第16話 あなた


 本や書類を持って村に戻ると、レキンは村の長のところへ赴き、これからはしばらく自分がこの村の担当になる旨を話した。長は幼かった少年が立派な魔導師となって戻ってきたことに随分と驚いた顔をしたが、シャイアドの顔を見るともっと驚いた。

「シャイアドさま、生きてらしたのですか! よかった……それで、その、この村に戻ってきたということは、村の魔導師になってくださるんですか?」

 長の顔からはあの頃の豊かな艶がなくなっており、言動からもこの村が切羽詰まっていることは手に取るようにわかった。シャイアドは胸の痛みに少し躊躇したが、ゆっくりかぶりを振った。

「……本当は今すぐにでもドルフォア村の助けになりたい。でも、わたしにはやるべきことがあります」

「じゃあそのやるべきことってやつが終わったら、村に戻ってきてくださいませんか。お願いです、シャイアドさま。マーリアさまの代わりはきっとあなたしかできない。この村は限界なんです」

 全てが終わったら──。そんなこと、考えたこともなかった。望み薄としても、確かに、全てが解決する可能性はある。その先で……サムドランもマーリアもいない世界で、果たして自分は何をするのだろう。

 急に、心細くなった。リャットは自分と一緒にいてくれるだろうか。それとも、何かやりたいことを見つけ、ウトラのようにどんどん変わっていってしまうのだろうか。

「ドルフォア村の魔導師に関しては、中央議会が決定します。仮にシャイアドがなりたいと思っても、残念ながら議会が決定しなければどうにもなりません」

 レキンがそう制したので、シャイアドはほんの少しほっとする。一方長はちらついた希望を取り上げられ、疲れたように肩を落とした。それほど長く村を離れていたわけではないが、なんだかシャイアドが不在にしていた倍、あるいはそれ以上の時間が長の中に流れていたように見える。白髪も随分増えていた。

「そうですか。まあ、仕方のないことです。この村にはマーリアさまが何百年もいてくださったけれど、聞く限り魔導師さまのいらっしゃる村は実際そう多くない」

「ええ……すみません、我々も最善は尽くしているのですが」

 レキンが申し訳なさそうに謝ると、長は慌てて否定する。

「いえ、いえ、そんなつもりは! まさかそんな、魔導師さまがいらっしゃるおかげであたしらは生きていけるんです! むしろあたしらが不甲斐ないばかりに、魔導師さまのお手を煩わせて……せめて施しの剣がとっとと戻ってくればいいんですがね……あれがあったころは本当によかった……」

 自然に下がったシャイアドの目線を戻させるかのように、リャットが背中を軽く叩いてきた。リャットのほうを向くと、ニッと笑ってみせる。そんな様子に、シャイアドの心も少しだけほぐれた。今のシャイアドには、リャットの存在だけが救いだった。

 リャットを見て不思議そうな顔をする長を見て、レキンは「ああ、紹介が遅れました」とリャットに顔を向ける。

「この者はリャット。マーリア様の弟子ではありませんが、シャイアドの兄弟弟子だそうです。まだ未熟なので何かやらかすかもしれませんが、大目に見てやってください」

「はあ、リャットさまですか。どうぞよろしくお願いします」

 リャットはレキンの紹介に顔をわずかに引きつらせたが、長には笑顔で応えた。

「お力になれるよう頑張ります」

 この二人、仲良くやっていけるんだろうかとシャイアドは心配になった。そもそも、さっきレキンが堂々と大嫌い宣言をしていたじゃないか。いくらリャットが優しくて度量が広いからと言って、ずっとこんな風につっかかってこられてはいつ堪忍袋の緒が切れるかわかったもんじゃない。

 リャットが怒ったらどうなるんだろうという興味はないわけではないが、怒らせないことに越したことはない。

「そういえば、シャイアドたちはこの村に留まるのかい? それとも、どこかへ資料を持ち帰るとか?」

 シャイアドとリャットは顔を見合わせた。

「うーん、どうするシャイアド? ビトカさんの家に戻って、資料に目を通す?」

「そうだね、でもレキンは……」

「ああ、僕? 大丈夫、もう飛空免許を持っているからね、ドルフォア村からビトカ様の家までひとっ飛びだよ。種子を破裂させる魔法でも応用すれば、来て欲しい時に合図も出せるだろうし」

 リャットが自嘲気味に笑いながら「ビトカさんのことだけじゃなくて家の場所までも把握してんのか……」と小さな声で呟いた。

「あ、そうそう、今回のドルフォア村への派遣は学校のプログラムの一環でね、学業のほうは心配しないで。ということで村長、これからは定期的な訪問ではなく、短期ではありますが滞在となります。しばらくこの村にいてもよろしいですか?」

 長は思いがけない救いの手に、すがるような目をする。安心に瞳が溶けたようだった。

「こちらからお願いしたいほどですよ! ありがとうございます、あなたなら村にすぐ馴染めますし、皆も安心します」

「はは、それはよかった。僕も皆に育ててもらった恩があるのでね、全て返せるとは思いませんが、誠心誠意努めます。ゆくゆくはこの村の魔導師にもなりたいと思ってるんですよ?」

 レキンは最後にしっかりと「シャイアドと一緒に」と付け足した。

 こんなにグイグイ来られると、どう反応すればいいかわからない。自分はなぜこんなにレキンに好かれているのだろうか。自分の記憶に彼はほとんどいないのだから、仲がよかったわけではないだろう。そもそも、自分はそれほど子どもたちと遊んでいたわけではないし、村のために魔法を使うのはマーリアだったから、好かれたり尊敬されることはしていないはずなのに。

 レキンの突飛な将来計画に、リャットが「俺はどこ行けばいいんだよ」と不満そうな声を出した。



 レキンがドルフォア村の空き家に案内されている間に、ビトカが迎えに戻ってきた。彼女の小脇に抱えられている一冊の本のようなものにリャットが指を差す。

「なんですか、その本」

「ああ、これかい、まあ、拾ったんだよ。あんたらにやる」

 ビトカは投げて寄越したので、リャットが慌てて受け止めた。

 手にした途端、なぜだかリャットの動きが止まる。

「……ビトカさん。これ……」

「なんだ、あんたわかるのかい?」

 リャットが顔を伏せたのでシャイアドはどうかしたのか尋ねようと思ったが、リャットが袖で顔をこすったので何も言えなかった。

 泣いている。

 リャットが。

「いや、ごめん、ごめん、涙が勝手に」

 笑ってごまかそうとしているが、リャットの目から落ちる涙は止まらなかった。

 一体全体急にどうしたのか、シャイアドはどうしようもなくただ困った顔をしていると、ビトカが小さな声で教えてくれた。

「それはね、あのバカが……サムドランがあんたらに託した、施しの剣についての研究成果だよ」

 シャイアドの喉から声が漏れる。

 あなたは……あなたたちは。

 いつも聞こえていた確かな声が──どこかから、優しく響いてきた、ような気がした。

「この本持ったら、師匠の気配を感じてさ、そしたらなんか、あー、ダメだな俺、しっかりしなきゃいけないのに」

 サムドランの面影を見て、リャットは泣いたのだ。

 そりゃあ、そうだ。だって、あのひとはリャットにとっても、大切な人だった。

 かけがえのない、たった一人の師匠だった。亡き父親代わりでもあったのだ。

 いつも気丈に振る舞っているリャットだが、彼もまた傷つき、必死に傷を隠しているのだと、気づいてしまった。シャイアドに心配をかけまいと、凛としているふりをしていたのだ。

(ああ……リャット、わたしは……)

 なんて、自分本位だったろう。

 いつも助けてもらっていたシャイアドには、こんなときどうすればいいかわからない。本を抱えて涙をこぼすリャットの背に、そっと己の手を置くことしか、できなかった。

「泣きたいときは思いっきり泣きな、ただしくよくよはすんじゃないよ!」

 ビトカはリャットの腰を思いっきり叩き、言い方はどうであれ晴れ晴れするような声色で励ます。リャットはビトカの一発に少しよろけたが、少し嬉しそうな顔で笑った。

「はは、ビトカさんは手厳しいなぁ……!」

 それから涙を全てぬぐい、シャイアドの方を振り返って照れくさそうな顔をする。目元が少し、赤かった。

「ごめん、泣くつもりはなかったんだけど……。情けないところを見せちゃったね」

 そんなことない、と言うよりも先に、必死に首を横に振って否定する。強がりを見るのは、心苦しかった。

「あの、あのねリャット、その……わたしばっかり泣いてごめんなさ……いや、いつもいつも、励ましてくれてありがとう、だからね、たまにはわたしにもリャットの力にならせて……」

「……そう? じゃあ、ちょっと、失礼」

 そう言うとリャットはシャイアドを抱きしめてきた。シャイアドの存在を確かめているような抱擁で、リャットはぼそぼそと「昔からしょげるとこうやって妹や弟で充電してたからさ……」と弁明する。少しだけ照れてるのが伝わってきて、シャイアドは思わず笑ってしまった。

 横で見ていたビトカは「何を見せられてるんだか」とあきれ顔だったが、特に邪魔立てするつもりはないようだ。

『愚かで愉快な妖精ディッフェルよ、貴奴と存分に戯れ、小突いてしまえ!』

 突然呪文が唱えられ、やけに鈍い音がした、と思えば、リャットが「いってぇ!」と額を抑えてうずくまる。

 息を切らして駆けてきたレキンはシャイアドの前に立ち、たくさんの文字が彫り込まれた金属の腕輪をかざした。

「不純異性交遊! 見習いの立場でシャイアドに近づくな! というか金輪際神聖な魔導師をお前ごときが名乗るな!」

「そういうのじゃないんだってば! 俺とシャイアドの絆をなんも知らないくせに!」

「知りたくもない!」

 やりとりにほんの少しの既視感を覚えながら、シャイアドは苦笑してやり取りを見つめていたが、ビトカは突然訪れた喧騒に顔をしかめてレキンとリャットを小突いた。

「なんで俺まで……」

「うるさい! そこのあんた、そう、あんたその額の模様からしてニグシサの首席レキンだろう? 恥ずかしくないのかい、こんな子どもみたいに取り乱して」

 レキンは「だっ……」と何か言いかけたが、すぐに己を省みて「……いえ、すみません、僕としたことが、どうもシャイアド絡みになると十歳児並みの精神になってしまって」と額を押さえた。

「ビトカ様でいらっしゃいますよね? とんでもない醜態を晒してしまって申し訳ありません。改めまして、私はレキンと申します。僭越ながらニグシサの首席を預かっています」

 レキンはローバリの魔導師が高位の者に行う礼をし、ビトカに敬意を示した。

「あの子が選んだのなら魔法の実力に間違いはないんだろうが、どうもまだ精神面が未熟だね。あんたはまだ若すぎるんだ」

「はい、よく言われます……」

 レキンが顔を赤くした。白い肌がほんのり色づいて、なんだか可愛らしい。

 ここで「ざまあみろ」と笑わないのがリャットのよくできたところで、しかし内心少しは思っているのか、しゃがんだままちょっとだけ満足げな顔をしていた。

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