第20話 タイムアップ



 ルルジが家に帰って行った後、レキンたちを静寂が包んだ。シャイアドが鼻をすする音が聞こえるくらいだ。濡らした布で目元を冷やしている。

 すると、ダイニングの椅子に座っていたリャットがおもむろに口を開いた。

「なあ、なんでルルジにバレたんだ?」

 正直に話すか、否か。レキンはしばし躊躇したが、今更隠しても何のメリットもない。変な誤解としてこの先に響かないよう、全て打ち明けることにした。

「……議長と、話していたんだ。それを聞かれた」

 リャットはかすかに驚いたように目を見開いた。シャイアドは元から勘付いていたらしく特にリアクションは見せない。

「僕は、シャイアドの味方だ。でも議長の敵ではない。……世界のために、シャイアドのためにも、僕は定期的に議長に君たちの動向を報告してたんだ。僕たちには保護者が必要だろう」

 一般人の成人年齢はとっくにこえているが、レキンたちは魔導師としてはまだまだ赤子だった。

「……まあ、考えてみれば当然の話だよな。シャイアドはどう思う?」

 シャイアドはゆっくりと目元の布を下ろし、レキンの目をじっと見据えた。シャイアドとこんなに目を合わせたのは初めてかもしれない、なんてこんな時なのに思ってしまう。

「わたしは、知ってたよ。何回か見たから……」

「……失望してた?」

 口を衝いて出た言葉はそんなものだった。

「ううん。レキンはレキンなりに、本当に広い視野で物事を見てるんだな、って……」

「シャイアド、こいつをそんなに甘やかしちゃダメだよ」

「本気で思ってるんだけど……」

 レキンは動かない口にも気付かず、絞られるように痛んだ胸をそっと抑えた。

 ああ、人に心から信頼されるって、なんだか……。





 シャイアドたちの生きてきた中で、おそらく一番の速度で二年が過ぎていった。

 マーリアたちの調査書にはドゥ・アーダルスの資料が少なかった。アーデラールやサムドランは国から離れるわけにもいかず、マーリアが一人で調査していたためできることが限られていたようだ。それに早々に見切りをつけて他の策を探したため、施しの剣の資料と比べてずっと少なくなってしまったのだろう。

 全力をもって進めた土地の調査では、暗黒期以前の地層から興味深い魔石の欠片が出土したことと、地質調査によってこの土地が魔力源にこの上なく適していることが判明した。シャイアドとレキンが考案し、呪文を組み、リャットが発動したとある実験も成功し、もはやこの土地に足りないのは”膨大な魔力”だけであった。そのとある実験というのは、土地を小さな区画に分け、その一部にリャット自身の魔力を閉じ込め、循環させることによって擬似的な世界の魔力循環を再現するというものだ。魔法が成功し、リャットが喜んでいる横で、レキンはシャイアドにこっそりと「あれ、ニグシサの教授クラスの魔法だよ」と拗ねたように囁いたのを覚えている。

 そして今日の調査で、とある確信を得た。

「やっぱり……アズドルとローバリの国境付近にある谷の始まり、あそこはまだ魔力が枯渇しきっていないし……あそこが暗黒期以前の世界の魔力源だった説は濃厚だ」

 レキンがマーリアたちの資料と自分たちが集めた資料を見比べながらそう呟く。

「じゃ、まずはそこに行ってみないとだな。もう村は元気になってきたし、明日あたり三人で行くか」

 シャイアドとレキンが頷いたとき、家のドアが大きな音を立てて開いた。驚きで固まっていると、乱雑のドアを開けた張本人──ビトカが息を切らせて部屋に入ってくる。

「び、ビトカさん、どうしたんですか? なんかめっちゃ慌ててるみたいですけど……」

 リャットが困惑している間にもレキンが水を差し出し、それを飲んだビトカは息を整えて一同を睨みつけた。

「いいかい、よくお聞き……」

 思えば、これまでが順調すぎたのだ。


「アズドル新国王が、ローバリに宣戦布告した」


 その場全員が、状況を飲み込めなかった。

 いち早く動いたのはレキンで、彼はすぐに連絡用の腕輪を取り出し、アーデラール議長の元へとつなぐ。

「議長、どういうことですか!」

 通信の向こうはとても騒がしく、怒号も飛び交っているようだった。議長はノイズとともにやってきた。シャイアドは初めて彼の肉声を聞く。混乱した頭のおかげか、嫌に冷静でいられた。

『すまない、こちらも報告を受けて数刻しか経っていなくてね、議会の現状は聞こえている通りだ。アズドル新国王が突然我々に宣戦布告をし、すでに兵をこちらに送っているらしい』

「そんな……」

 議長は全てに追われているようだったが、声は日課をこなしているだけなのではないかと思えるくらい、恐ろしいほど淡々としていた。恐らくは、どんな時でも彼はこの声色なのだろう。

 通信の向こうから誰かに大声で呼ばれた彼は、こう言い残して去っていく。

『──シャイアド。本当に申し訳ない。タイムアップだ。私は何もかも、未熟だった。あの時から何も成長していなかったのだ』

 現実は、突然やってくる。





 ついに陛下はローバリへと宣戦布告した。

 ずっとメリタリヤ様が開戦を思いとどまるよう陛下へ進言していたためここまで持ったが、先日誰かが「メリタリヤ様はローバリの魔導師会と繋がっているからそんなに開戦を渋るのではないですかな?」などと言ったため、彼女は口をつぐむ以外の道を断たれてしまった。ただでさえサムドランの一件で立場が危うくなっていたのだ。他人事ながら、哀れに思う。

 先代国王陛下はサムドラン氏の処刑に伴い心を病まれ、自ら退位し長男へ王位を譲った。そこまで気を病まれるのなら国王権限で罪を揉み消せばいいものの、外交的問題と、何より法を何より重んじる先代の陛下がサムドラン氏の処刑を取りやめるはずもなく、しかし彼に全面的信頼を寄せ、心から慕っていた先代陛下は、彼が焼かれるまでずっと罪を否定するように頼みこんでいたのだ。罪を否定さえすれば、有罪か無罪か決まるまでとりあえず処刑は延期されるし、先代国王も根回しをして平和的に解決する方法を取っていただろう。何か決意していた様子の彼は、罪を認め、焼かれていったが。彼が驚くほど若返っていたのが、決意の残酷さを物語っていた。一般に魔導師は、死を拒む人ほど、若返ると言われる。炎にまかれる彼が強い強い覚悟を湛えた目をしていたのを、今でも夢に見る。そして処刑当日、焼き場まで連れて歩く彼が俺に囁いた言葉は、今でも耳に残っていた。

──なあ、シャイアドとリャットは、上手くやると思うか? はは、世界一の未来予知の腕だと言われたこの私にもわからんのだ。ここは雲がよく見えないからな。だがまあ、知らんほうが想像する楽しみがある。……ヴェーテル、私の想像ではな、彼らは奇跡を起こしたよ。それこそ、あの人に負けないくらいのな。

 遺言の時間以外、罪人が喋ることは許されない。しかし俺は止めなかった。サムドランには返しきれなかった恩がたくさんあるし、何よりあの魔導師見習いの二人のことは、俺も好きだったから。彼らに何があったのか知るよしもないが、名前を聞くだけでも、あの頃の記憶が目を覚まして、俺の奥で静かに呼吸をする。

 奇跡だなんて綺麗なものかはわからないが、それでも、何かとてつもないことが、これから起きるのは確かだ。久しく戦争をしていなかったアズドルは、どこまでやれるだろう。そもそもこれは負け戦だ。アズドルはもはや自国だけでは生き残れないと判断した。そこでローバリと戦争を起こし、うまいこと誘導して、反ローバリ派を納得させつつもローバリの属国となろうという考えだった。そこまで自国が疲弊しているとは思っていなかったトレム王弟殿下はしばらく消沈していたが、将軍として戦争へ出る直前には一人のたくましき王族の顔をしていた。……敗戦後、王族は皆殺されないとも限らないのは、当然殿下も知っている。

 俺も、いよいよ死ぬかもしれない。やっと死に場所を見つけられるのかという安堵感はあったが、脳裏によぎったのはあの家族だった。

 奥さんは病気をしていないだろうか。師匠は変わらず鉄を打ち続けているだろうか。

──ウトラは、無事にフィエルと結婚し、仕事の能力も認められ、幸せに暮らせているだろうか。

 戦場は彼らの生きる街にほど近い。こちらが押されれば、攻め込まれないとも言えない。

 サムドランの遺した言葉に、すがりたくもなる。

「ヴェーテル」

「は、殿下」

 トレム王弟殿下は俺の方を一瞥して、そっと微笑んだ。

「最後の任になるやもしれん。だからこれだけは言っておこうかと思ってな。……感謝しているぞ」

「……私も、あなたの元に仕えられたのは、この上ない幸運でした。どうか最後まで諦めず、前を向いて戦ってください」

 あそこを諦められたのは、それでもなお生きようと思えたのは、きっとあなたがいらっしゃったからだ。

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