第14話 価値
レクセンが自分の部屋に帰ってきたときには、靄空に夜の色が混じり始めていた。
今日の仕事が終わりかかったとき、発掘していた穴のひとつから大量の遺物の破片が出土した。
人が少ない日に限ってこういうことが起こる。急にあわただしくなり、レクセンもかり出された。本部までのあの道のりを、発掘部総出で荷台を押して往復した。
疲れていたが、まず汗と土にまみれた服を洗い、お風呂と食事を軽く済ませた。
レクセンの住居は狭いひと部屋で、洗濯やお風呂は共同だ。ふたたび自室に戻ると、すんなり歩き回れないほど暗くなっていた。
扉の近くの壁から出ている配管のつまみをひねった。腕ほどの太さの配管は、壁と天井のかどをぐるりと走っていた。
その配管の、材質と色が違う数か所が、光り始めた。
これが現在の照明だ。
モヤを人工的に取り入れた技術ということだが、レクセンも詳しくは理解できていない。ただ害悪ばかりだったモヤが、こうして役に立つのはとても凄いことだ。
何事も負の要因だけとは限らないものだ。
現在は、小型化に向けて色々な試作段階中、と耳にしたことがある。それが叶えば、遺跡内の調査が格段にはかどることだろう。
レクセンは自分の定位置、千草色の二人用の長椅子の左側に腰を下ろした。石を机の上に、手帳をひざの上に置いた。ひじかけにもたれ、素足を椅子に伸ばし、自分の手帳を読み直した。読む間、足の親指が無意識に、ぴこぴこと動く。
手帳が返ってきたのは、うれしい出来事だった。
隅々まで調べられて返却されたときは、顔から火が出るだけでは済まなかった。
石の方も、研究部が勝手に記念品と勘違いしたいきさつもあって、返されたのは予想外だったが、
『――きっとあるよ、価値』
ケイの何気ないあの言葉は、ぐっときた。
価値なしという研究部の鑑定を、特に疑わなかった自分には言えない言葉だった。
手帳の中身を見られて、恥ずかしいと身もだえしていただけで、目標である《バード》から遠ざかっていたに違いない。研究部の彼女たちをとやかく言えない。
レクセンは、パタン、と手帳を閉じ、座り直した。そして、石を両手でつつんだ。
(価値はある、か。他にもなにかないかな)
レクセンは目を閉じて、彫られた模様を指でなぞった。感触に集中していると、頭の中で、遺跡の風景が描かれていった。
怒鳴り声が頭の中によみがえった。あれは、靄空の夕色が深まったぐらいの時間だった気がする。喧嘩とか口論よりも、もっと物騒な感じだった。嫌な予感がして、石室からすぐに出ていかなかったはず。
(ああ、なにか思い出せるかも)
これまで、レクセンは事件そのものに対してほどんど振り返ることはなかった。
全然覚えていないし、周りも深く考えるなと言う。そういう時間もなく、あえて取らなかった。なんの得もないと思い込んでいたから。
レクセンは上体を前に倒し、石に額をくっつけた。意識した動作ではなかった。
ひんやりした石の冷たさが頭に浸透していくと、閉じ込められていた石室の床や壁の冷たさがよみがえった。
わずかに動悸が早まったが、レクセンは体勢を変えることはなかった。思い出すきっかけとしては、悪くない気がした。
深く大きく息を吸っては、長く吐いて、記憶の波に身をゆだねた。
レクセンは、むくりと身体を起こした。
まっさきに思い浮かんだことは、己のドジっぷりについてだった。
いつの間にか眠っていた。額を触ると、石の模様のあとがくっきり残っている。口もとの違和感は、おそらくよだれによるものだ。
疲れていたとはいえ、遺物を枕代わりにして寝るなんて愚かにもほどがある。誰もいない部屋でひとり顔を赤くした。
照明が完全に切れていて、部屋はまた暗くなっていた。丸一日充填しても短時間しかもたないのが、この照明の欠点でだった。
エブラーグ本部ともなれば、長時間使用できる工夫があるだろうが、一人暮らしの部屋なんてこんなものだ。
立ち上がろうとすると、首と腰が痛かった。おかしな体勢で寝ていたせいだ。よたよたと歩いて、一旦つまみを締めて、常備しているランタンを灯した。
重たいまぶたをこすって定位置に戻ると、眠気が完全にふき飛んだ。
額と手を当てていた部分が崩れて、石の破片と粉が机に散っているではないか。両手を見ると、手汗で石の粉がくっついて黒く汚れていた。
どっと冷や汗があふれ、熱かった顔が一気に冷えた。混乱と焦りがレクセンに渦巻いて、思考停止どころか、心臓まで止まってしまいそうだった。
こういうときはどうするんだっけ。
そうだ、深呼吸。いつものように呼吸を数えて。
四回目あたりで自分の鼓動が聞こえてきた。七回目で冷静かどうか自分に問うた。よくわからなかったから、あと三回、切りの良い十回まで数えた。
レクセンは改めて石を観察した。
わざとではないが、遺物を破損させた。記念品だからよかった、という気は一切なかった。雑な扱い方をした自分に、自分であきれた。
これでは、本当に価値のない石の破片になってしまう。その結論に至り、そこから別の疑問が生まれた。
これがただの石?
石がこんな砕け方をするはずがない。触れていた部分の崩れ方が妙だ。砂岩ではなかったはずだ。
素手のせい?
それならば、レクセンが発見するもっと以前に崩れているはず。素手で触らなかった人間が全くいないとは到底思えない。ケイも食堂で触れている。
なら、体温とか、熱とかかも?
レクセンは、石に指先を置いて、じっと待ってみた。これ以上破損させたくないと思いつつ、崩れることを期待したが変化はない。
つぎに、崩れた小さい破片をつまんで、ランタンに近づけてみた。指が熱くなっただけで、何も起きなかった。
レクセンは平静にはまだ遠く、他の原因は思いつかなかった。
最後の手段として、同じような体勢で石に触れればいい。だがそうすると、完全な故意になってしまうため、気が引けた。
ここまできて怖気づくのもおかしなことなのだが、レクセンはそうそう図太くない。
だが、最終的に好奇心が勝った。
レクセンは石を両手でつかみ、額を当てた。すでにもろくなっていたのか、音がして、複数に割れた。
石の中身が机の上を転がった。
球体だ。拳ひとつよりすこし小さい程度で、石の部分は意外と薄かった。表面は完全にさびついていた。
なぜこんなものが、石の中にあるのか。そして、石の中にあったのに、なぜこんなにさびているのか。なんらかの金属なのだろうか。
一気に疑問は湧いたが、この球体まで素手でいじくって、ぼーっと思考を巡らせるほど愚かではなかった。
部屋を見回し、小物入れの箱を取って、中身を全部出した。
その箱に、きれいな布で包んだ球体を入れ、なるべく中で動かないように、丸めた布で隙間を埋めていった。
割れた石の大きいものは、ひとつひとつ袋を分けた。机に散った破片と粉を、土を払う筆で集め、紙で包んで袋を別にした。
そして、レクセンは手帳を開き、忘れないうちにあったことを記していった。浮かんだ疑問も、なんでもいいからとりあえず書き並べた。石を枕にしたことだけは除外した。
一通り書き終わると、興奮がある程度収まっていたが、まだ息が荒い。
興奮したときも、深呼吸しないとダメね、と自分を戒めながら、小物入れをそっと引き出しにしまって、鍵をかけた。
鍵を枕の下に隠して、ベッドに寝転んだ。
頭が冴えてまったく眠気が訪れなかったが、ふわふわした夢心地はいつまでも覚めなかった。
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