第17話 はじまりの谷 -ドゥ・アーダルス-



 本を持ち帰り、ビトカの家で剣についての研究を始めてから一ヶ月が経った。ドルフォア村ではまた赤き呪いが発病したらしいが、アーデラールから治療法を教わっていたレキンがすぐに処置し、ことなきを得たそうだ。

 あれから新たにわかったことといえば、剣は全て──剣という器すら──サントーシャムの魔力によって作られていたこと、堰の子なしに修理するとなればアーデラールの保持する数倍の魔力が一度に必要であること、剣から流れ出る魔力を小出しにすれば突然の消滅は防げること、くらいである。

 また、堰の子というのはマーリアとアーデラールが見つけ出した”剣の仕組みによって生まれた偶然の産物”であり、サントーシャムが意図して作り出した仕組みではなかった。だからといってどうということではないが、シャイアドのざわめく心に吹きすさぶ風が少しだけおさまった、ような気がした。

 一番の収穫は、マーリアたちが必死になって探したらしい”施しの剣に代わる魔力源”についての調査書であった。地中、空、海、魔石、人力、風、様々な可能性が検討されていたが、どれもほぼ不可能である、と事細かな解説付きで断言されていた。できないことが明確になっているのはとてもありがたい。しかしその中でたったひとつ、わずかながら可能性のあるものが存在した。サムドランが見せてくれた在りし日の記憶で、言及のあったものだ。利用するには数百年を要する上、施しの剣の代わりになるほどの力を蓄えるまで二千年はかかると書かれていた。つまり、このままいけばシャイアドを含め少なくとも三人か四人の堰の子が必要となる。

 魔力源の可能性が存在する地名を見て、村からやってきていたレキンはこう語ってくれた。

「そこは今はひどく荒れてしまっているけど、太古から言い伝えがあるんだよ。創世神話というやつだね。確か、こうだ」


 むかし むかし まだ この世が まっくらで

 なにもなく すべてがあったころ

 ひとつの谷から いのちが こぼれおちました

 ”それ”が 歩き 大地が うまれ

 ”それ”が 見上げて 天が できました

 ”それ”が せかいを 見てまわったあと

 また うまれおちた谷へ もどってゆきました

 そうして しばらくして ニンゲンが うまれたのです

                   (『ドゥ・アーダルスの伝承』より)


「谷……?」

 シャイアドが尋ね返すと、レキンは頷く。

「この地の名前”ドゥ・アーダルス”は現地の言葉で”はじまりの谷”を意味するんだってさ。マーリア様の調査書にある魔力源の”谷”とも一致するね」

「でもそれ神話だろ? なんか支離滅裂だし」

 レキンが持ってきた果物の砂糖漬けを頬張りながら、リャットが横槍を入れる。

「ううん。そうでもないよ、リャット。神話っていうのは案外事実を元に作られてることが多いから……」

「そ。……最近、学会で興味深い発表があった。リャット、君も竜くらい知ってるだろ? 想像上の産物とされてきたけど、あれは実は本当にいたらしい、って話なんだけど」

「えっ、実在したの⁈」

「でもどこからも骨は発見されてないね。つまりは竜というのは確かに

 シャイアドもリャットも首をひねった。実体がないのに実在しているとは、子どもの頃によくやったなぞなぞ遊びのようだ。レキンは二人の反応を見て満足そうに笑った。

「竜というのは極めて濃度の高い魔力が可視化された、魔力の渦だったんだ。暗黒期以来竜の目撃証言がほとんどなくなったのも頷ける。世界から魔力が枯渇して、見えるほどの魔力がなくなってしまったんだろうね」

「いや、面白いけどさ、その話とドゥなんちゃらの話はどう繋がってくんの?」

 リャットの質問に、レキンはシャイアドを見た。どうやら君なら答えがわかっているよね? と言いたいらしい。シャイアドは自信がなかったが、恐る恐る答えてみる。

「ドゥ・アーダルスの伝承に出てくる”それ”は、竜と称されるその現象と同一のものだと?」

「ああ、充分考えられる。実際……七百年前の奇跡直後ではあるけれど、谷から竜が飛び立つのを村人が何人も目撃して、ちょっとした騒ぎになったという記録を論文を発表した魔導師が引用してたよ」

「奇跡直後、世界に魔力が充分に戻った時期に目撃証言か……」

「ただ竜に見える渦というのは、その地から魔力が離れていく現象でもある。ドゥ・アーダルスは確かに魔力源としての素質はあるんだろうが、現在枯渇しているとなると魔力循環の根っことしては研究の余地があるね。マーリア様は時間がかかりすぎると見切りをつけてまた別の魔力源の可能性に賭けていたようだけど……」

「ちょっとちょっと、お二人さん、俺を置いてぽんぽんと話を進めないで。つまりドゥ・アーダルスは解決の糸口になるかもしれないってことでいいの?」

 リャットがこんがらがったような顔をして割り込んできた。シャイアドとレキンは顔を見合わせる。

「僕としては、行ってみる価値くらいはあると思うよ」

「そうだね、まずは行ってみないと」

「うーん……」

「じゃあ僕、早速村に戻って支度してくる」

 レキンがビトカの家から出て行こうとしたので、シャイアドは慌ててレキンがドアノブを回しているところで呼び止めた。

「村から遠く離れて大丈夫なの?」

「実はもう学校の魔導師派遣プログラムは終わっててね、そろそろ学校に戻らないと怒られるくらいで……。もうすぐ新任者も来るだろうし」

「それなら学校戻ったほうがいいんじゃねえの? 成績って、悪くなったらダメなんだろ?」

「世界の──いいや、シャイアドや議長の役に立てるなら、ニグシサの首席とかいうちっぽけなものは捨ててもいいよ」

 レキンは孤児だ。成績が落ちれば奨学生でいられなくなり、他国と比べればかなり安いといえど学費が払えなくなる。彼はそれが何を意味するのかわかっている様子だったが、シャイアドは何も言えなかった。

 レキンが去って三十分くらいして、ビトカが街から帰ってきた。彼女が街で何をしているのかは教えてくれなかったが、レキンからの情報によれば、彼女は街の貧しい人々に無償で魔法による援助をしているらしい。先日リャットがそれは本当なのか彼女に直に尋ねたところ、「師匠のご訓示だよ。強きを砕き、弱きを救えってね」とうんざりしたように答えた。

 机の上に広がる資料に目を通し、なるほどね、と声をもらす。

「この様子だと、あんたら、ドゥ・アーダルスへ行くのかい」

 シャイアドは「はい」と頷いたが、ビトカの顔はなぜだか曇っていた。

「ビトカさんはドゥなんちゃらに行くのは反対なんですか?」

「ドゥ・アーダルスだよ。あそこは……なんというか、かなり治安が悪くてね……」

 ビトカによれば、あそこは土地痩せが尋常ではなく、今日の食い扶持も稼げない人が多いらしい。

「悪いけどあたしはついていけないよ。こっちにも一応仕事ってもんがあるから」

 ビトカの助力がないのは痛いが、こちらは衣食住を提供してもらっている側だ。無理強いはできない。

 自分たちの身は、自分たちで守らなくては。




 ドゥ・アーダルスは荒野のような土地だった。ここはローバリの隣国であるファーゼル王国の土地で、気候条件は整っているはずなのだが、とにかく植物に元気がない。おそらく魔力の枯渇が激しいのだろう。魔力源になる可能性があるというのにこのような荒廃加減で大丈夫なのだろうか、という心配を、三人はあえて口に出さなかった。

「意外と近かったな」

「うん。ウトラたちのいる街より少し遠いくらいかな」

「ウトラ?」

 聞きなれない名前に、馬車から降りてきたレキンが聞き返した。

「倒れてたわたしを助けてくれた、とっても素敵な女の子だよ」

「……ふーん」

 なぜだか面白くなさそうな顔をしたレキンだったが、近づいてくる人影に気付いてそちらに目を向けた。十二歳くらいの、みすぼらしい身なりの女の子が駆け寄ってきていた。明らかに顔には敵意が見える。シャイアドたちは村から見えない岩場に降りたはずなのだが、たまたまあの女の子に見られていたらしい。もともと乗り気ではなかった馬車の御者は、「もうお届けしやしたんで、あっしはもう帰りますよ!」と言っておっかなそうに去って行ってしまった。

「魔導師が何の用だ! もうお前らが持ってく野菜なんてねえぞ!」

 女の子は真っ先にシャイアドに殴りかかろうとしてきたが、その振り上げた腕が威勢に比べてあまりにも弱々しく、殴ったり倒れたりすれば折れてしまいそうだったのでそのまま受け止めた。

「な、なんだよこの、離せ! クソ! 巨人どもが!」

 もがく女の子が無性に哀れに思えて、シャイアドは背の低い女の子の目線に合わせてしゃがんだ。思わぬ態度に驚いたのか、女の子が一瞬怯んだので、シャイアドはここぞとばかりにじっと目を見据える。

「大丈夫。わたしたちはファーゼル王家の使いじゃないよ」

「……ち、違うのか?」

「うん。わたしたちはローバリからこの土地の調査に来たの」

「ローバリから⁈」

「服だって、使いの人のものじゃないでしょ?」

「た、たしかに……! じゃあ、お前らはホントにローバリの魔導師なのか⁈」

 ここの土地の人たちからすれば、ローバリといえば理想郷なのだろう。ローバリからファーゼル王国へ来るのは簡単だったが、逆はかなり難しい。ファーゼル王家が国民の流出をなんとしてでも阻止しているためである。

 女の子は目を輝かせて、リャットやレキンにも目を向けた。リャットはそれに笑顔で答え、彼もまたしゃがむと手を差し出す。

「びっくりさせてごめんね。俺はリャット。よろしく」

 女の子は手とリャットを交互に見ていたが、やがておずおずとその手を握り返した。

 一番背の高いレキンもしゃがみ、名乗ってから女の子と握手した。シャイアドもまた名乗り、握手する。

 女の子は悪く言えば単純なのか、シャイアドたちへの敵意は減ったらしい。怪しんではいるものの、彼女も名乗った。

「おれはルルジ。……その、悪かったな、急に殴りかかって」

「本当だよ、僕らが王家の使いだったらどうするつもりだったんだい? 下手したらその場で切り捨てられてたかもしれないだろう」

 立ち上がったレキンが諌めるように言いい、ルルジは俯いた。そしてぼそりぼそりと呟く。

「……いっそ切り捨てられたほうが楽だよ」

 あまりにも暗く深い目を向けられ、シャイアドたちは言葉を失ってしまった。今、この子は何と? 十二歳の、子どもが、切り捨てられたほうが楽?

「どうせおれたちはその内飢えて死んじまうんだ。ずっと苦しんで死ぬくらいだったら、ズパッと一気に死んだほうが楽だろ!」

「……君の村はそんなに切迫しているのかい?」

「セッパク?」

「食べ物がなくて困っているの?」

「ああ、十年くらい前からどんどん畑がダメになって、全然野菜が育たなくなったって、とうちゃんが言ってた」

「それ、は……」

「食ってけねえし、そのせいでみんな死んじまうし、ホントにクソッタレだ」

 施しの剣の加護はファーゼル王国にも及ぶ。

 つまり、これもまたシャイアドが生きたいと願ったがゆえの不幸なのだ。

「なあ、お前ら、ローバリの魔導師なんだろ? おれをローバリにこっそり連れてってくれよ。もうこんなとこはごめんだ。ローバリにならなんでもあるし、好きなだけ飯が食えるって聞いたぞ」

 シャイアドがうつむき、リャットとレキンが苦々しく顔を見合わせた。

「……ごめん、そうしてあげたいんだけど、俺たちにはできないんだよ」

「はあ⁈ なんだよ、ハクジョーモノ!」

「でも僕たちは魔導師だ。君たちの生活の力になることはできる。……ねえ、取引をしよう。君たちは僕たちを村に住まわせる。この土地の案内もする。代わりに僕らは、君たちの生活を保障しよう」

 そんなこと、できるのだろうか。魔力の枯渇しかけているこの土地で。いいや、なんとかしなければいけないのだ。でなければ、全て無駄になる。マーリアとサムドランの死も、名も知れぬ人々の苦痛も。

 ルルジは訝しげに「そんなことできんのか?」と聞いたが、レキンはこともなげに頷いてみせた。ルルジは信じたようだが、あと一押し足りないらしく、うーんと唸っている。おそらく彼女は魔法を見たことがないため、イマイチ実感がわかないのだろう。

 そこでリャットが「じゃあ、君に魔法をみせてあげよう」と言って地面を指差した。ルルジもつられて顔を向ける。指し示した先にはリャットが蒔いたのであろう植物の種が散乱している。

『おはよう、花よ。もう起きる時間だよ』

 リャットがそう唱えると、乾いた土からぼこぼこと音がなってたくさんの花が地中から起き上がってきた。魔法を初めて見たルルジは己の内に走る衝撃の行き場を探して手を細かく動かしている。一方で魔法に慣れているはずのシャイアドとレキンもまた、驚いていた。リャットが摘んでルルジに手渡しているそれは、丁寧に育てなければすぐ枯れてしまうものだったから。

「ねえレキン、あんなに乾いた土から、それも踏み固められたところから、一気にあの花は咲く?」

「いや、普通無理だよ……。どうやら認めたくはないけど──」

「リャットの実力?」

「だから嫌いなんだ、あいつ」

 レキンは憎たらしい、というよりは辛そうな顔でリャットを見つめた。リャットとルルジはもうすっかり打ち解けていて、ルルジがリャットの手を引っ張って村へと連れて行こうとするところだった。

「……僕たちも行こう。ここで離れ離れになったら危険だ」

 レキンが歩き出したので、シャイアドも頷いてそれに続いた。

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