第4話
気を失った後の目覚めというのは中々特別で、ある種良質な睡眠をとった朝にも似ている。果たしてそれが鉄の扉越しに殴り付けられたものによるものであってもまた快適なのかは定かではないが、それはさて置き、夏目は気を失ってからさして時を置かずに目を覚ました。彼の視界には未だに幾つかの星が瞬いていたが、強めに瞼を閉じてじっとしている内にやがてそれらは落ち着いた。鼻を中心に広がる鉄臭さと、ずきりと響く鈍い痛みも手伝ってどうにも事態の飲み込めない夏目であったが、それでも左手で身体を支えて起き上がると、恐る恐るゆっくりと辺りを見回していった。
先ず目に入ったのは夏目の鼻っ柱にぶち当たり、兆番から引き千切られ、そしてひしゃげたまま玄関に無理矢理立て掛けられている、扉だったであろう鉄塊。次にベッドを占領し、お笑い番組にえへへへと笑い声をあげている、おそらくは元凶である所の白い少女であった。
「……あのう、きみ誰? というか、何?」
「おお、目を覚ましたか。いやまさかあの扉が内開きとは知らなんだ。少し痛かろうがまあ美少女のやる事だ。向こう傷は戦士の勲章、許せよ男前」
よっこいしょと白い少女は床にあぐらをかいた。
「自分で言うかよ……それにあれ外開きなんだけど……」
口に出してから自分が酷く場違いな事を言っているのに気付いた。じゃなくて、と口を開きかけた夏目を白の少女は片手で制止し、続けた。
「言いたい事も有るだろうがまあ待て。初見となる、私はノア・レギンレイヴスだ。ノアで良い。老人の使いで、箱舟として、お前を楽園へ埋葬するために参った」
「……………………うわぁ」
電波ちゃんだと思った。それも割とヤバいタイプの電波。出てくるワードがもう意味不明だし、頭の先からつま先まで、髪の色から着ている物まで全て白一色。唯一の色彩と言ったら髪と同じ白の睫毛に縁取られた金沙の瞳くらいで、もしもファッションだとしたらかなり気合いが入っている。なんにせよ、社会人としてはあまり関わり合いになりたくない手合いである事は間違いない。それよりも、怪我はともかくとして、扉の修理代だけは弁償してもらわないと退去時に修繕費が、いやそれ以前にこんな華奢な少女が一体どうやって扉を打ち破るんだ。工具なんて持っていたか? それよりも物凄く鼻が痛い。あれやっぱり鼻血が出ている。
夏目がどこからツッコむべきかと頭を抱えて唸っている間、ノアはその黄昏の麦穂の色をした瞳を山形に細くして、まるで飼い猫の喧嘩を慈しむ様に夏目を見つめていた。そして夏目が切り出すよりも早く、彼女はよく通る、硝子の声でこう言った。
「古きのオウルがお前の帰還をお望みだ。伝え、『剣は正しく、鞘に戻られよ』」
……オウル、オウル、オウル! 狂いの古オウル、人食いオウル!夢で見た、赤い草原の城主オウル!
会ったこともない、そも実在もしない名。たかだか夢で交わしただけの響きに、なぜだか全身の毛が総毛立つ!
「つまらぬ夢を見るのは、もう飽いただろう」
ノアは口の端を歪ませ、獰猛にそう言った。
仮題 赤上七尽 @Akagami
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