第12話 手帳
レクセンは素直な意気込みが続いていた。
念願叶った調査隊の初派遣は、成功にはほど遠かった。自分たちが招いた失敗ではないにしろ、結果は解散となり再派遣はない。
レクセンは、一度落ち込むと、過去の行動や失敗を振り返り、あれこれ無意味な仮定ばかり頭に浮かんでしまう。
気持ちの切り替えが下手だった。しかし、いまは気持ちが悪い方へ傾いていかなかった。
やる気をもって仕事に取り組めているのは、ケイのおかげに他ならない。
訓練室で見たケイの鍛錬は、ボーデンに頼んで自ら課したものだとウォルフから聞いた。
ケイが目標になった。彼女のように仕事でも日課でも、ひたすら無心に身体を動かしていると、うじうじと考えている暇なんてなくなっていた。
レクセンの朝は早い。ケイも同様だ。
それぞれ発掘部と警護部で、その日の仕事や訓練の準備をするためだ。そして、途中仕事のない時間がぽっかりできたりするときに、食事や休憩の時間をともにして、一日の片付けに入り、遅めの帰りとなる。
以前は、同じことをくり返す日々に、だるいなぁ、と感じてしまうこともあったが、このところ苦になることもなく、一日が早く過ぎていった。
ケイもまた、やる気に変化が起きていた。
訓練と雑用以外は基本的に自由な時間が多い。
見習い中には、警備の巡回、あるいは調査の派遣隊の護衛についていき、その中で、すべきことを覚えていき、実際に任務に就き、晴れて正式に隊員となる。
本来なら、これは半年ほどの期間で終わる。ケイはすでにすべてを修了しているにもかかわらず、正隊員になれないのは別の話がからんでいた。
そのことで腐っているわけではない。むしろ、見習いのままでいいとすら思っていた。自分と他人の間には、《青威》とその他、という隔たりが必ずつきまとう。
軽蔑や差別の言動はケイの心をたやすくえぐる。
いままで頼れる人はウォルフとボーデンしかいなかった。二人に見放されたくなくて、自ら鍛錬を課し、がむしゃらに自分を痛めつけた。
だが、このところ、ケイが突進してはウォルフがはね返す、といういつもの構図に違いが生じていた。
ウォルフと向かいあっても、闘志を荒らげず、腹の底にすぅっと気を沈めて、どっしりと深く構えた。
結果は変わらず、ウォルフから一本も取れずに負けてしまうのだが、ひとつ何かを掴んだような気がした。
ウォルフも満足げにうなずいたことが、ケイは嬉しかった。
それぞれ充ちた日々を過ごして、半月が経った頃。
昨日まで機嫌が良かったレクセンが、今日はあきらかに気落ちしていた。
心配そうな顔を向けるケイに気づき、ごめんね、と言ったその先からため息をくり返す。
昼食に向かっているとき、ケイはレクセンが背負っているカバンがいつも愛用しているものではないと気が付いた。
飾り気がなく、機能性に長け、容量もかなり大きそうなものだったが、いまはほとんど中身が入っていないようで、しおれた果実のようにレクセンの背中で揺れていた。
愛用のかばんを失くしちゃったのかな、とケイは考えて、食堂で席についたとき、思い切って尋ねた。
「どうしたん?」
レクセンはいきなり机につっぷして、か細い声で答えた。
「・・・・死にたい」
ケイは、えっと思わず聞き返した。
理由を聞くより先に、レクセンが顔をあげ、カバンから何かを取り出して机に置いた。手のひらぐらいの大きさでえんじ色の革表紙の手帳だった。
「誰にも内緒だからね」
ケイに読むように差し出した。
手帳の表紙にそっと触れたその瞬間、レクセンの手がすばやく動き、手帳をめくる手をつかんで止めた。そして手帳をにらんで逡巡したが、覚悟を決めたらしく手を放した。
ケイは、ゆっくりと手帳をめくった。
《バード》レクセンが歩む軌跡・序章
見開きで、一風凝った文字体で右上がりに大きく書かれており、そのまわりに派手な効果線も付け足されている。
レクセンがいまにも身もだえしそうに身体をよじって、両手で顔をおおって説明した。
「それ、襲撃事件の証拠品だったみたいで、今日返却されたの。・・・なくなったとばかり思ってたのに。ばっちり検査済みよね、たぶん、ぜったい」
手帳の秘密を隅々まで調べられたらしい。
彼女の落ち込みようは、命にかかわりそうなくらい大げさだが、この気持ちがわからない女性は、どこの世にもいない。
ケイは読むのをためらったが、顔をおおっていた両手を目元までずらしてレクセンがうながした。
「いいよ。でも、なるべく流して読んで」
中身は日記だった。日記という形がまた、レクセンの恥の度合を高めているのは言うまでもない。
派遣の前夜の眠れないところが出だしだ。
楽しみに胸を躍らせて、じたばたしているところが、残念ながらやすやすと想像できてしまう文章だった。
出発当日は、気持ちが高まりすぎて、言葉がおかしな順序で羅列していた。
そこからは旅の道中の内容で、遺跡に着くまでに、ふと目についた物や景色、すれ違った人など、印象に残ったものを書き連ねていた。
ルテラの大きな湖に沿って東へ、そこから古い街道跡をたどってまた東へ。
途中に森の村落があり、入れなかったものの、塀の向こうに見える塔の先端が光っているのが気になって、どんな形か迷いながら書き写していた。
塔を描いている間、村のおじいさんと話をしたことに触れていて、また会わなきゃ、と書いてあった。
それから、険しい森の道を進み、少しずつ遺跡に近づく心境を、詩的につづってあった。
『私は暗い森にある時の門に立つ。
ここから一歩ごとに時をさかのぼり、時のしじまの深奥にたどり着いた。
私は深奥で耳をそばだてる。
しじまにただよう過去の声を探し当て、過去の空白をつなげあわ―――
レクセンが、そこはいいから次読んで次、と日記の上で手をはためかせた。
ケイは日記に目を落としたまま、赤ん坊をあやすような手つきで、手帳の前から彼女の手をやさしくどける。
遺跡に着いてからは、日記ではなくなった。
遺跡の気になった部分を描き、気になった事を逐次書き付けていた。
遺跡の中心の崩れた主塔から、壊れた噴水の跡、あるいは石室の欠けた模様、あるいは壊れた奉納物のようなものを、こと細かく描いてあった。
遺跡の全体図も記してある。
その位置関係から、壊れてなくなったものを考察して、想像で書き加えていた。ときおり、その想像が脱線しているところが、実にレクセンらしかった。
この前の、乗り物なんだ、と言っていたレクセンの真面目な顔を思い出す。
手帳の中身は、レクセンの心情が素直に伝わってきて、とても面白いものだった。
その道をたどった経験があるケイにとって、自分とは目のつけどころが違い、新鮮に感じた。ケイが遺跡に入った時は、夜間なうえ、煙幕で周りは見通せなかったけれど、どういう遺跡だったかが、すごくわかりやすく描かれていた。
ケイは読み入っていた。レクセンが二人分の昼食を運んできたところで、我に返った。
「わ、ありがと。これ、めんと面白い!」
「めんと?」
「えと、すごくって意味」
思わず方言が出てしまったくらい興奮した面持ちで、ケイが感想を述べた。
レクセンとしては、まんざらではなかったが、からかうなり笑うなりされたほうが、楽だった。そこまでまっすぐに評価されると、反対にむず痒くなって、謙遜ではなく否定してしまう。自分のひねくれ具合を自覚する。
ケイはウォルフに似ている気がする。彼も、実直すぎるところが長所でも短所でもある。ああして闘い合ってると考え方まで似てくるのかな、とレクセンはふと思った。
「もっと皆に読ませればいいんに」
「それは無理、絶対無理」
昼食をほおばりながら提案するケイに、レクセンは即答した。
ケイは、「そんにだめなぁ」とつぶやいて、また読み返し始める。
ケイが読み返す度、レクセンは昼食の味がなくなっていく気がした。
「これ、続きないん?」
「続き?まだ半分くらい余ってなかった?」
「ここ。描きかけんとこある」
「ああ、それは――。先食べよっか、話長くなりそうだし」
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