第16話 来客



ロクシアは、今日二度の唐突な訪問を受けた。

最初は、久しぶりの嬉しい来客。次は、思いもよらない初めての来客だった。

しかもほぼ同時だった。なぜこういうことは重なってしまうのか、はなはだ困りものである。


ロクシアは対処に慎重になる。

後の客に日を改めてもらうことにするは普通のことで、あえて客を比べても、一人目の方が、圧倒的に大事で優先すべき相手だ。しかし、二人目の方は、後日にしてしまうと、次はない予感が、ロクシアにはあった。

ロクシアがめずらしく決断しかねていると、一人目の客が、話が終わるまで別室で待っていよう、と言ってくれたので、厚意に甘えることにした。


そうして、二人目の客を迎えた。

ロクシアは座ったまま、仕事机に両ひじをついて、愛用の万年筆を指でもてあそんだ。ロクシアもわずかばかり緊張していた。

客の方は、ロクシアの前まで歩み寄り、挨拶もなくただ黙って立っている。両方とも、愛想笑いのひとつも見せない。

先に口を開いたのはロクシアだった。


「・・・なにか用があってきたんじゃないの、レクセン?」


二人目の客レクセンは、ロクシアと視線を合わせずにむすっとしていた。


「私はどうすればいいのかしら?」


レクセンは、ロクシアの意外な言葉に、やっと彼女の方を見た。

いつもは、「何も話さない人を相手にしてるほど、私は暇じゃないの」というような皮肉を加えてくるが、今は棘を感じなかった。

レクセンはヒューデイツの提案を断ったにもかかわらず、発掘部に戻る直前も揺れていた。

この調子では、おそらく仕事中も迷いをかかえこむことになる。だったら、会いに行くだけ行ってみるのもありだと考えた。あくまで仕方なく、他に選択肢がなかったと己に言い聞かせた。


それでも気も足も重かったが、なんとかロクシアの私室前まで来た。

ロクシアの部下から、来客中と聞かされたときは、レクセンは、逆に喜んだ。

門前払いされても、言われた通り会いに来るだけは来た、というヒューデイツへの義理は立つというものだ。

まさか、先客を待たせるから会う、と返答されるとは。

レクセンは心の準備が遅れて、何から切り出せばいいか迷ったが、ぽつりぽつりと、話し出すうちに、口がなめらかに動いた。


ヒューデイツに言われるままにここへ来たことも話した。

話してから、言われたことしか行動できないのね、と皮肉がくると内心で身構えたが、ロクシアは何も言わなかった。

どうにも調子が狂うレクセンに、ロクシアは意外なことを口にした。


「ふー、オダンもヒューも、あいかわらずあなたには甘いわね」

「・・・・えっ!?」


なぜその結論になるのか全くの予想外で、レクセンはすっとんきょうな声を出した。

少なくともさっきの相談の中では、ヒューデイツはロクシアの肩を持っていたように思った。そう反論すると、ロクシアは声は上げなかったが、レクセンと同じ顔をした。


「そういう見方もあるのかしら」


それはわたしの台詞じゃないの、とレクセンは言いたかった。ロクシアがどうしてそう思ったのか、特に気になる。

だが、今の今までロクシアと会話らしい会話など皆無だったので、素直に聞けようはずがなかった。


「それより、実物を見せてくれない?」


と言われては、応じるしかない。ロクシアは先客を待たせているのだ。

無意識に、ずっときつく握りしめていたせいか、小物入れは手汗がついていた。レクセンは、そでで軽くふき取ってから、ロクシアに差し出した。


ロクシアは万年筆を置いて、かわりに眼鏡を取った。薄い手袋をして、小物入れの中身を机の上に広げた。

さびた球体を見て、ロクシアの目がすっと細まった。顔を寄せ、布を回したり、球体を転がしたり、あらゆる角度から観察した。

ロクシアは真剣そのもので、レクセンは息をのみこんだ。初めて目にするロクシアの姿にただただ面食らった。いや、思えばこの人と顔を合わせても、まともに向き合ったことなんてなかった。

後で考えると、レクセンはこのあたりからふわふわし始めていて、現実味がなくなっているように感じていた。まさに狐につままれた状態だった。


ロクシアからいくつか質問が飛んできた。

これを発見したときの時間や部屋の状況など、思い出せるだけ詳しく。レクセンのほかに誰が見て、誰が触れたか。

レクセンは、九官鳥のごとく、言葉に応答しただけだった。

最後に、咄嗟にしては良い保管の仕方だわ、とロクシアはしめくくった。

ロクシアは、遺物を小物入れには戻さず、棚からもっと頑丈そうな保管用の小箱にしまい、鍵をかけた。


「これが何か調べる気があるなら、あなたが調べなさいな。別段気にならないというなら、私から研究部に渡しておくけれど」


レクセンの小物入れと並べて差し返した。大きさはさほど変わらない。返答にまごついているレクセンに、ロクシアは理由を言った。


「研究部が、がらくたです、って一度鑑定したものでしょう。後からこんなの見つけましたと持って行ったところで、その鑑定をくつがえすこともなく、そのまま倉庫行きね。自尊心だけは無駄にあるのよ、あの連中」


自嘲気味の笑みが、ロクシアの顔をさっとかすめた。研究部に属していた経歴のあるロクシアだからこそ出た言葉だった。


「その代わり条件があるわ。そうね、三日。何も見つからなくても、途中でも、三日後に必ず報告しにきなさい。それを約束できるなら、あなたに任せてみてもいいわ」


三日などあっという間だ。調べるには、全くと言っていいほど足りない。レクセンには研究部のような揃った器材なんてない。

それでも、レクセンはとにかくうなずいた。ロクシアの気が変わらないうちに、小箱をもらい受け、きびすを返した。

ぎこちない足取りで、レクセンはロクシアの私室を出ていった。直後に、レクセンは閉じた扉をまた開いた。


「あ、ありがとうございます。失礼しました!」


言い忘れていた挨拶と感謝で頭を下げて、レクセンは今度こそ辞した。




「ずいぶん真っ直ぐな娘じゃないか」


一人目の客が、となりの小部屋から戻るなりロクシアに笑いかけた。

落ち着いた色のこざっぱりとした服装で、杖を突いた老人だ。

薄くなった白い頭髪、目じりと口もとの深いしわ。ぎゅっと上がった眉と丸い頬骨が特徴的だ。年齢にそぐわぬ眼光は、厳格だと一目でわかる。


「しかし、人の意見を聞けるところは、誰かさんとは違うのう」


にやっとした破顔に、人懐っこいしわができる。


「あんまり弟子をいじめないでくださらないかしら、先生」

「わしはお前さんのことだと一言も言っとらんて。自覚があるから、そう思えるんだ。まあ、普段の皮肉を抑えたのは、ほめるべきかの」


かっかっか、と口を開けて笑う。

ロクシアは苦笑いするしかない。娘の前で言われなかったことに、心底ほっとした。

それから、老人が客用の椅子に座るために身体を支えてやり、冷めたお茶を入れかえるように、部下に言って、彼の隣に座った。


老人の名はハヴィック・エブラーグ。

ロクシアにとって尊敬する師であり、父のような存在。そして、エブラーグ調査団の元団長であり、創設者だ。すでに隠居の身で、調査団の指揮を執っているのは彼の息子娘たちだ。

このところ調子を崩していたので、ロクシアは心配していたが、元気な姿を見れたのはなによりだった。


「すみません、本当ならあの子の方は断るべきでした」

「いいていいて、せっかく娘が訪ねてきてくれたんだぞ、追い払うなぞもったいない。それより、わしの知らん間に、娘と仲直りしとるじゃないか」

「そうだったらどれほどよかったか。今日あれだけ話せたのは、奇跡です、たぶん」


ロクシアは、本当に親しい間柄しか見せない、弱々しい笑みをみせた。ロクシアとレクセンの関係は、仲直りしたと表現できるような良好なものではない。


調査団に所属した当時、ロクシアは遺跡に足を運び、自ら調査して研究していた。探求心と好奇心の塊だった彼女は、とにかく仕事に没頭した。他のことすべてがわずらわしいとすら思った。それが自分の子だったとしても。


おかげで、ロクシアは今の地位にいる。

ハヴィックの一番可愛がった末弟子だとしても、これはロクシアの努力と非凡な才ゆえだ。しかしながら、娘との親子関係は何ひとつ築けない他人同然になってしまった。


娘への接し方もわからず、今の自分の大事なものを守ろうとすると、溝はますます深まっていった。

そのうえ、レクセンが自分に憎しみを向けるたびに、歩んだ人生に後悔はないという自信がゆがんでいくようで、遠ざけるような態度をとったこともあった。

それが弱さであることを、なかなか認められなかった。


「わしはお前さんを誰よりも知っとる。そのわしが言うんだ、きっと大丈夫だ。あきらめて取り返しがつかなくなったわしより、よほど立派じゃよ」


ハヴィックは、ごつごつした大きな手でロクシアの背をさすり、いつもそう言って励ましてくれる。先生の激励には、ロクシアもうなずかざるを得ない。

彼は彼で、お世辞でも大丈夫とすら言えない、冷え切った親子関係だった。

ハヴィックが去った後、調査団の方針の甚だしい変わりようがそれを物語っている。


一番大きく変わったのが、部署の数だ。

かつては、研究部、発掘部、警護部のほかにもうひとつ、探査部があった。

探査部は、研究部や発掘部が見つけた情報や手がかりをもとに、未開の地を探検したり、発見した遺跡内を探索することを主目的としていた。

ロクシアも最初に所属した部署はここだった。

本来は、探査部の探検隊員こそ中核で、エブラーグ調査団の原形だった。そこから、他の調査団と合併する経過の中で、仕事の形を残していったのが分業につながった。


やがてハヴィックが第一線から退くことになり、息子たちが団長の座に就いた。

すると、息子たちは、いまさら新たな遺跡などみつける必要はない、探検など時代遅れだ、と言って、探査部をいともたやすく切り捨てた。探査部員のほとんどがエブラーグを離れることなった。

経営者として的確な判断だったかもしれないが、四十年も探検家とし生きてきて、かつ調査団創設にかかわった友や恩人を思うと、ハヴィックにはとうてい許せる行為ではなかった。

もともと悪かった親子関係の、これが決定的な亀裂だった。

お互い、血のつながりに関しては、ため息が漏れるばかりである。


「話を戻しましょう。これ以上は、お互い愚痴の言い合いになりそうです」

「そうじゃな、愚痴の多さに自分で辟易してしまうわ」


入れ直したお茶で一旦喉を潤してから、レクセンが来る前にしていた話を再開した。


「どこまで話したんだったかのぅ」

「先生の方は手ごたえがあった、というところです」

「そうじゃそうじゃ、で、お前さんの成果を聞こうとしとったんだ」


ロクシアはため息を一つはさみ、眼鏡をはずして、指先で鼻筋を軽く揉んだ。


「私の方はかんばしくありません。女の身ならではの見返りを望む方ばかりで」

「まあ、お前さんが内密に話を持ってくりゃあ、男ならそうなるだろうて」

「正直、成果のなさに、目先のことを少し考えてしまって・・・」


ハヴィックは腕を組んで口もとのしわをふやした。


「そこはお前さんの裁量だから、あまりとやかく言わんが、やめておいた方がいいぞ。簡単に事を成せるが、えてしてもろい。それこそくだらない噂一つで崩れさってしまう」

「ええ、わかってます。あせらず地道にやるしか方法はないですから」

「・・・ほんっに成長したのう、昔の言うこときかん暴走娘がなつかしいわ」

「先生っ」


ハヴィックの上下に揺れる肩を、ロクシアは力を入れずに、パシンとはたいた。そして、噂という単語で、ふと思い出した。


「噂といえば先生。先生に愛人ができた、なんて噂を耳にしましたけれど」

「むほほ、老人の独り身はなにかと寂しくてな。どう思うかね?」


ハヴィックは悪びれもせず、にこやかに聞き返してきた。


「私は、先生に愛人ができるくらいの元気があることが何よりうれしいです。周囲の反応は少し心配ですが」


ロクシアは、愛人といっても、ハヴィックの身の回りの世話役だと考えた。だが、言ったことは本心である。


「そう言ってくれるのは、お前さんだけだ。周りはどうでもよいわ。あやつらの心配の種は、わしではなく、わしが死んだ後の遺産分配だろうて。《グル》どもめ」


ハヴィックの言う《グル》は、自分が創った調査団を乗っ取った金の亡者、肉親連中だった。

げんなりするハヴィックに、今度はロクシアが励ました。


「元気でいてください、ハヴィ師匠。なんなら、もう一人二人愛人を紹介しますから」


ロクシアが暴走娘だったときによく使っていた、ハヴィックの呼び方だ。ハヴィックは豪快な笑いで答えた。


「わっはっは、ありがたいことだが、自分の心配をせい。お前さんの目指す夢は、まだ出発点ですらないが、この準備こそ肝だぞ。探検家の良し悪しは、準備の良し悪しで決まるんじゃ」

「はい、何度も聞かされましたわ。それには先生の助力が必要不可欠ですから、今後もおねがいします」


ハヴィックはうなずく代わりに、また大きく笑った。



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