第22話 運命が集う




 少し遡って、リャットとレキンは一つの計画を練っていた。テーブルに広げた資料を睨みつけながら、レキンはリャットに計画の全容を話す。

「本当にそんなんで魔力源が復活すんの?」

「理論上は可能だ。アーデラール議長だって認めてる」

 計画というのは、莫大な魔力を暗黒期以前の魔力源だった場所にぶつけ、魔力循環を復活させるというものだった。

「この計画は施しの剣のような魔力源の創造を試みるものじゃないから、ある意味では僕らにも可能だ。そもそも魔力源というのは地中の奥深く、世界の核と地表とで浸透圧のようなものが──」

 小難しい話が始まった気配がしたのか、リャットは口をすぼめた。

「わかりやすく言って」

 レキンはこれでもわかりやすく噛み砕いていたつもりだったので、どうしたものかと数秒黙って、子どもにもわかりやすい言い回しを探る。普段はそうした配慮が必要のない人たちに囲まれているので、こうして単純化を図るのは新鮮だった。

「魔力を水で例えよう。施しの剣の創造によってサントーシャムが行なったのは、魔力源という湖を生み出す途方もないものだ。だがこの計画は、世界の核という巨大な湖から通り道を作って水を引いてくるだけ。……まあ、その通り道を作るのも難しいんだけど」

「なんでサントーシャムはその通り道をつくんなかったんだ?」

「暗黒期というのは、人が多く生まれすぎた結果たくさんの魔力が地表に溢れ出し、利用されて地中に戻ることができずに世界の核の魔力が枯渇したから起きたというのが最近の通説だ。あと数千年もすれば核は完全に回復するだろうが、七百年前含め今は魔力が足りない。道を作ったって何も流れてきやしない。もちろんサントーシャムは核に直接魔力を流し込む策を考えただろうが、彼女ほどの人でも核には干渉できなかったということだ。あるいはできたかもしれないが、世界に及ぼす影響を懸念したんだろう」

「なるほど……いや、今も足りないんじゃ道を作っても意味ないじゃんか」

 レキンは資料の山から一枚の記録をリャットに押し付ける。世界の核の魔力を数値化したものだ。

「七百年前と違い、今は莫大な魔力をぶつけることによって不足分が補える。もちろん世界の核に直接魔力を流し込むわけじゃない。まあ、磁石みたいなものだ。魔力を魔力で引き寄せるわけさ」

 リャットはなんとか自分の中で噛み砕こうと色々思案していたようだが、とりあえずで納得したらしく、「うーん、お前と議長が出来るってんなら出来るんだろうな……」と頷いた。

「問題は、そのぶつける魔力の量が検討もつかないということなんだけど」

「計算で出せないの?」

「あのね、きっと人が一生かけても計算し尽くせないと思うよ。特別な計算機もなくはないけど、あれは勝手に使えないから……。だからリャット、これは賭けだと言っただろう」

 そう言いながら、レキンはポケットから二つの赤い石を取り出した。重さはそんなにないはずなのに、手にずっしりと沈む感覚を与えるそれをリャットに見せると、リャットは怪訝そうな顔をした。

 「これは議長から借りて来たものなんだけど、あの人がこの七百年間ずっと身につけていた魔石だ。膨大な魔力が溜まっているはず……」

魔石とは、魔導師が扱う石全般のことだ。もちろん詳細な分類があるが、大体の魔石は魔力を溜め込む性能を持つ。魔導師が肌身離さず持ち続けることによってその者の魔力が石の中に蓄積され、それを砕けば大量の魔力が必要となる術を発現することが可能になる。

「リャット、この石と、僕の魔力、シャイアドの魔力、ビトカさんの魔力、そして君の全力を魔力源となるところにぶつけよう。我ながら本当にバカバカしい計画だが、すがるしかない。これ以外にできることはないし……」

 しかしレキンの気迫とは対照的に、リャットは少し気まずそうな顔でレキンの肩越しに扉を見つめた。

「あー、えーと、レキン、その、シャイアドとビトカさん、どっか行っちゃったっぽいけど……」

 喉の奥から変な声が出た。慌てて家のおもてを覗いてみる。

 いない。

 シャイアドも、ビトカも。先ほどまでそこに立っていたのに。

 柔らかな芝生がそよそよと揺れているだけだった。

「ど……どうして……? この計画より大切な用事なんてないはずなのに……今更どこに……」

 純粋に驚いているレキンに続いてリャットも苦笑しておもてを覗いていたが、あっと声をあげて突然その顔に緊張が浮かばせる。

「シャイアドのやつ、ウトラのところに行ったんじゃ……」

「……シャイアドの大切な人?」

 聞いたことのある名前だった。確か短期間だけサムドランに弟子入りをしていた子だ。今は弟子をやめ、職人として生きているらしいが……どうして人は、機会に恵まれただけで偉人の弟子になれるのだろう。大好きな人の相弟子になれるのだろう。自分はどれだけ望んでも与えられなかったというのに。──僕も恵まれたかったな。

「そう、あの子の一番の友達だよ。きっとシャイアドはウトラのことを避難させに行ったんだ。でもあいつってば良くも悪くも職人っぽいっつーか、結構頑固なやつで……」

 リャットは言いながらどんどん顔を真っ青にさせていく。

「……絶対に避難に応じないだろうな。私はこの街に残るなんて言うに違いない……」

 レキンもリャットの考えていることを察して、全身から血の気が引いた。

「シャイアドのことだから、そのウトラっていう子のために……」

 歯切れの悪い言葉に、リャットも認めたくないようだがぎこちなく頷く。

「十分ありうる。シャイアド、結構そういうところあるし……」

 二人の間にしばしの沈黙が流れた。

「……追いかけよう!!」

 どちらが言うが早いか、二人は壁に立てかけてあった箒をふんだくるように取るとそれぞれまたがって飛び上がった。リャットの無免許に関しては、さすがのレキンも何も言わなかった。そもそも非常事態には無免許でも箒での飛行は許可されている。そう言い聞かせて、レキンたちはかつてサムドランがいた街へ全速力で飛んで行った。

 どうか間に合いますように。

 シャイアドが死ぬなんて、絶対に許してはいけない。

 あの子は生きたがっているんだ。生きようとしているんだ。

 道がないなら、僕が作ってみせるから。






 シャイアドが去った後、ウトラはしばらくぐずる赤子をあやしながらぼんやりと宙を見つめていた。

 戦争を止めるって、どういうことだろうか。

 もはや自分には魔導師のことなどわからない。きっと彼らには彼らなりに策があるのかもしれない。

 ……それでも。

 最後の、シャイアドの瞳が、ウトラの頭から離れなかった。

 あれは、ランギが最後に見せた目だった。

 静かに燃える、決意と諦めの目。

 母の不安を感じ取って、我が子は甘えるように強く抱きついてくる。

 ウトラは自分に何が出来るのか、さっぱりわからなかった。

 片付けをする気分にもなれず、作業机をそのままに、家へと戻る。居間では母が一人でお茶を飲んでいた。

「おかえり、ウトラ。どうしたの、そんな顔して」

 母に話したところでどうしようもないことはわかっているが、ウトラは気持ちを紛らわすためになんとなく言葉にしてみる。

「……あのね、さっきシャイアドが慌てたように工房に来て……逃げようって、言われたから、断ったら……戦争を終わらせるって、飛び出して行っちゃって」

 すると思いがけず、母の目が見開かれた。

「……やっぱり、あの子は……」

「お母さん、なにか知ってるの⁈」

 母に詰め寄ると、悲しむように顔を伏せる。手に持っていたカップを置き、我が子、すなわち孫を抱き寄せるとゆっくりと背中を撫でながら、ぽつりと呟く。

「……あのね、私、実はシャイアドと、そのお師匠さんとも、一度会ったことがあるの」




 大きくなったお腹を撫でながら、横に座って一人の赤ん坊をあやす真っ赤な髪の魔導師を眺めた。彼女は大声で泣く赤ん坊に困ったような、苛立ったような顔をしながら眠らせる魔法をそっとかける。しばらくしてその子は眠りに落ちた。魔導師は──マーリアはホッとしたように、疲れたようにため息をついた。

「これだから子どもって嫌いなんだよ」

「でもなんでその子を引き取ったの? マーリアってば、弟子は絶対に取らないって言ってたじゃない」

 マーリアとの付き合いは長い。幼い頃、親の率いるキャラバンが通る道の近くにあるドルフォア村に立ち寄ってから、定期的にやってきていた。彼女は子どもが嫌いなんて言っているが、昔から優しく、頼もしい人で、とてもよくしてもらった。大人になって結婚し、子どもが出来て定住することになった今、彼女に最後の挨拶を、と無理を言ってドルフォア村に訪れたのだが、彼女は心から祝福してくれた。その腕に幼い赤ん坊が抱かれていたので、面食らってしまったが。

「あたしにもいろいろあるっていうか……うーん……」

 話したいが、話せない。そんな顔をしていたので、思わず「私でよければ聞くわよ」と言ってしまった。

 マーリアはしばらく躊躇していたが、「誰にも言わないって約束するんだよ。あと笑わないこと」と釘を刺してから、周りには誰もいないと言うのに小さな声で話し始めた。

「この子は、世界のために必要な子なんだ。ある程度大きくなったら殺すことになってる」

「殺す……って、どういうこと?」

 突然とんでもない単語が耳に入り、聞き間違いかと思ったがマーリアは顔色を変えなかった。

「詳しくは話せない。でも殺さなきゃいけないのは事実だよ。この子が死ねば世界は救われるんだ」

「……マーリアは、この子のこと、殺せるの?」

 マーリアはすやすやと眠る赤ん坊を見下ろすと、「うん」と頷いた。

「だってこの子の命で世界が救われるんだよ」

「……」

 魔導師の考えていることはよくわからない。マーリアが優しいのは事実だが、時々価値観や見据えているものの違いを痛感させられる。

 しかしマーリアは、ふと顔に影を落とした。

「でもね……将来、あたしはこの子のために死ぬかもしれない」

 ますますわからなくなって困惑していると、マーリアはあははと笑った。

「雲読みで見たんだ。あってるかどうかはわからないけど。でも、この子があんたのところに現れたら、この子の代わりにあたしが死んだと思ってよ」

 一体彼女はどこまで見えているのだろう。言っていることが全て理解できたわけではないが、一応頷いてみせた。マーリアが死ぬところなんて想像もできないが。殺しても死ななそうな人だから。

「まあ、あたしが死んだところで、この子の背負う運命は変わりっこないんだけど。……ねえソフィア、もし自分が死ねば世界が救われるって言われたら、あんたはどうする?」

「私は……」

 答えを探そうとしたら、マーリアが「あー、答えなくていいよ」と笑って止めた。

「誰しも、その時になってみないと結論は出ないと思うからね」

 しばらくまっすぐなマーリアの目を見つめていたが、遠くから父が「そろそろ帰るぞ!」と呼ぶ声が聞こえ、視線を逸らした。草原の隅に続く道に立って、大きく手を振っている。

「ごめんマーリア、もう行くわ。今まで本当にありがとう。お世話になりました」

「うん。でも本当にいいのかい? 世界中を旅すること、好きなんだろう。たかだか鍛治職人の嫁になるために、自由を捨てる必要はないと思うけど」

 嫌味でもなんでもなく、純粋に疑問だったようだ。思わず笑ってから、こう答えた。

「あの人がいれば、私の世界は救われるのよ」

 それが、マーリアとの最後の記憶だった。




「シャイアドが、死ぬと、世界が救われる……?」

 ウトラは母の言葉に耳を疑った。死だの、世界だの、ただの職人であるウトラとは全く無縁の話で、イマイチ想像がつかない。

「ローバリの魔導師は嘘をつかないわ。詳しくはわからないけど、本当のことでしょうね。きっと戦争の原因、あるいは遠因がシャイアドの命にあるのかも……」

 そんなバカな、とウトラは笑ってみせたかったが、別れ際のシャイアドの深刻そうな顔を思い出した。……自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。

「じゃあ……じゃあシャイアドは、自分の命を投げ打って、戦争を終わらせようとしてるってこと?」

「多分、そうなんでしょう」

「私が……私が、シャイアドと一緒に逃げなかったから……? 私のせいで、シャイアドは?」

 ウトラはうわ言のように呟いて、大切な友人の顔を頭に思い浮かべた。

──ちょっと変わってるけど、私の一番の親友。

  友達がなかなか出来なかった私の、最初の友達。

  努力家で、謙虚で、照れたように、少し不器用に笑う、とっても優しい──

 その時、家のドアが乱暴に開かれた。息を切らせて立っていたのは、少し背が伸びたリャットだった。後ろにはローバリ人の青年が立っている。

「シャイアドは! いますか!」

「リャ、リャット……どうしよう、私……」

 ウトラの様子を見てリャットは全てを悟り、「遅かったかぁ……!」とその場に屈み込んだ。

「ねえ、リャット、シャイアドが……シャイアドは、死んじゃうの?」

 リャットは驚いたようにウトラを見上げた。

「なんでウトラが知って……ええいこの際どうだっていいや、うん、そうだよ、シャイアドは多分今頃死のうとしてる!」

「わ、私のせいだ……」

「誰のせいでもないよ!」

 リャットは本当にまっすぐな目をしてそう言い切った。心から誰も悪くないと確信しているみたいだった。

 「でもどうしよう……今から追いかけて間に合うか?」後ろに立ってウトラの方をじっと見つめていたローバリ人の青年にリャットがローバリの言葉で声をかけると、彼はやっとリャットの方に目を向けて「かなり怪しいね」と表情を強張らせる。

「もう一か八か、谷に向かうしかないか! シャイアドより先に俺らで世界を救っちまおう!」

 リャットはすっくと立ち上がり、家主であるウトラたちに「お邪魔しました!」としっかり挨拶をしてから家を出て行った。

 家の中を静けさが包む。我が子は泣くのに疲れたのか、なんだかよくわからないと言いたそうな顔で祖母と母を見上げていた。

 ……世界だのなんだの、よくわからない。それでもウトラには、とても悪い予感がした。シャイアドを死なせてしまってはいけない。ウトラの直感は、よく当たる。ランギもよくそう言っていた。


 ウトラの母はウトラの顔を見て、手のかかる子どもに母がするように、困ったように笑った。


「行って来なさい」


「……うん。ごめん、お母さん。ごめんね、フィル。私、私……シャイアドを止めなきゃ……。世界とか、よくわかんないけど……でも、これだけはわかる。

 友達を、連れ戻さなきゃ!」






 街に入った時に降り立った旧サムドランの屋敷の裏庭に戻ってくると、レキンが驚いたように後ろを振り返った。

「……僕たちは身隠しの魔法を使ってたはずだけれど」

「私の勘は、あたるんだよ」

 ウトラが息を切らして花のアーチの下に立っていた。走って追いかけて来たらしい。

「ねえ、二人とも、私をシャイアドのところに連れて行って!」

 リャットはウトラの前に歩み出て、少し屈んでウトラの肩を掴み、目をしっかりと見据える。

「ウトラ、君はこの街にいるべきだ。家族と一緒に待ってた方がいい。……シャイアドが向かったのは戦場だ。人の命が簡単に消える場所だ。君みたいな身を守る術を持たない一般人が行っていい場所じゃないんだよ。それにシャイアドも、君のために危険を冒そうとしてる。ウトラに何かあったら、シャイアドは何よりも悲しむでしょ」

「それでも行かなきゃ! 誰かのために誰かが死ぬなんて間違ってる!」

ウトラは懇願したが、レキンはそんな彼女に恐ろしく冷めた目を向ける。

「仮に君を連れて行ってもシャイアドのところまで間に合わない。家で待てと言ってるんだから、おとなしくパパとママと、それと君の大事な子どもと一緒に待っていればいい。君にできることは、何もないんだよ」

 冷たい言葉を聞いてウトラは一瞬ショックを受けたようだったが、逆にそれが彼女の怒りに触れたらしく、恐ろしい顔で睨みつけた。視線を向けられていないリャットでも震え上がるような凄みに、レキンも動揺を見せる。

「と、とにかく、僕たちがなんとかするから、一般人は……」

「う、うん。それに俺たちが向かうところは、シャイアドのいるであろうところと方角は一緒だけど少しずれる。悪いけど連れていけないんだ。必ずなんとかしてみせるって約束するから、ウトラは待ってて」

 ウトラは完全に納得していない様子だった。このままでは勝手に箒をふんだくって飛んで行ってしまうのではないかという勢いだったが、思わぬところから助け船が出てくる。

「私が送り届けてやろうじゃないか」

 サムドランが大好きだった薔薇のテラスの陰から出て来たのは、ビトカだった。

「ビトカさん、そんなところにいたんすか!」

「うるさいよ、あんたらはさっさと谷に向かいな! あの子のことは私らがなんとかする!」

 相変わらずのビトカの叱責にリャットとレキンは従うほかなく、色々と言いたいことやもやもやを山積みにしたまま箒に座り、一足先に街を出た。

「だ、大丈夫かなぁ、あの二人……。というか、間に合うの?」

「ビトカ様がいらっしゃるなら何もかも問題ないさ」

 レキンが斜め前方を指差した。先にはただ森や草原が広がっているだけだ。どういう意味だろうと目をこらそうとしたその時、何かがとんでもない速さで横を通り過ぎて行き、レキンの指差す方向へどんどん小さくなっていく。

「ビトカ様の飛行魔法は世界一だ。議長も彼女だけには敵わなかったとおっしゃってたよ」

「今の、ビトカさんたち⁈」

 リャットはもう豆粒ほどになったビトカを唖然として見つめた。普段は体の痛みを訴えてゆっくりと動くのに、なんだあの速さ。

「僕らも急がなきゃ。ビトカさんたちがシャイアドを止めたとして、戦争も終わるわけじゃないからね!」

 レキンが速度を上げ、リャットもコントロールを失わない程度に魔力を込めた。




 魔力源の候補地は、ドゥ・アーダルスの根っこにあたる、小規模な谷だった。小規模と言ってもルルジたちのいるファーゼル王国に存在する一番大きな亀裂と比べた場合の話で、アズドルとローバリの境目付近に存在するこの名もなき谷もなかなか大きい。リャットとレキンは谷底に降りて地面を探った。

「もう少し奥に行った方がいい。こっちだ」

 レキンが魔力をぶつけるのに適した場所を探しながら、奥へと走って行く。リャットもそれに続こうとしたが、振り出した手にはまっているブレスレットを見て、ある可能性に思い至った。

「……あれ? なあレキン、通信魔法の呪文って……」

「こんな時に何?」

 立ち止まって苛立ったように聞くレキンに、リャットは至極真面目に顔を向ける。

「これでシャイアドと通信できるかもしれない」

 レキンは訝しげな目をしたが、ブレスレットに刻まれた呪文を見て「……まあ確かに、魔力を流す順番を変えれば通信はできなくもない。でも、君の実力や器具の素材からして、十秒も持たないと思うよ」と分析した。

 超高度かつ最新の魔法である通信魔法だが、同じ素材から作った媒体同士であれば比較的容易に接続できる。シャイアドもリャットと同じものをつけているはずだし、つなぐことは可能だ。

「十秒で結構!」

「ちょっと! 何を伝えるつもり? 変に繋げて重大な誤解が生まれたらどうするのさ!」

 レキンは止めようとしたが、リャットが通信をつなぐと諦めたのかため息をついて成り行きを見守った。耳鳴りのような音が響いてから、『……リャット?』というシャイアドの声が聞こえた。静かな声だったが、リャットの突然の通信に困惑しているようだ。

 リャットは覚悟を決め、一世一代の大ボラを吹く。

「シャイアド! ビトカさんのおかげで解決策が見つかった! いいかい、施しの剣を見つけたら、破壊するんだ! 剣を破壊してくれれば、あとは俺らがなんとかする!」

 ぱきり、と音がしてブレスレットが粉々に砕けた。

「お……お前! 何を……バカか! バカだな⁈ 世界一の!! シャイアドが真に受けたらどうするんだ! いやこんな時に嘘をつくバカはそういないから絶対信じただろうね! 世界を滅ぼしたようなものだぞ!」

 冷や水を頭からかぶったような顔をし、レキンがリャットの胸ぐらを掴んで揺すった。背丈はローバリの民であるレキンのほうがあるので気管が詰まりそうだ。

「施しの剣の残りの魔力も合わせれば確実かなって思ったんだよ! 割った時に剣の中に残ってる魔力が出てくるだろ?」

「剣とシャイアドの命が繋がってたらどうするつもりだ!」

「あっ……いや、それは……先に魔力源を復活させればなんとかなるだろ!」

「最近やっとお前にも知能がついてきたと思ってた僕もバカだったみたいだ!!」

 何もかもめちゃくちゃだと言いたげにレキンは両手で顔を覆い、何度死んでも償えない罪だぞ、と呻くようにこぼす。

 リャットは自分の心の中に確かに灯る希望を、この現実主義的な彼にどう伝えればいいか考えた。

「……大罪人になる前に、英雄になればいい」

 何を言ってるんだ、と言いたげに少しだけ顔を上げたレキンに、人差し指をピンと上に向け、空を指し示した。谷の裂け目から鮮やかな青と眩しい白が覗いている。いい天気だ。絶好の奇跡日和だろう。

「見ろよ、雲もいい感じに流れてるって思わねえ?」

「今日はそらの日から一番遠い日だからわかりっこないよ……そもそも君の雲読みは当たったことなんてないじゃないか……」

 それでもリャットには確信があった。

 自分達にはできる。

 サムドランが呆れたように「がんばんなさい」と笑ったような気配がした。










「ヴェーテル、ありがとう。……死なないでね」

「さて、どうだかな」

 ヴェーテルはそれだけ言って本軍の列に戻ろうとしたが、ふと思い出したように馬を止め、こちらに振り返った。

「……だが……サントーシャムに負けないくらいの奇跡が起こるような気がする。だからお前も、最後まで希望を捨てないことだな」

 言うだけ言うとすぐに前を向き、本当に去って行ってしまった。

 シャイアドはヴェーテルがヴェーテルなりに励ましてくれたのだろうかと思ったが、信じてもいいような気がした。もっとも、慰め程度にしかならないのだが。それでも今のシャイアドには充分だった。

 嫌に静かな森の中を見据え、シャイアドは一歩を踏み出した。施しの剣が呼んでいる。もはや在りかは歴然だった。距離があるので、たどり着くまでアラボの実からインクが取り出せるだけの時間がかかりそうだが。

 奇跡が起こるのなら起こればいい。起こらなくても構わない。

 戦争が止められればそれでよかった。

 しばらく木の合間を縫うようにして歩いて、ふと違和感を覚えた。なんだかいつもより調子がいい。体が軽いのだ。やはりこの先には施しの剣がある。生身では近づけないだとか、近づけば魔法は使えなくなるというが、堰の子はどうやら違うようだ。

──アーデラール議長が、施しの剣と共に待っている。

 いつ剣を戻したのかはわからないが、間違いなく彼も剣もこの先に待ち構えているのだ。

 勇気と恐怖が同時に迫った時、腕のブレスレットに強い魔力を感じた。一瞬どうしたのかと戸惑ったが、力の働く方向を変える魔法の呪文が通信魔法の呪文と似通っていることに気づき、リャットがこちらに接触を図っているということを理解する。

「……リャット?」

『シャイアド! ビトカさんのおかげで解決策が見つかった! いいかい、施しの剣を見つけたら、破壊するんだ! 剣を破壊してくれれば、あとは俺らがなんとかする!』

 言い終わるか否かのところでブレスレットに亀裂が入り、粉々に砕けてしまった。チルハたちへの罪悪感を覚えつつも、耳を疑う言葉に思考が巡っていく。

 剣を、破壊?

 一体全体何をどうしたらそうなるのかわからなかったが、リャットの声には確信があった。

──信じても、いいのだろうか。

 だが、シャイアドに無茶をして欲しくないリャットの嘘かもしれない。彼は優しいから、こんな時でも嘘をつく可能性だって十分ある。

 判断材料が少なすぎる。自分は何をすべきなのだろう。

 ブレスレットもペンダントもない今、ウトラのお守りだけが側にあった。だが、問いかけて最善の答えを教えてくれる訳では無い。

 結局のところ、決断するのは他の誰かではなく、自分しかいないのだろうか。

 リャットを信じるか、否か。

(──わたしは、)




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