第11話 発掘部
二人は、二つあるうちの年季の入った二階建ての小さい方の建物に入った。
「おはようございます」
レクセンが昼過ぎの時間帯だが一律のあいさつを丁寧にする。対して、呼びかけのような短いあいさつが、まばらに返ってきた。
室内には、土まみれになった厚手の作業着を来た男が数人、気だるそうに長椅子に身体を預けていた。
ケイは帽子を脱いで、レクセンの見習って挨拶すると、その場にいた全員驚いた顔でかたまる。初対面の相手の反応は大方こうだ。気にはしない。
一階は、長い机を長椅子で囲んだ一式が三組置かれている休憩室だった。出入口の横の壁にはでっぱりが複数あり、安全帽がひっかけられていて、並べられた棚の上には、小道具や私物が所狭しと置かれている。
壁には、大小さまざまな用紙が張られており、見取り図や何らかの通知があったが、ひと際目を引くのが、大きな文字で力強く書かれた指針のような一文だ。
”急ぐな、焦るな、一人で行動するな”
”仲間の安全が、自分の安全!”
”今期の目標!北3-4 足場完成 南6-7 進度引き上げ”
”休憩室の清掃 他人に任せず自分が動け”
”許すな!研究部の横暴!”
気持ちがこもっている直筆のためか、何故か笑いを誘うようなものもあった。もっと色々見て回りたかったが、レクセンが手招きしたので、後に続いて階段をあがった。
二階は、一階の半分くらいの広さで、もっと物がひしめきあっていて、書類が大半だ。手前には一階と同じ長椅子と机の一式があった。
奥には男性が二人机に向かっていた。下にいた人と同じ作業着だが汚れていない。机にも書類の束が積み上げられていたが、狭い空間を利用して、黙々と事務仕事をこなしていた。ずいぶん手慣れた様子である。
そのさらに奥の角にもうひとつ机があり、伸ばした両足が乗っかっていた。
レクセンは、身体を横にして隙間を通り、両足の前で挨拶をした。
「おはようございます」
「お、レクセンか、おはようさん。どしたい」
足を下ろした男は五十前後で、四角い老眼鏡をかけていて、はげ上がった頭に角ばったあご、がっちりとした体格だ。いかにも厳つそうな印象だが、人のよさそうな笑みがそれらを帳消しにした。
彼はオダンといい、ここ発掘部の部長を務めている。
「あの、彼女はケイと言います。護衛部の見習いをしていまして、えっと、遺跡内部を見せたいと思いまして、その許可をお願いしにまいりました」
レクセンは言葉を選びながら、丁重に願い出た。
「あいかわらず丁寧なやつだな、おまえさんも。わざわざ俺に言ってこんでも、自由にしたらええに」
「いえ、許可もなく現場をうろつくのは、あまりよくないです」
「まあ、そうだろうが、おまえさんが一緒なんだ、大丈夫だろ」
オダンは、のんびりとした気さくな人柄で、面倒見がよく、頼りになる。そして、厳しい時は誰よりも厳しい。発掘部の父として、部下たちに慕われていた。
それがなによりの連帯感となる。
レクセンは、もっと気楽にしろ、とたびたび言われるが、一度、オダン親父のカミナリをその身に受けたこともあって、自然にかしこまってしまうのだ。
オダンは、立ち上がってケイに手を差し出した。ケイより、頭半分くらい低い。ケイが握手に応じて、ぎょっとして手元を見た。
(わかるわ、ケイ。部長の手、石みたいでしょ、人の手の感触じゃないのよね)
レクセンは自分も握手したときの驚きを思い出して、ケイに同意する。
「オダンだ。レクセンの病室で会ったな。しかしまあ、近くで見るとこりゃあ、うちの泥男どもが一度見ただけでがっつく気持ちがわかるわな」
オダンは、首の角度を少し下げつつ左眉根をくいっと上げて、眼鏡を介さずにケイをまじまじと観察した。
「うちの泥男、と言いいながら、あなたが一番がっついてますよ、部長」
事務仕事をしていた男性の一人が、机に向かったまま注意した。オダンは、いつのまにかケイの手を両手で握っていて、ケイも律儀に両手で握り、見つめ返していた。
「違うぞ、コーダート。この嬢ちゃんの目が凄いんだわ。そらもう、水晶みた――」
「いい加減にしないと、母に言いつけますよ、父さん」
「ぐっ、おい! こんなとこで公私混同は止すべきではないか、息子よ」
「それが一番手っ取り早いうえに、効果があるので」
息子コーダートの淡々とした口調に、オダンは観念して、ケイの手を放した。
オダンは、のんびり屋で気さくで頼りがいがある。そして、恐妻家で、息子にも頭が上がらない人だった。
レクセンは、オダン親子のこうした会話を見る度、関係をうらやましく思う。
コーダートは、仕事の手を止め、生真面目な顔をケイとレクセンに向けた。
「ケイさんといったね。父に代わって謝罪します」
「え、あ、平気、です」
「レクセン君、こんな輩をいちいち相手にしてはだめです。君もここへ来た当初は大変だったでしょう」
「は、はい、気をつけます。ありがとうございます」
当時は――今も若干そうだが、発掘部の紅一点扱いだった。
発掘員の方々が、顔を合わせる度に親切にしてくれて、心配してくれた。
ちやほやされるのに慣れておらず、気恥ずかしくもあり、どうせロクシアの娘へのご機嫌取りだ、という嫌悪もあり、あまり口もきかなかった。
男からすればつまらない女だと、レクセンは自分のことをそう認識している。
けれど、ロクシアの娘という冠が外れても、みんな態度は変わらなかった。とても嬉しかったのだが、なかなか集中できなくて仕事がもたついてしまった。
その時も、コーダートが今みたいに助け舟を出してくれた。オダンが仕事場の父代わりなら、コーダートは兄代わりというわけだ。
レクセンたちは、こんな輩呼ばわりされてがっくりした父親と、事務仕事にもどった息子に頭を下げて、一階に降りた。
すると、明らかに人が増えていた。オダンに許可を受けるだけのほんの短時間だったのに、だ。
比較的レクセンやケイと年の近い若い発掘員らが、好奇と興味の混じった目をケイに向けている。
レクセンはケイの腕を引っ張って、誰かが声をかけてくる前に、とっとと外に出た。
オダンの言っていた通りだ。
発掘員だろうが何だろうが、男にとって意味不明な遺物よりも、生身の美人の方がよっぽど価値のある、偉大な発見なのだ。
事務棟の向かいの、救護室や仮眠室、そして更衣室などがある建物の方に偉大な発掘物が入っていった。
追いかけようとした発掘員たちは、彼女が出てくるのを外で待つしかない。
やっと扉が開いて出てきたのは、着替え終えた壮年太りの警護服の男性だった。
発掘員たちは、一様にがっかりする。
何を集まって息巻いているんだ、と警護の男は怪訝な顔をして持ち場に向かう。
しばらくして、また扉が開いた。
うすい黄緑の作業着に、重たい黒の安全靴と分厚い保護手袋。防塵のための見た目の怖い保護面具と、頭をまもる白色の安全帽。
完全装備の人間が出てきた。
『だれだ?』
発掘員の誰もがそう思ったとき、その後ろから、作業着と靴を履いて、他を脇に抱えたレクセンが出てきた。つまり、完全装備の方はケイということになる。
「いまからそんな全部つけなくてもいいんだよ」
レクセンはケイの保護面具に手を伸ばして、はずそうとした。
ケイは、両手で顔をはさむように面具をおさえ、身体ごと横に振った。どうやら気に入ったようだ。子どもみたいな仕草だが、面具のせいですこし不気味に映る。
「・・・いいけど、あなたの感性がわかんないわ」
あまり洒落っ気のないレクセンでも、女性としてこれを装着するのにはかなり勇気がいった。男の子だと、こういう被り物は結構好きな人は多いようで、それを考えると、ますますケイが少年みたいに思えてしまった。
声をかける機会を逸した発掘員たちは、コーダートが様子を見に出てきたことで、そそくさと散っていった。
発掘場は、中心に向かってすりばち状に掘り下げられていた。人や荷台が通る坂は、しっかり土を固めてある。
レクセンは、ケイに色々説明しながらその路を下りていった。
「こっちの方は破片がかたまって出土したから、かなり広く掘った場所なの」
「警備多いでしょ。不法侵入してくる人が絶えないんだよね」
「断崖はね、上の木の根が垂れてる長さを測定して、おおよそ4、5百年前にできたものらしいの。え、上?今のところ森が広がってることしかわかってないわ」
「そうそう、あの色の違うのは埋まってる遺跡の一部がむき出しになってるみたい。あんな位置だとなかなか手が出せないんだって」
レクセンは声を弾ませ、質問にもしっかり説明する。
ケイは、普段接することもなかった世界に興味が尽きなかった。
完全装備のケイは、事務所の時のような注目を集めることはなく、すれ違う発掘員が、多少変な目で見たくらいだった。
発掘現場の穴は、まばらにあるように見えて、法則があった。地面には黄色いひもが縦横に等間隔に張られており、それを区切りにして、それぞれ穴を広げていた。深い穴には、明らかに土でない平らな破片が埋もれている。
掘り起こした土砂を混ざることがないような仕分け作業も行われていた。
畦道のように細くなった路を慎重に歩きながら、ケイが面具のせいでくぐもった声で尋ねた。
「リックも、こんなんしよっと?」
リックとは、ケイのレクセンの呼び名である。
『レ』が訛るうえ、『クス』が、クヅになって発音しにくいらしいので、呼びやすいように呼んでいいと言ったものだ。
男みたいだが、レクセン自身もむしろ気に入っていた。
「一通り教えてもらってたまにするけど、わたしの仕事は主に雑用かな。さっきの事務所の資料の整理整頓とか、まあ、いろいろ」
「あたしとおんなじだ」
おんなじ、と言われるとレクセンは逆に顔をひきつらせた。
たしかに、ケイも護衛部が使用する器材を掃除や補修などの雑用をこなしている。
しかしケイの場合、鍛錬も仕事のうちである。あんなつらくて激しい訓練と等しい仕事を、自分がしているとは思えない。
とっさに同意も否定もできず、レクセンはひきつった笑いでごまかした。
そうこうしているうちに、二人は断崖に一番近づいた。
ここは、断崖がせり出している、屏風で言えば山折りにあたる部分だ。その底部が崩れ、えぐれた洞穴のようになっており、そこから真上に亀裂が走っていた。
人がすんなりと歩いて入れそうな道などなく、しっかり組んだ足場が設置してあった。
「足もと、頭上、手をつく位置、注意ね。なにかあったらすぐ声に出して知らせて」
「ん、わかった」
レクセンは面具を首にかけ、安全帽をかぶり、手袋をした。
「ケイとレクセンの二名、遺跡内に入ります」
入口にいた警護の二人に知らせると、一人が持っていた帳面に名前と時間を記入した。入ってよし、という仕草で、レクセンが先に奥に進んだ。
左手の壁沿いに奥に入っていくと、体感温度がぐんと下がった。
外から見えた亀裂は下にものびていて、のぞいてみても底は見えない。水が落ちる音がかすかに聞こえる。地下水でも流れているのかもしれない。
落ちたら二度と上がってこれなさそうで、ケイは思わず首をひっこめた。
通路は、直立して歩けるところがないくらい狭く複雑だったが、足場は下の支えがしっかりしていて揺れは少なかった。上からも太い鉄線で吊っている念の入れようだ。エブラーグ調査団の、この遺跡調査の力の入れようが、細かいところからも分かる。
途中、屈みこまないと通れない隙間を、背中をこすらせながらくぐった。
すると、急に明るさが増した。
ケイは光を追って見上げ、悲鳴を上げそうになった。巨大な岩が亀裂の間で傾いていて、いまにも頭上に落ちてきそうだった。
ここは亀裂が大きく開け、ぽっかりと広がった空間だった。
亀裂に切り取られた細い靄空から、日差しが降り注いでいる。明暗がくっきり分かれているため、光の筋がやけにはっきり見えた。
巨大な岩は、よく観察すると古い建造物だった。
表面はひびだらけで、ざらついた内壁やさびた鉄骨が剥き出しになっている部分も多い。人がゆうゆうと入れる四角い穴が等間隔に開いている。
木の根やツタ、よくわからない配線なども垂れているほか、鉄柱や折れた配管が突き出していたり、ぶら下がったりしていた。
視線を下に移すと、折り重なって潰れた別の人工物らしいものが見え、その下に、受け皿のように金網の足場が組まれていた。足場はさらに亀裂の反対側の壁へ吊り橋のように伸びていた。角度が悪いのか、ここからは橋の先は見えない。
「すごいでしょう。この大きさでほんの一部なんだって。この断崖の倍以上の高さがあったらしいの。きっと天をつらぬくほどの巨塔だったんだと思う」
人が造ったものとも、まして住むものとも思えなかった。
靄の上の神さまが降りてくるときのための塔なのだろう。あるいは、それを建てようとしてつぶれてこうなったのかもしれない。
ケイが想像できたのは、そのくらいだった。
通路は壁沿いにまだ先があり、壊れた建造物に入るはしごと、真っ暗な谷の下にくだっていく階段の二手に分かれていた。
レクセンがはしごに足をかける。ケイは、まるで巨大な怪物の口の中に入っていくような感覚だった。普段と変わらない足取りのレクセンが、とても頼れる存在に思えた。
折り返すはしごを三回登ると、壁が階段で、床が壁というひっくり返った場所に出た。
目の前の、おそらく扉があったであろう横長の穴をゆっくりくぐり、黄色のひもが巻き付いてある手すりの前でレクセンが立ち止まった。
建物内は、外から見たよりがらんどうだった。床も天井も崩れ落ちていて、吹き抜けのようになっている。
四角い穴や崩れた隙間から幾筋もの金色の光が差し、光る塵がふわふわと舞っている。
はるか昔、これは空をつらぬくように建っていて、かつての人々が間違いなく過ごしていた。そして、誰もいなくなったあとも、長い長い年月を経て、ただここにある。
幻想的な光景だが、不思議な懐かしさと寂寥感がケイの胸に広がった。
「・・・わたしたちが入れるのはここまで。これ以上は別の許可がいるから、新米と見習いじゃ、ここが限界」
声量を抑えたにもかかわらず、かすかに反響する。
ケイは、面具を首もとにずらした。
「明るいんやね、こんなか」
「そうなの。岩壁に反射板を設置させて光を集めてるの。照明機器は一応あるんだけど、すごい費用かかるし。しかも、空の荒れ模様によって、機械って全然使えなくなることもあるから、緊急用ね」
そのあたりの話は病院でレクセンから聞いていた。
イフリウスほどの発展した都市でも、複雑な機械というのは少なく、あったとしても地下にしかない。
靄空が機械を狂わせてしまうのだ。
このモヤが発生した遠い過去では、人間をも狂わせた、という記録も残っている、と言っていた。
もしかしたら、モヤを晴らすためにこれだけ巨大な塔を建造したのかもしれない。そんなことを考えながら、ケイがぼうっと光の中に舞う塵を眺めていると、レクセンは面白そうに指摘した。
「あ、ちなみに天井はこっちだからね?」
ケイが向けていた顔とほぼ真逆、自分たちが登ってきた方向を示した。
えっと驚くケイに、レクセンは笑いながら、胸の前で片腕をまっすぐ立てた。そして、手首をカクン、と折り、小指のつけ根あたりを指さした。
「塔がこうやって折れて、おそらくこのへんがいま見てる一部分」
ケイが倒れた塔の角度から予測した方向を見た。
「半分から下って、あっちのほうに埋まっとるん?」
「そうそう! 考えてみて。建物の下ってことはさ、他の建物も、もしかしたら街の一部も一緒に埋まってるかもしれないのよ。ワクワクしてこない?」
レクセンの表情は輝いていた。
想像力をうんと広げ、可能性を探り、はるか遠くに埋もれて失われた過去を、未来につなげようと道なき道を進む。
それがレクセンが目指す《バード》なのだろう。
ケイが底知れない魅力を感じた、これが第一歩だったかもしれない。
戻る道中、レクセンが初めてこの遺跡を見た時のことを、まじめな顔で切り出した。
「わたし、これがただの建造物じゃなくて、実はすごい乗り物とかで、空を飛んでいくんじゃないかって思ったことあるのよね」
「・・・・え、空?どやって?」
「この狭い亀裂が、こう、ゴゴゴゴって開くの」
顔の前で合わせていた手のひらを、力をこめて震わせながら開く。
レクセンの仕草に、ケイは唖然として、プッと吹き出した。笑いをこらえようとしてもこらえられず、面具をかぶって声を抑えた。
「いいよ、笑っても。話したら大体みんなそんな反応になるもの。ほら、まだ外じゃないんだから、気をつけてよね」
ケイは、うんうんとうなずいた。出口が見えても、笑いはおさまりそうになかった。
そろそろ笑い終わってもいいんじゃない、とすねるレクセン。
「この前、お尻んアザ笑ったお返しやよ」
言い返して、ケイはまた笑った。
いつ振りか覚えてないくらい、心からの笑いだった。
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