第9話 黒と白
ショーンは、ケイに関して耳にした噂を並べた。
酒場で大立ち回りの喧嘩を始めて、一件まるまるつぶした、とか。
一切相手にふれずに、気に入らない奴らを全員病院送りにした、とか。
「そこまで大げさなことになっとるのか」
ボーデンが腕を組んで渋い顔でため息をついた。
噂に尾ひれはひれはつきものとはいえ、ヒレの大きさが本体の三倍も五倍もなっていた。
「大げさなもん選んだだけだ。だがそれがエブラーグ護衛部部隊長の秘蔵っ子で《カラカル》ときたもんだ。機会があるときに見たいと思ってたんだよ」
「《カラカル》?」
「知らないのか? 知っていると思ったんだがな。どっかで聞いた事あった気がするんだが、思い出せなくてよ」
「それも架空の生物かなにかじゃないのか、おそらく」
《グル》や《ガブリン》と同じようなものだ、とボーデンは推測した。
ロクシアも、記憶のどこかにひっかかりそうだったが、成果はなかった。ここにいる誰も、さして興味がなかったため、すぐに話が戻った。
「元はと言えば、私にも責任がある」
およそ二か月半ほど前のこと。
ボーデンが懇意にしている友人の酒場での出来事だった。
相談事があるんだ、と言われたとき、たまたまケイが一緒にいた。
今にして思えば、ケイも一緒に連れて行けばよかった。しかし、友人の様子から込み入った話になりそうだったため、店内で待たせた。
相談中に店内が騒がしくなって、見に行ったらケイと酔っ払いが争っていた。
争っていた、といってもケイは一切手を出していなかった。
酔っ払いが四人でケイを囲み、殴り、蹴り、つかみかかる。
ケイはひらりひらりと、身構えもせず、攻撃を難なくかわしていく。投げられた酒瓶は、お盆を盾代わりにして防ぎ、挟み込まれたら、机と椅子を利用して軽やかに位置を入れ換える。
そのうち、酔っ払いは自分の足や床の空瓶に引っかかるわ、自ら倒した机の下敷きになるわ、気がつけばケイ一人だけ立っていた。
すばやい小動物を捕まえられずに翻弄されて、自滅する人間の図だった。
面白がっていた周囲がケイに喝采を送る。
目撃したのは酔客ばかりのため、噂は脚色に彩られ、あっという間に広がった。ケイのことは、まだ半人前の部下だと説明したのに、秘蔵っ子で伝わっているあたりも一端だった。
後から聞けば、悪酔いした男連中が、店の女性従業員に手を出そうとしたところにケイが割って入ったらしい。
友人の相談事はこれだった。悪酔いするエブラーグの連中が多くて困っていて、中には警護部の隊員もいるから何とかしてほしいということだった。
これが真相である。
ショーンは腹を抱えて大笑いした。
ケイが酔っ払いと争ったとき、身構えず、拳も使わなかったことを、ボーデンはとても評価していた。
身構えれば、戦う意思を相手に示し、のちのち深い怨恨につながることもありえる。しかし、本気を出さなかったことが、相手に屈辱感を与える場合もある。ケイの強さを知る警護部の人間ならなおさらだ。
どうあっても、ボーデンの頭痛の種が増える結果になった。
正しいことをしたにもかかわらず、ケイの立場はますます厳しくなってしまった。
逆に、その酒場をよく利用する周囲の住人たちは、ケイを好意的に迎え入れてくれる。敵も増えたが味方が増えた、と思うしかない。
一通り聞いていたロクシアが、ふいにまじめに尋ねた。
「ケイが見習いになって、一年が近づくころよね。そろそろ卒業してもおかしくないんじゃないかしら?」
ボーデンは、腕を組みなおし、眉間にしわを寄せて、苦々しい顔をした。表情で反対だとわかる。
「どうして? 救出作戦に参加して、あの子を助けた功績もあったわけだし」
護衛隊の仕事を知るために、見習いとしてケイは現地に近い野営地にいた。
緊急事態により、ウォルフの後押しで救出班に入った。
作戦と言っても、軍隊ではないので、戦術や連携はそうとう粗く雑で、ましてや、協力しているのは別の調査団の腕っぷしが強いだけの者たちだ。
煙で混乱させ、こっちが陽動する。人質はお前らの隊員なんだから、そっちでなんとか救い出せ、という具合だった。
そんな中で、ケイは見習いとは思えない度胸と判断で見事な成果をあげた。
ロクシアの言うことも、もっともである。
「アヴィが早くケイをよこせ、って私にまで言ってくるの、知ってるでしょ?」
アヴィとは、数少ない女性の護衛隊員だ。ロクシアと旧知の仲で、ボーデンとは犬猿の仲である。
ボーデンの眉間のしわがいよいよ深くなり、顔が歪んだ。
「あんなメスゴリラにあずけたらどうなることか。いいか、想像してみろ。真っ白な小さい手乗り子猿が、黒ずんだごつごつしい巨獣に成長するところを」
深刻な顔のわりに冗談のような言い草で、ロクシアはぽかんとした。
たしかにアヴェリーヌはたくましい。気性も荒いけれど、そこまで言われるような女性ではない。美人で女らしい、と思うのは同性のロクシアだけのようだ。
ショーンもウォルフも、同じように想像をして、同じように苦虫をかみつぶす。
まったく男どもときたら、とロクシアは頭を振ったものの、実はアヴェリーヌもボーデンに対して似たような暴言をロクシアにぶつけていた。
「いつまでも、あんな腕自慢しか能のない賞味期限の切れた筋肉焼き団子に任せてたら、あの愛くるしい子猫が、泥まみれ傷まみれのイノシシなってしまうわよ!」
お互いさまである。
ロクシアには、似た者同士の冗談にしか聞こえない。
自分のひざにほおづえをついて、あきれ顔でいると、やがてボーデンが重たい口調で言った。
「実はな、迷っとる。このまま警護部として、本当にいいものか、と」
「というと?」
ショーンがにやにやと面白そうにうながした。
「身体はほそっこいが、腕は悪くない。度胸もある。実戦もまがりなりに経験した。男なら伝手を利用して軍へ突っ込んどる。…だがな、あいつはまだ若い。若すぎるくらいだ」
警護部の屈強な隊員に比べれば、女なんて枯れ木の枝だ。ケイといえど、大木のような身体からはほど遠い。
「ここで正隊員にしてしまうことで、可能性を閉ざしてしまう気がしてな」
「見習いでいるよりは広がるだろ。それとも、命を落とすって意味か?」
ショーンが言うような危険性は無論ある。だが、その可能性を考えてしまうと、何も選べなくなる。
ボーデンは、あれもダメ、これもダメ、というような狭量な男ではない。
「その心配がないとはいえん。だがな、ここでは殺伐事にすら能率を求める。余計だと思うことを、簡単にそぎ落とす。それは、あいつの良さを曇らせてしまう」
エブラーグ調査団は、大まかではあるが、分業になっている。
個人としては他のことを考えず専念でき、組織としても効率があがり、良いこと尽くしに思える。
しかしながら、ときには個人の長所すらそぎ落とし、組織全体の歯車にする。
ボーデンは、それが今のケイのためにならないと思っていた。
ロクシアは、何も言えなくなった。
娘にそうなってほしくないため、一度だけ権限を使ったことがあるからだ。母娘の溝は深まってしまったが。
「もう一つ、ある」
ボーデンが、ぎょっとした目でとなりを見た。
つけ加えたのはウォルフだった。ここは正直に言った方がいい、とウォルフの表情が物語っていた。
ボーデンは咳払いをはさんで、ためらいがちに言った。
「・・・正隊員になれば、私か、アヴェリーヌか、の部下になる。私は部下を管理する立場だ。あれこれと世話をするわけには、いかなくなる」
普通のことを言ってるだけで、つかの間、ロクシアは意味を理解できなかった。
先に気づいたショーンが吹き出した。
「ふっ、ははは。おいおい、そりゃまるで父親だな!さっきまで容赦なくしごいてたやつの言うことじゃねえぞ、はははは」
大笑いするショーンを、ボーデンはにらんだが、照れ隠しに過ぎなかった。
「黒おやじと白娘。いいね、黒白親子か、くっくっく」
ボーデンとケイをひとくくりにしてまた笑う。
ロクシアも思わず笑ったが、ボーデンの気持ちは痛いほどわかった。
正隊員となれば、ボーデンもウォルフも、ひいきはできない。してはならない。
ケイをよく思わない隊員は、彼女が同列になることを決して歓迎しないはずだ。酒場の一件でケイに仕返ししてくることも十分考えられる。
さらに、ここでは気にする者はいないが、《青威》という深い溝によって、嫌がらせやいじめが表面化するだろう。便乗する輩も出てくる。ケイはますます孤立することになりかねない。
もともとボーデンは、《青威》であるケイを調査団に入れることを反対していた。
こうした問題が出てくることは最初から予想できたからだ。
ましてや、やわそうな女の身で警護部。まったくありえないと反論していた。
だが、紆余曲折を経て受け入れることになった以上、しっかり責任を負うのがボーデンという男だ。
父親の娘に対する心労だ、と笑ってしまえばそれまでだが、たった一度の間違った判断で、取り返しがつかなくなることもある。
ケイの場合、やり直しは効かない。天涯孤独のケイに、帰る場所はないのだ。
「ふう、障害は多そうね。アヴィには私から言っておくわ」
「うむ、助かる。あれと話すといつのまにか喧嘩になるからな」
似たもの同士なのよ、とロクシアは苦笑した。
話がひと段落し、ショーンが立ち上がった。
「いいもん聞かせてもらった。俺はそろそろ行くぜ、次の仕事がある」
「ショーン、依頼のことなのだけど」
「ああ、続けて調べてみよう。そっちこそ気をつけろよ、内通者がもういないとは限らんぜ」
ロクシアが感謝を言う前に、
「追加報酬ははずんでくれよ?」
振り返りつつ、片目をつむって部屋を後にした。
やれやれ、とあきれるボーデンが、ロクシアに聞いた。
「やつもあきらめん男だな。どうするんだ?」
「いつも通りね。食事には付き合ってあげる」
ロクシアは平坦な調子で答えた。
「ご苦労さん、ロクシア」
いつも通りのウォルフのまっすぐなねぎらいに、ロクシアはやさしく微笑んだ。
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