第15話 相談相手



次の朝。

レクセンは、鏡に映る自分の真っ黒な顔を見て慌てたものの、身支度を整え、いつもよりかなり早く部屋を出た。遺物の入った袋をしっかりと抱えて、本部まで向かった。


まず、オダンに打ち上げる。それしか思い浮かばなかった。

レクセンは、こんな体験は初めてで、胸の内に膨らむものが、不安なのか、期待なのかよくわからなかった。おのずと歩く足が早まっていく。

本部に来たレクセンは、ひとまず倉庫に直行し、破片のひとつと小物入れ以外を保管して、発掘部へ向かった。

白い道は、まだ人がほとんどいなかった。多くなる時間帯だと、すんなり走れないため、早く来たのは正解だった。


やっと発掘部に着いたが、肝心のオダンが不在だった。

レクセンは、はやる心を抑えながら、仕事着に着替え、いつもの準備にとりかかった。しかし、仕事の開始時間になっても、オダンの姿はなかった。

そこで、コーダートに呼ばれた。彼はいつもより眉間のしわを深くしていた。レクセンも妙に緊張した面持ちだったので、事務室により緊迫した空気が流れた。


「オダン部長から伝言です。エブラーグ調査団はあの遺跡調査の打ち切りを決定した。まだ正式発表はされてないから他言無用、とのことです」


コーダートは何の前置きもせず、一気に告げた。

普段の口調や態度を意識的に崩さないようにした。けれど、眉間のしわはどうしようもなかった。事実を伝える損な役回りをさせた父に、文句のひとつでもぶつけたい気分だった。

伝言に対し、レクセンの反応は薄かった。

いつもは、驚きなり怒りなりをあらわにするが、それだけ衝撃が大きかったのか、あるいは予感があったのかもしれない。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい。・・・それより、オダン部長はどちらへ?」

「昨日の出土品の件で、ずっと本部にいます。今日は現場にこれそうにないために、伝言を預かった次第です」

「そうですか、失礼します。あの、伝言ありがとうございます」


レクセンは拍子抜けした表情で事務室を出た。

調査の打ち切りを聞いて、相談しようとしていたこと、考えていたこと全てが白紙になったようだった。誰に打ち上げたとて、すでに出てしまった結論はくつがえせない。

手にしていた小物入れを、くいいるように見つめる。


(価値がないって決めつけちゃ、ダメだよね)


レクセンは唇をぎゅっと固く結んで、自転車にまたがった。

本部に戻り、オダンを探そうと研究部のある南棟に入った。

入り慣れていない南棟は空気やにおいが違っていて、見知らぬ土地に来たような感覚だった。

そのうえ、作業着のレクセンを見て、発掘部が何をしにきたんだ、と研究部員が冷たい視線を投げつける。レクセンはひるんだが、ケイなら引き返さないよね、と一歩踏み出した。


場所を知っている資料室から当たってみたが、オダンはいなかった。研究室方面は許可なく入れないので、通路前にいる警備員に聞いてみるも、だめだった。

探せる場所はすくなく、手がかりもないまま、中央棟に移った。こっちの建物は何度も来ているので、気兼ねなく探し回れる。

しかし結局、オダンを見つけられなかった。他の人を探すべきかもしれない。レクセンは、他に適切な人がいるか考えてみた。


ケイ。話すことはできるが、解決するにはまた別の人に相談しなきゃ、となりそうだ。

ウォルフ。ケイと似たようなことになるか、もしくは、もう一度遺跡に連れていくぞ、という極端な手段を、冗談抜きに実行してしまうかもしれない。

ボーデン。上の二人に相談したら、最終的に彼にたどりつくだろう。怖い人なので、自分ひとりで話すのは無理かもしれない。部署が違うと怒られそうだ。

コーダート。今思えば彼に相談しておけばよかった。けれど、決定は覆せないでしょう、と事実を言われておしまいのような気がする。

悩む時間が延びるにつれて、興奮が収まってくると、決意が鈍っていった。

やっぱりあきらめて発掘部に戻ろうかな、と思い始めたとき、


「やあ、レクス。奇遇、だね」


軽く手を上げて声をかけてきたのは、ヒューデイツだった。

彼は調査団の人間ではない。だが、所用で訪れることがあって、多少はエブラーグ本部の勝手を知っている。


「ヒューデイツさん。どうしてここに?」

「植物調査のために、呼ばれてて。こ、ここのところよく来てるんだ」

「ああ、詳しいですもんね。なにか成果はありました?」


ヒューデイツは、肩をすくめて小さく笑った。こころなしか、まぶたがいつもより重そうだった。かんばしくないようだ。


「レクスの方は、どうだい?」


ヒューデイツに聞き返されて、レクセンは迷った。

彼は、調査団に属しているわけではないけれど、だからこそ相談役には適しているかもしれない。


「あの、少し時間ありますか?」




レクセンは、昨夜から今まであったことを話した。なるべく自分の感情を省いて、簡潔にまとめた。眠れないベッドの上で、何度か練習した説明だから、問題ないはずだ。

話が終えた頃には、昨日の緑地のあたりまできていた。

小物入れを渡そうとすると、ヒューデイツは首を振った。


「万が一もあるし、部外者の僕は、触れない方が、いい」


レクセンは石の段差に腰かけ、小物入れを慎重に開いて見せた。

ヒューデイツは、小物入れの中身を確認すると、片手で首の後ろをさするような動作を取った。彼が思考するときの仕草だ。

レクセンは、ヒューデイツが何か答えるまで、黙って待った。

仕草を解いたヒューデイツは、親指と人差し指を折った手をレクセンに見せた。


「言えることが、みっつ。いいかい?」


そう前置きしてから、話しだした。


「ひとつ。話を聞いていても、君以上の疑問や仮定は、思いつけそうにない。役に立たなくて、すまない」

「そんな、別にあやまる必要なんて」

「期待には、応えらなかったからね。つぎに、ふたつ目。レクスは、本当に、それでいいのかい?」

「え、それでいい、って・・・?」


レクセンはきょとんとして、オウム返しで聞いた。


「せっかく君が、発見したものだ。自分で、なにも調べないまま報告すると、誰かの手に、渡ってしまわないか?」


吃音で言葉が区切り区切りになるが、たたみかけない話し方は、レクセンにとってじっくり考えて答えることができた。


「それは、もちろんできるなら自分で調べてみたい。でも、まず報告しないといけないんです。本部に記録のない遺物を持っていることは、規則に反してしまうから」


一拍置いて、レクセンは続けた。


「ケイが、価値があるって言ってくれたからこそ、見つけられたようなものだから、最後までその価値を追いかけたい。何もない結果になっても、その結果まで自分でいってみたい。・・・けれど、私は研究部じゃないから」

「そこで、みっつめ」


ヒューデイツは、レクセンのとなりに座った。子どもひとり分ほど空間が空いている。肩が触れるほど近くに座らないのが、いかにもヒューデイツらしい。


「報告する人のこと、そうだな、僕からの、・・・提案なんだ。でも、必ず提案通りにすることは、ないけど」


ヒューデイツは、変にもったいぶって、言葉を濁した。片膝を小刻みにゆすりはじめ、自分の手を置いて止めて、一旦間をおいてから口を開いた。


「報告するのを、ロクシアに、してみたら、どうかな?」


レクセンの小鼻がピクッと膨らみ、顔の険が一気に深まった。


「君にとって、きっと良い案を出し――」

「いやです!」


レクセンの明確な拒絶に、ヒューデイツは言葉を遮られた。


「あの人は、わたしのことが何より嫌いなんです。昔も、今も。知っていますよね、研究部を志望していたわたしを、発掘部にはじいたのが誰なのか」


発掘部での日々は、疲れることもあるが、嫌悪などなく充実はしている。しかし、研究部の女性たちが憧れでなくなったとしても、未練がなくなったわけではない。

あの人のやったことは、どうあっても許せない。そんな人に何を言えというの。自分の希望など、一蹴されるだけ。

その胸中が、レクセンの太い眉の角度にあらわれていた。


ヒューデイツは、やはり言わない方がよかった、と早くも後悔しそうになった。

この提案を推し続ければ、レクセンは頑なに拒否し続ける。

ヒューデイツは、合理的な説得はいくらでもできた。

ロクシアは、本部の内情を知っている。事件のことも含めて、あの遺跡に関することをかなり把握している。だから、一番相談するのに適した人だ。

あるいは、ロクシアはレクセンがもっている特別な伝手だ。利用できるときは、最大限に利用するべきだ。


これらを並べ立てても、レクセンは決してうなずきはしないだろう。

また、ヒューデイツは、ロクシアという人物を、レクセンよりも知っている。

彼女は、本来頭ごなしに否定するような人ではない。賢明で実行力もある。

だがそれを説明すれば、ロクシアを誉める形になり、レクセンは自分はそうじゃないと思い込んで、ますます感情的になるだけだ。


そこでヒューデイツは、すこしばかりずるい手段を取ることにした。

レクセンの性格を利用した奥の手だ。おそらく一度しか通用しないし、成功率も五分には届かないだろう。それでも試したかった。これは、良い機会かもしれない。


「レクス、聞いてほしい。ロクシアが君にどれだけひどいことをしたか、完璧ではないけれど、知っているつもりだ」


母親という禁句と、レクセンの気持ちもわかるという同情の言い方は避けて、ゆっくり言葉を出した。


「でも今日、ぼくに相談したのは、なにかのめぐり合わせだ。一度だけでいい、ぼくの顔を立てて、ただ、言われたことを実行してみる。そう思うのは、ダメかな」


レクセンは表情こそ動かさなかったが、心はぐらついているようだった。


「どうしてそんなに・・・。あの人になにがあるの?」


ロクシアの肩を持つヒューデイツに、レクセンは難色の瞳を向けた。

ヒューデイツは、なるべく平坦な表情を保つのにつとめた。


「自分なりに最善を考えた結論が、ロクシアに至った。それだけだよ」


ヒューデイツは本当のことを、半分だけ口にした。

後の半分は、好意を持つ母娘が仲たがいをしてほしくないからだった。レクセンは薄々察しているかもしれない。

おせっかい焼きと言われても、もう性分だからしかたのないことだった。

レクセンは、迷いに迷って、やっと答えをだした。


「やっぱりわたしは、できそうにないです」

「そうか。無理にやっても、いい結果は得られないからね」


ヒューデイツは、思い切って提案したわりに、あっさりと引き下がった。

無理強いさせていい結果が出たとしても、溝は埋まるどころか、深まることになりかねない。それでは意味がない。


一方、レクセンは内心、どうせなら腕を引っ張ってでもロクシアのところへ連れて行ってほしい、という気持ちがないわけではなかった。

彼にその強引さはない。それは長所なのだが、ときどきこうして不満に思える。

自分の勝手でしかないけれど。

そして、己の弱さをヒューデイツのせいにしているようで申し訳なかった。



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