第14話 帰郷




 ビトカは、口は悪いものの、根はお人好しだった。ヤームルが帰ってしまい、ビトカとリャットと三人になった時はどうなることかと思ったが、彼女はお人好しの自分に嫌気がさすんだと言うような言動で、最初こそ怖かったものの、時間が経つにつれ慣れてしまった。

 保護してもらった当初は本人は弟子なんざ取るかと言っていたが、一応、魔法の修行は見てくれる。サムドランのような丁寧な指導でもないし、マーリアのような熱心さなどなかったが、それでも教えてもらえるだけありがたかった。それに家にそこそこの量の魔導書があったので、自分たちで本を読み、お互いにアドバイスを送りつつも、コツコツと実力を高めていった。

 明日にもアーデラールが迎えに来ないとは限らないので、シャイアドはいつまでも悲しんでいるわけにもいかず、施しの剣に代わる世界への魔力供給源についての勉強も始めた。だがこのマーリアやサムドランの屋敷よりずっと小さい家にある程度の本では、特にめぼしいものは見つからなかった。

「そういえばさ、師匠の記憶の中で師匠とマーリアさんが新しい魔力源がなんとかかんとかーって言ってたよね」

「そう……だっけ?」

 家の外にある広大な畑をリャットと手分けして耕していたら、地面に手をついて魔法で土を盛り起こしているリャットがふと思い出したようにつぶやいたので、シャイアドは記憶を辿った。実を言うと、ショックのあまりあの時のことがよく思い出せないのだ。

「うん、言ってたよ。まあ……無理だとも言ってたけどさ、でも候補になる程度の可能性はあるってことでしょ?」

「確かに……あることはあるんだろうね、実行できないだけで」

 実行できないということは策はないとも取れるのだが、今は僅かな糸口さえもありがたかった。

「あーあ、議長が本当にまだ手を出さないのなら、俺たちと一緒に研究を手伝ってくれれば良いのに」

 おそらくアーデラールも、可能性が充分見込めたらその手を取っていた。だが完全に放置となると、自分たちで策を探させ、それは完全に無理だったのだと悟らせたところで殺す算段なのだろう。

 これまでのシャイアドだったら、そのことに気づいただけで諦めていたかもしれない。だが今は違った。

 畑を耕し終えた後、近くにあった川の水をどうにかこうにか魔法で持ち上げようと奮闘するリャットを見て、シャイアドは口に笑みが漏れた。

 諦めるということは、マーリアや、サムドランの死を無駄にするだけではない。巻き込んでしまったのに、逃げることもせずこんなところまでついてきてくれたリャットを、一人にしてしまう。

 それに、なんだか癪だった。最初からないと決めつけていては、何も見つからない。七百年生きている魔導師たちが見つけられなかったのだとしても、彼らが諦めた一年後にひょっこり解決方法が生まれているかもしれないのだ。それに彼らだって、七百年生きているとはいえ、人間である。見つけられないことだってあろう。新しい時代の、新しい考え方が、思わぬ答えを見つけるかもしれないじゃないか。

「うわっ!」

 リャットが盛大に転び、かろうじて持ち上がっていた川の水が、一気に畑へと飛んでいく。あの量が流れ込んでは、せっかく耕した土地がダメになってしまう。ビトカにシメられる未来が見える。シャイアドは慌てて腕をかざし、ブレスレットに魔力を流し込んだ。

 すると水はなんとか畑から逸れ、開墾していない原っぱへ流れる。青い顔をして口を開閉していたリャットは、それを見届けると九死に一生を得たような安堵の表情を浮かべた。

「た、助かった……」

「この魔法、水にも効果があるんだね……」

 ダメ元だったのだが、成功してよかった。シャイアドとリャットが縮んだ心臓の音を聞いていたら、森からビトカが戻ってきた。先ほどの危機を見ていたのか、「未熟なやつがそんな大それた魔法使うからだよ」と前置きのようにダメ出しをしてから、広がる田畑に目をやった。苦労して耕した畑に何も言わず、そういえば、とこちらを振りかえる。

「あんたら、なにかいい策は思いついたのかい」

 シャイアドとリャットは困って顔を見合わせた。正直、手詰まりだった。

「ま、そんなこったろうとは思ったよ。施しの剣の研究は世界中の人間が七百年かけて行ってるものだからね、あんたらひよっ子が数週間程度で何か見つけられたんならこの七百年の魔導師はみんなバカになるってもんさ」

 リャットが小さな声で「そんな風に言わなくてもいいじゃないですか」と文句を垂れる。

「あたしはね、先人の知恵くらい拝借しろって言ってんだよ。残されたものに目を向けろってね」

「先人の知恵? でもビトカさん、なんも知らないってこの前……」

 リャットが訝しげにそう尋ねると、ビトカは「そりゃあたしは施しの剣なんてどうでもよかったからね、知るわけないだろ」と切り返す。残されたものに目を向けろという言葉にシャイアドの頭の中で何かが光り、今にも押し問答を始めそうな二人の間に割って入った。

「マーリアの屋敷に何か手がかりがあるかもしれない、そう言いたいんですね」

 マーリアは、熱心に施しの剣についての研究を重ねていたに違いない。

 ビトカは肯定するようににやりと笑った。

「本当はアーデラールのとこに直接行けたらいいんだけどねぇ」

 笑えない冗談をとばしてから、彼女はくるりと背中を向ける。

「あそこはドルフォア村。アズドルとローバリの国境付近とかいう頭の痛くなる場所だ……。でも何かを得るには必ず危険が伴うってよく言うじゃないか。行かない手はないだろう。何もせずにただ座ってその時が来るのを待ってるとか言い出さない限りね」

 行かねばならないことはわかっていた。それでも、シャイアドの胸には不安がよぎる。何かあれば、今までのことが全て無駄になってしまうと思った。それがただ一つの、そして大きすぎる懸念だった。

「……シャイアド、行こう。きっと俺たちなら大丈夫だよ」

 リャットがシャイアドの背を叩き、元気づけるように優しく微笑む。シャイアドの心はまだ迷っていたが、リャットの言葉でとりあえずは行動してみることに決めた。

「うん。……ごめんリャット。巻き込んじゃって……」

「ちょっとちょっと、謝らないでよ。俺は好きでここにいるんだからさ」

 気丈に笑ってみせるリャットに、シャイアドは何度救われたことか。一人であったらとっくに諦めていたが、リャットがいる限り、シャイアドは頑張れた。

「そこまで言わせといてなんだけどね、アーデラールに関しては心配いらないよ」

 シャイアドとリャットはビトカの思わぬ発言に動きを止めた。白髪はないがシワはたくさんあるビトカをじっと見つめると、ビトカは懐から一枚の奇妙なカードを取り出し、二人に掲げて見せる。

 訝しみながら覗き込むと、首の後ろを恐ろしく冷たい手で掴まれたような感覚がシャイアドを襲った。

「こ、これ、師匠の記憶の中で見たのと同じやつ……それに筆跡も同じだな」

 リャットがカードを手に取ると、ビトカは軽い調子で頷く。

「ああ、アーデラールからの伝言だよ。どうやらあんたらがここにいることはとっくにバレてるみたいだね」

 カードには、こう書かれていた。


 我が同胞たちが死をもって示した意志を尊重し、君に二年、長くても五年の猶予を与えよう。


「……マーリアって人と、師匠が命をかけた結果が最長五年?」

 リャットが不服そうな声を出した。ビトカがそんなリャットの足を小突く。

「馬鹿だねぇ、あんた、本当は今すぐにでもどうにかしなければまずい状況にあるんだよ。あのアーデラールがここまで危険を冒すって、あたしゃ今でも信じられない。……いや、そのカードで言ってることは本当だよ、あの子は嘘をつかないからね、だからそんな顔をしなさんな」

「あの、ビトカさんはアーデラール議長の味方なんですか?」

 シャイアドが控えめに尋ねると、ビトカは肩を竦ませた。

「さあね。あたしはあんたとあの子、両方の敵じゃないってことは確かさ。どっちも言ってることはもっともだからね。あたしにゃほかの兄弟弟子たちみたいな大仰な信条とかはないし、それに何が悪だとか知った気になりたくはないんだよ」

「そう、ですか」

 絶対的に守ってくれる人はもういないのだ。これからは自らの力で味方を見つけ、必要なことを探し出していかなくてはならない。

 マーリアとサムドランにもらった時間を、そしてその先を、生きていくんだ。




 ドルフォア村は、すっかり変わっていた。

 シャイアドがまだ小さかった頃、家の前には人々が集い、大人は話し込み、子どもは駆け回っていた。しかし今人々はそんなことを思い出せないくらい忙しいのか、余裕のない顔で足早に過ぎていく。

 ビトカに空飛ぶ絨毯で連れてきてもらったので案外早くついた。送ってくれたビトカはさっさとどこかへ行ってしまい、シャイアドとリャットだけが取り残される。すっかり変わってしまった村を見つめ、シャイアドはなんだかここはドルフォア村ではないような気がした。丘の上に黒くて艶のある屋根が──マーリアの屋敷が木の陰から見えるはずなのに、どこにも見えない。

 門の前で立ちすくんでいると、一人の若い青年がシャイアドたちに気づいた。よそ者の来訪に顔を歪めたが、彼はシャイアドの存在に気づくと、幽霊でも見るかのように目を見開く。

「あれ、お前、シャイアドか⁈」

 駆け寄ってきたその青年は、マーリアが死んでしまう数日前に屋敷にやってきた、クッキーを分けてくれた少年だった。名前は確か、イースといったような気がする。

 シャイアドという言葉を聞いた村人たちはちらりとこちらに目を向け、一部の人々は作業の手を止めて耳を傾けた。

「生きてたんだな、よかった……、あ、そちらの魔導師様は?」

「リャットっていって、わたしの兄弟弟子」

 シャイアドの紹介にリャットが軽く礼をすると、イースは丁寧に礼をした。アズドルよりずっと魔導師への対応が丁寧なので、リャットは少しだけ居心地悪そうに苦笑した。

「リャット様、私はイースと申します。わざわざこのような村へお越し下さりありがとうございました」

「えーと、その、そんなかしこまらなくても、シャイアドみたいに接してくれたらいいかなぁって……」

「いえ、そういうわけには。シャイアドも、本当はシャイアド様と呼んだ方がいいんだけど……」

 シャイアドはイースの視線に首を横に振って応えた。

「そうそう、お前は昔っからそうだった」

 自分は様をつけられて呼ばれるほど偉くないからなのだが、それと同じくらい、同い年の人に様をつけられ敬遠されるのが好きじゃなかった。

「ねえ、今この村はどうなってるの?」

 ローバリの村には魔導師が一名ほど、村の魔導師として住んでいることが多く、彼らの助力によって畑仕事などの生活が回っていた。ここドルフォア村も、マーリアが住んでからずっと長くその力に頼ってきたはずだ。突然いなくなってしまったら、立ち行かなくなってしまう。

「ああ……見ての通り、ギリギリでさ……。月に一度、中央から優秀な魔導師様がいらっしゃるんだけど、やっぱ魔導師様がいつも村にいるいないのとじゃ大きな差だよ」

「……ごめん」

「なんでシャイアドが謝るんだよ」

 笑うイースに、シャイアドは胸を刺すような罪悪感を覚えた。彼らの苦悩は、元をたどれば全てシャイアド自身の責任なのだ。不作も、マーリアの死も……。どうして自分は堰の子なんかに生まれてきてしまったのだろう。堰の子にさえ生まれてこなければ、こんな苦しい思いをせずに済んだ。……しかし、堰の子に生まれたからこそ、自分はマーリアと出会い、魔導師となれたのも事実だった。

「シャイアドは、どうしてこの村に? 様子を見にきたのか?」

「うん、えと、マーリアの屋敷に用事があって……」

 イースはさっと顔を曇らせる。

「……悪いけど、あの屋敷は潰れて以来……もう五年は経つのかな、ずっと放置されて雨ざらしになってるから、きっとすごいことになってるぞ」

 シャイアドは俯いて、本当に小さな声で応えた。「それでも行かなきゃ」

「……そっか」

 頷いたイースは何かを思い出したかのように懐を漁り、小さな包みを取り出す。

「俺のおやつ。やるよ」

 シャイアドの手に押し付け、リャットに礼をしてから、イースはそそくさと去っていった。

「おやつ?」

 リャットが手元を覗き込んだので、シャイアドは受け取った包みをそっと開けてみる。

 あの時と同じ、クッキーだ。

 あの時と違って、とても小さくてぼろぼろだった。

 どうしたわけか、シャイアドの目から涙がこぼれた。

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