第4話 光




今日は天気が良い。冬の極寒を乗り越えた後に、春の陽光暖かな朝にこうして工房へ向かえるのは贅沢に思えた。

ウトラは武具や農具など、大きな鉄を扱うことは苦手としていたが、細かな装飾を作ったり、アクセサリーといったものを一般大衆から貴族まで幅広い層向けに製作することに関しては、まだ若いながら工房で一番だった。といっても、ここにいる皆は大体が大きな鍛治を本職としているので、競争相手がいないだけなのだが。

工房に入ると、すでに数名の職人が鉄を打っていた。その中にはランギも居て、何やら難しい顔をしている。彼は二年前にやってきたばかりなのもあって、この工房では二番目に新顔だ。一番新しい弟子は、ランギがやってきた三ヶ月後に押しかけてきた少年である。しかし大抵のことを器用にこなすランギは、今では父の弟子の中でも中層部の腕前に属していた。もちろんこの工房には弟子以外もいる。父の次に腕のいい者は、父の幼馴染であるルートさんだ。豪快で、細目こだわらず、しかし作り出すものの繊細さは本人の性格からは考えられないほど。

考え込むランギが睨みつけている紙を覗いてみると、随分と簡素なナイフが描かれていた。どうやら、あまり余裕のない農民の注文らしい。

いつの間に気づいていたのかはわからないが、ランギは振り返らずに尋ねてきた。

「なあ、お嬢。この注文書には、刃の角度は薄めにって書いてあるんだが、長く使って、且つ幅広い用途に適応させるなら、もうちと分厚い方がいいよなぁ」

そんなことを考えていたのか、とウトラは感心した。自分ならさっさと注文書通りに作って、早い所次の作業に取り掛かる。

「切れ味のいいものをご所望なんじゃない? たぶん、もう頑丈なやつは持ってると思うよ」

そうか? とランギは言うが、まだ納得していない顔だ。

「シャイアドを拾ったあの日にこの注文書を受け取ったんだけどな、そこの家、刃物が見当たらなかったんだよ」

「うーん、じゃあ、刃物のことをあまり知らないから適当に注文したってこと?」

「そうだと踏んでるが、さっきウトラが言ったみたいに頑丈なのをすでに持ってたらどうしようかな」

うーむとまた考え込むランギの横顔を見て、ウトラは思ったことを口に出した。

「……こう言ったらなんだけど、ランギって、見た目によらず一生懸命だね」

褒めたつもりだったが、ランギは片眉をあげ遺憾の意を示す。

「見た目も中身も一生懸命だろ?」

そうかなぁ、と思ったが、これ以上言うと怒りそうなので何も言わなかった。正直、いつものランギは、その高い鼻梁の整った顔と気さくな笑顔のせいか(あるいはおかげか)、世渡り巧みでしたたかな人間に見えた。しかし、まあ、確かにこの工房にいるときの真面目な顔は、本人の主張に合っているかもしれない。きっとこっちが素なのだろう。

未だ悩むランギは放っておくことにして、ウトラは己の作業台に着いた。

今日はどんなものを作ろうか。今手元には、緑色のサルマルトという、別名魔力の琥珀と呼ばれるが宝石があった。このご時世、滅多に手に入らない代物のはずだが、流石大商人の娘の注文といったところか。本来なら外の著名な職人に頼みたいはずだが、宝石の加工品の持ち出しはどの街でも制限されているので、ウトラの元に注文が多くやってくる。そうして数をこなしていくうちに、最近ようやく街の中でも評判が良くなってきたのは、とても嬉しいことだった。父にも『こりゃ、街一番、いや、国一番の細工師になるかもしれないな』とまで言われ、浮足立っているところも少なからずあったので、ひとまず落ち着こうと、一つ深呼吸をした。

苔むした森のような、乳白色に近い緑色の宝石をこうして眺めていると、シャイアドの顔が脳裏をよぎる。確か、あの子が持っていたペンダントは、もっと、見ているうちに緑色の海の中へと吸い取られてしまうような、深い深いグラデーションのついた、見事な雫型の石だ。あんな石はウトラも見たことがなかった。憶測に過ぎないが、アレは、魔導師が作ったのだろう。ランギも、あのペンダントから魔力を感じると言っていたのだし、そもそもシャイアドは魔導師の弟子なので、師匠から授かったものに違いない。

それにしても、あの奇跡とも言えるカッティングを実現させた方法が気になる。純粋に腕が良いだけなのだろうか、それとも、魔法? 考えれば考えるほど、ウトラは胸が高鳴った。知らないことを知りたいと思う気持ちは、幼い頃から何も変わらない。まだ見ぬ世界に想いを馳せるのは、楽しいことだった。たとえ待っているのが色のない世界だったとしても、それはそれで興味が湧いてくる。どんなものが待っていようと、知れた喜びは少なからずそこにあるのだ。特に、情報が制限されたこの街では、誰かの悲しみも隠されてしまうから。

(そうだ。このサルマルトは、お守りのブローチに加工しよう)

ウトラはさっそく作業に取り掛かった。



皆が予想していたより案外早く、サムドランは帰ってきた。

帰ってきた、といっても、彼はいつの間にか居なくなり、いつの間にか戻ってくるので、在不在は市場に卸される使用期限が短い薬の在庫状況で判断しなくてはならない。今朝市場へ向かったウトラが、嬉々としてサムドランの帰りを告げたので、シャイアドは無意識に背筋がしゃんと伸びた。いよいよ、真相への一歩を踏み出すのだ。もう体は十分に癒えた。身隠しの魔法はまだ使えないが、今出来る準備は全て整っている。

ランギがサムドランの一人弟子に、サムドランが帰ってきたら一番に会えるよう取り計らってくれていたので、障害も何もない。やっと会えるのだ、鍵を握る人物に。そう思うと、心臓がばくばくと締め付けられるようだった。

そんなシャイアドの様子を見てか、ランギが落ち着かせるようにして優しく声をかけてくる。

「お前がサムドランに会いたい理由は知らねーが、まあ、思ってるよりかはずっと普通のじーさんだから、あんま怖がる必要はねーぞ。ん、いや、じーさんというより、ありゃまだおっさんっていうのか? 見かけるたんびに老け方が変わってるように見えるから、よくわかんねーや」

シャイアドは感謝を述べながらも、最近、ランギは少し出来過ぎた人間なのではないか、と思っていた。家でしか立ち振る舞いは見ることができないが、顔も良い部類に入るし、大抵のことはそつなくこなす上、こうして優しく接してくれる。それがなんだか違和感に思えるのだ。マーリアを訪ねて来たひとびと、村の人たち、マーリアに連れて行ってもらったさきの住人。いろんな人を浅くだが側から見てきたシャイアドにとって、ここまで完璧とも言える人間がいることには驚きだった。まあ、ウトラの父の弟子で、居候の身なのだから、おそらく人知れぬところで気を使ったり努力をしているのだろう。

「えー、ランギってサムドランさんに会ったことあるの?」

「二年前にこの街に来た時、移動許可とか色々と面倒見てくれてさ」

ランギは二年前に色々あってこの家族に引き取られたそうだ。シャイアドとこの二人の間には人種のささやかな違いがあるので、この二人に血縁関係がないことに、最初は気がつかなかった。だがよく観察してみれば、ウトラとその両親とランギは目の形や鼻の形がなんとなく違うように思えた。目や髪の色は、魔力によって実の親子でも変わってくる場合があるので、あまりあてにはならない。

サムドランに直に世話になったというランギとは違い、ウトラはサムドランに会ったことが無いらしい。随分ランギを羨ましそうに見ているので、シャイアドは思わず「じゃあ、一緒に来る?」と言ってしまった。たぶん、一番世話になったウトラに、恩返しがしたかったのかもしれない。夜眠れない時も、ずっと一緒にいてくれたし、泣き腫らしても、なにも聞かないでいてくれた。この子はきっと、どこにでもいる心優しい普通の子なのだろう。しかし全てを奪われてしまったシャイアドにとっては、出会いが偶然であったにせよ、先の見えない暗闇の中で感じる確かな手の温もりに違いなかった。

ウトラは思った通り驚いた顔で「いいの?」と聞き返す。シャイアドは素直に頷き、「それに、道もよくわからないから、連れてってくれると嬉しい、かな……」と補足した。

ああ、と合点がいったようにウトラは苦笑する。

「それは、そうだね、うん」

「でもいつ行くんだ? 昼間に出ても、誰かに見られちまったら行くに行けなくなるかも知れんぞ」

確かに、騒ぎが起こって足止めされるのは困る。最悪、兵士に捕らえられてサムドランとの面会どころじゃなくなってしまうかもしれない。シャイアドはどうしたものかと思考を巡らせた。白いテーブルクロスに、空の色が反射しているのが目に入った。ああ、ぴったりなタイミングがあるじゃないか。

「じゃあ、そらの日(月曜日)の早朝にしようか」

「私はいいけど、サムドランさん、寝てるんじゃない」

いいや、とシャイアドはかぶりを振った。

「そらの日の夜明けごろは、一週間で一番魔力が動くの。だから、高名な魔導師なら、絶対に起きて雲を読んでるはずだよ」

「雲を読む?」

一般人にはより素敵に聞こえるのだろう。興味ありげに目を煌めかせ、ウトラが質問した。

「雲の流れは魔力の流れと密接に関係してるから、魔導師が見ればいろいろわかることが多いんだ。そらの日の語源もここから来てるんだってさ」

へえ、とウトラとランギは同時に感心したようだった。シャイアドは悪い気がしなかった。この知識はマーリアや本に教えてもらったもので、自分の血肉として今も共にあることに安らぎを覚えた。しかし、そんな安らぎの陰で、胸の奥にふつりと沸いたこの重く黒いものは、間違いなくその過去が、本当に過去のものとなってしまったことを示しており、遠くから迫ってくる何かのように、理由も鮮明に特定できない痛みをそっと決意の下に隠した。

(……早く、サムドラン氏に会わなきゃ)

 今自分にできることは、それだけだ。

 そっと握った服の下のペンダントが、大丈夫だと暖かく光ったような気がした。


そらの日はいつもよりほんの少しだけ早く目が覚める。まだ寝ているウトラを起こさないように、暇つぶしと雲読みの練習を兼ねてそっと窓を開けた。外は暗くもなく明るくもない、透き通っているような景色だった。そういえば、マーリアは早朝の空の色を瑠璃色と呼んでいた。つまりこれが瑠璃色というのだろう。

シャイアドは、よく目を凝らして空を眺めた。雲の流れは一定で、いつも通り何も読めない。のどかで、平和な証なのだろうか。それとも、シャイアドに雲読みのセンスが全くないだけなのだろうか。……マーリアは焦らなくていいと言っていた。一緒にやろう、少しずつ上手くなっていこう。そう励ましてくれた、のに。

(……すぐ、マーリアのことを考えちゃうなぁ)

当然のことだ。だって今までマーリア一人しか知らない世界で生きてきた。マーリア以外を知る必要はなかったし、知りたいとも思わなかった。

でも、これからは変わっていくのだろう。胸の中に一抹の不安がこびりつく。無いとは思うが、もしかしたら、マーリアのことを思い出さない日が来るかもしれない。ウトラたちは、それだけ鮮烈な色を持っていた。知りたいと、触れたいと思うようになった。マーリアの輝かしい色はいずれせ、世界の輪郭を生み出すウトラたちの色が上塗りされていく。それは自分自身の色と呼べるだろうか? 呼びたいと、思えるだろうか。

シャイアドは、呑気な寝言をつぶやいたウトラの肩にそっと触れ、早く目覚めるように優しく揺すった。


サムドランの屋敷に向かうまで、見たこともない街並みや遠くに見える城壁に気をとられ、何度か転びそうになった。明け方は目の前がよく見えない。作業場に向かうと言ってついでについてきたランギに何度か受け止めてもらった。この人は本当に他人をよく見ている。どこかなにかを探られている気がして、あまりいい気分ではなかった。それでも彼の真摯な性格は好ましかったし、優しさに偽りも畏れもないように感じられたので、まあいいか、とシャイアドは気にしないことにした。

逆にウトラは、無頓着というか、何か別のものを見ているのではないかと心配になってしまうような子だった。注意力がないという訳ではない。しかしどこか、自分とは違う感性を持っているようだった。まぶしい、という言葉に近い、そんな感性が垣間見えた。

全てを失ってから出会った人間がこの二人でよかったと、シャイアドはぼんやりと思った。かつての、自分勝手な物言いでマーリアが作った薬を値切ってきたり、あれやこれやとケチをつけ、害獣駆除料を払わなかったような人々に遭遇していたら、私はろくに口も聞けなかったかもしれない。世間にはいろいろな人がいる。わかっていたつもりのことだったが、シャイアドは、内心面食らっていた。どうやら、魔法を使えない人間が、どれも同じに見えていたらしい。

この頃、新しい気づきに満ちている。次々と、世界に関する情報が更新されていく。記述がどんどんと増え、春の風にページが踊っている。それに果てしない興奮を覚えている自分に、シャイアドは悲しくなった。まるでマーリアの死を肯定しているみたいじゃないか。

この景色は、マーリアと共に見つけることもできた。マーリアが死ぬ必要は、なかったはずだ。



自分に言い聞かせている内に、いつの間にかランギはいなくなり、目の前に大きな屋敷がそびえ立っていた。

「ここが、アズドル一の大魔導師、サムドランさんの屋敷!」

ウトラも、近くで見るのは初めてのようだ。いつも輝いている目をより一層輝かせ、早く入りたいと言わんばかりにこちらと屋敷を交互に見ている。放っておけば、そのまま屋敷に突っ込んでいってしまいそうな勢いだ。この子は魔法に憧れでも抱いているのだろうか。それともアズドルの人にとって、魔法とは“理想”に近いものという認識なのだろうか。

畏れ、敬え。ローバリの見習い魔導師が耳にタコが出来るほど言われる言葉だ。魔法とは奇跡であり、冒涜することは決してあってはならない。と、本に教わった。我が師、マーリアには、そういったことは何も言われなかったが。

……だからこそ、シャイアドの母国、ローバリ魔道共和国の事実上のトップである大魔導師アーデラール議長は、七百年もの間、議長の座に君臨し続けられているのだろう。あるいは、人は奇跡を起こす存在に、ぜったいを見出すのだろうか。どちらにせよ、“理想”と“畏怖”は違う。追い求め、触れるべきものと、畏れ、避けるべきものとでは、根本的に違うのだ。どちらがよい、といったことは、まだシャイアドにはわからなかった。

 ついにウトラがしびれを切らしたのか、屋敷のドアへ恐る恐る近づくと、ライオンの彫刻が施されたドアノックへ手を伸ばした。手が触れる直前、そのライオンが口を開く。

「汝、名を述べよ」

「わあ!」

 通常の人間としては、動くはずのないものが突然動いただけでなく、喋ったのはかなり肝が冷えただろう。叫んだウトラは、シャイアドの腕を掴んだまま、しばらく口が聴けそうになかった。嫌な汗を額にかいている。

 シャイアドが代わりに「シャイアドと申します。サムドラン氏との面会のために来ました」と答えると、態度だけが大きく姿は小さなライオンは一瞬だけ黙った。

「……なるほど、汝が」

 それだけ言うと、ドアは自動的に開く。シャイアドはペンダントが首に下がっていることを確認し、勇気をもらおうと手を当てた。ウトラは先ほどから夢のような体験を繰り返して興奮しているらしい。いつもは澄んだ水底のような目が、日光がきらきらとゆれる浅瀬のような色を写していた。

「……同じ街に住んでたのに、今までサムドラン氏の魔法を見る機会がなかったの?」

「う、うん。サムドランさん、いつもは街の公式行事とかでちらっと出てくる程度で。それに、今まで魔法っていうのはほとんど薬のために使うものだと思ってたから……」

 中に入ると、国一番であろう魔術師の館にしては、質素な廊下が続いていた。赤い絨毯は確かに手入れの行き届いた高い品質のものだが、かなり年季が入っている。もしかして、百年くらい同じものを使っているのではないだろうか。

「だからね、シャイアドに炎が踊る魔法を見せてもらった時、まるで夢を見てる気分だったの」

「夢?」

「そう!」

 炎が踊る魔法は、初歩中の初歩の魔法だ。火を扱う分には危険だが、技能的には魔法の素質さえあれば五歳児でもできる。

 だが、それもこの子にとっては夢のような光景なのだ。シャイアドは、マーリアが見せてくれた上級の魔法を思い出した。幻覚と錯覚を応用した魔法で、目の前にたくさんのクッキーがあり、自分はそれを山ほど食べているのに、腹は全く膨れない。あれは、まさしく夢の世界だった。いつかこの子にも、そういった上級魔法を見せてあげたい。魔法は夢よりずっと深いんだよと、教えてあげたかった。しかし、今の自分は身隠しの魔法も十分に発現できない。

 二人並んで廊下を進んでいくと、中のドアがまた勝手に開き、ひとつの大きな客間に通される。そこには比較的装飾はあったが、それでも質素という二文字が頭に浮かぶ。灰色とくすんだ赤、鈍い金色。もう少しコントラストを上げたほうがいいのではないだろうか。低いテーブルには淹れたての紅茶が置いてあった。部屋に踏み入ると、勝手にドアがしまる。

「私にも、魔法の素質があればなぁ」

 やたらと柔らかいソファーに座ったウトラがそう呟くと、背後で魔力がはじけた気配を感じたので、シャイアドは咄嗟に身構えた。

「なんだ、あんたにも魔法の素質はあるぞ?」

 背後には、気の良さそうな表情を浮かべた初老の男性が、立っていた。

「さ、さむっサムドランさん! びっくりした……」

 彼が、サムドランらしい。暗闇に咲く青い花の色をした髪の毛には雨のような白髪が混じっており、大樹に生えた苔の色をした目は、表情とは相対的に、相手を牽制するように鋭く光っていた。

 シャイアドは、胃が縮んだような気分だった。今までマーリアに連れられて、数人の魔導師と会ったことはあるが、どれもシャイアドと大差ないような人たちだった。しかし、今目の前にいる魔導師は、マーリアに匹敵するようななにかを感じる。サムドランの眼光と合間って、押しつぶされてしまいそうなほど、身にまとうオーラは凄まじかった。そして不思議なことに、顔も、声も、態度も、マーリアとは程遠いというのに、胸の中に、あたたかなものが流れ込んできた。懐かしさ、だろうか。でも、どうして? なにかが、似ている。それは霞の中にあって掴むことはできないが、確かに、この老人はマーリアと同じなにかを持っている。

「あの、私にも魔法の素質があるって本当ですか!」

「ああ、あるぞ。だがちょいと待ちんさい、先に片付けなくてはならないことがある」

 サムドランは、シャイアドたちとは反対側のソファーに腰をかけた。一挙一動が、様になっている。口ぶりは気さくな人だが、立ち振る舞いはまさに国一番の魔導師だ。

 サムドランは、固まっているシャイアドに目を向けると、表情をゆるめて笑いかけた。

「あんたが、シャイアドだな? マーリアから話は聞いているよ」

「はじめまして、サムドランさん。……あの、マーリアと、どんなご関係なんですか」

「いやなに、マーリアは妹弟子でな。あの子はたくさんいる弟弟子のなかでも末っ子だったから、ついおせっかいをかけてしまってな」

 つまりサムドランはマーリアの兄弟子ということになる。さっき感じた懐かしさは、きっと同じ師をあおいだ同士、系統が同じだからだろう。

 思わぬつながりに、シャイアドは涙が出そうになった。そして、謝りたくもなった。

「あの、マーリアは」

 震える声をなんとか絞り出そうとすると、サムドランは優しく首を横に降って制した。

「わかっている。あの子が望んだんだ」

「望んだ、って……マーリアは自ら望んで死んだって言うんですか!」

「まあ、まあ。落ち着きなさい。ひとまず紅茶を飲んで」

 シャイアドは、素直に従った。ざわざわと揺れる感情という森の中で、サムドランに出口を教えてもらったような気がした。

 涙でにじむ視界の中で、サムドランが手を振ると、どこかから少年が現れてクッキーやスコーンを運んでくるのが見える。あの子がおそらく、十一番目の弟子だろう。

 シャイアドの気持ちが鎮まったのを確認して、サムドランは続ける。

「マーリアは、最期まで闘ったんだよ。今はそうとしか言えん。全てを知るには、きみはまだまだ未熟すぎる。未熟さは、過ちへの近道だ」

「……どうすれば、わたしの望む問いの答えを教えてくださるんですか」

「あんた、私の弟子になりなさい」

 あまりにも唐突な言葉だった。

 あたりが水を打ったように静まり返る。

 どうしても、言葉が出てこなかった。

「マーリアが教えきれなかったもの、私が教えよう。そして、知識で、魔法で、身を守る術を知りなさい。もう誰にも守られなくても平気なように」

 とうとうと話すサムドランに完全に面食らったシャイアドだったが、どうにか奮闘して口と喉を動かす。

「もしかして、ですけど、全てマーリアに……頼まれた……んですか?」

 サムドランは、「よくわかったね」とうなずいた。

 だから、マーリアはあの時、サムドランの元を訪れろと言ったのか。

 マーリアは、先を見ていた。逃げた先での道しるべを、ちゃんと用意していたのだ。

 やっぱりマーリアは、すごい。そんなマーリアですら敵わなかった相手から、シャイアドは自分自身を守れるのか不安になった。しかし、今までずっと暗闇だった世界で、やっと目の前の道が見えた気がした。今はただ、この道を歩むしか、ないのだ。

「行くところもないだろう。悪いようにはしないさ、弟子になるといい」

「はい、あの……そうさせていただきます。これからよろしくお願いします、師匠」

 シャイアドの心の葛藤はつゆ知らず、ウトラは我がことのように喜んで「よかったじゃん!」と耳打ちをする。顔を紅潮させるウトラを見て、サムドランはさっきのやりとりを思い出した。

「そうだ、ウトラとかいったか? 鍛冶職人の。あんたも、弟子になるかい」

 なんだか、この老人には驚かされてばかりな気がする。ウトラはカエルがつぶれたような声を上げると、「な、なんで……」と呟いた。相当混乱しているらしい。

「シャイアドの精神はまだ不安定だ。でもシャイアドが気を許しているきみがいればきっと大丈夫かと思ったんだ。なに、二年くらいでやめて構わない。私も、弟子というより客として扱うよ。それに何より……鍛冶と魔法のコンビネーション、素晴らしいとは思わんかね!」

 きっと最後のが本音だろう、とその場にいた全員が思ったに違いない。

 サムドランは乗り出した身をソファーに沈めた。

「まあ、あんたにも都合があろう。無理にとは──」

 「言わない」とサムドランが言い終わらないうちに、ウトラは食い気味に「はいはい! やります! なります、弟子!」と答える。

 親になにも告げずにこんな重大なことを勝手に決めて良いのだろうか、とシャイアドは思ったが、しかしこれはウトラの人生だ、それにご両親も反対するような人たちじゃないことを思い出し、何も言わなかった。シャイアド自身にとっても、ウトラが一緒にいてくれるのは、何よりも心強い。

 豪運の持ち主ウトラは、魔法を学ぶことができると知り、完全に浮かれている様子だ。確かに、二年程度でしかも客のように扱われる弟子生活は、羨ましい。

「では、シャイアド、ウトラ、きみたちはこれから私の弟子だ。“魔法の夜明けに朝露が飲めるまで”、精進しなさい」

 あっという間に二人の弟子を手に入れたサムドランは、さっそく、横に立っているクッキーやスコーンを運んできた少年を紹介した。

「あんたらの兄弟子、リャットだ。まあ、魔法の腕はシャイアドのほうが上だろうが、この家の勝手なんかは彼に聞きなさい」

「よろしく」

 気の良さそうな少年は、見た感じシャイアドたちと同い年くらいだ。朝日のような柔らかな金髪と、太陽が沈んだあとの空のような深い紫色の目をしている。

「リャットさん、これからよろしくお願いします!」

 ウトラが元気よく挨拶すると、リャットはおかしそうに笑って「リャットでいいよ。ウトラは客人って言うし、シャイアドは俺より魔法の先輩らしいしな」と訂正した。

 サムドランも、「リャットがそう言うなら構いはせんよ」とうなずいて、「では私は少しやることがあるから、この屋敷を案内してあげなさい」と席を立った。

 任されたリャットは、仲間が増えたことが嬉しいのか、口元のにやけを隠しきれていない様子で腰に手を当てた。

「じゃあ君達、まずはどこから見たい?」

「お部屋!」

 人見知りであるシャイアドは、ウトラの快活さが羨ましい。


✳︎


 屋敷の案内が終わると、昼前になっていた。リャットが台所で料理の支度を始めたので、シャイアドは手伝いを名乗り出ていた。家事を当番制にするか、全員参加かは、サムドランが明日にも決めるらしい。

 ウトラは、思わぬ幸運をつかんだことを、家族に伝えに家に戻っていた。シャイアドも挨拶をしたがっていたが、日の高い時分の外出は控えた方が良いとサムドランに止められた。なので、ウトラは名残惜しそうな顔をしたシャイアドから、別れの挨拶と感謝の言葉を預かっていた。

 託された言葉を告げた後、弟子になることを家族らに明かすと、三人は面食らったような顔をしていたが、みんな賛成し、応援してくれる。

「まさか、ウトラに魔法の才能があったなんてな。うちの家系に出てくるなんて思わなかった」

「私のお祖母様に、そういった才能があったって聞いたことがあるわ。きっと先祖返りね」

 心から喜んでくれる両親だったが、一方のランギは喜びつつも冷静さを欠かない。

「でもお嬢、いいのか? 本格的に弟子入りすれば、魔導師になれるんだろ。二年ぽっちってことは、魔法がちょっとは使える一般人って括りで、魔導師とは名乗れないって聞いたぜ」

「いいよ。だって私、魔法に憧れてるだけで、魔導師になりたいってわけじゃないし。長い命もいらない。宝石の加工職人になりたいもん」

 父は感極まったのか、口を固く引き結んだ。母は、それを見て微笑ましそうに目を細める。

「よかったわね、あなた。あのね、ウトラ、お父さんずっと、あなたに工房を継がせるのは、あなたの未来を束縛してしまうことになるんじゃないかって心配してたのよ」

「え、私があの工房を継いでいいの?」

「ああ、お前の人を惹きつける力は、充分だよ。何か困ったことがあれば、ランギでもルートでもいい、とにかく他人を頼りなさい」

 父の優しく真っ直ぐな想いに、ウトラは言葉が出なかった。心のどこかで、工房はランギが継ぐものだと思ってたから。

 ランギを盗み見ると、彼はこうなることが当然だと言わんばかりの顔をしていた。彼はなんでもできるが、どうしてか一歩引いているように見えることがある。顔の造形も良ければ頭の回転も早いのに、一体何が彼を押さえつけているのか。それほど、両親の死が大きかったのだろうか。

「じゃあウトラ、荷物をまとめましょう。ランギ、悪いけど、運ぶ時手伝ってくれるかしら」

「ええ、喜んで」


✳︎


 満開の花であるウトラが去っていった、物寂しい家で、愛娘を見送ったばかりの父は表情に影を落とした。

「父親として、止めてあげるべきだったのだろうか」

「あの予言のことですか」

 ウトラの父は、弱々しくうなずいた。そこまで迷っていたなら、完全に喜びの裏に隠さないで、娘に素直に告げればよかったのに。

 ランギが不思議に思っていると、ウトラの母がしっかりと首を横に振る。

「あなた、あの子は大丈夫よ。ねえ、ランギ」

「はい。さっき送っていったとき、あの子は心の底から楽しそうにしていました。今を楽しく踏みしめることができる、強い子だと思いますよ」

 心からの言葉だった。ウトラの父は、困ったように笑う。

「お前たちがそう言うのなら、私は信じるしかないな。妻との言葉と、娘自身を」

 ランギの頬が、ほんのり色づいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る