第6話

 喧嘩した後に携帯で連絡を取ろうとしても既読スルーであった。

 当然の話だが、先輩を完璧に怒らせてしまっている。

 いや、頭を冷やすと言っていたしチャンスもあるかもしれない。だが先輩が冷静になったとして俺は何を言えば良いのだろう。恐らく、ただごめんなさいと言ったところで何の意味もあるまい。むしろ火に油を注ぐような気がする。先輩はあのときなぜ怒ったのだろう。売り言葉に買い言葉であんな憎まれ口を叩いた自分自身すらもわからない。

 そんなことを悶々と考えながら家に帰り寝て起きて学校へ行って授業を受け、気付けばあっと言うまに放課後だ。昼も会うことはできず、渡そうと思ったコーヒーもすっかりぬるくなった。


「なあ井上くん」


 見知らぬ男子が俺の机に近づき、絡んできた。

 目がぱっちりとした茶髪の二枚目だ。しかし名前がわからない。一応クラスメイトだとは思うが一年生の頃はおそらく別のクラスの奴だったのだろう。当然友達などではない。


「……ええと、何か用?」

「御法川先輩のことだよ、ちょっと聞きたくってさぁ」


 こういうとき物怖じせずに他人に話しかけてくる奴って、自分の能力をもっと世のため人のために使おうとか思わないんだろうか。大体悪用される能力だよな、高額商品を売りつける訪問販売とか宗教の勧誘とか。あ、いや、こいつは人のために使ってるのかもしれんな。俺と御法川先輩のゴシップ的な話を知りたいが直接聞く勇気のない人間達を代表してこいつがやってきたのかもしれん。ともあれまともに相手にする程の価値はない。


「……わかるだろうって言われても、話が見えないんだが」

「御法川先輩と付き合ってるんだろ?」

「そうだけど」

「じゃあわからないってことはないだろう」

「わからんのはなんでそんなこと他人に言わなきゃいけないのかってことだよ」


 男はうっ、といううめき声を出す。こういう反応は想定していなかったのだろう。


「い、良いだろう教えてくれたって」

「その前に名を名乗れ、ちゃんとフルネームで」

「田中圭だが……」

「それで田中君は彼女いるのか。あるいは付き合っていないけど好きな人でも良い」

「えっ、あ、いや……なんで俺が質問されてるの?」


 ちっ、空気を読まず流れに乗ってこない奴は苦手だ。同族嫌悪を感じる。


「俺は御法川先輩と付き合ってるよ。お前も俺と同じレベルの話をしてくれるなら答えようはあるけどさ、お前のことを何も教えてないんじゃ話にならないだろ。で、この学校の中では誰が一番好きなんだ?」

「わ、わかった、すまん。いきなり聞いて悪かった。俺も人から頼まれて聞いてみただけでさ。悪気はなかったんだ」

「誰に頼まれたかは聞かないけど本人が聞きに来いと伝えてくれ」

「わかった」


 そこで田中くんとやらはいそいそと帰り支度を去ってしまった。しまった、いじめすぎたか。でもいきなり他人の彼女の件であれこれ詮索してくるのも失礼だよな。他の人に対しても良い牽制になっただろう。……ただ、「味方を作れ」、「友達を作れ」という御法川先輩の言葉を完全に無視してしまっている。

 心にざわめきを覚えたまま学校でうだうだしても仕方ない。帰るか……と鞄を持ったところで、あらぬ方向から声をかけられた。


「へえ、じゃあ話をしたらそっちのことを教えてくれるの」


 振り返れば、柔らかそうなポニーテールが揺れている。

 顔立ちや物腰は柔らかいのに、視線だけは刺々しく俺を刺している。


「……ああ、沖か」

「ちょっと用があるんだけど、良い?」

「嫌だって言ったら付き纏ってきそうで怖いんだけど」


 放置と行きたいところだったが俺は丁度虫の居所が悪かった。からかってやろうという悪戯心が頭をもたげてくる。


「とりあえず人目につかないところ行こうぜ」

「こっちはどこでも良いけど」

「先輩に関する話であれこれ騒いだら先輩の迷惑になるだろう。せめて学校の外でしたい」

「わかったわ」


 俺は沖と共に学校を出る。そういえば御法川先輩と一緒に下校したことが無いな。男女二人きりでの初めての下校がこいつか。はぁ、つまらん。ともあれ駅前あたりまで行くとしよう。

 下校時間の雑踏をかき分けて進む。沖は雑談すらしない。俺も話しかけたりしない。気まずい二人歩きはさぞストレスがたまることだろう。だが沖はさっさと済ませたいのか、手近なハンバーガーショップを示した。


「聞き耳立てる奴もいるかもしれんが良いんだな」

「別に、すぐ済むでしょ」


 すぐ済ませたいと。なるほど。まあ俺も長々と付き合う気は無いし。

 自動ドアを開けるといらっしゃいませという明るい声が出迎える。俺は炭酸のジュースとポテトを頼む。こいつ食うつもりか、みたいな目で沖が見つめてくる。沖は飲み物だけを頼む。奥の方の、人気のないテーブル席を選び向かい合って座った。しかし用件はどうせアレだろうな。先輩と別れてとかそんなところだろう。


「単刀直入に言うけど、先輩と別れて」

「芸がないなぁ」

「なに、喧嘩売ってんの」

「あ、すまん、つい口に出たか」


 思っていた通りの発言が出てちょっと落胆してしまった。


「とりあえずどういう理由で? 先輩にふさわしくないとかそういうつきなみな理由じゃなくて、子供でもわかる筋の通った話をしてくれないと俺わかんない」

「ごちゃごちゃうるさい。とにかく先輩と別れてくれればそれで良い」


 自分の要求を突っ張るだけか。まあ俺なんかとまともに会話もしたくないのだろう。


「嫌だ」

「後悔するけど良いの」

「なんだ、痴漢されたとでも騒ぐのか」

「はぁ? いやらしい、何考えてるの」


 あ、なんだ、意外と平和主義なんだな。というか沖は身持ちが固く頭も固そうだ。そういう手口に訴えると考えるのは俺がちょっと汚れすぎてたか。


「そもそも釣り合ってないのよ。あんたと御法川先輩は」


 それは素朴な気持ちで同意できる。


「じゃあなんで先輩は俺と付き合ってるんだ?」

「同情してるのよ、あんたが可哀想だから」


 それも常々思う。もしかしたら先輩は仮初めの彼氏なんか実は不要で、俺に対する罪悪感の気持ちで今の関係を作っているんじゃないかと疑っている。


「前々からあんたのこと、先輩は嫌ってたんだから」

「へえ?」

「だらしないとか練習に不真面目だとか目が気持ち悪いとか。私達がそういうことを言っても、今も先輩はちゃんと聞いて頷いてくれるし先輩が愚痴ることもある。あんた愛されてないのよ」

「なるほど」

「どうせいつか振られるのよ。傷の浅いうちに別れたら?」


 沖は、俺の痛いところや疑わしく思っているところをずけずけと突きながらも、俺に利得のある提案をしてくる。体育会系脳筋だと思っていたが、頭もそれなりに回る奴だ。馬鹿にしてすまなかったと心の中だけで詫びる。


「実際のところ、高田にいじめられて、可哀想だから先輩が付き合ってくれてるだけでしょう?」


 詫びはするが、それで俺の腹の虫が収まるわけでもないし沖の提案を飲む理由にはならない。

 だがありがとう沖。お前が嫌な奴だったから、遠慮なく言い返せるしお前の歪む顔が楽しめる。


「それでなに? 仮に先輩が俺のことを本心では嫌ってたり見下したりしてて、同情や憐憫で付き合ってくれてるとしよう。だったら俺はその同情をありがたく受け取るね。先輩が嫌なら先輩から無理だって断ってくれば良いわけだし、それまでは彼氏として先輩からの情けや優しさを貰えるだけ貰う。俺は別に、ひとつも悪いことしてないからな」


 できるかぎり嫌らしく、こいつの嫌悪感を掻き立てるように笑顔を作る。

 沖は、呆気にとられな顔をして、だがそれでも俺を嘲笑った。


「……情けなくないわけ? 自分をバカにしてる人にそんなふうに扱われて」

「良いんじゃないか。あの人、実際気心の知れた人間に対しては皮肉屋だし他人に対して冷酷なところもある。さばさばした振りして割と根に持つタイプだしな。つい俺に馬鹿にすることくらいあるかもしれない。でもな、綺麗で凛々しくて優しい、そういう先輩のこと俺は好きだけど、皮肉屋でねちっこくて無自覚に上から目線な先輩も俺は好きなんだよ。お前はそういう駄目なところを見たり、俺みたいに影で悪口を言われてたりして、その上で先輩のことを好きって言えるか? 尊敬できるか?」

「……先輩のこと、全部わかってるみたいな口を聞かないで」

「なんでだよ。彼氏と友達じゃ見せる顔が違うなんて当たり前だろ? お前は友達と親と教師と恋人で全部同じような受け答えするの?」


 喉が乾く。買ったジュースに口をつける。ああ、美味い。こうやって言葉で責めているときに気分が良くなってしまうのって倒錯的だな。叔父貴は俺のこと良い子だって言ってくれたが、性癖的にどうも自分自身が歪んでいるとしか思えない。


「大体さぁ。ついつい身近な人の悪口や愚痴の言い合いになってあいつは駄目だとかあいつは気が利かないとか使えねえとか、その程度のこと誰だって言うじゃないか。少なくとも俺は、先輩が陰で人を嘲笑うような弱さがあっても許すよ。愛してるから」

「せっ、先輩はそんな弱さなんて……」

「あとなぁ沖。彼氏のことを口汚く罵るとしたら、友達や慕ってくれる後輩に対して裏で何言ってるかなんてわかんないんじゃないか?」


 沖の顔に、怯えが走った。だがそれを振り払うように歯を食いしばり、きっとこちらを睨みつける。


「……先輩と別れないって言うわけ」


 沖はまだ話を続ける気らしい。ここまで言って激昂せずに話そうとする姿勢は凄いかもしれんな。


「じゃあどうするつもりだよ」

「バラすわよ」


 その言葉はいっそ優しげであった。沖はこれがとても残酷であり、威力を秘めている言葉だと知っているのだ。


「何を?」


 と尋ねたが、なんとなく察した。先輩と俺を引き離そうとするわけだな。

 俺には、人に言いにくい秘密がある。わざわざバイトなんぞしなきゃいけない理由であり、最終的には部活を止めなきゃいけない理由について。それを自分の口から積極的に学校の友人知人に話したことはない。やむにやまれず話したことはあるが、それも高田と話し合いをするときのみの一回だけだった。


「あんたの家族のこと。説明した方が良い?」

「……それは顧問の武田先生も知ってるんだよ。高田も知ってる」

「……先輩は知らないでしょう」

「そうだな」

「じゃあ……」


 沖の表情は、勝利を確信していた。勝つということは正しかったということだ。何かに勝利してすべてが自分の思いのままに物事が運ぶ瞬間の微笑みは、太陽のように明るくそして醜悪だ。


「良いよ。構わないから言えよ」

「……え?」

「どうせいずれバレるし、自分で言おうとも思ってた。お前が言ってくれるならむしろ手間が省けるさ。だけどな」


 俺は身を乗り出して沖の顔を見つめた。


「それを先輩に喜々として言ったとして、御法川先輩はどう思うって考えないか? 他人の家族が無様に死んだことを嬉しそうに話す後輩をどんなに恐ろしく思うだろうって、想像しなかったのか?」

「し、死んだって……」

「ん? バラすって、そういうことじゃないのか?」


 おかしいな、それ以外には恥部なんて無いはずなんだが。


「わ、私が聞いたのは、あんたのおじいさんが、騙されてお金取られたってだけで……」

「ああ、そういうことか。中途半端に伝わってたんだな。じゃあ聞けよ」

「別に……」

「聞けよ」


 沖の目から負けん気が去りゆくのを俺は見逃さなかった。


「俺のじいさんはお前の言う通りけっこうな大金を無くしちまった。それが癌治療が終わったばかりの頃だったんだよ。……そのショックのせいだと思うんだが体調が一気に悪くなって、癌も再発した。俺が高校に上がる前にポックリ死んじまったよ。一周忌も三回忌も終わった。そういやなんで三回忌って三年目じゃなくてニ年目にやるんだろうな。お前知ってる?」

「……なんでそんな、気軽に話せるのよ。人が死んでるのに」

「人の死に繋がる話で脅そうとしたのはお前だろ。そういう脅迫する人間に話すには強がるしかないんだよ。それともなに? 泣いたらお前慰めてくれんの?」


 話をしているうちに冷めてしまったポテトをかじり、炭酸ジュースで流し込んだ。

 たまにはジャンクフードも良いもんだなと、沖の泣きそうな顔を見ながら思う。


「というか顧問の武田先生は、俺の秘密が原因でいじめとかトラブルに発展するのを嫌がってるんだよ。俺がお前に脅されたってことを伝えたらどうなると思う。今年度インターハイの八百メートルで自己ベストを出して、地方大会出場を目指してる沖彩花さん」


 俺がそこまで言って、沖は押し黙った。

 ようやく自分のやっていることに気付いたのだろう。自分が正しいことをやっていると思っていて途中でそれが間違っていると気付きふと我に帰ったとき、ただ黙るしかない。他人には言い訳できる。そういうつもりじゃなかったと。だが他人を傷つける快楽を味わった自分そのものは否定できない。俺は暴力に頼りこいつは脅迫に頼った。俺はもうすでに抵抗できない状態の高田を蹴っていた。誰もが蓋をして無かったことになったからそれを面と向かって責めてくれる人は居らず、むしろ仕方なかったのだと慰められた。そのときの居心地の悪さはよくわかる。沖は二年生女子の代表格だ。お前のことを責めずに慰めてくれる友達がたくさんいるだろう。だから俺だけは自分を棚に上げて、敢えて言ってやろう。


「……お前、二度とこんなことすんなよ」

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