第10話 大陸屏風



エブラーグ調査団は、イフリウスという都市の西端にある。

イフリウスは、広大でなだらかな二つの双子丘陵が南北にあり、そのくぼみを流れる川を中心に発展してきた。

川は、長い年月の浸食や大水などの自然現象により、低い谷の底を東から西へ流れていた。


上流の東側は、ごつごつとした石造り建築のこまごまとした町並で、細く曲がりくねった道が多い旧市街。

下流の西側が新市街で、同じ石造りでも、壁はなめらかで継ぎ目は目立ちにくくなり、道は広く、大きな建物が目立ち、北にあるルテラへの街道に沿って、目新しさが増していた。

埋もれていた古い時代のさまざまな発見が、技術変動を目まぐるしく加速させた末の、市街の景観だった。


旧市街と新市街の間は、特に谷の深い部分で、丘の地形も削れているため、建物はほとんどなく、丘の道が敷かれていた。

ずっと昔、川の北側にしか道はなかったが、大雨による土砂崩れで長らく使えなくなってしまった。

そこで南側にも道を造ることになり、指揮を執ったのが、北の道を造った兄弟の血縁で、彼らもまた兄弟だった。

古来より、双子丘陵を土地神として崇めていたこともあって、以来、兄弟であったり、ふたつであったりすることに、特別な絆が宿るという考えが、伝統として根付いたのが、イフリウスであった。


さて、エブラーグ調査団本部。

新市街の中心からは離れていて、少し高い位置にある。

イフリウスの伝統と失われた技術が融合した造形は、この都市の人間からすると、格調高い建築様式と感じるが、その他からすると少し複雑で奇妙に映った。


しかしながら、建物の中の人間となると、世間的に歓迎されることはなく、疎まれるばかりだった。

研究解明がすすみ、街や生活など、少しずつ色々な分野に貢献し始めているという良い面はある。

けれど、もしも双子丘陵の地下に何かが眠っているとなったら、彼らは何のためらいもなく掘り起こすだろうという懸念は消えることはなかった。


所詮、彼らは根元にあるのは、たった一つの知識を死にもの狂いで奪い合う底知れない欲求だ。知的好奇心の前では、信仰や崇拝は瓦礫や石ころと変わらない。

事実、いまだ争奪は激しく、時も場所も選ばす繰り広げられており、もめ事も増加していく一方だ。

そういう人物ばかりではないとはいえ、極力かかわりたくない物騒な人種なのだった。

本部が郊外にあるのは、余計な衝突を避けるためでもあったが、ケイの一件のことも考えるとあまり効果はないのかもしれない。




レクセンとケイは、本部内の倉庫を囲む頑丈な壁に沿って歩いていた。

レクセンは、胸元にエブラーグの標章が入った薄い緑の長そで、ぴったりとした薄茶のズボンという格好だ。

基本的にさっぱりとした動きやすい服が主で、ひじ下まで袖まくりをしている。

落ち着いた色ばかりを好み、飾り気もほとんどないが、こだわりはあった。必ず、ひとつふたつ装飾のあるものを選んでいた。

ズボンには、外側の縫い目の部分に沿って綺麗な刺繍模様がある。

背負っている愛用の革のかばんは、縁取りが派手ではないが特徴的でお気に入りだ。


一方ケイは、レクセンと同じ服だが半そでで、左腕に黒のひじ当てをしていた。古傷のため、鍛錬後は痛みが残るらしく、いつも身につけている。下は、ゆったりとした裾をあげた古着のズボン。

そして、外出時は必ず帽子をかぶっていた。迷彩柄の線が斜めに入った黒い帽子も古いもので、色あせて、つばのふちがほつれている。

着るものは古着ばかりだ。小さいころからそうしてきたため、ゆずってもらった男物のお古の方が着慣れている。ケイの体格では女性用はきついことも多いからだ。

唯一違うのは靴。さりげない色彩模様がある新品を履いていた。

布靴や木靴しか履いたことがなかったケイにとって、運動靴の履き心地、軽さ、衝撃の吸収性など、ケイには革命的だった。


二人は倉庫区画を通り過ぎ、階段を下りた。

敷地の裏手に回りこむと、並べられた数台の自転車があった。新市街では、自転車は重要な移動手段のひとつだ。

旧市街、あるいは新市街の一部だと、石の路面の凹凸がひどく、とくにすべりやすいため、すんなり走れたものではない。

いまのところ、使用できるのは新市街内の限られた道だけだが、その範囲内では、いかんなく性能を発揮する。


「乗ったことある?」


レクセンの問いかけに、ケイは首を振った。


「あんまり乗る機会ないか」


とレクセンは一台だけ引っ張り出して、ケイに後輪の軸の足掛けに立って乗るように教えてからまたがった。

レクセンが自転車を向けた先は、平坦で細いが、しっかり舗装した白い道だ。地形に沿ってうねりながら、西へ西へと、終着点が見えない長い道が延びている。


「この白い道も行ったことない?」

「初めて。外に出たん、あんにない」

「そっか。ふふ、驚くよ、きっと」


なにか含んだ笑みを見せるレクセン。ケイはそんな彼女の両肩に手を置いた。


「しっかりつかまっててね。いくよー!」


レクセンは合図して、自転車をこぎ出した。

豊かな緑が風と共に流れていった。

右手側、本部の壁がすぐに途切れ、綺麗な新市街の町並が姿をみせた。手前にある水田の光の波がキラキラと並走する。

正面から受ける風が、なんともさわやかな気分にさせた。

ケイは全身に受ける風を、胸の奥まで吸い込んだ。

並木の陰にはいると、肌を撫でる風がかすかに涼しくなり、緑の匂いに包み込まれた。木の葉の陰が、レクセンの背中と自分の腕をすべっていく。


レクセンが慣れた手さばきで自転車をますます快調に走らせた。

並木道を抜けると、しばらく左右に緩やかに曲がる道がつづいた。それがまっすぐになると、角度は浅いが長い上り坂になった。

レクセンが力んでいるのが、肩に乗せていた両手から伝わってくる。


「ここ、のぼ、ったら、折り、返、し!」


レクセンが漕ぐ動作に合わせて言った。

自転車自体重いものなので、ひとり背負って坂を上るのは、勢いをつけていてもなかなかつらい。自転車の速度がぐんぐん落ちていく。

途中で「降りよか?」と言ってみたが、レクセンが拒否した。

長い坂を、ようやくのぼりきると、そこからは緩やかな下りとなる。


ケイは感嘆した。背筋に鳥肌がたった。

眼前に、途方もなく大きな断崖があった。

本部や新市街からでも、木々の隙間からわずかに見える窓はあったが、まともに見るのはこれが初めてだった。

北は断崖の端がわからない。南も地形に遮られて端は見えない。

高さは見当もつかない。

しかし、その断崖の向こうには、もっと高い山脈がそびえているのがうっすら見えた。山頂は空の靄がかぶり、二重三重にゆらめいていた。


「これ見ると、自分がすごく小さく思えるでしょ」


レクセンがちらっとケイを肩ごしに見て言った。

まさしくその通りだった。ケイは圧倒されてうなずくこともできなかった。

近づくにつれ、断崖がもの凄い高波となって迫ってくるようだった。

ケイは自分でも気づかないうちに、帽子を取ってただ仰望していた。じっと見上げていると、色の違う岩のかたまりがぽつぽつとあることに気づく。


あれがなんなのか、レクセンに聞こうとしたとき、自転車の速度が落ちた。

ぐうっと身体が前につんのめり、両腕でしっかり支える。

道の先を見ると、木造の建物が二つ見えた。上ばかり見ていて、全然気づかなかった。

最後に大きく右に曲がって終着。本部と同じように自転車が並べられていて、二十近い台数があった。


自転車が止まり、ケイはぴょんと降りた。着地の衝撃の柔らかさに、とん、とん、と跳んで靴の素晴らしさを確かめる。

レクセンが、わずかに汗ばんで額にはりついた髪をときながら、ケイに笑いかけた。


「気持ちよかったでしょ」

「うん、すごかった」


ケイは来た道を見た。風を切る心地がまだ耳元に残っている。

結構な距離はあったようだけど、一瞬のうちに終わってしまった。次はもう少しゆったり楽しみたいと思った。


「見て。この大断崖は、《大陸屏風》って呼ばれてるの」

「びょおぶ?」

「そう。大きくて豪奢な絵画を衝立にしたようなものかな」


絵画と断崖が結びつかなくて、ケイはどんなものか見当がつかなかった。


「これみたら、さっきまでの気持ちよさがふっとんじゃうのよね。こう・・・、なんていうのかな、考えてることとか、自分とかがフッと消えて、自然と同化する、とか、魂が覚める、というか・・・・」


レクセンは、本の受け売りだけど、とぼそぼそつぶやいたあと、何も言わなくなり、断崖をながめたまま動かなかった。

ケイも、レクセンにならい、静かにみつめた。

断崖の模様を目でなぞると、岩の形が、なんとなく顔に見えてくる。その下のでこぼこが、爺様の大きくて固い拳に似ていた。


そうしているうちに、ふと、なぜか自分を思い返していた。


イフリウスに来てすぐの頃。

誰もが奇異の視線を向けてきた。見知らぬ街、見知らぬ人、慣れない空気、他人と流れる時間の隔たり。

全てが自分を惑わせた。

足が地につかず、目まいがして息がつまることもあった。

ただひたすら鍛錬に没頭して、すこしは馴染んだ今でも、時たまこの感覚に襲われる瞬間がある。


果てしなく広がるあるがままの光景は、こんなにも身近にあったのに、いま初めて目にしている。

自分は今までいったい何を見ていたのか。なぜ、己を狭い場所に閉じ込めて、こんなにも息を切らしていたんだろう。

そんなことが次々と頭をよぎっていき、いつしか離れて消えていった。


はっ、と急に引き戻された。

引き戻したのは、自分のまばたきだった。それから、息を止めていたことに気づいて、すこし荒く息を吸い込んだ。

すぐ隣で、レクセンが探るような視線を向けていた。


「ケイ、一瞬いまフワッてなってなかった?」

「な、・・・なんとなぐ」


ほとんど自覚がなかったから、ケイは首をかしげながらあいまいに答えるしかできなかった。


「やっぱり意識してないからできるのかな。わたしも最初の一回は、すんなりできたのに」

「そんな難しいん?」

「うーん、難しいっていうのとは、ちょっと違うかも。でも連れてきて正解だったね」


ケイが《大陸屏風》をみて何かを感じ取ってくれたのは、レクセンには嬉しいことだった。しかも、まだとっておきが残っている。まだまだケイを驚かせられそうだ、とほくそ笑んだ。



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