はない。運搬用の馬車が通る道は、大きく東に迂回するため、時間も費用も余計にかかる。

荒れた道は一日目の半分の道のりだが、ほぼ一日かけて通過する。

これを超えればルテラは目と鼻の先だが、夜間は門を閉じるため、無理をしても意味はない。


実を言えば、もっと楽で速い、常識を超える移動手段は、ないわけではない。

だが、この手段では、往復でかかる費用も常識を超えてしまう。資源不足が常の現実では、馬力を超える効率は、まだ先の話だった。


「またここまで来れたんだ・・・」


レクセンの小さなつぶやきに、答えたのは二人。

やったね、と笑いかけるケイ。無言でレクセンの肩を叩くウォルフ。

レクセンと同じく、動きやすい服装に万全の装備で、大きな荷を背負っている。

この二人がいて、自分がいまここにいることが、いまだに信じられなかった。




ロクシアに言われてから三日間、レクセンは空いた時間のほぼすべてを、この遺物を調べるのに費やした。

まず資料室にこもった。資料室の蔵書は二千冊はゆうに超えている。目ぼしいものを見つけるだけで、一日が終わってしまった。

次に、倉庫にも足を運んだ。似たような遺物がないか探し回る。

箱が詰め込まれ、積み重なった山の表面しか調べられず、思ったよりずさんな管理ということしかわからず、二日が過ぎた。

ふたたび資料室に戻って調べていたら、もう期限を超えていた。


あっという間の三日だった。

今朝も、ぎりぎりまで調べていたが、手ごたえはなく、無情にも約束の時間がくる。

ケイにはまるまる手伝ってもらったため、二人そろって寝不足の顔だ。

レクセンは、渋めのお茶を一気に飲み干してから、約束通りロクシアを訪ねた。

ケイが眠気まなこをこすりながらも、一緒に来てくれたのはありがたかった。


「ずいぶんと頑張ったわね」


レクセンは、なるべく顔に出ないようにしていたが、立ったまま半分寝かかっていたケイを見たロクシアの第一声は、ねぎらいだった。

ケイを椅子に座らせるように言ってから、ロクシアは仕事の顔に切り替わった。

レクセンも頭の中にかかっていた眠気のかすみを振り払った。


「まずは報告を聞きましょう」


レクセンの報告は短かった。ほぼ何の手がかりもなかったからだ。

唯一見つけたことは、イフリウスにある双子丘陵の崇拝の起源を探った古い本に載っていたある印章と、石に彫られていた模様が、似ているということだ。

似ているといっても、細部にほんの少し共通点があるぐらいで、確証なんてない。

何も見つかりませんでした、よりはマシ、というこじつけに近いかもしれない。

だとしても、もしかしたら旧市街ならば、これに関連する手がかりがまた見つかるかもしれないことを、強調して報告した。


ロクシアは、なるほど、とうなずいただけだった。

報告が良かったか悪かったかも、結果に対して次の指示も言わなかった。

他に何も言うことがなく、静かな間ができる。レクセンは落ち着けなかった。

ケイがいればこうならない、と考えていたのに、彼女は完全に眠っている。

私室で寝入るなんて、失礼な話であり、ロクシアは気にしていないようだが、後でケイに嫌味を言ってやろうと心に決めた。


そこへ、ウォルフがロクシアの私室を訪ねてきた。

ロクシアは待っていましたと立ち上がり、ウォルフをケイの向かいに座らせ、レクセンをケイのとなりに座らせて、最後に自分も座って足を組んだ。

思わぬ形で、どっしりとロクシアと相対することになった。これも初めてのことで、レクセンは妙な気分になる。


「レクセン、私の話を最後までしっかり聞いてから判断して」


ロクシアはいつにもまして鋭い表情で切り出した。

レクセンは姿勢を正した。落ち着かないとか、居心地が悪いとか言っていられる空気ではなかった。


「今回、遺跡調査が打ち切られるというのは、本当はただそれだけではないの。実は、調査権を他の調査団に譲るという話が出ているのよ」


レクセンの息が一瞬止まった。

まったく思いもよらないところから、殴りつけられた感じだった。

病院の時の解散の話といい、今といい、真っ先に爆弾を投げつけるのはロクシアの話し方なのかもしれない。


「あの遺跡には、調査団の利益になるようなものは何もない、とすでに判断されているわ。なんて早計なこと、と思ってしまうけれど、そういう人が団長に就いているですもの、仕方ないわ。話も早々に進んでいて、末席の執行役員程度の私では、どうにもできないわ」


おのずと下がっていたロクシアの目線が、レクセンに戻った。


「この取引が成立してしまうと、発見した遺物もすべて譲渡することになるわ。もちろん、それもね。まだ調査団に登録されてないものだけど、いずれわかることよ。そこで、あなたならどうする?」


レクセンは答えに詰まった。

できることを模索するというよりは、内情を明らかにされた困惑のせいだ。

遺跡襲撃から始まり、調査隊解散を経て調査権の取引。

自分の知らない、もっと深く複雑な思惑や事情が背景にあるのだと、実感した。

《バード》という理想像と調査団の実像のぶれが、一層大きくなる。しかし、甘い理想を持っていても、現実から目や耳をふさぐほど、レクセンは情けなくはなかった。

とはいえ、ひねり出した答えは、報告通り旧市街と遺物の関連を探すという当たり障りのないものだった。


「旧市街の関連の有無は別にして、探す時間くらいならあるかもしれない。でも、そこで時間切れよ。それでいいの、あなたは?」


ロクシアの正確な指摘に、レクセンは顔をゆがめた。ひざに置いた手をつよく握った。ズボンにしわができる。

嫌に決まっている。でもどうすればいいかなんて、わかるわけがない。たかがいち発掘部員になにができるというのか。

考えれば考えるほど、思い浮かばない。


ロクシアとウォルフは、余計なことを口にすることなく、レクセンの心の内までじっと観察しているようだった。

まともに目線を合わせられなくて、レクセンが目をそらしたさきで、いつの間にか目覚めていたケイの、こちらをまっすぐ見る目とぶつかった。

その目を見てレクセンは決心できた。唇に力がこもって、あごにしわができる。


「あの!無謀かもしれないけど、もう一度あの遺跡にいってみたいです」


どうすべきか、ではなく、どうしたいか、を思い切って言葉にした。

ロクシアをまっすぐ見て言えるほど自信はなく、レクセンは握ったこぶしを見つめたままだった。

ずっと心の底にあった気持ちだった。しかし、どう考えても無理だろうな、とあきらめている自分がいた。

ケイが、価値があると言ってくれた。

そして、ヒューデイツがロクシアと相談しろと薦めてくれたから、機会がまわってきたのだ。

自ら諦観して、この機会を潰してしまうのは、自分のために真剣に考えてくれた二人に申し訳がなかった。

ロクシアは堂々と物言いに入る。


「遺物を発見した現場に戻る。基本中の基本だけど、たしかに無謀ね。そもそも、調査の打ち切りが決定したのに、許可が出ると思う?無理を通して現地へ行ったとしても、取引が成立すると思い込んでる向こうの調査団が、遺跡に入るどころか、寄らせてくれない可能性が高いわ」


ロクシアはさらにたたみかけた。


「それに、あなたはあそこで隊員の死を見た。自分の死も思い描いたでしょう。そんな場所に踏み込んで、平静でいられるかしら? そんな状態でまた襲われることがあったらどうするの? 対処できる?」


ロクシアの辛辣だがまっとうな意見に、レクセンは返す言葉がない。

現実が見えていない、見通しの甘い考えだと、言われていた。思った通りだ、とレクセンは唇をかんだ。

そのとき、ロクシアとウォルフが意味ありげに口の端をあげて、一瞬目を合わせた。下を向いたレクセンは気づいていない。


「ウォルはね、これから二十日間の謹慎処分に入るの。そこであなたは休暇でも取りなさい」


ロクシアが唐突に話を切り替えた。

ウォルフの謹慎に続いて休暇という単語に、なんらかの過失の責めであるとレクセンは受け取ってしまい、思わず口をはさんだ。


「休暇って!わたしだって三日間で調べられる限り――」

「私は最初になんて言ったかしら?」


ぴしゃり、とレクセンの反論を断って、ロクシアが話をつづける。


「ウォルはね、亡くなった仲間の弔いのために、あの遺跡に行くつもりなの。もしかしたらもうひとり、警護部の見習いも連れているかもね」


ロクシアはチラッとケイをいちべつした。ケイがピンっと背筋を伸ばす。

さすがのレクセンも、ロクシアの言っていることを理解した。

みるみるうちにレクセンの顔が生き生きしはじめ、瞳に輝きが増していく。空気を吸い込んで、高揚感に胸が膨らみ、肩に力がはいった。深呼吸も忘れて、興奮が広がった。


レクセンだって調査隊の一員だったのだから、ウォルフに同行しても不思議ではない。

自分の記念品は、遺跡に返すためにちょうど良い機会だから持参するだけだ。

ウォルフとケイは、実質レクセンの付きっきりの護衛と言える。これほど信頼のおける護衛をレクセンは他に知らない。

あまりに急な展開と、二人を巻き込んでいるような気がして、レクセンはふいに怖気づいてしまった。高い興奮の反作用かもしれない。


「でも、いいの? わたしのわがままみたいなことに、ふたりを連れていっても」


ロクシアは、気持ちはわかるけれど、というように肩を少しすくめた。


「じゃあ、もしあなたがあそこに行くことを知っていながら、ひとりで行かせて、また危険にさらされたときの、二人の立場から考えてみなさい」


二人の立場に隠れて、ロクシアにも同じ気持ちがあるのだが、そこに気づけるのは、ロクシアをよく知るウォルフだけだった。


「ウォルもケイも、自分がいれば危険を避けられたかもしれないのに、と考えるでしょう。二人はなんのために己を鍛えていると思ってるの? あなたが、こういうときのために考古学の研鑽をつむことと同じだと思わないかしら」


ロクシアの言うとおりだ。

自分は間近で目撃したではないか。あやふやな記憶の中で、唯一はっきり覚えていることだ。

これでも信頼できないなら、いったい誰を信頼しろというのだろう。


「何もかもあなたの答え次第よ。やるの? やらないの?」


ロクシアは足を組み直して、あえて尋ねた。




レクセンたちは南門を何事もなく通過し、ルテラに入った。

家の窓から衣類を干す女性が顔を出し、壁から出ている小さな筒からは、煙が立ちのぼり、明るくなった空にかすれて消えていく。

ルテラの人々の朝は始まっていた。


ルテラは、傾斜している地面に建物が密集していて、まるで町が一つの大階段のような外観だ。

はしばみ色に近い建物の壁と屋根は、乾いた土地や岩の色そのもので、町が自然に溶け込んでいるような一体感を生んでいた。

内観は、イフリウスの旧市街に似てやや入り組んでいるが、扉のない広い出入り口や大きな窓、壁よりも柱が多くみられる建築は、風通し見通しの良い開放感があった。


そして、上、中、下段の3つの区がある。

下段は露店や酒場などが主で、昼から夜は人通りがかなり盛んな歓楽区。

中段は居住区。中心にある高い鐘塔以外に、目ぼしいものは見当たらない。

上段はテーベン人の区域だ。テーベン人とは、古くからこの土地にいて、ルテラを取りしきる、言わば豪族に近い人々である。

堂々たる建物が並び、ルテラで一番高い丘に、ひときわ高い塔がそびえ立っていた。

ある程度例外はあるが、大まかにこう区分けされていた。


レクセンはウォルフに先導してもらって、下段区を通って、中段区に入った。

まだ人が少ない朝なので、すんなりと下段区を抜けられた。

中段区に入って、もう少し坂を上っていくと、ひと際大きな建物の前に出た。

ここは、調査隊やそれらに携わる人々のための寄宿舎だ。


以前、ルテラの住民とよそ者である調査隊員のいざこざが頻発して、双方難儀していたことがあった。

そのため、エブラーグが中心となり、他の調査団の協力も得て建造したのがこの寄宿舎だ。

寄宿舎といっても、住まいではなく、寝泊まりで利用するところだ。

人ひとりが有する空間は、ベッドとその脇にある棚一つ。仕切りは垂れさがった布のみ。快適さはのぞめない。

それでも、野宿よりは格段に休まるし、今回のように仕事でなくても、調査隊員なら利用できる、ありがたい場所だった。

早朝といえど、寄宿舎の出入りはけっこうな多さだ。

レクセンたちも、さっそく一宿分借りようと、寄宿舎に入りかけたとき、背後から待ったがかかった。


「おーい。待った、待ってくれ」


手を上げて歩きよってくるのは、よく見ればショーンだった。

いつもの黒の背広ではなく、簡素なルテラの普段着だったため、一瞬誰だかわからなかった。ケイはいまだに誰かわかっていない様子だ。


「まさかそっちからくるとはなぁ。大通りの方で待ってたんだが」


指先であごを撫でるショーンに、レクセンは挨拶した。


「おはようございます。すみませんが、先に荷を下ろしてきてもいいですか?もし話があるならそれからで――」

「いや、それを待ってくれって話さ。いいからそのまま俺についてきてくれ、な?」


ショーンは、よくわかっていないケイの背中を押して、目的地を変えようとする。

押されるままに歩くケイだったが、レクセンの方へ疑問顔を向けた。

代わりにウォルフがケイにうなずいた。

ケイは促されるままに進み出し、レクセンはいぶかりながらも、ショーンの後についていった。


寄宿舎のわきにある細い道をすすみ、階段をあがると、広めの踊り場があった。

下段区をそれなりに見渡せる、比較的景観の良い場所だった。

そこからまたひとつ長い階段をあがって、また道なりに坂をあがっていった。

レクセンとしては、やっと重たい荷物を下ろせると思った矢先に、また歩かされる羽目になり、すこし足取りが重い。

後ろを振り返ると、寄宿舎の屋根が思ったより遠くに見えた。


「さあ、着いた!」


ショーンが、パチンと指を鳴らして示したのは、ルテラではごくごく一般的な小さい一軒家だった。


「ロクシアから聞いてるぜ。せっかくの休暇なんだ、あんな収容所じゃなくて、しっかりしたところで満喫しようや」


ショーンは自分の言葉にウンウンとうなずいた。

レクセンは困った顔でショーンに答えた。


「あの、明日にはここを発つわけですし、ここだと負担が大きくなりそうなので、わたしは寄宿舎でいいかな、って」

「ぜんぜん気にしなくていいんだ。貸しのある友人に頼んだだけだからな」

「それだと、あなたに悪い気が」

「君とケイのために用意したんだ。使わない方が悪いと思わないかい?」

「・・・それはそうかもしれませんけど」


ショーンとレクセンが主張し合ってる間に、ウォルフが勝手に扉を開いた。


「せっかくだ」と一言言って、ウォルフはのしのしと家に入ってしまった。

彼にしては厚かましい行動だった。おそらく、踏ん切りのつかないレクセンのために取った行動だろう。


「おいおいおい、話を聞いてたよな、あ? お前の部屋はないぞ?」


ショーンが追いかけて入っていく。

呆気にとられていたレクセンは、ケイに引っ張られて一緒に入った。



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